第14話 だからっ……、このときくらいは、私の悪意を、疑って欲しかった。
その瞬間を見届けると、笑菜はあっさりなくらい酒々井さんたちに別れを告げ、僕の腕を引いてアミューズメントパーク近くの埠頭へと連れ出した。
「……笑菜? なっ、なんで──」
「まだだよ。まだ、続きがあるから。つがゆう」
夕焼けに染まった水面と、吹きつける夏の風が一抹の涼しさをもたらすなか、僕らは並んで欄干にもたれて「続き」を待つ。
何分経っただろうか。僕らの近くを、虚ろな瞳でフラフラと酒々井さんがひとり彷徨ってきた。右手には、小岩君がくれたプライズのぬいぐるみが入った袋が力なく提げられている。
かと思えば、へなへなとベンチに座りこんで、袋からぬいぐるみを取り出し、そして──
「えっ、ちょっ、笑菜? なっ、泣いてるけどっ?」
大事に大事に、宝物のように抱えたそれに、彼女はポロポロと大粒の涙を流し始めた。
「……やっぱり。小春ちゃんの性格なら耐えきれるわけないよね」
「いや、ひとりで納得されても僕は全くといってわからないんだけど。これ、さすがに声かけたほうがいいんじゃ? っていうか小岩君は?」
「小岩君は多分いないよ。……適当に理由つけてバイバイしたんじゃないかな。小春ちゃんが」
「……何が起きてるんだよ」
「……行けばわかるよ。つがゆう」
僕の問いに、笑菜は目を細めてゆっくりと答え、泣きじゃくる彼女のもとへ歩き出す。
「やっほー、小春ちゃん。こんなところでひとりで泣いちゃって、どうしたの?」
「……え、え? 市川先輩? それに、都賀先輩まで、どうしてっ……」
僕らの登場に驚いた酒々井さんは、ゴシゴシと涙を拭ってあんぐりと僕らのことを見つめる。
「いやー、つがゆうとちょっと景色眺めてたら、ただならぬ様子の小春ちゃんが来たから」
「っ……」
「どうかした? 小岩君と何かあったの?」
「いっ、いえ……正志先輩とは何もっ……」
「じゃあ、小岩君以外と何かあったの?」
「そっ、それはっ……」
笑菜の質問に言葉尻をすぼませてしまう酒々井さん。それだけでもう答えみたいなものだ。
「……それで、ネタバラシはいつなのかな? 小春ちゃん」
始め、僕は笑菜が何を言っているのか理解できなかった。でも、次のタイミング、
「……な、んで……市川先輩がそれを……」
酒々井さんの目が大きく見開いたかと思えば、止めていた涙が一粒、零れ落ち、持っていた袋がパサリと音を立てて地面に落ちた。
笑菜が放ったひとことで、ようやく事の状況を把握した。
「『嘘の告白』をして小岩君を弄ぶ気分はどう? 小春ちゃん」
「ちがっ……わ、私だって……こんなことっ……したくなかった……したくなかったんです……!」
……だからか。だから、酒々井さんは終始どこか苦しそうな表情をしていたんだ。
でも、だとすると尚のことおかしい。酒々井さんは「本当に」小岩君のことが好きなはずなんだ。それなのに「嘘の」告白なんて、どうしたらそんな展開に……。
「……ごめん。僕は全然何が起きてるのかわからない。……差し支えなければ、話してもらっていいかな。……もしかしたら、榎戸君と平井さんのときと同じように、力になれるかもしれないし」
「で、でも……」
「……もう自分ひとりじゃ手に負えないんじゃないの? だから、笑菜が邪魔したときも、断らなかったんじゃ」
「……一学期の、終わりの時期でした」
そうゆっくりと切り出すと、ポツリ、ポツリと酒々井さんは力ない声で経緯の説明を始めた。
〇
高校入学してから探り続けていた正志先輩の情報。でも、上手くいかなくて、逆に榎戸先輩との関係を誤解されてしまって、結局何も進展しなくて。
そんな停滞していた私の片想いは、全く嬉しくない形で、進もうとしていた。
というのも、
「はーい、8切ってラスト二枚出しであがりー、小春ちゃん大富豪苦手? ほとんど大貧民じゃーん」
「あははー、もしかしたらそうかもですー、友達とやってもいっつも負けちゃうんでー」
サッカー部が休みの一学期も終わりに差し掛かった日、私は同学年の「ただの」知り合いと、そのまた知り合いの先輩たちと放課後の教室でトランプをして遊んでいた。
「──それじゃ、最初に言った通りこれで五ゲーム終わったから、順位を発表しまーす。と言っても」
この集まりのリーダー格とも言える、三年の千葉先輩が黒板に残していた結果を整理して、
「最下位はダントツで小春ちゃんだったわー」
わかりきった事実をさも誇らしげに口にする。それに、千葉先輩の取り巻きの大原先輩と成田先輩、さらには千葉先輩と付き合っているらしい伊澄先輩も面白おかしそうに笑いを浮かべる。
「そんで、最下位の人には言っていた通り、罰ゲームって話だったけど……どーする?」
千葉先輩がそう切り出すと、お世辞にも上品とは言えない笑みを見せる取り巻きたちが、
「そういや小春ちゃん、今彼氏いないって言っていたよね?」
「えっ? そうですけど、それがどうかしましたかー?」
「そんじゃあさ、俺らのクラスに、いかにも年齢イコール彼女いない歴の陰キャ童貞君がいるんだけどさ、そいつに嘘告して夏休みの間付き合ってもらうのはどう?」
……その下品な顔から出てくるにふさわしい罰ゲームを言い出した。それだけだったら、まだ私は表面に作り笑いを浮かべて、「えー? そんなあ、私だって年齢イコール彼氏なしで初めてなのにー」とか、この人たちが喜びそうな反応を偽ることができただろう。
けど、続いた伊澄先輩の言葉に、そんな余裕は全部吹き飛んだ。
「え、そいつってもしかして小岩? えーないない、あいつだけはないって絶対」
「ちょw、伊澄そんなに否定しなくても、小岩が可哀そうすぎじゃん」
「だって、小岩どこからどう見ても陰キャオタクの極みだし、あいつ写真部でしょ? 絶対なんかエッロい写真撮ってニヤニヤしてるって、私は絶対無理無理」
……よりにもよって、先輩たちが指定した罰ゲームの相手は、片想い先の正志先輩だった。
「まー、それはなんかイメージつくわ俺、女子部の練習中の写真とか並べてたりして」「うわーなんか男の俺でもない気がしてきたー」
普通、ここまで扱き下ろす相手だったら、止めるのが普通なのだろうけど、自分らが楽しめるのが最優先なこの人たちに、そんな選択肢はあり得ない。
「それじゃあ、小春ちゃん、罰ゲームの内容、それでいい?」
千葉先輩の、最後のひと押しに、私は今できる精一杯の作り笑いを浮かべて、
「……は、はーい、わかりましたー」
そう、答えることしかできなかった。
この三年生の機嫌を損ねてしまえば、今日私をこの集まりに呼んだ同級生の知り合いの顰蹙を買ってしまう。クラスの中心に居座る彼女に嫌われてしまえば、今後の高校生活に支障も出かねない。
……仲間外れだとか、ハブりだとか、そんな嫌がらせだとか。
一度そういう対象に選ばれてしまえば、二度と這い上がることは不可能だ。学校で楽しそうな様子なんか見せようものなら、即刻不意打ちがくる、そんな世界なのだから。
「オッケー、小春ちゃんノリが良くてまじで最高。この間来た一年の女の子、罰ゲーム断っちゃってさー。まじで白けたよなー」
「なあなあ、告白と振る場面、動画に撮っておこうぜ? マジで最高傑作になる自信があるわ」
ほら見たことか。今私が断っていたら、さっき言ったようなことになっただろう。
「じゃあさじゃあさ、週末金曜日の放課後、屋上に小岩呼び出して、そこで嘘告してよ。俺ら先に待ってて、動画撮るからさ」
「……あ、は、はい。わかりました、金曜日ですねー」
「おわ、やっべそろそろ予備校行かないと、親にどやされる。そんじゃ小春ちゃん、金曜よろしくねー」
そうすると、千葉先輩たちは続々と荷物をまとめて、移動した机はそのままに、実は爽やかな人なんじゃないかと勘違いしそうになるくらい綺麗な笑顔で教室を後にしていった。
残された知り合いの子も、
「酒々井さん、今日は一緒に来てくれてありがとー。罰ゲーム、頑張ってね、ばいばーい」
机を片付けることもせずに、さっさと家に帰っていってしまった。
……どうせあの子も、三年の先輩たちに気に入られるために私を売ったんだろうな。
私も、自分のために榎戸先輩を利用しているから、あまり人のことは言えないけど。
「はぁ……どうしよう……」
結局、散らかった三年生の教室を、一年生の私が綺麗にするというよくわからないことをしてから、私はひとりとぼとぼと重い足取りで生徒玄関へと歩き出していた。
解決策も考えつかないまま、迎えた金曜日。
前日のうちに書いておいた「放課後、屋上で待ってます」の置き手紙を、あらかじめ聞かされていた正志先輩の下駄箱に入れておいた。
その日の授業は、まるで生きた心地がしないで受け続けていた。普段そんなに関わることはないのに、千葉先輩の取り巻きの同級生は「今日、楽しみにしてるねー」とお気楽そうに私の肩を叩くし。
こんなにも、六時間目の授業が終わって欲しくないと願った日は、今までなかったんじゃないだろうか。
でも、どんなに祈ったって、時間というものは誰にも等しく流れていってしまうもので、あっという間に帰りのホームルームも終わって、放課後に。
……いっそ、このまま約束を破って帰ってしまおうか、とすら思ったけど、件の子が、
「あ、酒々井さん屋上行く? 私も行くから一緒に行かない?」
と即刻逃げ道を塞いだので、万事休す。
気が向かない重たい足取りで、私は学校の屋上へと歩き出していた。
夏の足音大きくなる七月中旬。夏服とスカートを風に揺らされながら正志先輩を待つ間、ひたすら私は先輩が来ないことを願っていた。
……こんな形で、罰ゲームだなんて卑怯な方法で、告白なんてしたくなかった。
だから、こうなってしまえば、先輩が来ない以外にこの場を乗り切る方法なんて思い浮かばなくて。
けど、私は知っている。
重たい荷物を持って歩いているおばあちゃんがいたら運ぶのを手伝ってあげていたり。
迷子の子供がいたら一緒にご両親を探すのを手伝っていたり。
結婚指輪を落としたというお兄さんと一緒に町中をはいつくばって探してあげたり。
写真部の存続のためとはいえ、本来休日の入試の日に入試の運営を手伝ったり。
そこで、見ず知らずの受験生の落とした受験票を探し出して来たり。
そういうことを普通にしてしまう先輩が、こんな呼び出しを無視するわけなんかないことを。
……だから、先輩は来てしまうんだ。
ガチャ、と軋んだ屋上に出てくる扉が開く音がする。ハッと視線を上げると、そこには、周りをキョロキョロと見回しながら、不思議そうな顔をした先輩の姿が。
「……え、えっと……。こ、この置き手紙をしたのって、君……?」
どうやら、先輩は私のことを覚えてはいないようだ。いや、覚えていないか、それとも受験票を落とした人物が私と紐づけられないか、の二択だろうか。せめて、そうであって欲しい。
これで、毎日たくさんの人を助けているので、いちいち助けた人の顔なんて覚えていられないって言われてしまえば、それまでなんだけど。
「は、はい。私です」
裏返りそうになる声を必死に堪えて、私は答える。
……今すぐにでも、これは先輩を嵌めようとしている罠なんです、罰ゲームなんです、と言いたいけど、それをすれば、
「っ……」
現在進行形で物影に隠れている千葉先輩たちの取り巻きのターゲットにみすみすなりにいくようなものだ。
最近、私のクラスの女子生徒がひとり、何日か続けて学校を休んだ。理由は体調不良、ということらしかったけど、学校に戻ってからというものの、明らかに口数が減ったし、これまで仲良くしていた友達グループとも距離を置かれている。
それが誰の仕業かなんてことは、想像しかできない。でも。
そのクラスメイトと、今物影にいる「単なる知り合い」の女子が、ちょっと前この取り巻きと一緒にいるところを見た。
……ここで罰ゲームを実行しなければ、行きつく先はああだっていうこと。
「え、えっと、そのっ、じっ、実は私、そのっ……」
何度も何度もシミュレーションした言葉を、まさかこんなときのために使うことになるなんて。いや、いっそのこと使わずに、ずーっと私のなかで温め続けるのも、ありなのかもしれない。
……期限が切られている罰ゲームに、こんな大事なもの、渡せない。それだったら、いっそのこと、
「ず、ずっと前から、先輩のこと、好きでしたっ」
ど真ん中に、ストレートを放ってしまえ。
「んえっ……」
私の告白に、明らかに面食らった先輩は、屋上に入るときも確認していたのに、わざわざもう一回首を左右に振って周りに誰もいないか見ようとする。
「え、え……? じょ、冗談とかじゃなくて……? っていうか、僕と君、全然関わりないけど……?」
冗談ではない、本心でもある。でも、罰ゲームなんだ。だから、断って、断って、断って……。
「ひと目みたときからだったんです、そ、それじゃ、だめですか……?」
お願い、だめって言って。そうすれば、ただ私が恥をかくだけで済む。「好きでもない男」に告白して振られた可哀そうな女で済む。だからっ……、
「……だ、だめとかじゃ、ないけど……」
だからっ……、
「……本当に、僕でいいの?」
このときくらいは、私の悪意を、疑って欲しかった。
「……は、はい」
掠れてしまいそうな声で、そう返すと、正志先輩は頬をポリポリと掻きながら、
「……ぼ、僕でよければ、よ、よろしくお願いします」
私が一番聞きたくて、一番聞きたくなかった言葉を、呟いたんだ。
晴れて(なのかどうかはわからないけど)正志先輩と付き合うことになり、入学からの目的を望まない形で叶えることになった。
ただ、付き合うとは言っても、先輩は受験生。放課後や土日の休みの日に遊び呆けるわけにもいかないし、そもそも私だってサッカー部の仕事がある。そういった事情もあって、(嘘の)恋人らしいことをすると言えば、せいぜい帰るタイミングを一緒に揃えて、帰り道にアイスを食べたり、クレープを食べたり、タピオカジュースを飲んだりといった時間のかからないささやかなことをするくらいだ。食べてばっかり。
しかし、そんなことをする裏には、もちろん罰ゲームの主催でもある千葉先輩であったり、名前すら覚える気にならない同級生の女子がコソコソ笑いながらついてきているのを私はしっかり感じ取っていた。
そんなこと、夢にすら思っていないであろう正志先輩は、疑うことすらせずに今日も駅前にあるショッピングモールの広場にあるスタンドで買ったクレープを頬張っている。
円形のベンチ、隣に座っている正志先輩は、少しだけ申し訳なさそうに、
「……あの、こんな感じでいいのかな」
私の様子を窺いながらそんなことを言い出す。
「……こんな感じ、と言うと、どういうことですか?」
「……いや、僕、彼女ができるの初めてだから、こんなふうにしていていいのかなって、なんとなく不安で」
先輩は、食べ終わったクレープの包み紙を丁寧に折りたたんでは、所在なさげに右手に握りしめたまま膝の上に置く。
自信なさげに座る正志先輩の口の端に、白いクリームがついているのを見つけた私は、ポケットティッシュを取り出しては、
「先輩、口にクリーム残ってます」
「え? ほんと? どこ?」
先輩のほうに身体半分ほど近寄ってクリームを拭う。
「って、へ……?」
突然の私の行動に、驚いて固まってしまう正志先輩。そんな先輩に、私はちょっとだけ表情を悪戯っぽく崩して、
「こういうのも、彼氏彼女っぽくて、いいと思いますけど? それに、放課後一緒に帰るだけでも、私は全然満足です」
わざとらしく甘い声で告げた。
きっと、このシーンも彼らの格好のネタになっているのだろう。そう思うと、心の隅からじんわりと悔しさに似た感情が広がり始める。
これが、罰ゲームなんかじゃない、ちゃんとした関係でできたなら、どれだけよかったのだろう。こんな、要らない感情なんか、背負うこともなかったのに。
「……そ、そういうものかな」
「そういうものですよ」
次第に、貴重な先輩の時間を奪っていることが申し訳なくなってきてしまい、
「あ、すみません、そろそろ私、帰らないとなんで」
意味もなくスマホを確認して、ベンチから立ち上がる。
「じゃ、じゃあ、僕も帰るよ。とりあえず駅まで行こう?」
ただ、正志先輩はどこまでも彼氏らしく振舞おうと考えてくれているみたいで、駅に向かう私について来ようとした。
「は、はい、わかりました」
正志先輩を拒絶することなんてできるはずもなく、私は後ろをチラチラと気にしながらも、駅の改札へと歩いていった。
物影にいる集団の笑い声は、確かに私の耳に入っていた。
私と正志先輩の帰る方向は反対だ。ホーム下のコンコースでの別れ際、
「……あの、あれだったら夏休み、どこかにふたりで出かけない?」
少しだけ照れくさそうに彼はそう提案した。
「え? でも、いいんですか? 先輩、勉強あるんじゃ」
「一日くらい大丈夫だよ。たまには息抜きしないとね」
「あ、で、でも……」
私は正志先輩に何かを言いかけたのだけど、するとタイミング悪く頭上のホームから列車の接近音が聞こえてきて──
「もう電車来たから行くね、考えておいてくれないかな」
期限の二学期の始業式まであと僅か、何もできないまま、今日に至る。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます