第13話 はい、それじゃあ今日のデート料金の五千円、前払いでお願いしまーす
と、本当に約束通りあげた一日以外、笑菜は僕に干渉することはなく、おかげで快適なひきこもりライフを過ごすことができ迎えた木曜日。
青々と染まった葉々が生い茂る木々を横目に、僕は待ち合わせ場所の駅へと歩き続ける。休日の街は、高校生や大学生と思わしき人たちが楽しげな様子でよく歩いていて、どこか賑やかさを感じさせる。
笑菜との待ち合わせ時間までは少し時間があったので、僕は駅の周りをフラフラと歩く。駅に直結する形で立地しているショッピングモールに、立ち並ぶ飲食店に予備校の看板。それでいて少し駅から離れただけで、住宅の割合が増えてくる。
喧騒と閑静を持ち合わせた街の顔に、少しだけ笑菜っぽさを思う。
普段は調子のいいことばかり口にして、ネジが二、三本抜けたんじゃないかと思う発言もしばしばするけど、誰かのためとなると途端にその影を隠して真面目になる。こと、友達のためなら尚更。
平井さんのときだってそうだったし。
何も今回のことだけ、じゃないし。
「……そろそろ戻るか」
駅から十分歩いたところで、僕はそうひとりごち、踵を返して笑菜との待ち合わせ場所へと向かいだした。
ショッピングモールの出入り口の広場にあるクレープスタンドの脇、円形のベンチに座り、僕は読みかけの小説を開いて笑菜のことを待つ。
五分か、十分か、それくらいの間ページをめくっていると、ふと、僕の目の前にひとりの少女が現れたのを感じた。
僕が本から視線を上げ、彼女に目を移すと、
「やっほー、そこのお兄さん、もしかしてひとり? よかったら私と一緒にいいことしない?」
ニンマリと口元を緩めた僕の待ち人が、そこに立っていた。
僕は、一瞬言葉を失ってしまう。何故かって、そんなの。
「あれれ? どうしたの? 固まっちゃって。あ、もしかしてあまりの美少女に声を掛けられてフリーズしちゃったのかな? そんなお兄さんと、今なら特別に一日五千円でデートしてあげよー」
少しだけ肩を露出させたオフショルダーの白色のトップス、チェックの模様がついた黒色のスカート、極めつけは、普段眼鏡なんてかけないのに、どこで買ったのか、赤縁の伊達眼鏡。
笑菜の私服なんて見慣れている。はずなのに、何故かこのときの僕は、口を半開きにしたまま何も言うことができなかった。
もしかしたら、植えつけられたデートという響きに囚われていたのかもしれない。
僕と笑菜はただの腐れ縁の友達、ただそれだけの関係、のはずだった。はずだったのに。
「……もー、無視はさすがに悲しいなーつがゆう。いつもだったら、『なんで僕がレンタル彼女利用したみたいになってるんだよ』とか突っ込んでくれるのにー」
笑菜がむすっと頬を膨らませてひょこりと隣に座ったことでようやく我に返った僕は、
「ご、ごめんごめん。伊達眼鏡してたからびっくりしちゃって」
そんな適当な言い訳しか、口にすることができなかった。
僕の反応に味を占めたのか、カチャリとわざとらしく眼鏡を直した笑菜はすると、
「えへへー、これで少しは知的に見えるでしょ」
およそ知的とは言えない言葉を返した。
「……普段が普段過ぎるし、仮に初対面だったとしても笑菜を知的キャラだと思うのは五分ももたないと思う」
「はい、それじゃあ今日のデート料金の五千円、前払いでお願いしまーす」
さらに調子に乗った笑菜は、そう言いながら両手を広げて僕にお代を頂戴するポーズを取る。
「って、その設定まだ生きてたのかよ」
「うん。生きてるよ?」
「……このシチュエーションで僕が笑菜にお金を支払うとまじでいかがわしい場面にしか見えないから勘弁してください」
「え? これから休憩できるホテル行っちゃう? オプション付きで? まあ、つがゆうがどうしてもって言うなら」
「んなこと言ってないからっていうかますます誤解されるからまじでその手を引っ込めてください」
「あはは、ごめんごめん冗談だよ冗談。つがゆうってば面白い反応してくれるからさー、つい」
僕が懇願すると、ようやく笑菜はケラケラと笑いながら手を自分の膝の上に持って帰った。
「……あなたの『つい』で、こっちはあわや犯罪者だよ」
「大丈夫大丈夫、そのときは私がこの人は私の彼氏でーすって言ってあげるから」
「彼氏になった覚えはないし仮に付き合っていたとしてどういうデートしているんだよそれはそれでまた複雑だなおい」
「そういう性癖の彼氏彼女っていう設定、面白そうだけどねー」
「笑菜の創作意欲に僕を巻き込まないでください」
「えー、じゃあ初芽ちゃんや榎戸君に付き合ってもらおうかなー」
……それはもっと面倒なことになるから本気でやめてください……。
「わかった、もう僕でいいんで、僕でいいんでもう行きましょう? っていうか今日どこ行くんですか? 何も聞いてなかったけど」
「んー? 夏だし、プール! って言いたいところだけど、諸事情によりアミューズメントパークにしますっ」
「……どんな事情だよ」
「つがゆうを悩殺する水着を買えなかったからかなー」
「ああはい、それは残念でした」
買えなくてよかったかもしれない。笑菜のことだからきっと際どい水着を選ぶに決まっている。そうなったら、とてもじゃないけど笑菜にいじられからかわれる未来しか見えない。
「よしっ、じゃあ早速電車乗っていこー」
しゅっぱーつ、と片手を軽く振り上げた笑菜は、軽い足取りで駅の改札口へと向かっていく。
「……まだ待ち合わせの段階なのになんでこんなカロリー消化してるんだ僕は……」
これからの展開に一抹の不安を抱きつつも、僕は笑菜の音符が漂うような歩調の後をついていった。
で、やってきたのは都内某所の体を動かせるアミューズメントパーク。……別に夏じゃなくてもいいような気はするけど、しかしここで遊ぶのは久しぶりも久しぶりなので、悪い気はしない。
「……あれ、でも笑菜今日スカートだよね? それで動き回るの?」
建物の入口近くでふと気になったことを彼女に尋ねると、
「大丈夫だよー。ちゃんと動きやすいボトムス持ってきてるから。それとも、つがゆうはチラリズムを満喫したかった?」
対策はしていたようで、要らないことを聞いてしまったと半分後悔した。
「オプション料金千円でーす」
「相場なんて知らないけど安くないですかそれ、相場なんて知らないけど。つーかいつまでその設定」
「さ、つがゆう、時間も勿体ないし、とりあえず入っちゃおー」
「……僕の突っ込みの労力を返して欲しい」
徐々に削られていく僕のメンタルポイントをよそに、笑菜はニコニコの笑みとともに受付の機械を操作していく。
「じゃあメガパックでいいよね? とりあえずひと回りしたいし」
「……え? ひと回りって、え?」
それはつまり、この施設全部を遊び倒すという認識でよろしいですか?
スポッチャ、ボウリング、カラオケ、ゲームセンターなどなど、一日かけても足りなさそうなボリュームですけど、まさか、いやまさか。
「よっし、それじゃあ早速遊んでこー」
「えっ、笑菜さん? ひと回りってどういうことっ? ねえ、笑菜ったら」
結論から言おう。ひと回りはひと回りだった。手始めに入場したスポッチャでは、物凄い勢いでそれぞれのエリアを楽しんでいく。それこそ、休む間もなく、次々と。
バレーにバドミントンに卓球にバスケ、バッティングにピッチング、果てはローラースケートと、フルコースだった。
そのどれもにきっちり僕は付き合わされ、いくら身体がニート候補生から十八歳の高校生に若返ったとしても体力的にキツいもので、とても「デート」の類にはならないんじゃと頭の片隅で思っていたし。それに。
病気持ちで身体が弱かった笑菜が、こうやって運動で大はしゃぎをする姿なんて、僕は一度も見たことがなかった。現実の高校生のときも、体育の授業は見学していたし、もちろん体育祭だって不参加で見ているだけだった。まして、こんな身体を動かすようなこと、一度だって。
「ほらっ、つがゆう、次はボウリング行こっ? まだまだ遊び倒さないとっ」
一度だって、なかったのに。
「う、うん」
あの日渡した通牒の言葉は、今日は出てこなかった。
持参してきていた汗拭きシートで汗を拭いながらボウリングの受付へ進む笑菜。僕は、楽しさ半分、困惑半分といった感情で笑菜の後をついていっていた。
「いやー、動いたねー。あ、ボウリングさ、勝負しない勝負? 負けたほうが言うことひとつ聞くとか──」
次の瞬間。受付機を操作していた笑菜が、突然視線の先を指さしたかと思えば、
「──あっ、小春ちゃんに小岩君だっ」
ふたりで手を繋いで歩いている酒々井さんと小岩君の姿が、視界に飛び込んできた。
そして、僕はようやく笑菜が今日を指定してここに連れてきたのかを理解した。
……ふたつめの、問題の足掛かりとなるイベントになるからだ。
「あれ……市川先輩に都賀先輩、奇遇です。おふたりもここで遊んでいたんですか?」
「やっほー、デート? ねえねえ、デートなの? デートなの?」
どこか困り顔の酒々井さんにダル絡みをする笑菜。そんなふたりの百合百合した様子を眺める僕と、一瞬目があってペコリと頭を下げた小岩君。
「ま、まあ……そうですけど」
酒々井さんの反応からするに、このふたりはデート中なんだろう。となると、僕はひとつの違和感を抱いた。
笑菜は次の「対象」は酒々井さんって言っていた。そして、その酒々井さんの恋の宛先は、今目の前にいる小岩君、のはず。
だとするなら、もう僕が手出しをするまでもなくひとつ結果を出しているのでは……?
そんな僕の疑問も知ってか知らずか、笑菜はニコニコしたまま、
「小春ちゃんたちはどうするつもりだったの? 私たちこれからボウリング行くところだったんだけど」
「私たちは、ちょうどゲームセンター周り終わって、これからどうしようってなってたとこで」
「あ、ならさならさ、一緒に遊んでかない?」
デート中のふたりの邪魔をしていく。
さすがにこれ以上ふたりの間に水を差すのは良くないんじゃないかと思って、僕は笑菜の肘をチョンチョンと突いて、表情で思っていることを伝えてみる。
笑菜はどこで準備していたのか「大丈夫大丈夫、ちゃんと考えてるから」と打たれた僕とのラインのトーク画面を示しそれに答える。
「…………。私は大歓迎ですよっ、正志先輩はどうですか?」
酒々井さんも、承諾。続いて小岩君もコクリと首を縦に振ったものだから、
「……さ、さいですか」
僕は絶対に認めないけど、多分笑菜が言うには「Wデート」が急遽実現したのだろう。
四人でひとつのレーンを借り、ひとりひとつボウリングのボールを持ってきては、全員で使うにはちょっと狭いシートに詰めて座る。
タッチパネルの設定を適当に済ませると、
「最初はひとまず個人戦でいいよね?」
おもむろに笑菜はそう提案する。誰も否定する人はいなかったので、とりあえずその案に乗っかることに。
「そんじゃ、トップバッター私だから、投げちゃうねー」
「ぼ、僕ちょっとトイレ行ってくるよ、順番最後だし」
瞬く間に笑菜はレーンへ、小岩君はトイレに立ったため、シートには僕と酒々井さんが残される。
「……ごめんね、せっかくふたりでいるところ邪魔して」
「いえ、そんなこと。……むしろ、邪魔してくださったほうが……」
「え?」
「……ああ、な、なんでもないです、なんでも」
ガッシャーンというボールがピンを倒す心地よい音が響く。見ると、いきなり八本を倒す好スタートを笑菜は切っており、僕らに向かってピースサインを作っていた。
「仲良いんですね、市川先輩と……羨ましいです、ほんと」
「別に……ただ、長い付き合いなだけで」
終始はしゃいでる笑菜を、どこか遠い目で眺めている酒々井さん。
「市川先輩とは、付き合っているんですか?」
ふと、彼女はなんでもないようにとんでもないことを僕に確認してきた。
「いやいやいや、そんなことないよ。ただの、腐れ縁だから、腐れ縁。僕らのことなんかよりさ。小岩君とデートしてるってことは、無事、付き合えたってこと?」
あまりこの話題を引き摺られたまま笑菜が戻ってくると、とんでもないことになりそうなので、足早に話題を切って逆に酒々井さんのことについて話を変える。
「……その言いかただと、あのときだけで私の片想いに気づかれたんですね、都賀先輩」
「……ま、まあ、割とわかりやすかったから」
「そうですね。付き合ってはいます。今日は、正志先輩のほうから誘っていただいて」
「え? 小岩君のほうから? 意外だね」
短い時間しか関わっていないけど、小岩君は奥手で、酒々井さんがグイグイ来るような図を想像していたから。
「……『受験生の僕に気遣って遊びに行けないの申し訳ないから』、ってそれで。……私は全然構わないんですけどね」
「優しい彼氏だね」
残った二本のうちの一本だけを掠めたボールを見送ってから、何気なく僕は呟いた。「私の番だ」と口にした酒々井さんはそっと立ち上がり、しかしそっと唇を噛んで、
「……『そういうところ』、好きになったんですけどね」
笑菜と入れ替わりでレーンへと入った。
ボールを持ってピンと対峙する彼女の背中はどこか儚げで、意中の異性とデート中の子が浮かべる後ろ姿ではないように思えた。
一ゲーム目も中盤に差し掛かった頃合い。女子組ふたりが揃ってお花摘みやドリンクバーで離席したため、シートに僕と小岩君のふたりが残された。これまでちゃんと話をしたことがなかった僕らは、おっかなびっくりそれぞれ口を開く。
「え、えっと……こうやって遊ぶのは初めてだよね、都賀君とは」
「うん、そうだね。なんか、同じクラスなのに変な感じがする」
「……あはは、あまり友達いないから、僕」
だからか、いきなり僕は小岩君の地雷を踏みぬいてしまう。
「あ、いいよ全然気にしなくて。だって事実だし。たまに榎戸君と喋るくらいで、それ以外は全く交友関係ないから」
失言をかましてあんぐりした表情を見て、小岩君は慌てて僕にフォローを入れる。
「だから、僕がこうして女の子とふたりで出かけていること自体、夢みたいな状況なわけで」
はは、とわざとらしく笑い声をあげた彼に、僕は改めて謝辞の言葉を挟んでおく。
「ごめんね、せっかくの日に邪魔しちゃって」
小岩君は、最初僕が何を言っているかわからなかったみたいで、しかしすぐに「ああ」と視線を宙に飛ばしてから首を左右に振ってみせる。
「そんなことないよ。……むしろ、都賀君と市川さんが来てくれて助かったっていうか」
「……え?」
「今日誘ったの僕のほうなのに、全然上手くいかなくて。全体的に酒々井さん、楽しくないのかなーってちょっと焦ってたから」
カラン、と頭のなかでネジが脱落する音が聞こえた。
……なんか、おかしくないか? このふたり。
恐らくだけど、告白したのは酒々井さんのほうだろう。となると、酒々井さんが今日嫌々デートしているというのは考えにくい。だというのに、今日の酒々井さんはあまり楽しくなさそうにしているらしい。
なんだろう、この妙にほとばしる違和感は。
何か、あるんじゃないかと思ってしまう僕の感覚は、間違っているのだろうか。
間違いなら間違いに越したことはないのだけど。
ただ、その違和感の答え合わせは、思った以上に早いタイミングでやってきた。
ボウリングも終わって、次に僕らはカラオケでちょっとのんびりすることに。
その移動の際も、小岩君の気遣いは随所に光った。自分の分だけじゃなくて他の人(というか酒々井さん)が使ったボールを返しに行ったり、シートに残ったゴミとかも全部回収してくれたり。ドリンクバーのグラスが空になったら「おかわりいる?」と聞いて飲み物持ってきちゃうし。
「音痴だから」って理由であまりマイクは持たなかったけど、誰かが歌っているときにスマホは操作しないし、一曲一曲ちゃんと聴いてくれているし、上手いなら上手いってはっきり言うし。……特に酒々井さん、めちゃくちゃカラオケ上手で、小岩君も聴き入っているのは目に見えてわかった。
そして仕上げは最後の場面。カラオケが終わってそろそろお開きにしようかというムードが漂って、しばらくふわふわしている間に、
「……これ、午前中欲しそうにしてたから、取ってみたんだけど……」
おずおずとかわいらしいぬいぐるみをひとつ差し出しているではないか。
「……えっ、あ、わざわざ取ってくれたんですか? っていうかお金っ」
「いいよいいよ、今日付き合ってくれて、久々に受験勉強の気晴らしになったし。これくらい」
「でっ、でもっ……」
見ているだけで微笑ましい気持ちになる一幕だった。これを幸せと呼ばずして何と呼べばいい、そんなシーンだった。のに。
……やっぱり少し苦しそうに笑ってみせる酒々井さんの様子が、おかしかった。
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