第11話 ほら、嘘つきはラブコメの始まりって言うでしょ?

 それから、三日後。酒々井さんから聞いていた通り、三日で榎戸君は学校に復帰した。僕はすぐにでも彼のもとに向かって、約束を取りつけたかったのだけど、いかんせん普通の都立高には似つかないニュースの張本人が帰ってきたとなれば。


「すっかり時の人だねー、榎戸君」

「……なかなかひとりにならないし」

 そらまあそうかもしれないけど、なかなか彼の周りから人がいなくならない。勿論、その輪のなかに、平井さんの姿はない。ただただ自分の席から彼の様子を見ているだけ。


「……六時間目に体育がある。そのときにちょっと話してみるよ」

 授業間の休みでもそれは継続されたので、僕はチャンスを移動教室で話す機会も増えるであろう体育の時間に求めることにした。

 三年生にもなると体育は一部選択式になるみたいで、しかし偶然にも僕と榎戸君は同じ種目のソフトボールを選択していた。


 準備体操も終わって、それぞれペアになってひとまずキャッチボールから、ってときに、僕は意を決して、

「……榎戸君、いい?」

 グラブとボールを手にグラウンドに散ろうとしている百九〇センチ超の彼に声を掛けた。


「え? 珍しいな、都賀が俺に声を掛けるなんて」

「ちょっと、聞きたいことがあって」

「お、おう。それなら、ボール投げながらでもいいか?」

 これまで面識のない僕に突然話しかけられたことで、榎戸君は若干驚きはしたものの、すぐに僕に貸し出し用のグラブをひょいと手渡す。


「勿論」

 およそ二〇メートルほど離れた場所で、キャッチボールを始めた僕と榎戸君。幸い、グラウンドの広さが相まって、あまり周りに聞こえる距離に人はいない。

「それで、話ってなんだ都賀?」

「……平井さんについて、かな」

 お茶を濁しても始まらないし、時間もそれほどあるわけじゃない。僕は単刀直入に彼に話を切り出す。


「……初芽について? 都賀って、初芽と仲良かったっけ?」

「僕がっていうより、笑菜……市川、市川笑菜がね」

「ああ。そっか、市川繋がりか。ならわかる。市川と都賀、いつも一緒にいるしな」

 ……ははは、こっちの世界でも僕らは腐れ縁をやっているようで何よりだよ。っていうか、この間一度たりとも僕の胸元からコントロールを外さない榎戸君、さすがすぎる。


「……それで、まあ色々話を聞くことになってね。……酒々井さんにも」

「酒々井にも?」

「嗅ぎまわるような形になったのは、申し訳ないって思ってるよ。……でも、あまり悠長にしてる暇も、なかったみたいだし」

 反面、僕というと、榎戸君の体の周りあちらこちらにボールが散らかってしまう。そのひとつひとつを、榎戸君はこぼすことなくキャッチしてくれる。なるほど、これがプロになろうとしているキーパーの身体能力か……などと裏で感嘆していた。


「いや、別に怒ってるわけじゃない。事の発端は俺だってことは理解してるから……。それに、初芽とのことをどうにかしないといけないのも、わかってるし……」

 良かった、榎戸君がそう思ってくれているだけでこちらは話を進めやすい。


「……それで、この後はどうするつもりだったの?」

「どこかで、初芽と話をして、謝ろうとは思ってた……んだけど」

「けど」

「……俺が途中で学校休んだから、ますます気まずくなって、どうしたらいいかなって……」

 一瞬、榎戸君のキャッチボールの手が、止まってしまう。少し俯いて悩ましい心情を吐露する姿は、しかし高校生らしいもので。


 ……僕も、ここまで真剣に悩んでいたら、変わったのだろうか、なんてふと思ったりもしてしまう。

「……ちなみにだけど、平井さんはだいぶ気持ちが参ってるみたいでね? 今にも潰れそうなんだよ。僕や笑菜である程度フォローはしてるけど、それも限界があってね」

「っ……やっぱり、そうだよな……悪い、迷惑かけて」


「ううん。別にやりたくてやってることだからいいんだ」

「……なんて言えばいいか、わからなくて」

「言葉が出ないなら、プレーで示したらどう?」

 そんな彼に、僕は考えていた案を告げる。

「へ……?」

「酒々井さんに聞いたけど、そろそろ公式戦なんだってね。根回しは僕と笑菜でなんとかしておくからさ。口で語るのが難しいなら、ボールで語ればいい。それができる人でしょ?」

 まあ、考えていたというか、自然と浮かんだ案というか。


「それに、そんな小難しい言葉やものじゃなくても、僕は全然伝わるとは思うけどね」

「そういうものなのか?」

「そういうものなんじゃないかなあ。必要なことは、意外と単純だったりするんだよ」

 ふと、乾いた空気にピピッという心地よいホイッスルの音が鳴り響く。もうキャッチボールの時間は終わりみたいだ。


「僕が言いたいことはそれだけ。あ、全然、自分で試合前にどうにかできるんだったら、どうにかしてくれていいから。どうしても無理ってときは、そのまま試合に出ちゃって。さっきも言ったけど、僕らでなんとか繋いでおくから」

「お、おう」

 僕のほうから距離を詰め、最後に近づいたときには、軽く肩をポンと叩いて、

「自分が思っていることをそのまま表現すれば大丈夫だよ」

 そう彼に伝えた。


 〇


 どこか不安な気持ちのまま、私は市川さんに誘われるがままに、結局渉くんの試合を見に行っていた。前日の夜まで、行っていいのか、迷惑じゃないかとうじうじ悩んでいたのだけれど、市川さんの粘りに根負けした格好になった。


「あ、平井さんに市川さん。ふたりもサッカー部の応援?」

 試合会場となった他校のグラウンドに足を運ぶと、そこには「桜坂高校 写真部」の腕章を左腕に巻いたクラスメイトの小岩君もいた。小岩君は小岩君で、写真部の仕事で来たみたいで色々忙しなく高そうなカメラを構えてはあちらこちら動き回っていたのだけど。


「うん、まあそんなところかなー」

 のほほんとした様子で答える市川さんを横目に、私は一瞬でも渉くんに対して勝たなくていい、上手くならなくていいなんて思ったことを引け目に、素直に頷くことができなかった。

 複雑な感情をよそに、ピッチ上では私を置いてけぼりにして試合が始まる。


「……榎戸君が、遠くに行っちゃうの、嫌?」

 カメラを構えて何枚か写真を取りつつ、小岩君はおもむろに、私にそう尋ねる。市川さんは、何も口を挟まず、ただただ試合の様子を見守っている。


「……え、え?」

「ごめん、急に。でも、平井さんが榎戸君絡みで悩んでるの僕が見ても明らかだったし、さすがに見ているだけってのは友達として味悪いから……」

「わ、私のほうこそだよ。……余計な心配かけさせて」

「全然。気にしてないよ」


「……わからない、よ。渉くんがサッカー大好きなのも私は知っているし、渉くんがプロになりたいのもわかってる。……それなのに、行っちゃ嫌だなんて我儘、言えないよ。そんなこと言ったら」

「割と本気で悩みそうだよなあ榎戸君。でもさ、平井さんは、榎戸君のこと好きなんでしょ?」

「……う、うん」

 実際に声にして出されると、恥ずかしい。


「……言うのは、タダだよ。榎戸君のこと、悩ませてやりなよ」

「えっ、で、でもっ」

「第一、言いたいことも言えないような関係なら、もし付き合えたとしても、長続きしないだろうし。それに、案外言ってみたら、意外な解決策が見つかったり、するかもしれないしさ」

「……大丈夫、かな」

「大丈夫だよ。きっと」


 そこまで話すと、小岩君は反対側からのアングルの写真も欲しいから、と言って、私たちの側から離れていく。

 試合は普段と同じ、桜坂高校が一方的に攻め立てられる展開だった。だけど、渉くんは相手のシュートを一本たりともゴールを割らせることはせず、ピンチの芽を摘み続けていた。逆に、チームが苦しい展開のなか、渉くんの一本のロングパスでチャンスを演出することも何回か見受けられた。


「……駄目だよね。こんな真剣なのに、負けろとか、そんなこと、思うことすら駄目だよね」

 ひたすらチームの勝利のために全力を出し続けている彼の姿を見ているうちに、自然と私の口からは、そんな言葉が漏れていて。


「……誰だってさ、そんな感情のひとつやふたつ持つことあるよ。私だって」

 市川さんは、私を励ますためか、そんな冗談みたいな言葉を口にした。

「……嘘だよ。市川さんは、そんな汚い感情」

「どうだろうね。私も大概、好きな人を目の前にしたら、嘘つきになっちゃうしなー。ほら、嘘つきはラブコメの始まりって言うでしょ?」


「……それ、泥棒じゃ」

「他人の心を奪うんだから、泥棒みたいなものだよ。だから、あまり負い目に感じることはないよ──あっ、初芽ちゃん」

 私がグラウンドから目を離した一瞬の間、薄汚れた白黒のサッカーボールが、自陣ゴール付近から虹を描いた。そこをスタートに、ポンポンと短いパスを何本か経由して、そして、


 サシュッ、という、ボールがゴールネットを揺らす心地よい音が、遠くピッチサイドにいる私にも聞こえてきた。

 それは、私が協力した特訓のシチュエーションに近い、相手選手がプレッシャーをかけた場面での正確なロングパスを蹴る練習にそっくりで。

 なんでだろう、試合に来るなんて一言も言っていないはずなのに、彼はいつの間にか私の姿を見つけては、満面の笑みで右手を挙げたとき、

「っっっ……!」

 なんでだろう、ちょっとだけ、ほんの少しだけ、救われた気分になったんだ。


 試合後のクールダウン、ミーティングも終わって、解散となった後のタイミング。会場で待っていた私の姿を、渉くんは見つけてくれた。

「初芽、来てくれたんだ……。ありがとう」

 私を見つけるなり、試合で疲れているはずなのに小走りで駆け寄ってきては、真っ先にお礼を言う渉くん。


「……ほ、ほんとうは来るつもりじゃなかったんだけど。……市川さんに誘われて」

「市川が……。あっ、いや、今はそんなことよりも」

 ふと、おもむろに肩にかけていたエナメルバックから、渉くんは空っぽになった弁当箱と、これまた空になったボトルを私に見せてくる。


「……いつも作ってくれてありがとう。普段から言わないから、俺、いつの間にか、初芽のこと、不安にさせていた」

 かと思えば、照れくさそうに、渉くんは私が作ったお弁当とスポーツドリンクへのお礼も、続ける。


「初芽。……あのとき、大きな声だして、ごめん」

 私が頭のなかで都賀くんのことを考えていると、今度はこの間の練習の件について渉くんは頭を九十度下げて謝った。

「い、いや、あれについては私も悪いというか……なんていうか……」

「……それに付随して、っていうかさ。ちゃんと、はっきりさせておきたいことがあって」

「っ」

 渉くんはゆっくりと頭を上げると、今まで以上に真剣な面持ちで、私の顔を見つめる。


 きっと、これからについての話だ。そんな直感が、走り出す。

「……俺、プロになりたいんだ。だから、この街から、離れることになるかもしれない」

 彼のわかっていた告白に、私はそれでも言葉に詰まってしまう。一度淀んだ口は、なかなか開くことをしてくれない。

「……でもさ、俺、多分初芽のことが、必要なんだと思う」

 が、次に渉くんが繋いだ一言に、私は別の意味で喋られなくなってしまった。

「初芽の作ってくれる弁当は美味いしさ、バランスも考えてくれてるし、ドリンクの濃さもちょうどいいし、それに、毎日毎日練習に付き合ってくれるなんて、そんな人、他にいない」

「そっ、それはっ」


 ただ、渉くんにいい顔をしたかっただけで。本当は、プロになんてなって欲しくないっていう、汚いことを考えていたのに。

「……だから、さ。高校卒業してから──」

 だというのに、私の善意を信じて一方的に感謝を述べる渉くん。そんな歪な状況に、自然と私は耐えられなくなってしまって、

「ちっ、違うのっ! そんな、そんな、綺麗な理由なんかじゃないっ」

 つい、渉くんの話を遮ってしまう。


「……綺麗じゃない、っていうと?」

「違うよ。本当は、渉くんにプロになんてなって欲しくない。遠くに行って欲しくない。離れ離れになんてなりたくない。でもっ、渉くんがサッカー好きなの知っていたから、そんなこと言えるわけなかったっ。だからっ、だから、練習にだって付き合ったし、お弁当だって、練習試合だって見に行った。けど、それもこれも、渉くんに嫌われたくないからでっ……。そんな、綺麗な理由なんかじゃっ……」

 全部、言ってしまった。大丈夫だろうか。幻滅されないだろうか。市川さんはああ言ってくれたけど、実際にすると、やっぱり怖い。


「……やっぱり、そうだったんだな」

 けど、渉くんの反応は、私が予想したよりも穏やかなもので、とても失望したようにも幻滅したようにも見えなかった。

「……わ、渉くん? お、怒ってない、の……?」

 恐る恐る、震える声で尋ねると、半分笑いながら彼は答えた。

「怒ってなんかないよ。俺だって打算で動くときあるし。むしろ、初芽にそういう一面があったんだって、率直に思っているだけ。でなければ、ただの綺麗な喋るお人形なだけだしさ」


「……な、何それ」

「……いいよ。どっちも叶えようよ」

「……へ? わ、渉くん?」

「俺の夢も、初芽の希望も、どっちも叶えよう」

「な、何言っているの? そ、そんなのできるはず」

 彼の表情は緩んではいるものの、言葉に嘘は含まれてはいなさそう。

「……今すぐに、高校卒業してすぐには無理かもしれない。でもさ、初芽が大学卒業する頃には、できるかもしれない」

「そ、それってどういう……」


「帰ってくる。向こうで活躍して、この街に帰ってくれば、どっちも叶うだろ?」

 ……帰ってくる、その言葉の意味は。……私たちの住む街の近くには、プロクラブがたくさん存在する。リーグを連覇するような名門クラブから、一部と二部を行き来するようなクラブも。でも、そのどれも、移籍するにはプロでも物凄い活躍をしないといけない。

「……わ、渉くん……?」

「だから、その間。初芽が大学に通っている間にさ。どうにかして、初芽の側にいられる方法を、一緒に考えようぜ?」


 簡単ではない決意に、私は泣きそうになってしまう。まだ会場では他の試合も、近くに人もいるのに。

「はっ、初芽っ? どっ、どうしたんだ? こ、これじゃ嫌だったか?」

「ぜっ、全然そんなことっ……」

 ないって言いたかったのに、なかなかそれは形になってくれない。渉くんは、泣きじゃくりそうな私にすかさず、まだ使っていないハンドタオルをそっと差し出してくれた。

「……あ、ありがとう……」

 私は受け取ったタオルを受け取って、濡れそうな瞳を拭う。

 結局、それから潤んだ声と涙が乾くのに、時間を必要としてしまった。


 〇


「……上手くいったみたいだよ、つがゆう」

 試合が終わった後、話し込んでいるなかで笑顔を榎戸君と平井さんに見つけて、僕らは彼と彼女が和解できたことを認めた。

「……これで笑菜の望み通り、ってことでいいんでしょうか?」

「大満足だよ。つがゆうのおかげで、ふたりとも自分の本音ぶつけてそれぞれが願う道に進めるわけだし」


「……なら、良かったよ。で、まさかとは思うけど、これで終わりってオチは……」

「あるわけないよねー。まだまだつがゆうには幸せにしてもらわないといけない人がいっぱいいるから、頑張ってねー」

 ニコニコと穏やかな笑みのまま、笑菜はするすると目の方向を平井さんたちから、カメラを構えている小岩君と、そんな小岩君にちらちらと視線を送る酒々井さんのふたりへ変える。


「……あの、次は酒々井さん、だったりします?」

 恐る恐る尋ねると、ピンポーン、と調子のいい返事が聞こえる。

「正解だよ、つがゆう。ほんと、察しが良くて助かるよー」

「あ、あー……はい、なるほどですね」


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