第6話 えー? ほんとに? 私は見えそうだったからちょっと屈んじゃったけど

 僕が笑菜以外友達いない「設定」というのはどうやら本当らしく、自分の席に戻ってから一時間目の授業が始まるまでの間、誰ひとりとして僕に話しかけてくるクラスメイトはいなかった。いや、現実でもそうだったから、慣れっこだから、いいんだけど。


 ただ、ひとつ気になったのは、そんな僕と同じように、件の平井さんに話しかける人も、誰ひとりいなかったということ。

 幼馴染であるはずの榎戸君ですらだ。何だったら、榎戸君のほうが何だか気まずそうにして平井さんのことを避けているまで見える。


 これは……確実に何かあったんだろうなあ……。

 その認識を決定的にさせたのが、昼休みの出来事だった。

 僕は、隣の席の笑菜と示し合わせたわけではないけど、机をくっつけてそれぞれ購買で買った菓子パンなりおにぎりなりを食べていた。それとは別に、教室の扉付近では、


「おーい、渉―。暇かー?」

「んー? 暇だけど、どうかしたか?」

「バスケしよーぜバスケ、スリーオンスリーしたいんだけどひとり足りなくてよー」

 別クラスの男子生徒と榎戸君が、そんなやり取りをしている。砕けた様子を見るに、仲は良いのだろう。


「お前、受験勉強しなくていいのかよ」

「あー、聞きたくねえ聞きたくねえ、たまに体動かさんと溜まるものも溜まっちまうだろ?」

 僕と笑菜は、彼らの調子のいいコミュニケーションを横目でそっと聞き流す。


「……ちなみにさ笑菜。榎戸君と平井さんはいつも一緒にお昼を食べているの?」

「……サッカー部のミーティングとかがなければ、一緒に食べることが多いよ?」

 なるほど、となると今来ている友人はダメ元で頼みに来ている、ということになるのか。

「へいへい、わーったわーった。俺も行くからちょっと待ってろ」

 がしかし、その普段とは違って榎戸君はそそくさと制服の上着を脱いでワイシャツ姿になった。その光景に、誘った本人でさえも驚いている。


「えっ? まじ? 珍しい。今日は幼馴染ちゃんいいの?」

「…………。……ああ、いいよ、今日は」

 一瞬だけ、ほんの一瞬だけ、榎戸君は教室の隅でひとりお弁当を食べる平井さんを一瞥した。けど、すぐに視線を元に戻し、彼は教室を後にしていった。

 教室からいなくなってしまった榎戸君の後ろ姿を寂しそうに見送った平井さんは、しょんぼりとした様子で席に座り直しては、ひとりでお弁当を食べ進める。


「あー、ちょっとごめんねつがゆう──初芽ちゃーん、お昼一緒に食べよー」

 さすがにまずいと踏んだのか、途端に笑菜は持っていた菓子パンを机に置くと、ぴゅーと素早く平井さんのもとに向かい、そのまま強引に彼女を僕らの輪に加える。

「はーい、いらっしゃいませ―。一名様ご来店でーす」

「いっ、市川さんっ……? ど、どうしたのっ?」

 連れてこられた平井さんは困惑する一方だけど、当の笑菜はお構いなしにまくしたてる。


「どうしたもこうしたもないよ。大丈夫? 榎戸君と何かあった? 当店はお客様のプライバシーを第一に考えますよ?」

 どこか胡散臭い探偵みたいな聞きかたをしているのはさて置き、本気で心配そうな様子で平井さんに声をかけ続ける


「……だ、大丈夫だよ。なんでもない」

「なんでもないのに、いつも可能な限り一緒にお昼食べている幼馴染が平井さんのことほったらかしにしたり、無駄に朝早く登校してひとり教室でぼーっとしたりする? 一週間以上も」

 なんでもないと胡麻化そうとした平井さんだったけど、顔に張りつけたぺらぺらの作り笑いはあっさりと笑菜に看破されてしまい、すぐに弱ったように肩をすぼませて俯いてしまう。


「……もう一回聞くよ。榎戸君と、何かあった?」

 二度目の質問では、平井さんは力なく頷くほかなかったみたいだ。笑菜は平井さんのその様子を見ては、彼女の正面にしゃがんで目線を合わせようとする。

「……何かあったか、って聞かれたら、あったんだけど……。ちょっと、長話になっちゃうし……」

「全然。私もつがゆうも基本放課後暇してるし。学校だと話しにくいのだったら、どこか適当にお店入ってそこででもいいし」


「でっ、でも、市川さんも都賀くんも受験勉強あるだろうし、私個人の問題に巻き込むのはっ」

 最後まで固辞しようとした平井さんだったけど、次の笑菜の言葉で完璧に沈むことになってしまう。

「巻き込まれ上等だよっ。友達が困っているのに指を咥えて待つなんてできるわけないし」

「……そ、それだったら、申し訳ないけど……聞いてもらっても、いいかな」


「もちろんっ。それじゃ、今日の放課後、駅前にあるドーナツ屋さんでどう?」

「う、うん……。ありがとう、市川さん」

 そういうわけで、早速ではあるけど今日のうちに約束を取りつけて、平井さんから話を聞くことにした。朝言っていたなんとかする、はきっとこのことを指しているのだろう。

 おかげで、多少なりともとっかかりは掴めそうではあった。


 放課後。僕と笑菜は掃除当番が当たっていたので、先に平井さんには学校最寄りの駅前で待ってもらうことにして、後から僕らふたりが駅に向かうことにした。

 緩やかに下っていく坂道を並んで僕らは歩いていく。暖かい日差しのもと、時折後ろから軽やかに走り抜けていく自転車に乗った女子生徒のスカートが、ひらひらと風に揺られていく。


「つがゆう、今一瞬だけ下から目線にならなかった?」

 見ようによっては爽やかなはずの一場面も、こと彼女にかかってしまうと、

「……いや、なってないけど」

「えー? ほんとに? 私は見えそうだったからちょっと屈んじゃったけど」

「……堂々と言うなこのエロ親父」

 一瞬でコントに切り替わってしまう。


「だって、男性向けとか描くときにパンチラのシーン必要になるかもしれないし? 練習したりもしたけど他の人が読んでいてドキッとするかどうかわからなかったし。実際に経験しているほうが構図とかうまくできるかなーって」

「……上達熱心なのはいいけどそれに他人を巻き込まないの……」

「女の子だって女の子のパンツ見たいんだよー」

「放課後になんつー話をしているんだ僕らは」


 これから平井さんと真面目な話をするっていうのに。ちなみに笑菜が連載していたときにそういったシーンは一切出てこなかったし、必要にもならなかった。

「そんなに参考資料集めたいなら自撮りとかすればいいんじゃ……?」

「つがゆうはどう思う? 部屋でスカートめくって自分のパンツを自撮りする女子高生」

「……端から見ればお金に困っているのか溜まっているのかなーって思うかの二択かと」


「でしょ? 別に私お金は困ってないし欲求不満ってわけでもないよー」

「……なんか、すみませんでした」

「あっ、知り合いならいいんでしょ? だったらつがゆうが女の子の格好をすれば問題なくない? つがゆうちょっと中性顔だし、すね毛とか処理すれば案外いけるんじゃない? 私のスカートとパンツ貸すからさ、やってみてよ」

「……ごめん、僕が悪かったからもうこの話はやめよう?」


 僕が女装するっていうのもあれだし、それに笑菜の服その他諸々を借りるのとか、問題しかない。あれか、創作をする人はどこかネジが吹き飛ばないとやっていけないのだろうか。

 が、しかし。突然笑菜が僕の目の前に立ってしゃがみ込んだと思えば、「よいしょっと」と口にしつつ僕の制服のズボンをめくる。


「うん、全然いけるって。やっぱ履いてみようよスカート」

「……生まれてこのかた、スカートめくりの要領でズボンめくりされるとは思わなかったよ」

「つがゆうもめくる?」

 僕のすねをすりすりと撫でながら、上目遣いを寄越す笑菜。ぱっちり開いた大きな瞳が、真っすぐ僕のことを見つめている。


「めくらないからめくったら捕まるからいやまじで」

 ……何が困るって、これを大真面目に言っているところなんだよなあ……。

 そんな一円にもならないようなくだらない話をしているうちに、坂道を下りきって学校最寄りの駅前通りにぶつかる。ここまで出ると、車通りも人通りも賑わいを見せるようになる。


 横断歩道をひとつ渡れば、待ち合わせ場所の駅前、ってところまでたどり着くと、赤信号の向こう側に、半分しょんぼりとした様子の平井さんが正面にカバンを提げて待っている様子が窺えた。しかし、そこに明らかに大学生以上の男性二名が、平井さんに声を掛けだす。

「……笑菜。あの人たちって、知り合いだったりする?」

 おおよそ平井さんの容姿と状況からで今何が起きているかは想像に難くはないけど、一応隣で信号を待つ笑菜に聞いてみる。


「ううん。知らない人。……多分、初芽ちゃんナンパしているんじゃないかな」

 答えは予想通りだ。そら、あんな綺麗な子が儚げな様子でひとりぽつんと立っていれば声も掛かる。

「……でさ。平井さんって、そういうの撃退できるの?」

 ふたつ目の確認だ。念のためだけど。……おおよそ、この手の女の子はナンパ慣れしてないと相場は決まっている。ましてやここは漫画の世界なら……。


「できないと思う」

「さいですか」

「さいです」

 横断歩道の向こう側、行き交う車に視界をちょいちょい遮られはするものの、押せ押せの男性二名に囲まれてしまって平井さんは断るのに苦労しているようだ。

 瞬間、赤だった信号が青に切り替わると、ポン、と後ろから背中を押され体が一歩二歩前に動き出す。


「ほらっ、助けに行くよっ。つがゆうっ」

 背中を押した犯人は軽やかな足取りで駆け出したかと思えば、あっという間に平井さんのもとへとたどり着く。遅れること数秒、僕も現場に到着した。

「すみませーん、この子、私たちの連れでーもういいですか?」


 話しかけているふたりに割って入るように、笑菜は平井さんに近寄る。笑菜自身も、ちょくちょく僕と出かける際の待ち合わせのとき、見知らぬ男性に声を掛けられることがあるのだけど、彼女自身の性格もあってか、五分もしないうちに離れてしまうという特殊能力を持ち合わせている。


 ……まあ普通なら嫌だよね、女の子だって女の子のパンツ見たいって言う子。

 ただ外見は可愛らしいので、つられてしまう男も数多く、というわけで。

 今しがた平井さんに声を掛けているふたり組も御多分に漏れず、可愛い子がひとり増えたことにテンションを上げる。後ろからついていきている僕は視界には入っていないようだけど。


「ごめんね待ったよね。さっ、行こ行こっ? 今日家に誰もいないから──たくさん『いいこと』。できるよ……」

 さて、ニコニコ顔の笑菜は迷うことなく平井さんの耳元に顔を近づけては、僕やナンパ軍団にも聞こえるくらいの大きさの声でそんな甘い台詞を言い放ってしまう。


「へっ、へ? い、市川さん……? い、いいことって……?」

「それはもう……ここでは言えないかなあ」

 チラッと意味ありげに僕とナンパさんたちに視線を寄越すものだから、

「あっ、な、なんか邪魔してごめんね、俺らもう行くわ」

 勝手に彼女たちの関係を勘違いしそう言い残すと、そそくさと駅から離れていった。記録、三分経たず。


 ……もしかしなくても、僕って百合の間に挟まる男ポジなのでは?

 そのポジションって大概死あるのみな立ち回りな気がするんですけど……あ、僕はもう死んでるから大丈夫だよねっていう笑菜の隠れたメッセージですか?

 ……だとしたらブラックジョークが過ぎるよ笑菜さん。


「ごめんね、大丈夫だった初芽ちゃん? 何かされてない?」

 遠ざかるナンパふたり組の背中を見届け、心配そうに眉をひそめながら、笑菜は平井さんの震える肩に手を置いて様子を窺う。


「う、うん。……だ、大丈夫だよ。声掛けられただけだから……」

「そ、そっか……。ならよかった……。さ、さっ、ドーナツ屋さん入ろっか? いつまでも外で油売っていると何あるかわかったものじゃないからねっ」

「そ、そうだね……」

「ほらほら、つがゆうも行くよっ」

「は、はあ」


 そのままなし崩し的に約束していたドーナツ屋さんに入り、注文口でそれぞれが食べたいドーナツや飲み物を順繰りに注文していく。空いている四人掛けの窓際のテーブル席に向かうと、窓側の二席を笑菜と平井さんが向かい合う形で分け合い、

「はい、つがゆうはこっちー」

 僕は笑菜に引っ張られ彼女の隣に座ることに。


「……そ、その、今日はわざわざごめんね。忙しいだろうに」

 局面が落ち着くなり、一言目にそう言って謝る平井さん。

「つ、都賀くんも……ごめんね? そんな関わりないのに、なんか巻き込んじゃって……」

「あー、いや。僕は全然気にしてないから」


「そうだよ初芽ちゃん。別に謝ってほしいわけじゃないしなあ」

「でっ、でも……さっきも困ってるところ助けてもらっちゃったし……」

「いやいやいや。あれは初芽ちゃんの可愛さにつられる男が悪いっ」

「そっ、そんな、私なんて全然……」

 平井さんとちゃんと話をするのは今日が初めてなわけだけど、この一幕だけでも十分彼女の性格を推し量ることができる。


 終始僕と笑菜に申し訳なさそうにしているし、笑菜の誉め言葉にも隙間なく謙遜のリアクションを挟み込む。

「またまたー、そんな綺麗な顔してー。ねえ? つがゆう」

 にっこにこで横を振り向き、同意を求める笑菜。


 ……素直に同意すべき場面なんだろうけど、こういうキャラデザをしたのが結局笑菜なわけだから、都合ふたりの女の子を同時に褒めることになり、なんだか気恥ずかしい。

「……は、はい」

 カァと真っ白な頬を真っ赤に染め湯気を出す平井さんと、緩み切った頬でニンマリする笑菜。


「まあまあ。とりあえず何があったかだけ話してくれる? 初芽ちゃん」

 ただ、いつまでもふざけているわけにはいかないので、緩んだ頬を引き締め、真面目な面持ちに戻した笑菜は手元にある恐らく激甘と思われるコーヒーを口に含む。……シュガーステックの残骸の量が、えげつない……。


「……そ、そんな大したことじゃなかったんだ。ちょっとした、すれ違いっていうか……」

「ふむふむ」

「……お互い、すぐに謝ればこんな拗れずに済んだのかもしれないんだけど、こんなこと、今までそうそうなかったから……」


 そう前置くと、ほんの少しだけ手元のコーヒーカップに唇を触れさせた平井さんは、ぽつりぽつりと、僕らに何があったのかをゆっくりと話し始めた。


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