第5話 酷いっ、一緒に朝を迎えたのにそんなこと言うんだねつがゆうっ

 翌朝。月曜日ということで、設定上僕は高校に行かないといけないことになっている。それ自体は別にもう受けて入れているのだけど、

「……んん。なんで、アラームが……」

 自分でセットした覚えのないアラームが鳴り響くものだから、僕は朝から目覚めが悪い時間を送ることになった。感覚としては、早朝四時に笑菜に電話で叩き起こされて、「今から熱海の温泉に行こう」と巻き込まれた感じだろうか。


「おっはよーつがゆう」

 目元をごにょごにょと擦っていると、仕切りのカーテンが勢いよく開かれ、僕の枕元に置いておいた自分のスマホのアラームを解除する。

「さっ、起きて起きて!」

 ……こんな時間からハイテンション極まりない制服姿の笑菜が、ニッコニコの笑みで僕を叩き起こしにきた。


「……何故に僕の真横に自分のスマホを」

「え? なんとなくだけど?」

「……なんとなくで叩き起こされる僕の気持ちにもなってよ」

 僕は改めて布団をかぶり直して、二度寝の体勢を整えようとするも、途端に、


「あーもうだめだめ。今日はちょっと早く学校に行かないといけない日なんだって」

 ぼすん、という音とともに、布団の上から笑菜が乗りかかってきた。

 おかげで、布団越しではあるものの、笑菜のあれやそれやがくっつく結果となってしまい、


「わかった、わかった、起きるからとりあえずベッドから降りてっ」

 結局、甘い二度寝の誘惑には、残念ながら勝ってしまった。

 菓子パンをひとつ頬張って、身支度を済ませおよそ五年ぶりに高校の制服に袖を通した僕は、笑菜の後をついていくように通学路を歩き出す。


 僕と笑菜がアパートを出て学校に向かいだしたのは、これから通勤ラッシュが本格化するであろう七時半。学校までは徒歩十分程度と聞いていたから、これでも早すぎるほうだろう。

 自分の首元にゆらゆらと揺れるネクタイを見下ろし、本当に自分が高校生になっていることを実感する。ネクタイなんて、「一応」やっていた大学五年の夏の就活以来だ。


「……それで? 早く学校に行かないといけない理由って? 日直当たってるとか?」

「んー、そういうわけじゃなくてね? だってつがゆう、自分が通う高校のこと、何もわかってないでしょ? きっと」

 笑菜の隣に歩み出て、僕は朝から抱いていた疑問をぶつけた。笑菜はニコニコと口元を緩めたまま、僕の問いに答えていく。


「……まあ、確かに。僕が在校生なのか転校生なのかすらわからないし」

「あ、大丈夫。つがゆうはちゃんと在校生だから。私以外友達いないけどねっ」

「設定が極端にもほどがありませんか? え? 僕高校だとぼっちなの?」

「ぼっちじゃないって、私がいるじゃない、私がっ」


 僕の前にすっと躍り出た笑菜は、半分体を回転させて笑みを溢したまま僕の肩をポンポンと叩く。

「……笑菜ヤンデレ概念を提唱してもいいですか?」

 確かに、リアルの高校生活でも大学生活でも、笑菜以外に仲の良い友達なんていなかったけどさ。


「えー? そんな、つがゆうには私だけがいればいいじゃないなんて倒錯的な愛情表現しないってー私」

「やってることはそれに近いけど」

「大丈夫大丈夫。別に他の男の子と仲良くしても私何も言わないから」

「男限定なんですね」

「え? 浮気はさすがにちょっと……」

 そこ、僕の横でこっそり瞳のハイライト落とさない。っていうか器用だなおい。


「……浮気も何も僕らただの友達だよね?」

「酷いっ、一緒に朝を迎えたのにそんなこと言うんだねつがゆうっ」

「……誤解を招くような言いかたしないでもらえますか? 事実だけどさ」

 なんかすれ違うサラリーマンや学生の視線が生温かいし。笑菜もそれに気がついたのか、瞳のハイライトを元に戻して、いつも通りのにこやかな柔和な表情に戻して、


「あはは、ごめんごめん。冗談だよ冗談。別に他の女の子と仲良くしてもいいよ? 大体、登場人物を幸せにしてもらうために、女の子と仲良くしちゃだめ、じゃ話にならないし」

「……ご厚意に感謝申し上げます」

「さて、もうそろそろ高校着くよ、つがゆう」

 こんな馬鹿話をしているうちに、見上げる先に真新しい綺麗な校舎が視界に収まるようになっていた。


 校門の前にたどり着くと、

「はい。ここが私たちの通う、桜坂高校。公立の新設校でね、何かと設備も整っているんだー」

 笑菜はそう胸を張って自分の背中にある学校を紹介してくれた。


「私たち、三年四組の所属だから。あ、つがゆうの下駄箱はあっちだよー」

「おっ、おっけー」

 生徒玄関を通り、まだ人の気配があまりしない校内に足を踏み入れる。学校指定の上靴に履き替え、廊下をキュキュっと鳴らしながら歩いていく感覚を懐かしく思う。


 生徒玄関前から二手に分かれる通路を右に取り、普通教室が連なるA棟に進む。三年生の教室は一階にあるらしく、そのなかでも四組は一階の奥に位置していた。

 三年四組と書かれたプレートが掲げられたスライド式の学校お馴染みの扉を目の前にし、笑菜はガラガラとその扉を開く。


「おっはよー」

 さすがにこの時間だと誰もいないかな、とか思っていると、僕の予想は裏切られたみたいで、教室には既にひとりの女子生徒が席についていた。


「あっ、初芽はつめちゃん、もう来てたんだー。普段より早くない?」

 初芽ちゃん、と呼ばれた彼女は僕らの登校に少し驚いたような素振りを見せる。目立つ銀色っぽい長い髪がパサ、と揺らめき、かと思えば、一瞬だけ煌めいた瞳の光を右手で拭った。


「お、おはよう。市川さん、都賀くん」

 その仕草は、僕も、そして恐らく笑菜もきちんと認識していた。していたのだけど、この場で何かを言うことは、笑菜はしなかった。

「ちょ、ちょっとね? たまたま、朝早く起きちゃって、そのまま、朝の学校で受験勉強するのもいいかなって思って」

 彼女の台詞に、笑菜はにこやかな表情のまま、何も載っていない机をじっと見つめる。


「あっ、えっ、えっと、これから! これから始めようって思ってたところなんだ! ちょっと、ぼーっとしちゃってて、あはは、嫌だなー私ったら」

「そっか。邪魔してごめんね。私たち、行くところあるから、それじゃ」

「う、うんっ」

 慌てて机のなかから参考書とルーズリーフを取り出した銀髪の同級生を横目に、僕は笑菜に手を引かれて、また別の教室に連れていかれる。


「え、笑菜? 今度はどこにっ……」

「漫研の部室だよ、つがゆう」

 生徒玄関前を通過して、さっきの分かれ道を都合反対側に向かうルートを取る。特別教室が連なったエリアの階段をどんどん上っていき、最上階の四階へ。


 四階隅にある普通教室の四分の一にも満たないくらいの広さの部室にたどり着くと、笑菜は財布のなかから一本の鍵を手にして、鍵のかかった部屋を開ける。

「……なんで、鍵持ってんの?」

「細かいところを気にする男の子は嫌いだなあ私」

「……お、おーけー」


 さ、入って入ってと漫研の部室らしい空間に誘われ、僕は適当に空いている椅子につく。笑菜は残るひとつのデスクにつくことなく、そのまま窓際に歩み寄った。

「言ってなかったけど、私とつがゆう、漫画研究会の部員だから。だから、つがゆうもこの部室、使いたいときに使ってもらっていいから」


「こっちでも僕は漫研に入っているんですね……。それで、僕をわざわざここに連れてきた理由って? 何か、あるんだよね?」

「お、やってるやってるー。朝から精が出るねーサッカー部」

 笑菜は僕の質問に答えることなく、ニンマリとした顔のまま眼下に広がるグラウンドを見渡している。


「……む、無視しないでくれると嬉しいな」

「ひとり目だよ。さっきの銀髪の女の子が、つがゆうにお願いしたいひとり目」

 よいしょ、と部室の窓を開けると、春の柔らかな風と、それに乗ったサッカー部の朝練の声が耳に響いてくる。


「あの子は、平井初芽ひらいはつめちゃん。私たちと同じ三年四組。家庭科部に所属しているよ。気弱なところがあるけど、とっても優しいいい子なんだ。私の大事な友達」

「……平井さんの悩みとか、問題とか、そういうのを僕が解決すればいいってわけ?」


 僕が尋ねると、さっきまでのニコニコ顔から一転、笑菜は唇を真一文字に結んだ真剣な表情に変える。

「……ううん。初芽ちゃんだけじゃないよ。もうひとり、セットの男の子がいてね」

 そこでようやく、僕は笑菜がわざわざ別棟最上階の漫研の部室に連れてきた理由を悟った。僕も椅子を立ち上がり、笑菜の視線の先にいるひとりの男の子に焦点を当てる。


「今マネージャーの子からボトル受け取っている男の子が、初芽ちゃんとセットの子。榎戸渉えのきどわたる君。同じ三年四組で、サッカー部レギュラーのゴールキーパー。……初芽ちゃんと渉君は、幼馴染なんだ」

「……へえ、幼馴染」

 タオルで汗を拭い、受け取ったボトルで水分補給をする様は、まさにスポーツマン、といった感じか。僕は頭のなかで榎戸君と平井さんの顔両方を思い浮かべて、笑菜に聞く。


「もしかしなくても、僕がすべきことって、ふたりをくっつけることだったりする?」

 笑菜は、遠くグラウンドを見つめる瞳を細めては、苦笑いとともに答える。

「うーん。半分正解ってところかな。……くっつけるだけじゃ、多分意味はないっていうか」

「何か、他に考慮すべき事情があるってことね」

「そうそう。つがゆう話が早くて助かるよー」


 くるりと外を向いていた顔をこちらにひっくり返して、笑菜は顔をちょこんと傾けて微笑んで見せる。

「さ、そろそろ朝のホームルーム始まっちゃうし、教室戻ろ? つがゆう」

「話はわかったんだけど……僕にどうアプローチしろって言うの……?」

「あー、大丈夫大丈夫。それは私のほうで何とかするから。女の子に話しかけるの、つがゆうにはハードル高すぎるもんね」


 なんだろう、自分では理解していても人に言われるとイラっとするものがあるな。事実なんだけどさ。

 どこか釈然としない気持ちを抱えながらも、僕は笑菜の後をついて教室へと戻っていった。


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