第1章

第4話 いやだなーつがゆう。わたしは心も身体もピチピチの一七歳だよ?

 公園から小走りで向かうこと五分弱。僕らがたどり着いたのは、小さなアパートの一室。その時点で、違和感はありまくりだった。

 どちらの家にしても、ひとり暮らしを前提にしている広さなわけで。だと言うのに、笑菜が発したのは、


「はい、ここが私とつがゆうの家だよー」

「ん? 私と? 僕の?」

「うん、そうだよー」

 この狭い1Kの部屋が、僕と笑菜が暮らしている家だということ。


「……何言ってんの? 笑菜、頭バグった?」

「んー、お使いの友達の頭は正常だよ?」

 あんぐりと口を半開きにして尋ねるも、笑菜はさも当然かのようにキッチンの戸棚から慣れたようにふたり分のマグカップを用意して、


「コーヒー飲む?」

 これ見よがしにインスタントコーヒーの瓶を掲げて見せる。

「……飲むけどさ」

 笑菜はすると鼻歌混じりに電気ケトルでお湯を沸かし始める。


 十畳ほどある部屋のなかを見回せば、言うように僕も笑菜もここで暮らしているという形跡は見られる。見られるのだけど、

「……あの、僕ら大学卒業して同棲してるってことになってるの?」

 僕と笑菜は、ただの友達だ。恋人でも何でもない。それなのに、こんな狭い部屋でひとつ屋根の下だなんて、どうかしている。


「え? 何言ってるのつがゆう。私たち現役の高校生だよ?」

「ぶっ! はっ、はいいいい?」

 どうかしているのだけど、さらにどうかしている衝撃の情報が明かされる。


「……僕、今大学五年生だったはずだけど。卒業後フリーターになる予定の」

「ピッカピカの高校三年生だよ? ほら」

 またもや彼女の言葉を疑う僕に、笑菜はクローゼットの扉を開け、


「私とつがゆうの制服」

 男女二名ぶんのそれを見せる。

「……漫画の資料のためにドンキで買ったコスプレ用の衣装ってオチは……」

「もー、疑り深いなあつがゆうは。そんなに言うなら、はい、生徒手帳」

 仕上げに、ブレザーのポケットから聞いたこともない高校の笑菜の写真と名前が載った生徒手帳を差し出されてしまえば、反論の余地はない。


「つがゆうのも隣にあるけど、見せる?」

「……いえ、いいです、わかったんで……。わかったんだけど、現役高校生が男女で同居していることのほうがよっぽどまずくない?」

「まあまあまあ。漫画や小説にありがちでしょ? 突っ込みを入れたくなる初期設定って」


 電気ケトルからお湯が出来上がったことを知らせる「カチ」という音が鳴ったのを聞いて、笑菜はクローゼットを閉め、手早くふたり分のコーヒーを淹れる。何も聞くことはせず、ひとつには角砂糖ひとつを落とし、それを僕に手渡す。


「はい、コーヒーできたよ」

「……あ、ありがとう」

 くふふ、と笑菜は満足そうに頬を緩めては、自分のマグカップにはぼちゃぼちゃと見ていて砂糖を吐きそうになるくらいの量の角砂糖を投じた。


「なーんか腑に落ちてないって感じだねーつがゆう」

 終始僕が渋い顔をしているのに気がついたのか、テーブルに置いたコーヒーをスプーンでくるくるとかき混ぜつつ、笑菜はこんなことを言う。


「そんなに疑っているなら、制服着てあげようか? 百聞は一見に如かずって言うし」

「ん? んん?」

「あちっ。うんうん、コーヒーを冷ますのにも都合がいいかも。ちょっと待ってねー」

「えっ、あっ」


 すっと立ち上がると、笑菜は制服を片手に部屋から脱衣所に移動し、いそいそと着替えを始めたみたいだ。閑静な住宅街だからか、すぐ近くの笑菜の衣擦れの音だけが僕の耳に入る。

「あ、覗いちゃだめだからねー」

「覗くわけっ」


 心臓に悪い状況、気分を紛らわすため手元のコーヒーをひたすら口に含み続ける。

 マグカップの中身が三分の一まで減った頃、ようやく笑菜が部屋に戻ったと思えば、

「じゃーん。どう? これ見てもまだ高校生じゃないって疑う?」

 胸元に水色のタイを咲かせ、ひらひらと濃い青色のチェック柄のスカートをはためかせる彼女の姿が目に入った。


 設定に違和感はあったけど、目の前の光景にひっかかりは覚えなかった。それくらい、現実での高校生のときと遜色が無かったから。

「……こ、コスプレだなんて言ってすみませんでした」

「うむ、わかればいいのだ」

 にんまりと表情を融かした笑菜は、両手でマグカップを持ち温度を確認してから、美味しそうに激甘コーヒーを飲む。


「……でもいくらなんでも、現役の女子高生に向かって制服姿がコスプレっていうのは酷いと思うなー私。そんなに私老けてる?」

 ニコニコしながら、されどわざとらしく目元を拭う素振りをする笑菜。


「いっ、いやっ。そういうわけじゃっ。だ、だってついさっきまで僕は二三歳の笑菜と一緒にいたわけだから。だから、いきなり高校生って言われて、混乱してて」

「? いやだなーつがゆう。わたしは心も身体もピチピチの一七歳だよ?」

 駄目だ、ますますわけがわからなくなる。もうとりあえず笑菜の言うことに突っ込みをいちいち入れるのはやめよう。思考が追いつかない。


「へー、そ、そうなんだね」

「……なんか納得してなさそうだから、じゃあ言いかた変える。新品の一七歳」

「そっちのほうが余計性質が悪いわ」

 ますます表現が酷くなっているし。


「……お兄さん、私を傷物にしない?」

「……本物の一七歳はそんなこと言わないから。え? 言わないよね? それこそオタクの幻想とか言わないよね?」

「……んー、どうなんだろうね。まあ、普通だったら言わないんじゃないかな、だから安心していいよ、つがゆう」

 なんでこんなどうでもいいことにいちいち安心しないといけないんだ。


「……それはよかったよ」

「それで、本題に入るけどね?」

「……本題までの前振りが長すぎるし心臓に悪いよ」

 ようやくというか、僕に自分たちが高校生であることを理解させたうえで、話は公園のときの続きへと切り替わった。


「では改めて。つがゆうにはこれから高校生になって、わたしの漫画の登場人物を幸せにして欲しいんだ」

「その、幸せにするって……色々あると思うんだけどさ、具体的に何かあったりする?」

 例えば、恋やら夢やら、進路やら、はたまた部活やら。一口に言っても多種多様だろう。


「んー、それに関しては実際に見てもらってからじゃないと何とも言えないかなあ。おおよそつがゆうが頭のなかで思い浮かべているような内容で間違いはないと思うけど」

 マグカップにさらにもうひとつ角砂糖を落とし、スプーンでくるくるとかき混ぜながら笑菜は答える。……どれだけ砂糖を入れたら気が済むんだ。


「も、もういっこ質問。その幸せにして欲しい登場人物は、僕に近い人?」

「うん、みーんな同じ高校の人だよ。私だって、つがゆうに世界中の人全員を幸せにしてなんて無理難題を言うつもりはないよ。かぐや姫じゃあるまいし」


 その答えを聞いて、多少なりとも安心はする。そんな道端をすれ違うような人をいきなりどうこうしろなんて言われたら、陰キャを拗らせた僕だとどうなるかわかったものじゃない。……いや、高校の人でもハードルはあるけどさ。中身二三歳のろくでなしなわけだし。


「……それならいいんだ。まあ、こんな都合のいいかぐや姫がいたら、叶えるほうも大変か」

 このかぐや姫、気がついたらあれやこれやと願い増やしそうだし。

「むー? それ、どういう意味で言っているのかなあ?」

 そう言うと、笑菜はぷくりと頬に風船を作っては、正面の僕に身を乗り出す。


「そのまんまの意味だけど?」

 僕もそれに合わせて、軽い調子で答えてみると、

「もう、あんまし酷いこと言うと、ベタ塗りとトーン貼りと背景とその他諸々つがゆうにお願いするからね」

 やはり都合のいいかぐや様、お願いごとをどんどん増やしていく。


「ちょ待て待て、僕が美術のセンス絶望的にないこと知っているだろ、無理に決まっているってそんなの」

「それが無理なら、わたしを一生幸せにしてくださいっ」

「しれっと重たいお願いするなし、わかったわかった、ごめん、ごめんって、謝るからっ」


 と、まあコーヒーを飲みながらの話し合いは、そんなふうに時折冗談も交えながら、普段通りの僕と笑菜の会話らしく進んでいった。

 僕が笑菜の目的を理解しきるのに、それほど時間を必要とはしなかった。


 さて、これからの指針もはっきりしたところで、時間もそろそろ夜ということで、僕らは家に近くにあるファミレスで晩ご飯を済ませた。済ませたし、家に帰ってからもお風呂に入ったりと諸々としなければならないことを済ませて、さあこれから寝ようってことになるのだけど、


「……ねえ、ひとつ聞いていい? 僕ら、どうやって寝るのこれ」

 たったひとつしかない部屋の中心で、僕は尋ねた。上機嫌そうに床に布団を敷くパジャマ姿の笑菜は、キョトンと小首を傾げ、


「え? どうって、同じ布団で?」

 さも当たり前みたいな顔でとんでもない冗談を言い放つ。

「……はい嘘つきは泥棒の始まりって言うからねー正直に言おうか笑菜さん何か考えがあるんでしょうね」

「いだいいだいいだいほっぺたつねらないで」

 ……なぜ僕は体感一日で二回も笑菜のぷにぷにの頬をつねっているのだろうか。


「ごめんごめんって、押し入れのなかにもう一組お布団あるから、それ使っていいよ。部屋もカーテンでふたつに仕切れるようにしてるし」

 なるほど。壁と壁の間に吊られている意味ありげな糸はそのためのものだったのか。


「……それならまあ。てっきり、ネコ型ロボットみたいに押し入れで寝ないといけないかと思ってたから」

「あ、発散したくなったらいつでも声かけてくれていいよ。そのときだけ私お外お散歩するし」

「するわけないでしょ」

「えー、つまんないよーつがゆうー」

「……どういう感性してんの」

「んー、独特な感性?」

 自分で言うんかい。いや、自分で言うんかい。


 布団を敷き終わった笑菜はバタンとそのまま横になって、パタパタと足をばたつかせる。

「……じゃ、僕も布団敷いて寝るんで、おやすみなさい」

 夜もそこそこの時間だし、僕はそう言って仕切りのカーテンを引こうとしたけど、

「えー、せっかくの初めての夜なのに、何もお話ししないで終わるなんてもったいないよつがゆうー。もっとピロートークしてこう?」


 次々と笑菜の口から爆弾発言が出てきてしまうものだから、突っ込みが追いつかない。性質が悪いのは、これを下ネタとして言っていなく、真面目に言っている点なんだ。

「……直訳しないでもらえます? 確かに枕元でする会話だけどさ」

 ちなみに、僕にその手の経験はない。悲しくなるけど、ないものはない。


「えー? じゃあ本当の『ピロートーク』になるようにする?」

 布団に仰向けで寝ころんだ笑菜が、ちょこっと挑発するようにパジャマの胸元のボタンをひとつ外すものだから、僕は慌てて視線を逸らして押し入れからもう一組の布団を取り出す。


「っ! あ、あんまりからかうと、僕も怒るからね」

「別にからかっているわけではないんだけどなー」

「と、とにかく、僕はもう寝るから」

 カーテンレールの糸を隔てて、笑菜の真横に布団をセットし終えた僕は、そのままの流れでカーテンをサッと引き、さらには部屋の電気さえも消してこの話は終わりだという意思を示した。のに、


「もー、私まだ眠くないんだよー、もうちょっと付き合ってよつがゆうー」

 いつの間に用意していたのか、枕元の読書灯をつけた笑菜はさらにカーテンの隙間からニョキっと顔を覗かせる。


「……ああもう」

 こうなると、笑菜の言う通りにするよりどうしようもないことは、これまでの経験上から理解しているので、僕は仕方なく、隣で横になっている笑菜が寝息を立てるまで彼女のお話に付き合ってあげていた。


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