第3話 さてつがゆう、問題です。ここはどこでしょう?
*
「……こ、ここは……」
目を覚ますと、僕は桜が風に舞い落ちる公園のベンチに座っていた。暖かい日差しと頬を撫でるように吹き抜ける風が、どこか優しい空気をもたらす。
「どこ?」
目の前に立ち並ぶジャングルジム、滑り台、ブランコ……。錆のひとつも見当たらない真新しい遊具で、何人かの放課後の小学生たちが無邪気に遊びまわっている。
休みの日の午後に迎えるにしてはほのぼのとしていて、微笑ましい気分になってしまう。けど、あいにくそんな気分に長いこと浸っている余裕は僕にはない。
……さっきまで、雪が降る新宿にいたよね、僕。なのに、雪どころか桜まで咲いちゃっているし、僕はこの公園の名前も場所も何もかも知らない。それに、笑菜も一緒にいたはず……。
一体、何がどうなっているんだ。
僕はキョロキョロと首を三六〇度回して辺りを見回すと、肩口まで伸びる黒色の長い髪、眉が隠れるくらいの長さに揃った前髪。パチリと開いた双眸と、ほのかに緩んでいる口元。そして、見惚れてしまうくらいに混じりけのない純白に染まった肌を浮かべた見知った女の子がひとり。
「おっ、おわっ!」
「にへへー、やっと見つけてくれたよつがゆうー」
ベンチの裏にしゃがみ込んで、僕の背中に隠れていた(?)笑菜と、視線が合った。新宿では完全な防寒態勢を整えていたはずの格好も、真っ白な膝が見えるくらいの長さのスカートに、白色のワイシャツの上に桜色のカーディガンを羽織る春仕様に変わっている。
「もしかしたらずーっと私に気づいてくれずに日が暮れるかもしれないって思ってたよー」
子供みたいに瞳を細めて柔らかな笑みを彼女は浮かべると、「よいしょっと」と声に漏らしつつ僕の隣に座ると、
「まあ、つがゆうは必ずわたしのこと見つけてくれたから、そんなことないって思ってたけどね。さてつがゆう、問題です。ここはどこでしょう?」
右の人差し指を立てては、そうおどけてみせる。
「……ど、どこでしょうって言ったって」
悩む僕を、どこか嬉しそうにニコニコ微笑みながら見つめる笑菜。
「……天国? ……いや、天国に行けるほど善行積んだ自覚はないんだけどさ」
悩んだ末に出したひとつの回答に、笑菜はわざとらしくうんうんと頷く。
「そっかそっか、つがゆうはそう考えるわけか。うーん。どうだろうね、ここが天国なのかどうかは、私もちょっとよくわからないんだよねー」
「……いや、第一僕は笑菜とクリスマスに新宿で映画を見た後、本屋に寄ってこれから帰るってところだったはずなんだ。そのときに笑菜が階段から落ちそうになって、それで──」
「──今ここにいるってわけなのかー、なるほどなるほど。っていうことは、つがゆうは階段から落ちたわたしを助けようとしてくれたんだね、いやー、嬉しいなあ、つがゆうのわたしへの好感度が高くて」
のほほんとした口振りは変わらず、口角が上がったまま笑菜は話を続ける。
掴みどころがない会話の糸口に、僕は混乱のあまり自分の頭を掻きむしってしまう。
「あーごめんごめん。別につがゆうを困らせたいわけじゃないんだ。正解を言うとね。つがゆう、なんとなく、この景色っていうか、雰囲気に見覚えない?」
笑菜はすると自分の頬を人差し指で掻くと、両手を広げて僕らがいる公園の光景を見せる。
「……この公園がってこと?」
「んー、公園どうこうっていうより、雰囲気。どこか、現実離れした色合いしているって思わない?」
笑菜の言葉に誘われて、僕はにたび視界に景色という景色を取り込む。するとどうだろう、さっきまでは自分が置かれた状況の不明瞭さで冷静に観察することができなかったけど、なるほど確かに言われてみれば、ほんのちょっと目に映る色彩が、水彩っぽいというか、まるで一枚の風景画のように感じられてしまう。
「……笑菜。もしやとは思うけど」
さらに、僕はこの「タッチ」に見覚えがあった。忘れられるはずもない。公園にいる小学生の無邪気な姿のように、見ているこっちも自然と笑ってしまいそうになる優しい笑顔を描くのは、笑菜の絵の特徴だ。
「えへへー。さすがつがゆう、察しが良くて助かるよー」
察したは察した。察したけど、それを理解するのはまた別問題だ。だというのに、笑菜は笑顔を崩すことなく、
「そう。ここは、わたしが描いた漫画の世界ですっ。やったねつがゆう、一緒に楽しい異世界生活を過ごそうっ」
いかにも、何でもないことのように僕の肩をポンポンと叩いて話を広げた。
「いやっ、は? え? 僕、笑菜の作った漫画の世界に転生したの? そんなことあるの?」
「やだなー、転生なんかじゃないって。それじゃあやっぱりここ死後の世界になっちゃうってつがゆう」
「だ、だってそうじゃないと、もう何が何だか……」
あのとき僕らが転落した階段は、二十段はゆうに超えていたはずなんだ。そんな高さを頭から真っ逆さまに転落して、無事でいられるとは思わない。
ましてや、咄嗟だったけど僕は笑菜を抱きかかえて自分が下になるように落ちた。だとしたら、ただじゃ済まないのは僕のはず。
ここが天国や死後の世界っていうなら、そんなこともあるのかなとか、思えたんだけど……。
いや、笑菜が僕に変に気を遣って本当のことを言っていない可能性だって全然ある。むしろそのほうがあり得る。階段から落ちて死んでないことよりよっぽどあり得る。
だとするなら、そっか、やっぱり僕、死んだのか……。恥の多い生涯だったなあ……。
「……って、へ?」
困惑が収まらない僕をよそに、隣に座っていた笑菜はグイっと僕の頭を彼女の膝の上に倒す。突然のことだったので、僕は抵抗する間もなく、わたあめみたいに柔らかい膝の温もりを頬に感じる。
「……大丈夫。落ち着いてつがゆう。つがゆうを取って食おうってつもりでも、つがゆうを虐めようとか、そういうんじゃないから」
膝枕をした笑菜は、今度は優しく包み込むような、慈しみの入った柔らかい表情でそっと僕の耳元にそう囁いた。
「……安心して。つがゆうの悪いようにはしないから。私だって、これからどうなるかなんてわからないんだし」
「え、笑菜……?」
「それでね、つがゆう。お願いがひとつ。あるんだ」
風に吹かれた桜の花びらが、僕らの間を横切る。目元を覆ってしまった前髪を片手で押さえつつ、笑菜は口元を緩めながら、告げた。
「……この漫画に出てくる人たちを、幸せにしてあげてくれないかな。……つがゆう、得意でしょ?」
言っていなかったけど、僕はただなんとなく笑菜と一緒に漫画研究会に所属していたわけじゃない。
「……え、つまり、それって僕に笑菜の漫画の展開を考えろってこと?」
「そう。……ちょっと、話の展開に詰まっちゃって。ボツにしちゃったんだけど……、このまま眠らせるのも惜しくてね? また、昔みたいに、わたしの漫画に、ストーリーを当ててくれないかな、つがゆう」
枝先から一枚の桜が風に吹かれて、地面に舞い落ちるまでの間、僕は何も返せなかった。
今でこそ笑菜は、プロとして連載をする漫画家になった。けど、僕が彼女と出会った高校生から大学生の間に、僕は、原作として、笑菜の漫画の物語を考える、そんなことをしていたんだ。
この頼みを、受けていいのか駄目なのか。僕はしばらく悩む。
でも、答えは割とすんなり決まった。
……僕は死んだんだ。それなら、最後に笑菜の頼みごとをきちんと叶えるのも、案外悪くないんじゃないか。
「……わかった、いいよ。手伝うよ」
だから僕は、現実世界で一度折った筆を、笑菜の漫画の世界で、執り直すことを決意したんだ。
「……っ。や、やった。ありがとうつがゆう。助かるよ、本当にっ」
頬に桜を溶かしたような笑顔を見せた笑菜は、すると僕の頭がまだ膝に残っているのもお構いなしに立ち上がっては、
「いてっ」
「そうと決まったら、早速家に帰ってこれからのことを話さないとっ!」
思い切りベンチに側頭部をぶつけて頭がクラクラする僕の手を引く。
「ほらっつがゆう、行くよっ」
笑菜はそうして、僕をどこともわからない街並みのなかに、連れ込んでいった。
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