第2話 ……もう責任取れる年になったくせに
次に僕らが向かったのは、行きの途中で通過した書店の別館だ。漫画とライトノベルを扱っており、漫画研究会だった僕らが行くにはおあつらえ向きだろう。
「本屋さん入るのも久し振りだよー。いつもお母さんに頼んで買ってきてもらっているからさ」
紙とインクの匂いがほのかに香る書店独特の雰囲気は、笑菜にとってはひどく懐かしいものだったはずだ。
「あ、この間担当さんが見せてくれた新人さんの単行本だ。今日一巻の発売日だったんだねー」
エスカレーターを上がってすぐのところに配置されている新刊本コーナーに立ち寄ると、笑菜が出したところと同じレーベルのある一冊の単行本をおもむろに手に取る。
「……私も初めて単行本出したときはめちゃくちゃ緊張したっけなあ」
「……売れるかどうか心配で書店巡りを僕に付き合わせたのをお忘れではないよね?」
あの日は本当に酷かった。かなりナーバスになっていた笑菜をなだめるのと、平台に積まれている自分の本を買い占めようとする笑菜を止めるので。
「あはは、そんな日もあったねー」
「……あれをそんな日で片づけないで貰えるかな……。一体何軒本屋を回らされたことか」
「でも、つがゆうのおかげで大分助かったのは確かだよ? ほんと、あの日の前の夜とか緊張しすぎてトイレから離れられなかったし」
可笑しそうに表情を緩めながら、笑菜は手にしていた単行本を持ったまま、別の出版社のコーナーへと移る。
「買うんだ、それ」
「うん。一話だけ読んでいたけど、普通に面白いなあって思ってたし。面白い作品にはお金を落とさないと」
「ま、それはそうか」
それからも、笑菜は久々の書店をじっくりゆっくり、本に穴が開くのではないかと思うくらいしっかり見て回った。新刊のコーナーだけに飽き足らず、売り場のほとんどを占める出版社ごとにまとめられた既刊本のコーナーまで、それは及んだ。
そして、さっきと同じレーベルの、今度は既刊本の棚に差し掛かったとき。平台ではなく、棚に一冊ずつ差されている、笑菜のペンネームの「菅田ゆすく」という名前がそこに慎ましやかに並んでいた。
「……まだ、全巻置かれているんだね」
売れない本になると、新刊コーナーから既刊に変わる段階で、一冊も書店に残らないなんてこともざらにある。残っても新しいほうの巻だけとか。そんななか、一年休載しているのに、全巻一冊ずつとは言え棚に残っているのだから、立派なものだろう。
それに、笑菜はこうは言っているけど、彼女のデビュー作は正確にはまだ完結していない。キリのいいところで第一部を締めた、という形で長期の休載に入っているので、続きを待っているファンも少なくない。
五冊並んだ自分の漫画のうちの一巻を手にすると、あからさまに顔をしかめてみせる笑菜。
「……どうかした?」
「いや、やっぱり最初のほうは下手だなあって思って。今も下手なまんまだけど、もっとね」
「でも、僕は笑菜の漫画、好きだけどね」
「……つがゆうは、そう言うんだね。どうしても」
もの悲しそうに、唇の端を噛む笑菜は、やがて首を左右にブンブンを大きく何回か振って笑顔を浮かべてから、
「そう言ってくれたから、続けられたんだけどね。実際」
消えてしまいそうなくらいの大きさの声で、口にした。
「つがゆうは、何か買いたい本とかないの?」
名残惜しそうに持っていた漫画を棚に戻した笑菜は、続けて僕に聞く。
「僕は昨日のうちにあらかた大人買いしたから今日はいいや。今月もうお金が正直危ないし」
「ほほう? だったら無職のお姉さんが悩める大学生の君に本を買ってあげようかい?」
「それだけ聞けばやばい絵面だよ」
「……すっごく気持ちよくなれる本でもいいよ?」
「全年齢向けの本でお願いしますぜひとも」
「えー? 全年齢の本だったらお姉さん奢ってあげなーい」
「……まじでどういうシチュエーションだよそれ。おねショタの読みすぎなんじゃ」
「え? つがゆうショタ概念?」
「僕を二次元キャラみたいに扱うな」
「……くふふ、つがゆう突っ込み冴えわたっているね」
ひと通りのコントもとい会話のキャッチボールが終わると、口元を押さえた笑菜はクスクスと笑いを堪えだす。キャッチボールっていうか、もはや投球練習に近い剛速球のボケが何球か投げられた気がするけど。
「……おかげでこっちの体力はもうゼロだよ」
「ゼロなら大丈夫。そのままマイナスまで限界突破しちゃおう」
「いやだよそんな限界突破」
「えー? つがゆうも一緒にあの境界線超えようよー」
「どの境界線だよ。超えないからね? 僕は超えないからね?」
なんて、本屋でするにはいささかうるさすぎる話をしていた僕らは、かれこれ一時間近く棚を見て回っていたと思う。読んだことある漫画を見つけてはああでもないこうでもないと言い合って、笑菜が病室で読んでガチ泣きしたというライトノベルを見つけては僕に布教して買わせようとしたり。
そんなことをしているうちに、時間は過ぎ去っていき、気がつけばもう日も沈んで夜の時間帯になっていた。
結局、笑菜は漫画もラノベもたくさん買い込んだため、笑菜の買った本まで僕が運ぶことになった。まあ、これくらいは全然引き受けるからいいんだけどさ。
「わあ、もうこんな時間かあ。楽しい時間は過ぎるのは本当に早いね」
「そうだね。僕は突っ込みばっかりしていたように思えるけど」
「それでどうする? 晩ご飯とか」
「……いやいや。晩ご飯は家で食べるって聞いているよ僕。もう帰るんだよね? そうだよね?」
こんなに元気に振舞ってはいるけど、笑菜はれっきとした病人だ。あまり夜遅くまで遊び回らせるわけにはいかない。
「えー、つまんない、もっと遊んでこうよー」
「はいはい、何かあったとき責任取れないから、もう帰りますよー」
「……もう責任取れる年になったくせに」
ぼそっと何か呟いたかもしれないけど、僕は聞こえなかったふりをして、書店から新宿駅の地下通路に入ろうとする。そのとき、
「わわっ、つがゆうタンマタンマ! 見てみてっ!」
僕の背中から、笑菜の興奮したそんな声が飛んできた。
「うーん? どうかした……って……」
振り返ると、そこにはヒラヒラと舞い降りている雪の姿が、ひとひら、ふたひら。
「……まじか、雪か……」
道行く人たちも雪が降り出したことに気づいたみたいで、あちらこちらから黄色い歓声だったりパシャとスマホのシャッター音だったりが聞こえてくる。
そして、それは目の前にいる笑菜も同じで、
「ほらほらっ、つがゆう、こっちこっちっ」
「何? なんかしたいの?」
「はい、カメラ入って。はい、チーズ」
僕とふたりで雪景色をバックに写真を撮ったり、意味もなく手のひらを空にかざして、「わわっ、雪が溶けちゃう、溶けちゃうよつがゆう」と子供みたいにはしゃいだり。何だったら、近くを歩いていた子供よりも、笑菜ははしゃいでいたと思う。
その一瞬を、彼女は心から楽しんでいたんだ。だから、だからこそ、笑菜はもう来年を生き抜くことを、諦めているんじゃないか、そう、思えてしまえてならなくて。
笑菜が生き延びる方法が、ないわけではない。
僕が彼女から聞かされているのは、臓器移植をすれば、また少しは良くなるかもしれない、っていうことだった。そうすれば、来年のクリスマスも、ちゃんと迎えられるだろうって。
けど、なかなか適合する相手がいないなどといった理由で、なかなかできないらしいとも、笑菜は話していたけど。
……そんな話を知っているからこそ、今のホワイトクリスマスに沸いている笑菜を見ると、少し胃が軋むものがあって。
「外出許可下りてよかった、ほんとにっ。こんな雪、病室の窓越しで見るのとじゃ大違いだよっ。ねっ、つがゆう」
「……う、うん。そうだね」
「積もるかな、積もるかなあ。積もったら雪だるま作れると思う?」
「……東京でそれだけ積もったらもはや災害だと思うよ」
「もー、夢のないことを言うなあつがゆうは」
「……っていうか、寒いし冷えるし遅いし、帰るよ笑菜。それに、はしゃぎすぎだよ、そんなに動き回ったら体力が切れちゃうって」
地下通路の入口に繋がる階段に足をかけた僕は、未だ外でわちゃわちゃしている笑菜に一声かける。
「えー、もうちょっとだけいいでしょ? あと五分だけでいいからさ」
なおも雪景色を堪能しようとする彼女に、
「……笑菜」
僕は再度通牒を渡した。その一言で、さすがに子供から大人にならざるを得なかったのか、寒さで赤く染まった頬をポリポリと掻きながら、
「ごめんごめん、わかったよ、もう帰る、帰るからさ」
小走りで僕のもとにやってきては、そのまま階段を下ろうとした。が、そのとき。
「はわっ、きゃっ!」
……やはり久しぶりの外出と、一日中はしゃぎ回ったツケがここで来たのだろう。よりによってこのタイミングで足をよろめかせた笑菜は、そのまま階段の下へと落ちそうになっていく。
「えっ、笑菜!」
刹那、僕は持っていた本の入った紙袋を投げ捨て、宙に浮いている彼女の身体めがけて自分も飛び込む。幸い、勢いに差があったので、笑菜が床に落ちる前に彼女の身体を抱き止めることに成功した。そのまま笑菜を守るように落ちた僕は、次のとき、
鈍い音とともに、その意識をブラックアウトさせた。
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