Lektion10-01:仮想戦記の紡ぎ方・大東亜編ノ一
まず、「大東亜編」と銘打ったはいいものの、日露戦争辺りからの記述になることをお許し頂きたい。と、いうのも、日露戦争は戦史的には「第ゼロ次世界大戦」とも呼ばれることがあるらしい。一応、掘り下げて説明すると第一次世界大戦の要素の片鱗は日露戦争で既に予見されているものが多く、中でも機関銃の騎兵に対する優越や要塞攻略のための戦法に大量の兵士が必要になる旨など、更には外交の重要性に至るまでが事細かに解析できる、らしい。私は素人な上に大東亜戦役についてはそれこそ何十回、短編を含めれば百回弱は擦ってきた経験があるが、実は日露戦争については、碌に擦った覚えがない。当たり前だが、日露戦争は勝ち戦である。ゆえに、仮想史など考える必要性がないのである。裏を返せば、大東亜戦役が今なお悔いの残る戦役だからこそ、ここまで仮想戦記が隆盛を極めた時期が存在するのだろう。
……話を戻すが、日露戦争は少しでもズレが生じたら世界大戦になっていた可能性の存在する戦争であり、また同時に個々の戦闘を見ても非常に第一次世界大戦や第二次世界大戦と類似する項目が述べられる、らしい。繰り返すが、私は素人な上に日露戦争のifなどは考えたこともない(嘘である、少しはある)ため、あまり論理だった説明はできないが、そういう類似項目が存在するとされていることは紹介したいと思う。
……だいたい、何が言いたいかは把握できた勘の良い方もいらっしゃるかもしれない。とはいえ、日露戦争というものは動かすことの不可能な永久普遍の大事件である。それは日本人だから言っているのではない、白人支配の終焉の嚆矢だからこそ、日露戦争はクリストバル=コロンの大陸侵掠行為と対比して、語られるべき人類史に残る屈指の大英断なのである。ある意味、大東亜戦争が起きずとも、ひょっとしたら植民地独立運動は多少立ち後れたとしても起こったのではないかと思われる程の、起爆剤となったのが日露戦争である。無論、大東亜戦役を貶める意図はない(貶める意図があるなら「太平洋戦争」と記述しているだろうし)のは、私の日頃からの言動を振り返って頂ければ察して頂けるとは思うが。
つまりは、何が言いたいのかというと、日露戦争を少し動かすだけでも第一次世界大戦や第二次世界大戦は動く可能性がある旨と、場合によっては核兵器が飛び交わないという意味に於いて、第三次世界大戦が一笑に付すことのできないリアルとして浮かび上がる可能性があったのである。
つまりは、日露戦争とは世界に冠たる聖戦であると同時に、大東亜戦役で敗衄したことと対比して日露戦争の要素を弄って大東亜戦役を勝利に導く、という行動も不可能ではない、ということを記述したいと思う。……とはいえ、それはまあ、カクヨムにおける「遙か彼方に昇る太陽」(ひょっとしたら「カクヨムオンリー」とそろそろ言い張れるかも知れない)を御閲覧頂ければ証明中といえるかも知れず。
10-02からは、具体的にどう弄るか、とか弄るポイントのハウツーなども記述したいと思う。まあ、ハウツーはノウハウには勝てないだろうが(汗)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます