シン・ハシモト。橋下徹という人間とはなんだったのか? <生か死か大阪都構想 橋下徹物語>

長尾景虎

第1話  「シン・ハシモト。橋下徹という人間とはなんだったのか?」 <生か死か大阪都構想 橋下徹物語>

 「シン・ハシモト。橋下徹という人間とはなんだったのか?」 <生か死か大阪都構想 橋下徹物語>

シン・ハシモト。謎めいたポピュリスト – 橋下徹の維新の真相



                  ~はしもと・とおる というにんげん~

               ~橋下徹氏の伝記「さあ救国の新世紀維新を始めよう!」

                 大阪版「平成の高杉晋作」はいかにしてなったか。

             平成の坂本竜馬・長尾景虎による「橋下徹研究論」 ~

                ノンフィクション 橋下徹氏の人生

                 total-produced&PRESENTED&written by

                   NAGAO Kagetora

                   長尾景虎


         this novel is a dramatic interpretation

         of events and characters based on public

         sources and an in complete historical record.

         some scenes and events are presented as

         composites or have been hypothesized or condensed.


        ”過去に無知なものは未来からも見放される運命にある”

                  米国哲学者ジョージ・サンタヤナ


 わたしはこの作品によって、名誉棄損とかで訴えられるかも知れない。敗訴するかも知れない。社会的に〝抹殺〟されるかも知れない。権力者に刃向かうとはそういうことだ。

 だが、出来れば大目に見て、勘弁してほしい。為政者への批判は言論の自由、と。

 が、だけれどもわたしは作品中の主人公を嫌悪するのではない。むしろ、尊敬している。

 彼らが成し遂げたことは富士山よりも高く、立派だ。逆に、「面白いことを言う作家さんだ」と、仲良くして頂きたい。何故なら、わたしはこの作品の主人公の大ファンだから。


          あらすじ

 

日本維新の党・おおさか維新の党はおわった。

すべてを失った石原慎太郎氏と橋下徹氏は、おわった。

そのすべてを失った石原慎太郎氏は最期の作家活動として、若い政治家の頃、散々ぼろ糞に批判していた田中角栄氏の一人称の伝記小説『天才』を発表した。

驚異的なベストセラーを放った。弟の石原裕次郎の伝記『弟』以来のヒットだった。

それは冥途への土産品である。もう死ぬひとだ。

そしてすべてを失った橋下徹氏はテレビタレントとして、ふたたびのテレビ番組をもった。

だが、カリスマやオーラを失った元・政治家の不運や悲哀が身体からあふれる。

私長尾景虎の師匠の大前研一氏は「10年後の橋下徹に期待する」というが、無理である。

テレビに出て愛される、ということはオーラや威厳をなくすことだ。

馬鹿だったり無知だったり、顔だけが良かったり…そうして視聴者に愛されるには視聴者より一段下の移置にいくことだ。俳優なら違うのだろうが、橋下氏はバラエティタレントである。もう二度と政治家の道はあるまい。あっても大阪府知事・大阪市長程度だ。

橋下徹氏も石原慎太郎も、おわった、のだ。(石原慎太郎氏は2022年2月1日死去・享年89歳)

橋下氏、石原氏のいない維新の党・おおさか維新の党など「残りかす」みたいなものである。存在意味がない。独裁者・安倍晋三には永遠に勝てない。暗殺されたが。

やはり、おわった、のだ。もう政治家としては。おわりのふたりなのである。

余計な期待は彼らには酷な話であろう。本当に、おわった、のだ。



第一章 ジャーナリズム・パート

橋下徹という人間。


 


 1 橋下徹という人間。




2013年5月、降って湧いたような慰安婦問題の業火(ごうか)は、国内のみならず、世界世論に「日本はけしからん」という痛恨の炎を広げてしまった。これには本来の問題とは関わりない不幸な条件がいくつか影響していた。

まず、その火元が橋下徹(はしもと・とおる)・日本維新の会共同代表(大阪市長)だったことだ。

東京都知事選等で台風の目になると注目されていた維新の会に、結党以来の大逆風を呼び込む失言だったため、他党はこれを政治問題として取り上げ、マスコミは連日、橋下氏の発言と余波をこれでもかと報じ続けた。

橋下氏がもともと歯に衣着せぬ発言でマスコミと折り合いが良くなかったこと、反論されるとムキになって再反論し、際限なく揚げ足を取られたことも火に油を注いだ。

 橋下氏は当初、これほど問題が大きくなると考えていなかったようである。

記者会見で唐突に(本人には「文脈」があったのだろうが、そもそも大阪市政にも維新の政策・公約にも全く関係ない話である)、「慰安婦は必要であった」「どこの軍でも同じような制度はあった」と発言し、余計なことに「米軍にも、もっと日本のフーゾクを活用するように言いました」などと軽口を叩いたことで火の手は一気に上がった。

その後も、かつての外国軍の公娼(こうしょう)制度を列挙したり、「合法な風俗業をダメだというのは、風俗嬢に対する差別になる」とマスコミに噛みついたり、全く無残な和文英訳がダラダラと連ねられた英語のステイトメントを発表したことで、もはや世界的な批判の炎上は消火不能になってしまった。

政治家の発言は正しければ良いというものではない。為政者(いせいしゃ)が持つ権力とは、有権者の主権を代弁しているにすぎない。発言には常に「有権者の代表」

として責任を持つべきだし、節度を持ち、結果として有権者に不利益や不当な非難、この場合でいえば「日本人はセックスにだらしがなく、女性を性の対象と見る不届きな民族だ」という悪評価をもたらしたならば、その責任を負うべきなのである。

橋下氏自身は「僕の弱点は英語ができないこと」と語っていたが、英語以前に、自分の言動がどのような結果をもたらすかを予見する想像力と、主張を相手に受け入れさせる総合的コミュニケーション能力が決定的に不足していたのが致命傷になった。

今回のことは橋下氏が政治家としての未熟さを思い知る大きな教訓だったと観念し、当分、この問題では口をつぐむべきだろう。

だが、そういうことさえもできない。2014年、NHKの籾井(もみい)勝人・会長(当時)と安倍晋三・首相(当時)が相次いで「失言」でメディアを賑わせた。

それぞれ本人にも追及する側にも言い分があり得るケースだが、これだけの重職に就く人間(特に民間企業で長く国際業務に関わってきた籾井氏の場合は驚きを禁じ得ない)が、自分の発言がどのような発言を呼ぶか予想できず、しかも結果責任を認めて事態の回復に取り組む姿勢が極めて希薄なことは批判されて当然だ。

橋下氏のときもそうだが、そんなつもりでいったんじゃない、違うのに、という発言はいい訳で通用しない。

国民の受信料で運営される巨大メディアのトップも、もちろん同じだ。

籾井氏は記者会見で戦時中の慰安婦について、「戦争地域にはどこにでもあったと思っている。ドイツやフランスになかったといえるのか。ヨーロッパにはどこでもあった」と語った。「会長の職はさておき」と言ったから個人的見解だと弁解する一部の保守派の意見は到底受け入れられない。

橋下氏のときもそうだったが、内容は正しい部分も多い。ドイツ軍もフランス軍も公娼制度も持っていた。

日本をこき下ろす韓国でさえ、朝鮮戦争時にまだ慰安所を設けていたとされ、韓国軍は第二次世界大戦後も違法に慰安所を残していたことを一部認めている。

朝鮮戦争時の史料は、よほどまずいと見えてか韓国政府が“特定秘密”に指定して今も隠したままである。

それでも籾井氏の発言は日本人にもNHKにも何の利益ももたらさない。「なぜオランダには今も飾り窓(売春宿)があるのか」という発言は、橋下氏の「米軍にフーゾクを使うように言った」と同じような蛇足である。

籾井氏の発言を聞いた橋下氏は「まさに正論」とはしゃいだが、この人はまだ自分の発言の何が悪かったのかわかっていない。自分の正しさを主張したいだけで、国家や国民の利益など二の次なのだ。

「言わなきゃいいのに」は安倍首相も同じだ。ダボス会議での外国記者との懇談会(首相自身が実名報道を了承)で、現在の日中関係に関して「今年は第一次世界大戦から100年ですよね。イギリスとドイツも経済的依存度が高かった最大の貿易相手国だったが戦争が起こった」と発言して大騒ぎになった。多くのメディアは「日中も英独のように戦争になる可能性がある」という認識として驚きをもって伝えられたからである。

国家の代表者がこんな発言をするはずがない、というのが世界の常識である。

安倍氏には“前科”もある。2013年渡米した際に現地メディアに「靖国神社とアーリントン墓地は同じ」と述べて反発を受けたことだ。日本のメディアは無視したが、少なくとも米インテリ層は今でもこの発言を話題にするし、「やはりアベは危険なタカ派」ということになっている。

安倍氏には、諸外国の歴史や国民感情に疎いのに生半可な知識を披露したがる軽薄さがある。ウォール・ストリートで講演し、悪名高きゴードン・ゲッコー(映画「ウォール街」の主人公で金の亡者として描かれる)に日本経済をたとえて「ゲッコーのように日本もカムバックする」と得意気で語ったのも同じように恥ずかしくて馬鹿らしい。

勉強不足、予見能力欠如、「言いたいことは言う」のが「主張するリーダー」だと考える幼稚性、知ったかぶりと虚栄心……

厳しく言えば、そうした悪癖が安倍氏にも籾井氏にも、そして橋下氏にも共通して見える。日本人の劣化はここまで進んでしまったのか。(2014年3月号SAPIO誌小学館3ページ等参照)

「橋下徹 語録」

橋下徹。今、住吉区我孫子駅前で、初めての街頭タウンミーティング終了。

政治演説にありがちな一方的な街頭演説でなく、市民の皆さんからの質問に答えていく。良い質問が多かった。

タウンミーティングもやっている。

でも260万人相手に全部説明するのはどだい不可能。できるところまでやるが。何かあればタウンミーティングをやれというバカ学者。

大都市大阪の現状を見て、自分で一度やった上でコメントしろ。それにしても読売新聞の反橋下、反都構想のキャンペーンは凄まじいね。

偏向報道もここまで極めるかという感だ。

ぼくへの批判は結構だが、国民の知る権利に奉仕する本来の使命を思い出せ。読売新聞は、大阪都構想については一切報じないスタンス。

その代り徹底した感情的な批判に終始する。

大阪市民、府民にとって読売新聞は百害あって一利なし。

すぐに他紙に切り替えることをお勧めします。なぜか。第一、都構想についての情報を一切報じない。第二、僕への批判が感情的。

読売新聞地域面の感情的な記事は酷過ぎる。

骨格予算によって事業凍結、市民へ影響がある!と言いたいのだろう。読売は今回の市長選を徹底して批判しているから。しかし読売新聞は論理というものが全く分かっていない。僕が市長を辞職したことで、予算から外したのは「新規事業」のみだ。

つまりもともと大阪市政でやっていなかったものだ。

その予算を凍結しても、市民からすれば、これまでの大阪市政と何ら変わりない。(大阪市長選挙の再選までの予算は6億円の血税が無駄になった)だいたい、僕が新規でやろうとしていたことも、これまで読売新聞は無視していたのだから、市民は新規事業が何かすら知らない。

新規事業の予算を止めたからと言って、これまでの市民生活には何ら影響はない。これまでの大阪市政と変わらないままだ。

新規事業は僕が市長になったからこそやろうとしていたこと。それと一時止めたからと言って、市民生活には何ら影響がない。

それをいきなり読売新聞は特集してきた。これまで報じたこともない、僕の新規事業を細かく列挙して、この予算が凍結になったと。

なんだこの無茶苦茶さは。確かに市長辞職に伴い、新規事業のいくつかは予算を凍結した。でも、これまでの市民生活はこれまで通り。これまで市民が受けていたサービスが、僕の市長辞職で止まったなら批判をしてこい。

今回の市長辞職で、これまでの大阪市のサービスに影響するものはない。これまでの市民サービスはそのまま継続する。

市長に再選されれば新規事業を議会に提案する。

今問題となっているのは大阪都構想の設計図を作る法定協議会のメンバーです。議会そのものではありません

RT : 議員も民意を受けた住民代表。2つの民意に優劣は無い。それが二元代表制。市長が議会の対応が不満なら、議会を解散して議会の構成を変えるのが筋。大阪都構想の設計図を作る法定協議会は議会そのものではありません。

大阪都構想の設計図を完成させるのに議会のメンバーを替える必要はありません。法定協議会のメンバーを替えればいいのです。どの専門家もメディアもこれに気付かず今回の選挙を批判しているのです。

僕は大阪都構想の設計図を完成させる目的で法定協議会のメンバーを替えるために市長選挙をやります。反対するなら立候補者を立てるべきです RT: 選挙に大義がない事については聞くべき点もあるが、それも既成政党が候補者擁立しないという論理破綻で何の説得力もない。

それは大阪都構想の設計図が完成してから議論するものです。特に住民投票の場で。設計図がない今の段階で大阪都構想の問題点とは何を見て言われているのでしょう。

今の段階では空想の批判です。

RT: 都構想自体が問題点を多く抱えているのが問題。タウンミーティングをやれと、世間を知らない学者は簡単に言う。

昨日も4か所でやったが、10時間しゃべり続けている。260万人大都市で政治家が有権者に全て伝えろと言うのか。それでは民主主義は成り立たない。

だからメディアがある。情報番組に出ている学者は、情報提供すらしない。今でも法定協議会のメンバーは手続きを踏めば替えられます。

しかしそれをいきなりやったら横暴なので僕の首を獲るチャンスを反対派に与えたのです RT:何故市長選挙で協議会のメンバーを替える事ができるようになるのだろうか? 市長選挙だから府議を替えるのはダメだし。



<橋下徹君なぜ君が敗北したか教えよう>大前研一氏「大前研一の日本のカラクリ」

2015年7月3日

中央集権を打破する改革者だと大いに期待した

政令指定都市の大阪市を廃止して5つの特別区に分割する「大阪都構想」の賛否を問う住民投票が5月17日に行われた。結果は反対70万5585に対して賛成69万4844。僅差(約1万票差)で反対が上回って、大阪市の存続が決まった。

橋下徹市長が府知事時代から提唱し、自ら市長に転じてまで地均しをしてきた大阪都構想。地元からNOを突き付けられた投票結果を橋下市長は「負けは負け。説明しきれなかった自分自身の力不足」と総括、かねてから公言していた通り、任期終了後の政界引退を表明した。

3年前にプレジデント誌で対談したことがあるが、「日本の中央集権体制を変えるには統治機構を改革するしかない。まず大阪の統治機構から変えたい」と熱っぽく語る橋下市長に私は賛同し、期待していた。

学生時代から私の本を相当に読み込んでいたようで、私が提言してきた「道州制」や「平成維新」に対する理解も深かった。

大阪維新の会を立ち上げるときに、「『維新』を使わせてください」と仁義を切られて、元祖維新屋としては喜んで快諾した。

日本の活力を奪っている諸悪の根源は中央集権であり、これを打破するには統治システムの変革、すなわち道州制への移行が不可欠、というのが道州制論者である私の基本的な考え方だ。

しかし、日本の中央集権は堅牢でなまなかでは突き崩せない。そこで橋下市長のような戦国大名が地方から中央に刃を突き付けて緊張感を与えて、変革を促していく。

大阪都を筆頭にそれぞれに力を蓄えた“変人首長”率いる地方が連携して中央に変革を迫れば、大政奉還のような形で道州制や連邦制へ移行するチャンスがやってくるのではないか。

かつて月刊誌『文藝春秋』で「新薩長連合」を唱えて何人かの首長と連携して自ら東京都知事選に打って出て(青島幸男氏に)惨敗した私は、橋下市長こそがその志を実現してくれる人物だ、と応援してきた。

「大阪都構想をピカピカに磨き上げることが何より大切」と私は再三アドバイスしてきたつもりだ。

にもかかわらず、維新人気の高揚感もあったのだろう、橋下市長は石原慎太郎氏と組んで上洛、国政に歩を進めてしまった。

2011年の大阪府知事選と大阪市長選のダブル選挙では松井一郎府知事と橋下市長が当選して、大阪維新の会が圧勝。府市一体で大阪都構想を推進することを有権者が支持したわけで、このときに都構想を一気に加速して住民投票に持ち込んでいれば、結果は違ったと思う。

「あいつが江戸に攻め上がってきたら大変だ」という緊張感が橋下市長の影響力の源だった。地元で圧倒的な支持を集める地域政党、大阪維新の会の総大将の立場で、あくまで大阪の改革を中央が邪魔している部分を攻撃し、永田町や霞が関に手直しを迫る、というポジショニングが絶妙だったのだ。

しかし理念も政策も異なる政党と合併して中途半端な全国政党になったことで、潮目は変わる。

共同代表の橋下市長は大阪都構想だけに注力できなくなり、国政を意識した言動がやたらと増えた。

行き着いた先が従軍慰安婦問題をめぐる一連の騒動である。

彼がやりたい大阪都構想と従軍慰安婦問題は何の関係もない。

ところがOB杭の外(ゴルフコース外)でクラブを振り回すような無用な発言をして、国内外から強烈なバッシングを受けてしまう。

私自身は国政に進出した時点で見限ったのだが、この場外乱闘で墓穴を掘って、橋下市長は急速に求心力を低下させた。

大阪市の住民投票における橋下市長の敗因は何だったのか。一つ大きかったのは堺市に逃げられたことだ。10年に大阪維新の会が示した構想は、大阪市と堺市、2つの政令指定都市を廃止・再編、大阪都下に20の特別区を設置するというものだった。

しかし大阪都構想の是非が争点になった13年9月の堺市長選は、反対派の現職市長の圧勝に終わる。市民にNOを突き付けられて堺市を都構想に取り込めなくなったのは大打撃だった。

大阪市と堺市が一緒になって都構想の中核を担えば、2つの政令指定都市が合併するようなものだから、これは強い。規模の経済が働くから、広域行政のあらゆる面でメリットが出てくる。

これが大阪市だけとなると大幅なスケールダウンで、5つの特別区に分割して大阪市をなくすといっても、大阪市と同じ機能を5つの特別区が担うのだからメリットは出てこない。「不幸せ(府市合わせ)な2重行政をなくす」は大阪都構想のアピールポイントだが、市が特別区に替わっただけでは2重行政は何も解消されない。

2重行政をなくそうとするなら大阪市のままでも十分に可能で、この点では反対派の主張のほうが正しい。たとえば東京都は区ごとにやっていたゴミ収集を都に一本化した。そうしたことはいくらでも現状でできる。

堺市を引き込めなかったことで、大阪市民だけにYES/NOを問う、つまり大阪市民にとっての近視眼的なメリットデメリットが争点になり、内向きの住民投票になってしまった。

カナダのGDPに匹敵する関西圏の経済力

もともと大阪都構想は、大阪市だけに限った統治機構改革ではない。堺市など周辺自治体に枠組みを広げ、さらには「関西道」のような広域行政区域を遠く見据えて構想されている。

つまり最終目標は道州制なのだ。兵庫、大阪、京都、奈良、和歌山を一体とした関西広域連合「関西道」の必要性を私は20年以上前から説いてきた。

これは関西経済連合会や松下幸之助翁が唱えていた「関西府県連合」とも軌を一にする関西の悲願でもある。GDP規模でいえば、関西道はカナダに匹敵して、立派に一国を張れる経済力であり、G7にも参加できる規模である。

歴史的な観光資源は他の追随を許さないし、神戸や京都には世界的な企業が多い。アカデミズムや文化の発信地としては大阪、京都、奈良にまたがる京阪奈丘陵には関西文化学術研究都市(学研都市)もある。

大阪・梅田界隈はニューヨークやシカゴ、ロンドンと並ぶ世界有数の商業集積地で、富裕層の財布の大きさはアジアトップクラスだ。

縦断して4時間、横切って1時間半程度のコンパクトなエリアに、カナダと同程度の経済力が充填され、要衝がバランスよく配置されている。

いまは東京一極集中の陰に隠れているが、関西圏というのは世界的にも非常にポテンシャルが高い魅力溢れる地域なのだ。

そこに道州制を持ち込んで広域行政区域とし、国から三権(立法、行政、司法)を分捕ってくるのが私の関西道構想であり、道州制論者である橋下市長もそのことはよくわかっていた。

従軍慰安婦などの議論で場外乱闘する橋下氏に「旗がどこにあるか見えているのか?」とメールしたときに「憲法第8章、95条です」と即答してきた。

つまりマスコミに翻弄されながらも地方自治を是正していく、という彼の初志、本丸の姿、は見失っていなかった、ということだ。

しかし、そうした大きなビジョン、要するに今回の選挙の直接対象となった大阪都構想の外側に何があるかということを、橋下市長は住民投票期間中に示せなかった。

あるいは堺市に逃げられて、示したくても示せなかったのかもしれない。争点となった大阪都の次に何が続いているのかの長期的ビジョンを語らなかったことが最大の敗因だった。

「我々の最終目標は道州制の実現であり、オール関西の広域連合をつくりあげることです。関西が一つになれば経済規模はカナダに匹敵するし、世が世ならG7にだって参加できる。その夢のファーストステップが今回の大阪都構想なのです。私の不徳の致すところで、堺市は不参加になりましたが、この大阪の地で都構想を先行させたい。その素晴らしさを皆さんに示すことができたなら、いずれ堺の人たちも『一緒にやろう』と言ってくれるでしょう。関西の大発展に向けた大事な第一歩をここから踏み出しましょう」

こうしたアピールをしていれば、住民投票の1万票差から判断しても圧勝していたに違いない。「負けは負け」ではなかった、というのが私の判断である。

橋下氏には、EQが決定的に足りなかった

橋下維新の失敗という観点からいえば、当人の人間性の問題を指摘せざるをえない。

石原慎太郎氏は都知事時代に、「都は一つでいい」と大阪都構想にケチをつけたことがある。

そもそも明治天皇は京都の名前を残したくて、東の京都、「東京都」と命名したのである。

都の本家はあくまで京都なのだ。カチンときた私は橋下市長に「大阪と京都は合併して、『京都』もしくは『本京都』と名乗ればいい」と冗談半分に言ったのだが、返ってきた言葉が橋下市長らしかった。

「僕、京都(の知事? 市長?)は嫌いなんです」。

好き嫌い、敵味方で人を分ける。

だから無駄に敵をつくってしまう。弁護士という職業柄もあるのだろう。

人をその気にさせて集団を動かすリーダーシップはIQではなくEQ(心の知能指数)が問われる。

好きも嫌いも、味方も敵も全部巻き込んで、包んでしまうような人間力といってもいい。しかし弁護士などの士ビジネスの人種は、組織を動かした経験が少ないから、その手のリーダーシップに難点があることが少なくない。

「言うことを聞かないと対抗馬を立てるぞ」

というやり方が人を従わせるときの常套手段。橋下人気が高いときは「次の選挙で睨まれたら怖い」と大勢ついてきた。

が、いったん下り坂になると橋下離れが加速する。脅して付き従わせてきたから、「この人についていこう」という気にならないのだ。

「橋下維新の余命は長くない」と見切られてからは、維新傘下の市議会議員までサボタージュに回って、橋下市長が大いに進めていた市バスや地下鉄の黒字化・民営化策なども動かなくなってしまった。

売られた喧嘩は全部買う、相手を言い負かす

論争に勝たないと気が済まない性格も災いした。弁護士は法廷論争で負けたらお金にならないが、一般社会では白黒つけなくてもいいことがいくらでもある。

従軍慰安婦問題で炎上しはじめたとき、「やめておけ。道州制とこの議論はまったく関係ない。大阪市長の立場とも関係ない」と諭したのだが、

「いや、もうちょっと説明すればわかる話だから」と聞かない。

結局、説明すればするほど深みにはまっていった。

売られた喧嘩は全部買うし、相手を言い負かしたがる。職業病なのだ。

そのことに途中で気づいて、「この人はリーダーにはなれない」と思った。

大きな流れの中で自分がやりたいのか。そのために目の前の戦いをどうやって展開していくか。不必要な戦いはどうやって関与を避けるか、という戦略の基本がまったくわかっていない。

目的達成のためには無駄な戦いで消耗しないことが大事なのだ。しかし、橋下市長は目の前の戦いに全部勝とうとする。

今回も大阪都を批判する京都大学の教授とネット上で大乱闘をやっていたが、議論を見る限り一般大衆にとってはどちらでもいい水掛け論であった。こうしたことに精力を使い果たすのが彼のかなり深刻な限界だ。

個人の能力は素晴らしい。頭の回転は速いし、議論は緻密。マスコミに対する発信力も抜群。彼とメールのやり取りをしていると、朝の4時とか5時とか、とんでもない時間に巻物のような長さのメールを寄越してくる。

しかも誤字脱字がほとんどない。本当に政治家にはもったいないぐらいの能力だ。

こちらから送った長い論文も数日のうちに読破し的確なコメントを返してくる。全国政党「維新の会」の共同代表になる前、すなわち府知事や市長職に集中していた頃の業務処理能力はまさに圧巻であった。

市長の任期終了後に政界引退するそうだが、彼の性格からすれば本当に辞めるだろう。自分の政治の原点は道州制であり、それが否定された以上は政治家を続ける意味がないというわけだが、それは錯覚だ。今回の住民投票で問われたのは道州制の是非ではないのだから。

政治を離れたら、もっと人間力を磨いてほしい。市長を辞めても注目度は高いだろうが、ちやほやされているうちはなかなか変われない。

10年後に、55歳の橋下氏が戻ってくる?

大阪の住民投票の結果については、私は素晴らしいと思っている。行政区を変えるという維新の提案そのものはチンケで、効果もほとんど期待できない。それでもあれだけの僅差になった。

大阪市の現状に不満を持っている人、大阪市の将来を不安に思っている人がそれだけいるということだ。やり方次第で大阪都構想、その先に道州制に向かって前進できそうな感触を得た。

大きな流れで見れば、現状の統治機構で細切れ行政を続けていけば、日本が衰退するのは間違いない。関西道のような広域行政単位をつくって、それぞれが経済政策を含めて自由闊達で特色ある地方自治を行わなければ、世界から日本にヒト、モノ、カネは集まってこない。道州とは世界から富と繁栄を呼び込むための単位なのだ。

スコットランドの住民投票では独立派が敗れたものの、その後のイギリス総選挙ではスコットランド独立党が第三党に躍進した。大事なのは今回の大阪の住民投票で出てきた芽を絶やさないこと。

おぞましいほどの中央集権を破壊して、地方のエネルギーを解放しなければ日本は変わらない。関西圏は、そして人間味・EQを加味して10年後に戻ってきた55歳の橋下徹氏は、依然としてその先駆になりうるのだ。


二股批判で男を下げた小泉進次郎氏に立ちはだかる橋下徹氏


【ピンチをチャンスに変えられるか(時事通信フォト)】



 すっかり男を下げた小泉進次郎氏が巻き返しの“次の一手”を探っている。総裁選の対応が「安倍と石破に二股をかけた」と批判され、記者会見で早く態度を表明しなかった理由を問われてうっかり「ネクストバッターズサークル」すなわち“次の打順を待っている”と口を滑らせ、安倍側近から「すごい自信だな」と皮肉られる始末。将来の総裁の座が遠ざかったと見られている。

 進次郎氏が名誉挽回に力を入れたのが沖縄知事選の応援だ。3回も現地入りして街頭演説に立ち、集客力が健在なことをアピールした。気になるのは彼の視線が誰を向いていたかだ。

「そりゃ菅義偉・官房長官ですよ。知事選の指揮を執る菅さんを喜ばせたかった」

 そう語るのは親交のある中堅議員だ。菅氏のほうも、「将来は河野太郎か小泉進次郎だ」と公言している。

「党内で逆風にさらされている進次郎には派閥の庇護もない。総理・総裁を目指すには強力な後見人が必要だと本人も思い知ったはず。安倍総理が“最終任期”を迎え、官邸の司令塔として政権を支えているのは菅さん。来年の参院選で自民党が大敗すれば、安倍退陣で菅さんのワンポイントリリーフもありうる。頼るなら菅さんと判断するのはわかる」(同前)

 そんな進次郎氏の前に立ちはだかるのが、こちらも菅氏と強いパイプがある橋下徹氏だ。『政権奪取論 強い野党の作り方』を上梓し、総裁選後のテレビ出演では、進次郎氏の態度について「意味不明。本当に残念」と一刀両断。“将来の首相候補”である進次郎氏との違いを見せることで政界に新たな旗を立てようとしているようにも映る。大御所の経済評論家、堺屋太一氏はこう評する。

「次世代の政治家に求められるのは、役人が国民の人生まで決める官僚主導を排すること。

橋下さんは知事や市長時代、大阪商人の発想で役人が決めた役所の仕組みを壊していった。進次郎さんの父の小泉純一郎さんは、1人で郵政民営化を言い続けた信念の人だったが、進次郎君はどこが偉いのかまだよくわからない。

 農業のことを熱心に勉強していたようだが、日本の農業をどうしようというのか見えてこない。リスクを取らなかった総裁選の対応を見ると、官僚と対峙するより、官僚がお膳立てした安全な生き方に乗るタイプという印象を受ける」

 確かに、進次郎氏はリスクに敏感で父や橋下氏のような政治的大博打を打つタイプではなさそうだ。

 となれば、今回は分が悪いと見て早々にポスト安倍のネクストバッターズサークルを出て、「菅内閣の官房長官」あたりをめざして修行を積む戦略に切り替えたということか。

※週刊ポスト2018年10月12・19日号


(耕論)「橋下徹」を語ろう 想田和弘さん、谷口真由美さん、西川のりおさん

2015年5月23日05時00分(朝日新聞デジタル記事引用)

 橋下徹・大阪市長が政界引退を表明した。大阪府知事当選から7年余。熱狂と反発、対立や憎悪も生んだ時代の寵児(ちょうじ)は、地元大阪、この国の社会、そして政治に何をもたらしたのか。

 ■「劇場」は終わっていない 想田和弘さん(映画作家)

 橋下氏を危険な政治家だと考えてきた私にとって、政界引退は歓迎すべきことです。けれども「橋下劇場」は終わっていないのではないでしょうか。投票結果を受けた記者会見は、橋下氏の真骨頂。論理ではなく、人々の感情を操作することにたけた能力をいかんなく発揮し、「次の出番」につなげました。

 「間違っていた」「政治家冥利(みょうり)に尽きる」――。散り際の美学を愛する日本人の琴線に触れたため、「潔い」とか「すがすがしい」などと受け止められました。

 スポーツで惜敗した人だったら分かります。しかし、これは政治です。「大阪都構想が実現しなければ大阪はダメになる」とまで主張していた政治家が、「本当に悔いがない」「幸せな7年半だった」と笑顔で語り、彼の言葉通りならばダメになってしまうはずの大阪を全く心配していないように見えるのはどういうことなのでしょう。結局、住民投票は大阪のためではなく、彼個人のための私的な勝負事にすぎなかったのではないでしょうか。

 橋下氏が民主主義イコール多数決であり、政治プロセスを勝負事と誤解していることも気になります。本来、自立した個人が利害や価値観の違いを認めつつ、時間をかけて、それぞれが妥協をしながら合意形成を図ることこそが民主主義です。最終的には仕方なく多数決になりますが、大事なのは勝ち負けでない。少数派の権利が守られることで「敗者」にしないことを目指すものでしょう。

 また、彼はこの会見で民主主義を「すばらしい政治体制」と語り、「報道の自由は絶対に守らないといけない」と述べました。独裁が必要だと発言し、批判的な報道や言説を徹底的に攻撃してきたこれまでの姿勢を知る者からすれば笑止千万です。それが無批判に受け入れられるのは、橋下氏の弁舌の巧みさだけでなく、民主主義に対する浅い理解が日本人に広がっているからではないでしょうか。

 「民主主義は感情統治」と橋下氏はかつてつぶやきました。彼が使い、支持者に伝染するキャッチフレーズやコピーとなるような言葉は、人々が抱いている怒りや猜疑心(さいぎしん)を刺激し、ネガティブな感情に火をつけます。敵味方をはっきり分ける橋下氏の政治手法を、安倍晋三首相や日本中の政治家が模倣し始めてもいるようです。それは民主制の危機を意味します。

 だから引退表明に一喜一憂している場合ではない。「橋下的なるもの」に対して、「恐怖政治」「民主主義の蹂躙(じゅうりん)」といった紋切り型の言葉では、対抗できない。回り道のようでも、自分の言葉を紡ぎ、デモクラシーについての本質的な理解を深める必要があるのではないでしょうか。

 (聞き手・池田伸壹)

     *

 そうだかずひろ 70年生まれ。「選挙」などのドキュメンタリーで知られる。著書に「日本人は民主主義を捨てたがっているのか?」など。

 ■改革、これからが肝心や 谷口真由美さん(全日本おばちゃん党代表代行)

 大阪のおばちゃん、敵に回したら怖いで。人情家でおせっかいでユーモアもありますからな。町のオピニオンリーダーですねん。そんなおばちゃんから言わしたら、今の政治、おかしいわ。課題は山積やのに上から目線で話し合いもできへんオッサンだらけ。こらツッコミ入れなと3年前「全日本おばちゃん党」をフェイスブックに立ち上げましてん。党員拡大中ですわ。

 橋下さんですか。悪いけどオッサン政治家の典型やった。敵を作ってたたきつぶして、権力握ったら決めたことに従えと。標的が公務員と先生。うちの子の学校でも、先生萎縮してますもん。先生は本来、子ども叱るときは叱らなあかん。それが保護者の顔色うかごうて、何やお店の人みたいになった。変な先生がおってもしゃーない言いながらやってく懐の深さが大阪のよさやったと思うねん。それが消えてしもうたね。

 最初は橋下さんもオッサンちゃうかった。苦労もしてはる茶髪のお兄ちゃんが東京のエラい政治家や役人にも言うこと言う。おばちゃん、そういうのに弱いねん。でも石原慎太郎さんと組んだころから「顔つき悪うなった」っていうおばちゃんが増えた。

 時代も悪かったと思うわ。ネット社会で嫉妬が蔓延(まんえん)するようになりましたやろ。人間やから、何であの人だけ得して、とひがみたくなる時もある。でもそれは本来口に出したらアカンこと。本音と建前で世の中をうまく動かす知恵やね。それが名前も出さんと不満を吐き出す人が増えて、それをたきつけて政策を実現する原動力にした天才が橋下さんや。ツイッターでバカとかボケとか名指しされて身の危険を感じた人も多い。罵声の応酬はエスカレートして議論もできなくなった。

 今回の住民投票もそらしんどかったわ。どこへ行っても悪口と非難ばかり。大阪がこのままでいいとは誰も思てへんよ。でも何でここまでののしりあわなあきませんの。

 でも考えたら私らがサボってたツケですわ。議員さんの選挙にもええかげん。橋下さんが出てきたら喝采送って何とかしてくれと。結局しんどいことになって返ってきた。

 肝心なのはこれからや。お金がなくなる中で「誰かを攻撃したい」気持ちに振り回されへんためにはよほどの覚悟が必要やと思うねん。しんどいことを一人一人がどこまで受け止めるかが問われてるんと違いますか。おばちゃんの出番ですわ。少し前まで、大阪ではよその子が食卓にいるんが当たり前やった。おせっかいなおばちゃんは、ウチの子だけがよかったらええとは思てない。困ってる人はほっとけへん。子育ても介護もしんどいことはワケワケする社会。それがほんまの「身を切る改革」やと思いますねん。

 (聞き手 編集委員・稲垣えみ子)

     *

 たにぐちまゆみ 75年生まれ。大阪国際大准教授。おばちゃん党員は世界から集まり5千人を超えた。著書に「日本国憲法 大阪おばちゃん語訳」。

 ■表舞台離れ「伝説」になれ 西川のりおさん(漫才師)

 「橋下徹よ、伝説になれ!」と言いたいです。そのために必要なことはたった一つ。どんなに待望されても大臣にも国会議員にもならず、そして何百万円積まれても、昔からのつながりで頼まれても、テレビには一切出ないこと。

 記者会見で言った通り、弁護士と、やったとしても講演ぐらいの活動だけに専念したら、伝説になります。山口百恵になれます。そこでテレビのコメンテーターなんかやったら、全部パーです。

 もともと、ものすごい目立ちたがり屋。しかも目立ち方をよく知っていて、とても上手です。それはテレビに出ていたとき、台本にコメントの案を五つも六つも真っ黒になるまで書き込みして、放送作家が用意したことは一切使わないといった努力で身につけたものと聞いてます。

 賛成と反対をハッキリさせて、さらに注目を集めるのも上手ですね。われわれ大阪の芸人には、「師匠、師匠」と言葉だけでなく実際に会っても敬意を払ってくれます。それが大学教授とかマスコミの人に対してはものすごい批判をするでしょう。本能的に味方にすべきか、敵にすべきかをハッキリさせるんですよ。

 そんな人ですから、一切テレビに出ず、政治からも離れるのはつらいと思います。

 それでも、ぜひ伝説になって欲しいです。なぜなら、大阪は財政ひとつとっても、このままではいくら税金を上げても追いつかない状態。問題だらけです。大抵の政治家は、人気の出ない政策や次の選挙の票に結びつかないことは言い出さない。それがタブーになっていました。

 ところが橋下徹はいろんなタブーに手をつけた。それは間違いないですわ。ただ問題の種をまいて、賛否を際だたせて、かき混ぜるだけかき混ぜまくるけど、解決までたどり着いたものがいくつあったかは疑問です。でも、種まき専門としては、近年でナンバーワンちゃいますか。

 ただね、ここからは大阪の府民、市民に問題が突きつけられるんです。毎年優勝が求められる巨人に対して、阪神は3位でも、ようやったとほめてもらえます。役所もマスコミもぬるま湯なんです。橋下徹という引っかき回した人間がいなくなったからといって、元に戻って、何もしないのではダメなんです。これからは、大阪の府民、市民が自分でタブーに手をつけないといけない。

 結局のところ、住民投票は橋下徹の人気投票で、あれだけの大接戦だったので、今は誰も冷静になれません。でも、何年かして、「考えてみたら、ぬるま湯につかっていた俺たちを、あの男が目ぇ覚まさせてくれたなあ」と思える時が来るかもしれません。そんな伝説になってほしいのです。

 (聞き手・池田伸壹)

     *

 にしかわのりお 51年生まれ。75年に結成した「西川のりお・上方よしお」で人気を博す。著書に「橋下徹はなぜ大阪で独裁政治ができるのか?」など。



橋下徹(はしもととおる)氏、1969年6月29日東京生まれ(出生地・東京都渋谷区幡ヶ谷)(育ち・大阪市大東市「元・部落出身者」)。

出身校、早稲田大学政治経済学部。タレント、弁護士、政治家(無所属→大阪維新の会→日本維新の会共同代表・カウンターパートナー元・東京都知事・石原慎太郎氏大阪維新の会共同代表・東京都・国会議員担当)

「日本維新の会、分党へ 石原・橋下両共同代表が合意」

2014年5月29日。

日本維新の会が28日、分裂することが決まった。

石原慎太郎、橋下徹両共同代表が同日、名古屋市で会談して合意した。両氏は結いの党との合併方針をめぐって対立しており、これ以上、同じ党で活動するのは困難と判断した。橋下氏、こだわった野党再編 会談20分、最後は握手(5/29)維新は2012年12月の総選挙で「第3極」を掲げて54人が当選するなど支持を集めたが、石原氏率いる太陽の党合流から約1年6カ月で分裂する。

両氏は政党助成法上、政党交付金を議員数に応じて配分できる「分割」を選んだ。維新は今年4月、結いとの合併方針を決定。

石原氏は両党の政策合意に持論の「自主憲法制定」の文言を盛り込むよう求めた。

だが、結いの江田憲司代表が強く反発し、合併協議が難航していた。

石原氏は28日の橋下氏との会談で「私は自主憲法制定のために国会に戻ってきた。憲法観が大きく異なり、結いとの合流は認められない」と主張し、自ら分党を提案。橋下氏は野党再編を進める立場から応じたという。

石原氏は会談後、朝日新聞の取材に「結いとは党のアイデンティティー(性質)を含めて基本的に違う。(分党は)残念だ」と語った。

石原氏は29日に記者会見する。維新には28日現在、衆参で計62国会議員が所属している。

石原氏には、平沼赳夫元経済産業相、中山成彬元文部科学相、中山恭子元拉致担当相ら10人以上が同調するとみられる。

2014年6月時点では国会議員地方議員も含め橋下派に加勢したのが37人、石原派に加勢したのが23人となった。

石原新党が出来た。そして石原新党の党名が「次世代の党」に決まった。「我々の子や孫が幸せな生活が送れるような、次世代への思いを込めた」という。だが、「立ち上がれ日本」「太陽の党」にせよ、ご老人ばかりだ。石原党首自身、もう80代………いつ死んでもおかしくない。

次世代どころか石原慎太郎氏の没後の後継者は決まっているのか?

橋下徹氏とは分裂したのだし。まあ、石原氏死後は橋下氏の党に吸収されるだけか(笑)。

何の為の党なのか? 疑問ばかり残る。

所詮は政治問題でしかない。

2014年9月、結いの党と日本維新の会の合併後、党名が「維新の党」に改名。橋下徹氏と元・結いの党代表江田憲司氏が共同代表に。

2014年12月23日、橋下徹共同代表は『大阪都構想に専念したい』『大阪府の地方自治選挙に専念したい』として『維新の党共同代表を一時期辞任』した。党は江田憲司氏だけが党首となり、都合がよくなった。もはや橋下徹氏には政治力はない。

只のタレントあがりの有名人に堕落したのだ。

もうこのひとには本当の『救国の新世紀維新』は成せない。当然の辞任だろう。

しかも、2015年5月17日の大阪府で行われた大阪都構想の是非を問う住民投票で反対が賛成をわずかに上回り、「政界引退」を表明した。

橋下氏は2015年12月の大阪市長任期で引退するという。江田憲司氏も維新の党代表を辞任するらしい。

つまり、維新の党は野合となり、民主党等に吸収されて消えるのだ。これもまた残念だが当然の帰結だ。


橋下劇場、最後に誤算 頼みの「民意」背を向けた

野上英文 星野典久 藤原慎一

2015年5月18日04時02分朝日新聞参考文献からの引用

 大阪維新の会の橋下徹代表(45)が政治生命をかけた大阪都構想が、大阪市民による住民投票で否定された。タレント弁護士から政界に転じて7年余。自治体のトップとして国政政党まで立ち上げた風雲児に対し、「民意」は小差ながら「NO」を選んだ。憲法改正など国政の動きも連動しそうだ。

• 大阪都構想の住民投票、1万741票差で反対多数

• 特集:大阪都構想

 接戦にはなったが、最後は約1万票差で敗れた。

 「政治ですから。負けは負けです。たたきつぶすといくさを仕掛けて、こちらがたたきつぶされた」

 17日夜の記者会見。接戦に持ち込んだことで「引退」の撤回はないのか問われた橋下氏は、完全に否定した。大阪維新の会内部には楽観ムードもあったが、橋下氏は一貫して厳しい見方をしていた。

 「人間は不安が残っている限りは、最後は現状維持を望む。もっと厳しいと思いますよ。現実は」

 ほぼ1カ月前、記者団に漏らした予感は的中した。

 17日の街頭演説場所に選んだのは政治家としてスタートを切った大阪・難波だった。「今日ですべてが決まるという日になった。大阪府知事、大阪市長とやって、一人の人間としてできることをやってきた」

 タレント弁護士だった2008年1月、大阪府知事選に立候補した際、この難波で第一声を上げた。

 「38歳。右も左も政治や行政も分からなかった」

 府知事になると、自らの給料や退職金に加え、職員給料もカット。「改革者」のイメージを印象づけた。改革の行き着いた先が、府と大阪市の二重行政による無駄だった。大阪市を解体して府と特別区に仕事を分ける――。10年に「大阪都構想」を掲げたのも、そうした経験からだった。

 地域政党を立ち上げ、翌11年4月の統一地方選、11月の知事と大阪市長のダブル選も圧勝した。

 高い支持率を背景に「国政に足をかける」と揺さぶり、都構想の手続きを定める法律も成立させた。国政政党のトップにもなった。ただ、「山あり、谷あり、地獄あり。何遍も大きな壁にぶつかった」と語ったように、上昇局面ばかりは続かなかった。

 橋下氏の手法は「ふわっとした民意」をつかむ一方、反発も招いた。都構想案は昨年10月に大阪府・市両議会で否決されて行き詰まったが、公明党の協力で息を吹き返した。

 住民投票へ向けては、強い危機感から自らが前面に立った。

 告示前日まで連続13日間で計39回開かれた都構想の住民説明会に自ら出席。質疑も含め、1時間を超える説明を続けたが、橋下氏の政治姿勢を疑問視する意見が噴き出し、「独演会」との批判も浴びた。最終盤には「僕のことはキライでもいい。でも、大阪がひとつになるラストチャンス」と訴えるチラシを投入したほどだった。

 投票日の17日は賛成が追い上げているとの情報を得て、投票終了前に予定していた維新の党の江田憲司代表らとの夕食の予定を変更し、街頭を回った。だが、最後は頼りにしてきた「民意」から背を向けられた。(野上英文)

■「改憲へ協力」安倍政権に誤算

 「また戦略を立て直さなければいけない」。安倍晋三首相の側近の一人は、住民投票が否決されたことに落胆の色を隠せなかった。首相が悲願とする憲法改正に前向きな橋下氏が政界引退を表明したことで、政権が来夏の参院選以降に狙う改憲戦略の再考を余儀なくされるからだ。

 今回の住民投票では、自民党大阪府連を中心に党内から都構想反対の声が上がる中、首相官邸は「大阪は二重行政(の解消)、効率化を進めるために大改革を進める必要がある。改革に向けて大ナタを振るう必要がある」(菅義偉官房長官)などとあえて橋下氏へのエールを送ってきた。今後の政権運営で維新の協力を得たいとの考えからだ。

 通常国会後半には、今国会の最重要法案である安全保障関連法案の審議が控える。維新の協力が得られれば野党共闘を分断でき、有利に審議を進めることも可能だ。また、来夏の参院選後に議論の本格化が見込まれる憲法改正についても、維新の協力は欠かせない。

 しかし、今回の住民投票の反対多数で、戦略に狂いが生じることは避けられない。首相や菅氏に近い橋下氏の影響力は低下し、安倍政権に批判的なグループの発言力が強まれば、維新は国会で野党色を強める可能性が高い。同党の衆院議員は「民主党と協力していくしかない」。政府高官は「政権に批判的なグループの党内基盤が強くなると、維新は本当の野党になってしまう」と嘆く。

 首相が目指す憲法改正の発議には衆参で3分の2以上の賛成が必要だ。ただ、参院の自民党は現在114議席にとどまり、公明党の20議席を加えても3分の2の162議席にはほど遠い。橋下氏の失速で、「橋下維新と共闘して改憲勢力を増やす」(首相周辺)との計算は再検討を迫られることになる。

 もともと首相と菅氏、橋下氏と松井一郎大阪府知事(大阪維新の会幹事長)との蜜月関係は野党時代から続き、両者は「盟友」ともいえる間柄だ。

第1次政権の挫折で政界での発言力を失った安倍氏は、橋下氏との連携をアピールすることで存在感を取り戻していった。

首相に返り咲いた後は与野党の立場を超え、水面下で橋下氏側が安倍政権を応援。その一方で、安倍氏側は都構想を後押しするという「互助関係」があった。

 今回の大阪都構想の挫折は、国政の力学にも影響を与えそうだ。公明党幹部の一人は「官邸の補完勢力がなくなる」と指摘。自民党ベテラン議員も「安倍官邸の1強体制にも何らかの影響が出るかも知れない」と漏らしている。(星野典久)

■野党再編の可能性も

 橋下氏が「政界引退」を表明したのを受け、維新の党では「自民党に対抗する勢力の結集」を持論とするグループが主導権を握り、民主党などとの再編をにらんだ連携を加速させる可能性がある。

 報道機関の世論調査で、都構想への反対多数の情勢が伝えられていた12日、江田憲司代表は民主の前原誠司元代表や松本剛明元外相と東京都内で会談した。今後の両党の関係について意見交換したとみられる。

 維新内には分裂の火種もくすぶる。橋下氏に近い大阪選出国会議員の一人は「橋下人気で持ってきた党なんやから、橋下さんがいなくなればバラバラ。民主党に出て行く人間もおる」。こうした動きも見越し、玄葉光一郎選挙対策委員長ら民主党幹部ら約10人は13日、都内で情勢を分析。「維新は流動化するのではないか」との見方も出た。「維新の一部は民主支持の労働組合の組織力に期待して合流してくる」(党幹部)との期待もある。

 安倍政権の「1強体制」のもと、民主には維新との連携への期待が強い。岡田克也代表は15日の記者会見で「我々に次ぐ野党は維新だ。維新とは歩調が合うようにしたい」と秋波を送った。安全保障関連法案の審議で野党共闘を築いて政権に対峙(たいじ)する一方、来夏の参院選に向けて、候補者の調整を進めたい考えだ。

 だが、橋下氏が労組を厳しく批判してきただけに、維新の中には自治労や日教組といった公務員労組に距離を置く議員も多く、民主の思惑通りに進むとは限らない。また、仮に維新の一部が民主と合流する場合でも、存在感が低下しかねない吸収合併でなく、対等合併による「新党」を求めるとみられる。民主内には「民主」の看板にこだわるべきだとの声もあり、野党再編の壁になる可能性もある。(藤原慎一)


維新、新代表に鳩山氏元側近の松野氏

(産経新聞) 16:18 2015年5月19日gooニュース記事引用

(読売新聞)

 維新の党は19日、国会内で両院議員総会を開き、「大阪都構想」が住民投票で否決されたことを受け代表を辞任した江田憲司氏(59)の後任に、幹事長だった松野頼久氏(54)を選出した。

 松野氏は衆院比例代表九州ブロック選出で、当選6回。かつては鳩山由紀夫氏の最側近として知られ、鳩山内閣では官房副長官を務めた。平成24年に民主党を離党し、橋下徹氏が結成した日本維新の会に参加した。父は松野頼三元防衛庁長官。

松野頼久幹事長以外に有力な候補はおらず

進代表に松野氏選出へ=「推されれば逃げない」―維新


<橋下徹氏引退表明>野党再編は民主党主導に 維新分裂の危機

『大阪都構想賛否住民投票』で、僅差で「反対」が上回って稀有で貴重な人材で政治家の橋下徹氏江田憲司氏をわれわれは失った。若者の中には「投票にいっとけばよかった」「賛成だったのに残念だ」という声が多いが”後の祭り”である。

国政選挙でも同じことである。若者が投票せぬから老人用マニフェストになる。忙しいなら期日前投票もある訳で「投票行けばよかった」などまさに“後の祭り”である。

まずは投票にいくことだ! いかないで後で文句をいっても”後の祭り”でしかない。


 第二章 小説パート 物語部

   弁護士・政治家・タレント……橋下徹の正体


橋下徹氏情報、参考文献多数、ウィキペディア等参照。



大坂府には身分はなかったが部落差別があった。橋下徹は在日でも朝鮮人でもなかったが、住む場所によって差別があり、部落差別に近い住所ということもあり、徹は一種の身分制度のような差別を経験したのである。


 話を少し戻す。

 

「まぁ、どうでもええやんけ」

「よぐねえ!」と橋下徹。

 一郎は無視して「そげんより、おれはすごい人物の親友になったんや」

「すごい人物? 前にあったやしきなんとかというやつですが? 俺を小者扱いした…」

「いやいや、もっとすごい人物や。天下一の学者で、重要人物や」

「重要人物? 名は?」

「大前研一!」松井はいかにも誇らしげにいった。「大前研一……平成維新の本の先生やなあ。国際経営コンサルタントで作家の! 元・MIT大学の学士だぜ」

「大前研一?」橋下は茫然とした。誰だそれは?

「会いたいか? ふたりとも」

 橋下たちは頷いた。是非、会ってみたかった。

 松井一郎は「よし! それやったら、今がらおれが会いにいがからついてきだらええ」といった。

 橋下たちは首尾よくホテルで、大前研一にあうことができた。大前は痩せた体で、立派な服をきた目のクリリとしたメガネの初老男だった。

 なかなかの知識人で、欧米を視察していて、幅広い知識にあふれた人物でもあった。

 そんな彼には、その当時の祖国はいかにも”いびつ”に見えていた。

「先生、お茶です」秘書は大前の客人らに茶を煎じて出した。

 橋下たちは緊張して座ったままだった。

 そんなふたりを和ませようとしたのか、大前研一は「この男(長尾景虎のこと)は女性のようだが実は女装の麗人・景虎くんです……ぼくは彼の才能に感化されたのです」とおどけた。

「ぼくには大前先生は心の師匠です。」長尾はいう。

「始めまして。おれは橋下徹、隣は嫁です」

 橋下は下手に出た。

「そうですか」大前は素っ気なくいった。そして続けて「きみたち。日本はこれからどうなると思う?」とやしきと同じことをきいてきた。

「……なるようになると思います」橋下徹はいつもそれだった。

「なるように?」彼は笑った。「私にいわせれば日本は西洋列強の中で遅れている国だ。知識も足りない、金や技術も起業家もたりない……このままでは外国に負けて植民地だ」

 橋下は「ですから日本中の志士たちが立ち上がって…」といいかけた。

「それが違う」大前は一蹴した。「皇室、天子さまがあってこその日本なのだ。たとえのちに選挙で日本国憲法が改憲される世の中になったとしても…主権は天皇陛下のもの。天皇のもの。しかし、いずれは国民皆のものなんだよ」

「……国民? 民、農家やビジネスマンがですが?」橋下徹は興味を示した。

「そうです! ぼくは今度政治家の覚悟をうながす予定です。それには道州制度と平成維新です」

「………維新?」

「そのための平成維新の会ですよ」大前は強くいった。

 橋下は「明治維新みたいにですか?」と問うた。

 大前は笑って「まぁ。そうかな」

橋下は訝しげに「では、アメリカや日米安保同盟はもういらぬと?」と尋ねた。

「………そんなことはいってません。ぶっそうなことになるゆえそういう誤解めいたことは勘弁してほしい」大前研一はいった。「要は、大阪都構想ですよ!」

 大前に呼応するように松井もいった。「さすが大前先生、今は世界や! おおさか維新で世界に出るんや!」松井一郎は満足した顔で、シャンパンを開けた。



橋下徹は学問にも勤しんだ。この当時の法律を死に物狂いで勉強した。

 本屋にいって本を見るが、買う金がない。だから一生懸命に立ち読みして覚えた。しかし、そうそう覚えられるものではない。

 あるとき、本屋で新刊を見た。本を見るとめったにおめにかかれないようないい内容の本である。

「これはいくらだ?」橋下徹は主人に尋ねた。

「一万円にござりまする」

「高いな。なんとかまけられないか?」

 主人はまけてはくれない。そこで橋下徹は親戚、知人の家を駆け回りなんとか一万円をもって本屋に駆け込んだ。が、本はすでに売れたあとであった。

「あの本は誰が買っていったのか?」息をきらせながら橋下徹はきいた。

「大番町にお住まいの某様でござります」

 橋下徹は駆け出した。すぐにその家を訪ねた。

「その本を私めにお譲りください。私にはその本が必要なのです」

 某は断った。すると橋下徹は「では貸してくだされ」という。

 それもダメだというと、橋下徹は「ではあなたの家に毎日通いますから、写本させてください」と頭を下げる。いきおい土下座のようになる。誇り高い橋下徹でも必要なときは土下座もした。それで某もそれならと受け入れた。「私は午後十時に寝ますからその後部屋の中で写しなされ」

 橋下徹は毎晩その家に通い、写経ならぬ写本をした。

 橋下徹の住んでいるのは本所大阪某所で、某の家は大番町であり、距離は往復約二十キロであったという。雪の日も雨の日も台風の日も、橋下徹は写本に通った。

コピー機で写せばいいだけだが、そのときは思いつかず、図書館にもこの本はなかった。

あるとき本の内容の疑問点について某に質問すると、

「おれは本を手元にしながら全部読んでおらぬ。これでは宝の持ち腐れじゃ。この本はお主にやろう」と感嘆した。橋下徹は断った。

「すでに写本があります」

 しかし、どうしても、と某氏は本を差し出す。橋下徹は受け取った。


 橋下徹は出世したくて勉強をしていた訳ではない。

しかし、艱難辛苦の勉学により橋下徹の名声は世に知られるようになっていく。夢は大政治家・大富豪……だが、彼がテレビ番組に出演し、「茶髪のタレント弁護士」として人気者になるまで、地元・大阪府でさえ橋下徹の名前は無名だった。

 橋下徹はその頃、こんなことでいいのか?、と思っていた。

 だが、橋下徹も大阪府人も「慰安婦騒動」まで目が覚めなかった。

 松井一郎と橋下徹は話した。

松井は夢みがちな癖がある。

「日本政界はムジナだ! 英雄が足りない! 日本政界にはスターは数人しかいない。イギリスには世界的有名政治家が五万といる。このままでは日本は外国の植民地だ」

「……で?」

「このままでは国家百年の計のあやまりだ。巨匠政治家を沢山つくるしかない!」

 松井一郎は笑った。

「そんな大風呂敷広げたって話しにもならねやろう」

 橋下は政界の大御所にもこのことをいったが、「政界には金がない」とハッキリいわれた。しかし、橋下徹には政界……しかるのち日本政治家の創造が必要だと思っていた。





橋下徹

日本の旗 日本の政治家

橋下 徹

はしもと とおる

Toru Hashimoto Ishin IMG 5731 20130713.JPG

街頭演説をする橋下

生年月日

1969年6月29日(48歳)

出生地

日本の旗 日本 東京都渋谷区

出身校

早稲田大学政治経済学部経済学科

前職

政治家

所属政党

(無所属→)

(大阪維新の会→)

(旧日本維新の会/大阪維新の会→)

(維新の党/大阪維新の会→)

(大阪維新の会→)

(おおさか維新の会/大阪維新の会→)

日本維新の会/大阪維新の会

称号

経済学士

公式サイト

弁護士法人橋下綜合法律事務所

大阪府の旗 第52代 大阪府知事

当選回数

1回

在任期間

2008年2月6日 - 2011年10月31日

Flag of Osaka, Osaka.svg 第19代 大阪市長

当選回数

2回

在任期間

2011年12月19日 - 2015年12月18日

橋下 徹(はしもと とおる、1969年(昭和44年)6月29日 - )は、日本のタレント、弁護士(大阪弁護士会所属 登録番号25196)、政治家。

大阪府知事(公選第17代)、大阪市長(第19代)、大阪維新の会代表、おおさか維新の会代表、同法律政策顧問などを歴任した。

来歴

生い立ち

東京都渋谷区で生まれた。物心がつく前に父親は自殺、母親が苦労して家計を支え、小学5年のころ大阪府吹田市に引っ越し、1年後には大阪市東淀川区東中島へ移り住んだ。いずれも、手狭な府営住宅から地元の公立学校に通った。

人物

家族妻と七人の子供がいる。

学生時代

小学校時代


橋下徹は、正直、『自己中』だし、『拝金主義』、『勉強不足』『口が悪い』『適当な発言が目立つ』……である。

自己中だからこそ、学生時代の我が儘放題の態度と発言になる。

まあ、がたいがデカかったために、同級生から「おっさん」と呼ばれていたという。

暴力的でさえあり、口や暴力で負けるのを嫌う。負けず嫌い、である。

自己中だから大学生の時、(ダメージではない)ボロい革ジャンを売りつけて、「気付かない方が悪い」とのたまったのだ。自分さえ儲かれば……つまり、そういうことである。

また、今の女房は大学生の頃の学生結婚らしいが、また、こういう輩を見ているとわたし(著者)に大迷惑をかけた大学生カップルを思い出す。わたしに大迷惑をかけて、人生をメチャクチャにしたので復讐したが、その間に学生結婚していた。本当にムカついた。

橋下が在日というのも本当である。

彼の母親が、徹が生まれたのを期に、部落を離れ、元元、「ハシシタ」という姓を「ハシモト」に改めた。朝鮮名も封印する。

父親はヤクザで、徹が幼い頃に自殺したらしい。

ヤクザといっても、任侠道とは無縁で、麻薬を売ったり、人に暴力を振るって大金を巻き上げたり……只のクズ人間である。

弁護士になったのは、学生時代に『不渡り手形』をつかまされて……ということに公式のプロフィールではなっているが、どうだか。

悪いことをやって弁護士に助けられて、それで弁護士の「おいしさ」を知っただけでは?

「おい、おっさん!」

同級生は橋下徹を学校でそう呼んだ。

徹はその同級生をヘッドロックして、「おっさんじゃねえ! 橋下徹先生だろ?」

同級生達は苦笑した。

「ハシモト……って? 誰が呼んでもハシシタ、か、ハシゲ、だろ? 在日朝鮮人!」

「おれはもう在日じゃあねえやんけ。それは死んだ親父と家系だけやろ!」

「誰が呼んでもハシシタじゃボケ! なめとんのか」

「なんやとお!」橋下徹はいつも暴力に訴えたという。

 暴力信仰……〝暴力は力なり〟……

 そういう信仰があるからこそ、自分の息子(長男)が学校でいじめに加担していたと知ったとき、殴りつけ、柔道で何度も投げつけたのだ。

 それを教育評論家の尾木ママこと尾木直樹さんが、「それは駄目よ」というが暴力というより躾けだと思うから反論した。教育であり、躾けだ、と。

 まあ、学生時代はヤンキーだったらしいし、息子も娘もヤンキーだった。

 話を戻す。

小6で身長170センチ、体重65キロの体格だった橋下はかなり目立つ存在だった。

小学校では転校初日からいきなり同級生に殴られた。小中学校時代は、体の大きさから「おっさん」と呼ばれた。

学生時代について橋下本人はTwitter(2011年10月29日)で「僕は学生時代真面目な学生でなかったことは認める。」「先生の中にも僕のことを嫌っていた人はいっぱいいただろう。」とコメントしている。

大阪市立中島中学校入学。中1の頃、母が再婚した。同校卒業後大阪府立北野高等学校入学。

中学校時代

「おれはもうセックスしたぜ。どうだ? どうだ!」

中学生時代に、テニス部の女子と初セックスを経験したという。

当然、同級生の男達に自慢した。童貞の同級生は憧れたという。

こういう輩はわたし(著者)の学生時代もいた。自己中の嫌な奴だった。

中学2年生でラグビー部のキャプテンとなった橋下について当時の顧問は、「彼は1日の練習プランではなく、継続的なプランを立てた。

なぜその練習が必要なのかを理屈で部員に説明していた。急速にチームが出来上がっていった」と話す。

また、3年生時の担任教諭は、「クラスがもめた時、互いの主張を取り入れて解決するのは必ず橋下だった。論理立ててものを述べる交渉術は当時から卓越しており、教師から見てもこちらが見透かされているような怖さがあった」と語る。

ラグビーを始めた理由は「一番ワルそうな部に入ったほうが安全だと思ったから」という。

高校受験シーズンを迎えた頃、橋下は放課後の教室で仲間達と勉強会を開いたが、実際には橋下がみんなに教える場になっていた。

「勉強教えて」と言われれば、嫌な顔一つせずに応じていたという。

仲間達と進路の話題になると橋下は、「俺は将来、政治家になりたい」と語り、当時の仲間の一人は「僕らはどの高校に行くとか、目の前のことしか考えていなかったけど、あいつはいつも遠い先を見据えていた」と回想する。

高校時代

高校時代の同級生には自民党前衆議院議員の川条志嘉、NHKアナウンサーの藤井彩子などがいる。高校時代に所属していたラグビー部の顧問は橋下について、「能力の高さは際立っていたが、まじめに練習する姿勢は感じられず遅刻も多かった。小さい頃からコツコツ努力するのが嫌いだったんでしょう」と語り、怠慢によりレギュラーを外されると、橋下は別人のように猛練習を開始したといい、「彼は追い込まれなければやらないタイプでは。逆に言えば本番では予想外の力を出せる人間でもあった」と話す。

3年生時、全国大会に出場したラグビー部で橋下は、通常8人で組むスクラムを7人に減らし、余った1人が素早くボールを外に蹴り出すという戦術を考案。

また、ガムシャラに走るだけの練習をやめ、試合をイメージしながら走る合理的なトレーニングを導入。

後に橋下は当時を振り返り、「当たり前だと思ってることに疑問を持ったり、伝統を変えようとしたり、何で?と思った時に立ち止まって考えることで、パワーが生まれる」と語っている。

大学時代「橋下は破れた革ジャンをタダ同然で仕入れて1着3万円とか5万円で売って大学を卒業したと言っていた。

『破れたやつを売ったらまずいやろ』と言うと『どこが悪いんですか。気付かずに買うのはお人よしや』と」。

妻は高校の同級生。橋下は進学のために上京するのだが、妻も彼と離れたくないと神戸の大学に籍を残しながら上京、同棲生活をスタートさせた。

妻の両親は同棲には反対だったが、彼女は「勘当されても構わない」と駆け落ち同然で橋下と一緒に暮らし、支えていくことを選んだ。

橋下によれば「僕は育児に家事何もしないですよ。子供は単に玩具感覚の可愛さです。完全にキム・ジョンイル体制。将軍様ですもん。僕は子供をつくるまでが好きなのかもなあ(笑)」という。

 というより、セックス狂なだけである。

 絶倫なのだ。家系に禿げがいないからラッキーに禿げないが、男性ホルモンが旺盛なのだろう。暴力的な性格などまさに絶倫男の典型だ。きもいというか。

高校では、名前の字から「ハシゲ」と呼ばれた。ラグビー高校日本代表候補に選ばれ東西対抗にも出場する。高校在学中に、日本テレビの『全国高等学校クイズ選手権』に出場。

「……松島、宮島、天橋立!」

「……正解!」

地方予選で敗退したが、放送には映っていた。地方大会・事前番組・本放送に映ったことのある芸能人は橋下とザ・プラン9の浅越ゴエ、欅坂46の長濱ねるのみである。

学校での成績は芳しくなく、現役時代には早稲田大学を2学部受験するも、不合格に終わった。

初めての性体験は中学生で、同じ中学のテニス部の女子とだった。

卒業後、一年間の浪人生活を経験。

早稲田大学政治経済学部経済学科に入学。兵庫県明石市の泉房穂市長(第49期司法修習生=1995年研修所入所=橋下と同じラグビー同好会に所属)は同じ自治体トップとして橋下をよく知る人物の一人であり、ラグビーの練習後に聞かされた話を今も覚えている。

学生ビジネスで不渡手形をつかまされ、訴訟を起こすといった経験をきっかけに、法律家を目指すようになった。

早稲田大学政治経済学部を卒業した1994年に司法試験に合格。

木村草太との共著『憲法問答』によれば、司法試験対策として伊藤真の授業を受けており、改憲派の橋下徹の憲法観の基礎は護憲派の伊藤真の授業にあるという。

1994年に早稲田大学政治経済学部を卒業し、同年に司法試験に合格。

弁護士として

司法修習を経て1997年に弁護士になった橋下は大阪の樺島法律事務所に入る。樺島事務所に入った後、「同和地区に住んでいたけど私は同和じゃなかった。だから、私は同和問題はやりません」と言い、部落解放同盟の朝田善之助派が起こした京都市営住宅の家賃値上げ反対訴訟に参加することを拒否した。

1998年(平成10年)、大阪市内に自前の「橋下綜合法律事務所」を設立して独立。示談交渉による解決を看板にする。飛び込み営業なども行い顧客を集め、弁護士としての主な担当業務は企業コンプライアンス、M&A、エンターテインメント法、スポーツビジネスなど。

大正時代に築かれた日本最大級の遊廓と言われ、最後の色街ともいわれる飛田新地の料飲組合の顧問などもしていた。

2008年(平成20年)2月6日の大阪府知事に就任した後は、事務所を法人化し別の弁護士が運営する。芸能事務所タイタンと業務提携し、自身のタレントとしてのマネージメントを委託していた。また、同社の顧問弁護士も務めていた。

新米弁護士時代

ボス弁の樺島正法は新米弁護士時代の橋下を「純粋な弁護活動よりカネに執着が強い印象だった」「弁護士会から紹介された依頼人から高い着手金を取り、副会長に電話で注意された際『何がいけないんですか』と食って掛かっていたのが印象的だった」と語っている。

橋下本人はtwitter(2011年10月29日)で「僕が最初に勤めた法律事務所のボス弁は僕のことを大嫌いである。弁護士の多くは僕のことを嫌いだし。人が人を評価するには色々ある。そういう人は事実を離れて話すだろう。公人という立場である以上、そこは気にしない。」とコメントしている。

選挙について

政治家を志望する若者の質問に答え、現行の選挙制度の問題点を具体的に教えた上で、「頑張って下さい!」と励ました。

茶髪にサングラスに耳にピアス……まるで金原ひとみの小説『蛇にピアス』みたいだ。

まさにヤンキー。ヤクザの息子。反社会の半グレ、のようだ。典型的な大阪人。

やしきたかじんとの関係

司会者・歌手のやしきたかじんについて、政治家・橋下徹の生みの親であると述べている。大阪府知事選に出馬するかどうか悩んでいたとき、やしきから「仮に2期やっても46歳。38歳でやれるんだったらやった方がいい」と出馬を促されたと主張している。

やしきの死去に際しては、「非常に残念。すごく優しい人で、強かった」、「いろいろあり過ぎて……」と語った。

たかじんサイドは、「番組に関してはオレに任せてと言っただけ。」と応援に関しては否定している。

週刊誌問題

「週刊朝日による橋下徹特集記事問題」も参照

救われたこと

大阪市長選において、平松邦夫に勝利した後、殺害予告の脅迫状が複数、届いていた。しかも、本人だけでなく家族を殺すという内容のものまであった。“同和報道”が出たとき、橋下自身も知らなかった事がいっぱいあって、非常にショックを受けたという。しかし、橋下は、中学生の長男と長女には、きちんと報道について説明をした。すると子供たちは、「いろいろ書かれることは仕方ないんちゃう?」といって、逆に橋下を励ました。これに、橋下も「救われた」ともらしたという。

橋下は、取材記者の氏名や会社の電話番号まで自らのツイッターで公表、「親父がやくざ、けっこう毛だらけだ」と逆手にとった。

公務でプロ野球の始球式を行った際などに子供を連れて行き、一緒に試合観戦をしたり、サインボールをもらったりすることがあった。これに対し、龍谷大学の富野暉一郎・教授は「公私混同の家族サービスと見られても仕方ない。目くじらを立てるほどの問題ではないかもしれないが」と指摘した。

 橋下徹は〝エゴサーチ〟をしないという。「自分のことを気にしているのはろくなものじゃない」と嘯く。しかし、SNSでの誹謗中傷には否定的だ。が、「〝殺すぞ〟は犯罪だが、死ね、とかいらない、とかは公人にいえないと個人の言論まで抹殺する、〝言論統制〟にまでなりますよ」ともいう。SNSでの誹謗中傷で自殺した女子プロレスラー木村花さんを「かわいそう」とした。だが、「見なけりゃいい」「気にしなければいい」とも。

 が、最近、自分の名前で検索し(エゴサーチ)、見て、「くだらない。バーか」と思っただけ。昔は誹謗中傷を気にしたらしいが、五十代になって気にならなくなったのだとか。

 また、橋下徹を誹謗中傷した中に、殺害予告をした福本悪五郎(創作・悪人)がいる。

 福本悪五郎はネット掲示板荒らしの悪人で、神奈川の狂人、知恵遅れの狂人だが、警察が家族と住むアパートに来て、〝任意同行〟を求めたとき、「きいいぇえ~つ!」と奇声。

 異常者のふりをしたが、責任能力がある、とバレて、刑務所行きになったという。

系譜

家系橋下の母によれば、「橋下一族は先祖代々同和地区に住んでいたわけではなく、徹の祖父の代にたまたま転入したに過ぎない」という。

橋下の母によれば、「橋下家は同和部落出身ではない」ということになる。

実父の出身地の寒村の橋下姓の老婆は「昔は“橋下(ハシシタ)”という家が六十軒ぐらいあった。大概の者は名前を“橋本”に変えて出て行ったと聞いている。ここらの人はみな教育熱心で、一生懸命勉強して就職差別やいろんな差別と闘ってきた。」と述べている。

橋下姓橋下の母は次のように語っている。

「あの子が生まれた時点で、向こう(橋下家の人々)との因縁を断ち切るつもりで、ハシシタ姓をハシモトと変えたんです。向こうの親たち(橋下徹の祖父母)は、反対しました。

けど、橋の下を歩むようなイメージの苗字はどうか。この子は、橋のたもとを注意深く生きていくように、と願って変えました。だから、ちっちゃいときから、あの子はハシモト。その意味は当人もよく知らないはずです。」

実父・叔父橋下が実父について述べたインタビューによると、

「父親の思い出はひとつだけ。2、3歳のとき、食事中に箸を投げたら、背負い投げされてぼこぼこにされたんです」という。

橋下の母によれば「父親はあの子が小さいときに離れ、以来私も近寄らせませんでした。あの人と私たちは東京と大阪で離れていましたので、仕事も何をしていたのかよく知りません」という。

実父は橋下の幼時期に家庭から離れ、八尾市の同和改良住宅に住み、橋下が小学校2年生の時に死去。自殺だったという。

地元八尾の府議によれば「父親は、八尾の改良住宅に住んではったそうです。同和対策事業の一環として建設された住宅で、そこで亡くなったらしい。普通の死に方ではなく、ガス爆発だったと伝えられます。物心ついたころには実父は家にいなかったのでほとんど記憶はない。単なる事故か、あるいは仕事に行き詰って自殺したのではないか、などとも囁(ささや)かれていました」という。

実父は現在、同和地区住民のために建設された八尾市の市営墓地に眠っている。

橋下の実父と、その弟の両方を知っているという地元住民によると、「弟は○○(地区)で水道工事会社をやっていたが、今は倒産してない。この水道工事会社は、実は兄、つまり橋下知事の実父が段取りして設立した会社や。暴れん坊で、ある組織の三羽烏といわれたほどの男や。立場上、名前を出せなかったので弟に会社をやらせていたんや」という。

また橋下の叔父(実父の弟)の水道工事会社は地元八尾市の指名業者でもあったが、部落解放同盟大阪府連が資金源獲得のために設立した直轄の建設業者組織「大阪府同和建設協会」の会員でもあった。

倒産時多額の借金を抱えていたため、「貸した金を踏み倒された。なのに謝るどころか、平気な顔をして外国車を乗り回している。

なにが『ハシモト』や100人が100人『ハシシタ』と読むわ!」と、今なお怒りが収まらない住民もいる。

橋下は父親が元暴力団だったという報道について「ほぼ事実」と認めた。

橋下の母は「暴力団だったなんて知りませんでした。私たちといっしょに暮らしているときは、そうではありませんでしたから。」と述べている。

部落解放同盟大阪府連合会・赤井隆史書記長によれば「両週刊誌の記事は、橋下氏の父親が暴力団員であったことと、出自であり暮らしていた地区の問題を同列に扱っています。

暴力団とその地区がイコールで結びつけられているのです。

同和地区に対しての偏見のなかに、“暴力的である”“ガラが悪い”といったイメージがある。

両週刊誌の記事はこうした差別、偏見を助長してしまいます」という。

月刊『WILL』(2012年1月号)に、橋下と同じ父親がやくざで被差別部落出身者であることを公言している作家の宮崎学が、

「橋下徹前大阪府知事の出自を暴く異常」と題して、一文を寄せた。

宮崎によれば「たしかに、不祥事があれば叩けばよい。しかし、出自と不祥事は全く別の問題である。それは、出自に関する問題は、相手に抗弁権が一切ないからである。僕は解放同盟に対して、運動の原点を厳しく批判してきたが、解放同盟から文句を言われたことはほとんどない。それは、相手に抗弁権のないことでは決して批判しなかったからでもある。人間が生きていくうえで自分の力ではどうしようもない運命、出自まで叩く材料にするというのは、足をすくう非常にいやらしい批判であり、ジャーナリズムとして完全に間違っている」と述べた。

評価

2008年、文科大臣だった中山成彬は、日教組批判を展開する橋下に対して「命がけで戦っている」と評価した。しかしながら中山成彬が日本維新の会の国会議員だった2013年当時、慰安婦問題で揺れている橋下に対して「橋下徹を代表と思っていない」と桜チャンネルで名指しで批判。これに対して橋下徹も「代表と思っていないのであれば、維新から出ていってもらう」と応酬した。

2014年の大阪市長出直し選挙の際、天王寺区長は、「“忠臣は二君に仕えず”という言葉もあるが、自分が区長でいられるなら、市長が誰でもいいと考えることはできなかった。橋下市長の市政改革方針に共鳴したからこそ、私は公募区長となった。」「こんな上司に巡り合えて幸運だった。」と語った。

維新支持層の約9割が、橋下の新党結成表明について、「評価する」と回答した。

批判左翼系の学者などに「ハシズム(橋下主義)」との呼称が使われている。

山口二郎が主催したシンポジウムや著書で用いられている。シンポジウムでは、平松邦夫や香山リカ、薬師院仁志が橋下を批判した。高橋哲哉は「知事を天皇にした天皇制ともいえる府政を作ろうとしている」と批判している。平松邦夫は「絶句した」と批判した。

しかしこれらの批判者は元々憲法問題などさまざまな点で橋下とは異なる立場であり、橋下も「これらのハシズムとか言っている大学教授や有識者の話を聴いても、『なるほど』という意見は何一つない」と答えている。

共同通信社は橋下が選挙で圧勝したことに関して、「問題は、彼に75万もの票を入れた有権者の方にある」などの報道をしている。

内田樹は「教育は生身の人間が相手の仕事です。子供たちは、さまざまな思想信条、信教、イデオロギーをもった周囲の大人たちの影響を受けています。」などと述べた。陰山英男は、教員管理を強めれば教育が良くなるという発想は間違いだと反発した。

月刊誌『新潮45』(2011年11月号)では作家・精神科医である野田正彰が「これ以上私たちは、自己顕示欲型精神病質者の空虚な言動に振り回されてはならない。

演技性人格障害と言ってもいい」と批判している。

この記事に関して橋下は名誉を傷つけられたとして著者と新潮社に1100万円の賠償を求めた訴訟を起こすが、2016年4月の大阪高裁は「『うそを平気で言う。バレても恥じない』などの逸話は当時の橋下を知る教員への取材や資料に基づいて書かれ、新潮社側には内容を真実と信じる相当の理由があり、公益目的もあった」

として、橋下の訴えを退け逆転敗訴とした。2017年2月、最高裁は橋下の上告を棄却し、敗訴が確定。

マスメディア出演

大阪で弁護士活動の傍ら、朝日放送『ワイドABCDE〜す』にジャーナリストの大谷昭宏と共に出演するようになる。大谷とはその後『スーパーモーニング』や『ムーブ!』でも共演している。

2003年(平成15年)4月から、久保田紀昭の後任として日本テレビ系全国ネットの『行列のできる法律相談所』にレギュラー出演するようになる。同年7月には関西ローカルの『たかじんのそこまで言って委員会』(読売テレビ)でもレギュラーを務めた。

しばしばタレント・文化人批判や下ネタ発言をする一方、ワイドショーなどでは事故・事件・時事問題について自分の意見を強く述べていた。

また、司法問題や法曹界全般、弁護士・裁判官の資質に至るまで幅広く批判していた。このため自身の発言で物議を醸すことも多かった。

 この頃、茶髪のタレント弁護士として有名になっていた橋下徹が、大前研一に擦り寄り、大阪維新の会(現・日本維新の会)の党名と、「大阪都構想」「発送電分離」「道州制」を掲げることを認めさせ、大阪市長や府知事として、暴れまくる。

 だが、橋下はどんどん暴走していく。

 大阪だけの政党を東京でも、と、なんと大前研一の天敵・石原慎太郎都知事(当時)と、タッグを組み、日本全体の政党(国政政党)『日本維新の会』を設立する。

 また、慰安婦問題にも橋下は手を出し、「やめておけ」という大前の助言を無視。

 橋下は議論に敗れた。こうして、橋下はオーラを失い、失速……政治家を辞めることで弁護士に復活する。だが、それでも維新の会の政策顧問弁護士として、テレビに出る日が続いた。本人はもう〝闇将軍〟の気分である。

 だが、大前研一もオーラを失った。

 橋下徹は大前研一を、「大前研一は〝口だけ〟の人。〝実行力がない〟」と吐き捨てる。

 それが正しいのか?それは知らないが、大前研一が影響力を失い、只の〝評論家〟に堕ちたのは事実だった。大前氏がもし、今後、政治家になろうが、日本の改革はならない。

 所詮は〝口だけの人〟……それが正しいのか? 判断できないがそう思われた。

 こうして、大前研一の日本国のイノベーションの試みは、おわったのだった。


詳細は「#話題となった発言」を参照

政治家として

2007年(平成19年)12月12日、大阪府知事選挙に出馬することを表明。2008年(平成20年)1月27日投開票の大阪府知事選挙で183万2857票を獲得し当選した。同年2月6日に大阪府知事に就任した。

2009年(平成21年)に、世界経済フォーラム(ダボス会議)のYoung Global Leadersの1人に選出された。

2010年(平成22年)4月、大阪維新の会代表。2012年(平成24年)9月、日本維新の会代表。同年11月、日本維新の会代表代行。2013年(平成25年)1月、日本維新の会共同代表。

2011年(平成23年)11月、自らが掲げる大阪都構想などの政策実現を目的として、任期を3ヶ月余り残して大阪府知事を辞職、任期満了に伴う大阪市長選挙に立候補。40年ぶりとなる府知事選とのダブル選挙であることや、現職の平松邦夫(12月19日任期満了)との一騎討ちなどが注目されたが、結果は750,813票と平松に20万票以上の差をつけて初当選。同年12月19日、第19代(公選制では9代目)大阪市長に就任した。知事経験者が政令市長に就任したのは史上初であった。

2014年(平成26年)3月23日、出直し選挙を図り、2番手候補に30万票以上の差をつけて再選。9月21日、維新の党共同代表。12月23日、共同代表辞任。

2015年(平成27年)5月17日、大阪都構想の賛否を問う住民投票がおこなわれ、結果は否決された。投開票後の初の定例会見において、次期大阪市長選は維新での候補擁立にこだわらないとする個人的な見解を示した。

2015年8月27日、維新の党を辞任すると共に離党。同時に松井一郎も顧問を辞任・離党した。ただし、両者ともに大阪維新の会の代表・幹事長は続けた。同年10月2日、国政政党・おおさか維新の会を結党し、初代代表に就任。同年12月12日、おおさか維新の会代表を引退し、法律政策顧問に就任。

同年12月18日、大阪市長の任期を満了し、政界から引退した。

政界引退後

2017年(平成29年)5月末で日本維新の会の法律政策顧問を退任、同年10月には法律顧問を辞任して、大阪維新の会の法律顧問に就任。

見解・発言

自民党・民主党・公明党

2014年11月13日、幹部会において次期衆院選での民主党との連携が協議された。しかし、橋下はこれに強く反対したという。

公明党の山口那津男代表が「そうした挑発的な言動には乗らない。冷静に足元を固めて準備する」とコメントをした事に対して、「さすが大人だな、というふうに思いますけどね。大人の党(=公明党)ですよ」と発言した。

2015年1月14日、関西テレビの番組で安倍晋三首相は、都構想に関して「二重行政をなくし住民自治を拡充していく意義はある。」と述べた。これに対して橋下徹は、「絶対に必要で、総理にしかできない。何かできることがあれば何でもする」と協力姿勢を鮮明にした。

2015年6月15日、安倍晋三首相との会談を受けて、労働者派遣法の早期採決に応じるなど更に自民党への接近を見せる。そして自身のツイッターで、民主党との連携に関して否定的な投稿を繰り返した。

2017年(平成29年)5月末で日本維新の会の法律政策顧問を退任、同年10月には法律顧問を辞任して、大阪維新の会の法律顧問に就任。2015年いっぱいで政界引退後は再びタイタンに復帰し、タレント弁護士として活動再開している。

小沢一郎

民主党政権下では民主党幹事長の小沢一郎と会談した後、「陳情なんてできる雰囲気じゃなかった。すごいとしか言いようがない。とてつもない。日本を動かしている感じ」と述べた。その後小沢が消費税増税を巡り民主党内で対立すると、橋下は消費増税について「反対ではない」としつつも、「小沢先生に頑張ってもらいたい」と述べ、エールを送った。

橋下は自身の著書で小沢について「かつて自民党の中枢で権力闘争に揉まれ続けてきた人であり、権力の本質について一番理解されている」と評しており、2018年11月には前原を介する形で両者が会食し、野党再編のあり方をめぐり意見交換を行った。

消費税

2014年10月12日、消費税率の10%への引き上げについて、「今の段階では反対だ。止める法案を出す。(国会)議員の数はそのままで消費税だけ上がるなんて、こんなふざけた政治は許せない」と述べ、(消費税増税の)凍結法案を提出する考えを示したという。「ここまで(議員の歳費の削減など)をやって(消費税)増税をお願いするのが政治の筋道だ」と強調した。

同年11月20日、消費税の税率を10%にした場合、“低所得層に対して、現金を給付する。「給付付き税額控除」を導入すべきだ”との立場を明らかにした。

公会計制度

公会計における複式簿記・発生主義の導入を推進した。

2008年、橋下は、従来の単式簿記・現金主義会計による公会計制度について、「民間の収入と公会計の収入が全然違うことに非常に戸惑いを感じる」と発言。その判り難さを指摘。

これに代えて、複式簿記・発生主義の新公会計制度を「全国に波及させていきたい」と述べて、国に対しては、2009年10月30日に行なわれた総務大臣とのテレビ会議の中で、「公会計制度を、きちんと組織マネジメントができるような、企業会計原則に近い正確な情報を出す制度にしないといけない」と発言、原口一博総務大臣(当時)は「公会計制度の抜本改革については、バランスシート経営、それからキャッシュマネジメントという考え方を入れていかないといけない」と応じている。また、全国知事会に対しては、同年11月12日に行なわれた全国知事会行政改革プロジェクトチーム会議において、「複式仕訳に基づく新会計制度の早期導入を、先進県の協力の下、全都道府県で検討」すべきと提案している。翌2010年11月11日には、大阪府と東京都との共催により都庁で行なわれた「公会計制度改革シンポジウム」で、全国の自治体関係者など約500名を前に講演。

「現金主義の官庁会計では財務情報が見えず、単年度の資金繰りの帳尻合わせに終始してしまう」「民間企業では当たり前の複式簿記・発生主義による財務諸表を作成し、正確な財務情報を明らかにすることで、将来を見通した地域経営が可能となる」「財務マネジメントを実践し借金漬けの運営から脱却していくには、会計制度の改革が必要である」と語った。

公務員

職員に調査を行い、「入れ墨のある者が、大阪市の職員になっている」ことが判明。市民から苦情が寄せられていることもあり、入れ墨職員に対し、懲戒処分を下した。しかし、大阪地裁は「懲戒処分の取り消しを求める判決」を下した。橋下は、この判決に対し、「司法判断はしっかり受け止めるが、市民から(入れ墨に対する)苦情が寄せられていたことも確か。最高裁まで判断を仰ぎたい」と語った。その後の控訴審では大阪市の逆転勝訴となり、橋下が市長を退任した後となる2016年11月9日付で最高裁が同判決を支持し大阪市の勝訴が確定した。

大阪維新の会タウンミーティング(2010年12月12日夜)で、「大阪市職員は政治活動をしている。政治活動に公務員が首をつっこんでくるのはおかしい。負けたときは一族郎党どうなるか。われわれが勝ったときには覚悟しとけよ」と発言。

2009年、神戸市の空港事業室長が、「他の自治体が管理する空港を基地移転先に例示した(橋下)知事発言はもってのほか。厳重に抗議する」と1日と2日に渡って、大阪府に電話をかけた。橋下は、「市長からの抗議なら分かるが、公務員が政治家に厳重抗議するのはおかしい」とした上で、「何とかしたいという思いで(関西)3空港問題を考えている。『いちいち口を出すな』と言うなら、3空港問題から神戸空港を除いて神戸市で全部責任を取ればいい」と述べた。

関西国際空港

「関空という案を本気で国が論じられるのであれば、地元知事としてその論議の中にしっかりと入っていきたい」「沖縄県以外の日本国民はちょっと無責任であり、沖縄にすべてを負担させ過ぎという気はある」と述べた。

12月2日、「安保政策に関して(府知事が)積極的に発言するのは行き過ぎ」と前置きした上で、関西移設案について「今の時点で受け入れますとか言えない立場。議会と議論もしていない」と述べた。

一方で、議論の前提として「関西に国際ハブ空港機能も持たせてもらう政府の案」を挙げ、「きれいごとだけでは済まない。大阪の都市機能を上げていくのが僕の責務」とも語り、「関空・神戸空港(への訓練移設)に限らず、沖縄の負担軽減案として、大阪が何か負担しなきゃいけないのであれば、その案を持って府民・議会を説得したい」との考えを示した。

また、沖縄の負担軽減の考えを持ったきっかけとして、「知事になる5年前くらいに講演会で沖縄に行った際、(戦史)資料館や普天間・嘉手納などを見て回り思いを強くした」と説明した。

2009年(平成21年)12月17日、全国知事会戦略会議において、橋下は、「政府から要請があれば知事会が基地問題のテーブルに着くべき」と提起。「地方はこれまで国に金くれ、権限寄こせばかり言ってきた。国と地方の対等を言うならば、国が困っていることも受け止める場を作る必要がある」と述べた。

国会議員の経費 

国会議員の文書通信交通滞在費について、「繰り越しや残額は認められるべき。但し、いきなり政治資金団体に入れるのでは、お金の流れが見えなくなり、会計原則に則り資金の動きを公開すべき。こんな事で増税なんて国民は納得しない。」等と発言したという。

大阪都構想

詳細は「大阪都構想」を参照

2010年(平成22年)1月12日、公明党の年賀会で「競争力のある大阪にするためには、一度大阪府を壊す必要があるし、大阪市も壊す必要がある。来たるべき統一地方選挙において、大阪の形を1回全部解体して、あるべき大阪をつくりあげる」と述べ、府と市の枠組みを取り除き、広域行政によって「ひとつの大阪」を目指す考えを示した。

その上で、きめ細かな住民サービスを行うため東京23区のような特別区の導入も検討しているという。橋下は2011年春に行われる大阪府議会および23の市町の選挙(第17回統一地方選挙)に向けて大阪の形を変えていきたいと主張し、政治グループを立ち上げる決意を示し、2010年4月19日、大阪都構想の実現を掲げる地域政党大阪維新の会を結成、自らが代表に就任した。

東日本大震災

東日本大震災による震災瓦礫について日本各地で受け入れ拒否の動きが発生しているが、橋下は「安全性を確認した上で、原則受け入れる」「嫌だと言えば東北地方はどうなるのか」と発言している。

外国人参政権

2010年4月7日、テレビ番組『FNNスーパーニュースアンカー』で青山繁晴に外国人参政権のことを問われ、「国が決めるべきことだと思ってます」と述べつつ、「ただ、大阪の場合には、在日韓国人、在日朝鮮人が多いという特殊事情もありますので、そこに対しては一定の考えは必要でしょう」「特別永住者だけです。特別永住者だけです。そこに対する配慮は必要だと、僕の今、大阪の長としてではですね。それ以外の外国人はそれは絶対反対ですよ、それは」と発言した。

2012年9月19日、在日韓国・朝鮮人について「人数の多い大阪では公権力の行使に結びつかないような地域社会のルール作りについては参加してもらっていい」との見解を示したが、外国人参政権に反対の意向を表明した。

2012年9月19日、在日韓国・朝鮮人について「人数の多い大阪では公権力の行使に結びつかないような地域社会のルール作りについては参加してもらっていい」との見解を示したが、それ以外の永住者を含む外国人にまで対象を広げて公権力の行使に結び付く分野まで関与を認める一般的な外国人参政権には、反対の意向を表明した。

また2014年3月8日の都構想タウンミーティングでも「僕の持論ですけど、大阪では特殊な事情があって特別在留資格を持っている外国人がいます。その人たちに対して全く政治の参加を認めないのかと言えば、これはやっぱり考える必要がある。大阪の特殊事情を国会議員はほとんど知らない」と特別永住者への配慮を繰り返し求めた。

一方で政治家の国籍については「国籍のあるなしで日本への忠誠心を確かめようなんていうのはナンセンスだ」と述べ、有権者である日本人が投票するのであれば「外国人が政治家になってもいいじゃないか」「今の日本の政治家のレベルを見ると外国人の力も借りないといけないかなと感じている」との持論を示した。

国民の定義について

2010年2月26日、大阪府議会で、下記の様な考えを明らかにした。

出生主義か、血統主義かをいろいろ考えるに当たっては、やはり天皇制が一番重要なポイントになってくると思います。日本国憲法の第一章のところ、一番最初のところに、国民の権利義務の前のところに天皇制というものをきちんと置いて、我々は天皇制をいただいているということは、やはりこれは血統主義なんだと、日本の国柄というものは血統主義なんだということを前提に我々の国家、日本というものは成り立っているんではないかというふうに考えます。

(引用) 大阪府議会 定例会本会議会議録 2010年2月26日 P.20 12 - 15行目

外国人地方参政権の参政権だけのところに焦点が当たっていますけれども、日本人とは何ぞやというところで本当は議論しなければいけないというふうに思っています。

アメリカだとか、いろんな他国の制度と比較されますけれども、例えば在日韓国人の問題が僕は大阪で一番ポイントになってくると思うんですが、在日韓国人の二世、三世は、生地主義を、出生主義をとれば、これは日本人になってしまうわけなんですね。国民になってしまう。血統主義でいけば、在日韓国人は帰化しない限りは外国人ですけれども(後略)

(引用) 大阪府議会 定例会本会議会議録 2010年2月26日 P.20 6 - 9行目

夫婦別姓

選択的夫婦別姓法案について、「自身の家庭が母親の再婚のため親子で名前が異なっているが、まったく問題なく家庭が円満であり、別姓が家庭を崩壊に導くようなことはない」と述べた。

「認めない政治家は大馬鹿野郎。その筆頭は自民党の一部と日本維新の会。選択的夫婦別姓を否定している政党は消滅した方が良い。」

「選択制であり、家族が壊れるという考えの人は同姓にすればよく、誰にも迷惑かけない。」とも述べている。また、現在の戸籍制度は廃止あるいは、完全個人戸籍とするべき、とし、マイナンバー制度などを用いれば、しっかりした制度を構築することが可能、としている。あるいはその次善策として、現戸籍制度を維持しつつ、夫婦別姓(氏)にしたときだけ個人単独戸籍とすることを認めても何の問題もない、としている。

選択的夫婦別姓への反対派の「結婚している夫婦は個別に戸籍を持つことは許されない」という要求は意味不明であり、反対派が「結婚した夫婦・その家族は仲良く1つの戸籍に入るべき。

戸籍に一緒に入ることで家族の一体性が確保できる」と主張するのであれば、外国人にも適用するよう主張するべきで、反対派は論理が破綻している、としている。

現戸籍制度については、相続関係を証明するツールとしては最悪の非効率なツールであり、その上、本籍地や出生地の記載は被差別地域を確認すること以外に使い道がなく、そのような記載はもうやめるべき、としている。

歴史認識

歴史認識に関して「中国や韓国に謝り続けたからいいじゃないか、お金を払ったからいいじゃないかというのは違う」と述べ、第二次世界大戦の総括が必要との認識を示した。

2014年2月25日、河野談話を「歴史事実を語るのに、政治的妥協をやってしまった最悪のペーパー」と評した。

戦後70年にあたる2015年に公表された、「子どもたちに謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない」とした安倍総理談話について、「戦争責任は国家の指導者と国民を分ける二分論で整理すべき」と述べ、「政治家は反省を前面に出し、まだ謝罪をし続けなければいけない。中国や韓国には謝罪の意はきちっと表明しなければいけない」との持論を示した。

教育

厳しいしつけや体罰に肯定的である。ただし、体罰と称し大ケガを負わせるような行為には極めて批判的である。

2008年(平成20年)9月、国土交通大臣に就任直後の中山成彬(第5・6代の文部科学大臣)が、「(日教組が強いから)学力が低い。」「日教組は日本のガン」「解体しなければいけない」などの批判を行ったが、これについて橋下は「本質を突いている」「事実である」とし、日教組批判を行っている。

2019年元日に放送されたAbemaTV『NewsBAR』では、元素記号や三角関数について「どこで使うの?使ったためしがない。勉強のできる人たちは"そういうのも教養だ"というが、今はインターネットで色々なことは調べられる」と日常生活に不要な学業は別離するべきとの指摘をしている。

TPP

TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)について、「基本的に賛成。世界情勢をみれば、アメリカと韓国がやっていて、日本だけが世界とのつながり遮断するわけにはいかないと思う」としている。またTPP反対派の論客である中野剛志について「なぜ僕がTPPにこだわるか、デフレ下でも競争にこだわるか、中野氏にぶつけてみたい。価値観、哲学が180度異なるであろう。」と述べている。

但し、国益に反する“TPPには反対”は、当然という意志を下記の様に表明した。

国益に反する場合はTPP参加反対。これはTPPについて後退でも何でもなく当然の確認。TPP交渉参加国も、国益に反してまでTPP参加を認める国などない。

(引用)BLOGOS 橋下徹2012年11月30日 政治がよくならないのはメディアの責任でもある/政権公約の細かな文言を議論しても意味はない - 11月30日のツイート

国防

核武装については、2007年12月12日の大阪府知事選出馬時の記者会見において、「現実に日本が核武装することはありえない」と述べ、同年12月25日には「バラエティー番組での発言で世間ウケしないといけなかった」と弁明した。また、米海軍艦艇への給油活動を行うテロ対策特別措置法には肯定的である。

地方での講演依頼の中には「憲法9条改正反対」や「核廃絶」などについての依頼もある。

竹島問題

2012年9月、竹島問題をめぐって韓国が警備隊を常駐させているという積み重ねられた事実がある以上共同管理を目指すべきであるという主張をし、賛否両論となった。これについては「領有権放棄ではない。(漁業海域などの)利用について共同でルールを定めるということだ」「『固有の領土』主張の放棄、後退ではない」といった事も述べている。

北朝鮮

大阪府庁を大阪ワールドトレードセンタービルディングへ移転する提案を出したが、条例は2009年3月議会で否決された(入居を見込んでいたビル側はこれにより会社更生法適用が確実となる)。直後の記者会見で「やっぱり日本は北朝鮮じゃないってことですよ。何でも思い通りに物事を進めたら独裁者になってしまう」と発言。

引き合いに出されたことを抗議しながら生徒保護を求める文書を朝鮮学校保護者会「大阪府オモニ会」から手交された。 これを受けて、北朝鮮によるミサイル発射の際、「大阪にも多くの北朝鮮籍の人が住んでいる。

言論の自由が保障されている日本に住む北朝鮮籍の人は、北朝鮮の今の体制について厳しく批判しないといけない。国民に変える気概がなければ、国は変わらない」と述べた。

事件・司法

元ライブドア社長の堀江貴文が有価証券報告書の虚偽記載で実刑判決を受けたことについて、「堀江は社長を辞任しており再犯の可能性もないのに、罪を認めないと執行猶予がつかないというのは、政治資金収支報告書の虚偽記載など他の犯罪に対する刑とのバランスがおかしく、(堀江に厳しい)世論になびいているとしか思えない」として「司法に失望した」と述べた。

日本弁護士連合会が憲法・法律・死刑執行に関し度々意見表明をする事について、「問題は、この弁護士会が政治的な意見表明を行っていることである。(中略)こういう組織は政治的な意見表明をしてはいけないという当たり前の事を理解していない弁護士が多いのだ」と批判した。

カジノ

2010年7月9日の検討会初会合で、「公営ギャンブルOKの日本において、なぜカジノだけダメなのか」とした上で、「金がないと言えば、国はすぐ増税と言う。増税をやるならカジノだと思う。

カジノには所得再配分機能もある。カジノの収益は福祉・医療・教育の財源に充てればいい」と述べた。また、外国人観光客を呼び込む為にもカジノは必要と語り、「立地は大阪湾ベイエリアがいい」との見解を示した。

新型コロナウイルス

2020年に流行した新型コロナウイルスを巡っては、2月29日に出演した胸いっぱいサミット!にて、「PCRも重症化するような人を見つける為に必要で、一般の人がPCRをどんどんやる必要はないんですよ」

「はっきり言って10歳から40歳くらいの元気な人は、普通の風邪のような感じで家で寝とけって政府がバシっと言えばいいんですよ。全員PCRなんかやらなくていいんですよ。やれやれやれやれって不必要なこと煽るからおかしくなる。いらないんです。だって、やったってどうするんですか?」との持論を示した。

また、3月5日に生放送された直撃!シンソウ坂上では「元気な人たちが感染して抗体を持てば、集団免疫を持って落ち着く」「重症化する人は守らなきゃいけないけど、元気な人は皆感染してもいいんじゃないの?」と述べた。

橋下は3月下旬に自身が37度3分の発熱で静養していることを明らかにし、26日に「相談センターに連絡し、紹介された指定病院で診察をうけてみます」

「相談センターへの連絡はPCR検査を受けるためではありません。近くのかかりつけ医院に出向くと院内感染するおそれがあるからです」とツイートした。

この投稿に対し、「従来、家で寝とけと主張していたのに病院に行くのか」など否定的な声がネットで上がったことから、同日「5日以上感冒症状が続けば医師に診てもらうのは当然」

「朝日新聞の医療面に説得的に書いてある」

「ネットのバカたちにもう一言。文中の指定病院とは感染症指定病院とちゃうわ!喉を診てもらうにも念のため感染症対策ができている病院に行かないと院内感染が生じるやろ!」「俺の文意が分からんお前らが感染拡大させるんや!ボケッ!しっかり俺のツイート読め!ボケッ!」とツイートした。

しかし、4月11日に胸いっぱいサミット!に出演した際には同月5日に喉の痛みが再発したとしてPCR検査を受けていたことを明かした。4月18日に新・情報7DAYS ニュースキャスターに出演した際は、司会の安住紳一郎が橋下に「PCR検査をなかなか受けられないって言われてましたけど、橋下さん受ける経緯はどうだったんですか?やっぱり元大阪府知事だから優先してみたいなことあったんですか?」と質問。

橋下は「それね、安住さん生放送でやめてください。みんなが思っていることなんですから」と前置きしたうえで「これ厳しい手順を踏みました。医師の判断と僕の症状を見て、保健所の判断で最後は受けたんです」と説明した。

その他

事件報道においては実名報道に反対している。被害者についてはマスメディアによるメディアスクラムによって精神的にさらにダメージを受けるためで、被疑者については推定無罪や冤罪の可能性もあるからとしている。ただ、被疑者については裁判で有罪が確定して以降なら実名報道もかまわないとしている。この2点において、逆に原則実名報道を主張する辛坊治郎とは幾度も激しい論戦を繰り広げている。

2004年(平成16年)球界再編問題における選手会のストライキについて、「野球選手がストライキをすると単なる労働者に成り下がってしまう。球団から一々指揮命令を受けないためにも労働者になるべきではない。個人の事業主として集団で契約更改を拒否すればいいだけである」と発言した。

橋下は、「地元がそういう大きな戦略を掲げることなく、自分達の空港を存続させてくれという主張を繰り返した結果、神戸空港は見離されてしまった」と発言。「僕はリスクを冒して伊丹廃港(を言ってきた)」とした上で、兵庫県と神戸市にも「神戸空港を生かすためにはどうしたらいいのかという政治的な判断が必要だった」との見解を語った。

橋下はみなし弁済などのグレーゾーン金利について、「法律にのっとって貸しているのだから、どこが問題なのか」「こちらが悪いというのなら法律を変えるしかないでしょう」と語っている。

小泉純一郎の引退表明時に、「小泉元首相らしいというか、感動です。小泉元首相がやったことと比べれば、僕のやったことなんて鼻くそみたい」と発言した。

外国人からの政治献金について、政治資金規正法の抜け道である外国人に販売可能な政治資金パーティー券の飲食代との差額を利用して、外国人だと意識した上で政治献金を募っていることを公言している。

平成維新の会元代表の大前研一を「典型的な口だけ男です」等と評した。

NHKから国民を守る党が参院選で議席を獲得した後、「一部はスクランブル放送に、一部は公共放送として無料にという改革をすべき」「民間企業の株主のような立場で経営陣を変えられるような権利を与えるような、そういう改革を実現してくれるならN国に大賛成だ」と発言した。

大阪府知事として

財政政策

財政非常事態宣言

2008年(平成20年)2月6日に大阪府知事として大阪府庁に初登庁。就任の記者会見で財政非常事態宣言を出し、2008年度当初予算では前年度比で1000億円削減することを明言。

現行4176万円の知事退職金を半減させるとした。

6月5日には府の財政再建に道筋をつける為の「財政再建プログラム案」を提示。「収入の範囲内で予算を組む」という選挙公約に則り、事務事業・出資法人・公の施設について多岐にわたる見直しを行なった。

人件費や私学助成金など固定費を375億円削減し、全体で1100億円の歳出削減を図る骨子は変わらなかった。6月20日には、職員労働組合との徹夜の団体交渉に挑んだが、組合員から時節罵声が飛ぶなど荒れた雰囲気の中、両者の主張は平行線をたどり結局決裂したまま予算提出となった。

7月1日、臨時大阪府議会では、府側が提出した2008年度本予算が審議され、知事与党からも厳しい批判がなされたことから予算の見直しを表明した。

しかし、府議会各会派の足並みの乱れもあり、私学助成金や人件費のカットについて18億円の小幅修正を行った案が、共産を除いた主要3会派(土壇場で賛成に回った野党民主を含む)で可決された。

その結果、3年間で計2441億円(一般施策経費919億円、建設事業費239億円、人件費1283億円)の歳出を削減したほか、613億円の歳入を確保した。

財政再建プログラム案

2008年(平成20年)から2010年(平成22年)にかけての「財政再建プログラム案」の主な取り組みは以下のとおりである。

ハコモノ集客施設を中心に公の28施設を廃止、見直し

大阪府指定出資法人44法人に対する廃止・見直しを行い、28法人に削減

知事給料月額30%カット・ボーナス30%カット・退職手当50%減額、一般職員給料月額カット(16% - 3.5%)、ボーナスのカット(10% - 4%)、退職手当の減額(10% - 5%)、住居・通勤・管理職手当のカット、旅費制度の見直し、職員互助会等補助金の廃止。一般職員退職手当の減額は都道府県で初めて

非常勤職員の雇用単価の見直し。休職制度の見直し。警察専門嘱託員の人員削減と報酬月額カット

義務教育等教員特別手当の見直し。教育関係非常勤職員費の見直し(単価カットと新規任用停止)。時間講師・府立学校教務事務補助員雇用費の縮減

私学助成と府立大学運営費交付金の見直し

府営住宅の管理費縮減、修繕・建て替え整備費用削減

市町村施設整備資金貸付金制度の再構築

文化関連事業の見直し(センチュリー交響楽団への補助金削減、文化情報センター・現代美術センターの廃止、ワッハ上方の運営費縮減、芸術文化振興補助金の重点化、大阪文化賞の再構築、大阪21世紀計画事業推進費の廃止)

その他各種事業(大阪府人権協会補助金、人権相談推進事業費補助金、男女共同参画関連事業、観光振興事業、子育て支援関連事業、救命救急センター運営関係事業、高齢者の生きがい・地域生活支援事業、地域見守り・コーディネーター関係事業、障がい者就労支援関係事業、病院事業費負担金・病院事業貸付金、地域就労支援事業、小規模事業経営支援事業費補助金、企業立地促進補助金)の見直し

歳入の確保(府有財産の売却、市町村施設整備貸付金の繰上償還、基金の活用、出資法人からの歳入確保、自動販売機設置業者の公募、退職手当債の発行、行政財産使用料・普通財産貸付料減免の見直し、義務教育費国庫負担金の受入増)

複式簿記

府の事業を251に分類。事業ごとに人件費も含めた収支を計上。借金も、府の収入に組み込まれるこれまでの単式簿記・現金主義から、複式簿記・発生主義へと転換。固定資産についても、サービス能力の低下に応じて帳簿価格を減額する減損会計を導入し、府債の残高や利払いの状況も実態に即して解り易く表記するように改めるとした。新制度について、大阪府は2011年度にシステムの試験運用と職員研修を行なった上で、2012年度からの本格導入を予定。

経緯

自治体会計において出納整理期間などの問題点が指摘されていた為、、新しい会計制度の導入を検討。橋下は「財務マネジメントに生かせる会計制度にすべきだ」と発言。2009年6月1日、「大阪府新公会計制度プロジェクトチーム」を府庁内に発足させ、大阪府と東京都の間で関係職員の相互派遣を開始。東京都の石原慎太郎知事は、「大阪の橋下知事から(東 京都と同じ会計制度を)導入したいと言われた」と明かし、「先進国で複式簿記・発生主義をやってない国は日本だけ」「会計制度そのものを変えないと国民の不安・不満は解消できない」と主張。会計制度改革について「特に大阪が熱心」と述べ、都の関係者を大阪府に派遣してサポートする意向を示した。一方の橋下も同月28日の会見で、府の会計制度改革について「共同で、連携で東京都とやっていく」と明言。

12月25日、新公会計制度導入に向けた中間報告を取りまとめ、翌2010年8月16日には「大阪府の新公会計制度案」を公表した。東京都が2006年から採用している新公会計制度を参考に新システムを構築することを目指すことを決定した。

治安対策

「安全な地域づくり」を選挙戦で公約していた橋下は、2008年(平成20年)9月26日の府議会本会議において、「大阪の犯罪情勢は依然として厳しい」との認識を述べた上で、「街頭犯罪ワーストワンを返上する」と明言。

翌年の2009年(平成21年)4月、警察・知事部局・教育委員会などが連携して行なう総合的な治安対策の司令塔として、府庁内に「青少年・地域安全室」を新設した。翌年の

2010年(平成22年)に大阪府は、11年間続いていた街頭犯罪件数全国ワーストワンと、35年間続いていたひったくり件数全国ワーストワンを返上。

大阪府の犯罪認知件数は、知事就任前である2007年(平成19年)の216,303件から、2010年(平成22年)には164,096件へと24%減少し、同時期に全国の犯罪認知件数が17%減少したことを上回った。

知事任期中に実施された主な治安対策は以下の通りである。

防犯カメラ1700台(府内104駅の周辺に1250台・街頭犯罪多発地域に450台)の設置(府の全額補助)

LED防犯灯を街頭犯罪多発地域に1940台設置(府の50%補助)

大阪府警交野警察署の新設、第2科学捜査研究所・証拠品管理センターの設置

パトカーや捜査用車両への車載カメラシステムの導入

DNA型鑑定器材、捜査用撮影資器材など第一線警察活動の資器材強化

悪質重要事件捜査支援システムの整備

小学校の空き教室を利用して地域の防犯活動拠点とする「地域安全センター」を府内126校区に設置

府内各土木事務所に警察官を配置し、地域住民による自主防犯活動を支援

地域住民では実施困難な深夜の青色防犯パトロールを府内24市で委託事業により実施

巡回指導や声かけ活動などを実施する「少年補導センター」を府内17市町で設置推進

2010年(平成22年)9月の府議会において、暴力団の「下請けを含めた公共工事からの排除」という独自の規定が盛り込まれた大阪府暴力団排除条例が可決・成立、2011年4月1日から施行された。

情報公開

2008年(平成20年)2月6日の知事就任会見で、「情報公開の徹底」を選挙公約に掲げたことを踏まえた「情報公開室」の設置を表明。「どんな情報を出すのか」という記者の問いに、「基本的には、あらゆる情報」と答えた。

知事任期中に実施した「オープン府庁(究極の情報公開)」と呼ばれる取り組みは以下のとおりである。

* 「予算編成過程の公表」…全国で初めて、各会計(一般会計、特別会計、企業会計)ごとに、予算編成過程における各段階(財政課長要求・査定、総務部長要求・査定、知事要求・査定)の内容を府のウェブサイトで公開 「公金支出情報の公表」…全国で初めて、約3000ある府の全事業について、公金を支出した翌日に府のウェブサイトで担当課名、支払日時、事業内容を公開

「施策プロセスの見える化」…府のウェブサイトに「府民チェックボード」と「オープン府庁ポータルサイト」を設置。所属ごとに業務・施策の「概要」や「発端」情報、上司との打ち合わせや会議などの進捗状況を時系列で掲載

「府民の声の見える化」…府の全部署に寄せられる府民の声を、各部署で「府民の声システム」へ登録。府民課が内容に応じて赤フラグ(申出者へ連絡するもの)・青フラグ(業務・施策反映を検討するもの)・フラグなし(トレンド分析に活用するもの)の仕分けを実施。各部署で検討を行い進捗状況をウェブで公表

2008年4月23日の会見で、「知事職という独裁者的な職を民主的にコントロールしてもらうために、情報公開が必要不可欠」との認識を示し、「透明度日本一の府政を目指す」と語った。2011年(平成23年)9月1日、全国市民オンブズマン連絡会議が発表した「2010年度全国情報公開度ランキング」において大阪府は満点となる70点を獲得、2007年のランキングでは都道府県で28位だった順位も1位タイへと上昇した。

2010年7月、府庁に「大阪エンターテイメント都市構想推進検討会」を設置。「カジノを含めた統合型リゾート(Integrated Resort=IR)」を府内に立地する為の検討を開始した。

同和政策

2008年(平成20年)3月の府議会で、橋下は「私はいわゆる同和地区で育ったが、同和問題は全く解決されていない。ただ、差別意識があるからといって、特別な優遇措置を与えていいのかは別問題。一から総点検していただく」、「この問題に真っ正面から取り組まないと人権問題、同和問題は解決しない。逃げてはいけない」と述べた。

部落解放同盟中央本部委員長の組坂繁之は橋下を「独裁的で、憲法改正を簡単に口にする。大阪市長としても、大阪人権博物館(リバティおおさか)や部落解放・人権研究所への補助金を打ち切ると決定した。大阪国際平和センター(ピースおおさか)に対してもそう。人権意識を磨き、差別や戦争をなくすための研究・啓発機関をつぶそうとは、とんでもないこと」と批判し、「部落の鬼っ子」と呼んでいる。

直轄負担金カット

国の直轄事業の地元負担分請求について「内訳を開示しない、ぼったくりバーみたいな請求書」と批判し、7億円の直轄負担金カットを表明した。

公約撤回

公約「原則として府債を発行しない方針」を当選後の2008年(平成20年)2月に撤回。2008年(平成20年度)の暫定予算案において、「発行しないと府民生活に影響が出る」との説明のもと、建設事業費として160億円の府債を発行する方針を発表。「ギリギリまで発行を抑えたが、後半にどんとついてくる」と発言しており、府債発行を増額させる可能性を示唆。

学力別クラス編成導入について、選挙中に「塾でもやっていることが、なぜ公立の学校でもできないのか」として導入を呼びかけていたが、文部科学省の銭谷真美事務次官などの反発もあり、2008年(平成20年)2月13日にこれを撤回。「基本となるクラスまで学力によって分けるのは反対」「苦手な子に手厚く教えることの大切さを改めて感じた」と感想を述べ、「習熟度別の指導は、(学力別ではない)基本の学級があったうえでのもの」と強調した。との見解を述べた。次年度以降も当面続けることを明らかにした。

選挙公約「駅前・駅中保育所を100カ所設置」を、2008年(平成20年)10月1日の府議会本会議にて「子育て支援は市町村が主体となって取り組むべき」として正式撤回した。

大阪市長として

第23回参議院議員通常選挙で、応援演説を行う橋下(京都市四条通)2014年2月7日、大阪都構想実現のため、出直し市長選挙実施にむけて大阪市長の辞職願を同市会議長に提出した。

教育バウチャー制度への意欲を示しており、2013年12月より大阪市全域で導入された。

市長就任後の政策として、現在大阪市交通局が運営している市営地下鉄・ニュートラムと市営バスの民営化計画を打ち出している。

経費削減

2014年10月21日、市長の退職金を廃止することを表明した。約4000万円の大阪市の特別職の報酬などを廃止する。政令指定都市では初めてのこと。「実行することが自分の責任。退職手当は全国で廃止すべきだ」と意欲を示した。

大阪府立大学について、「存在意義が十分理解されていない」として、廃止や大阪市立大学との統合を含めて検討する方針を示した。しかし、市議会は、現在兼任している大阪市立大学の理事長と学長を分離する条例案を、2013年11月、否決した。

職員

「大阪市問題」も参照

大阪市役所でおこなわれているヤミ専従への対策として、怠慢役人のリストラ基準を設けた(職員基本条例案)。府庁職員や市職労関係者は反発。「親兄弟や親戚に“独裁者の橋下市長になればお父ちゃんが失業する”」と触れ回っていると組織的選挙活動を誘発したという。但し、公務員の組織的選挙活動は、本来は許されない行為である。

大阪市職員の生活保護

2013年3月16日、「大阪市の職員164人の親族が、生活保護を受給していた」ことが判明した。これは、大阪府「東大阪市の職員30人の親族の生活保護受給」が発覚した後、大阪市で調査した結果、明らかになった。

橋下はこれを受けて、大阪市職員に対し「職員には自分の家庭もあるだろうが、節約して親族をサポートしてもらう」と述べ、「生活保護を受給している親族に仕送り」する様に促した。

大阪都構想

2014年7月9日、大阪市を廃止し、五つの特別区の骨格を決めた。議員定数に変化は無いが、区議の報酬は大阪市議より3割減らす方針。区の名称や区役所の位置も確定した。大阪都へ移行する時期を2017年4月とすることも正式に決定した。但し、「中央区役所」は原案の浪速区役所から西成区役所に変更した。橋下は「(西成区の)あいりん地区を官庁街にするのは大賛成だ」と述べた。

五つの特別区のうち、大阪湾に面する西側の名称を「湾岸区」とする方針。原案では「西区」だったが、修正。区役所は、アジア太平洋トレードセンター(ATC)に置くことを検討している。「湾岸区」は、現在の西淀川、此花、港、大正各区と住之江区の一部が該当する。この地区には、ユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)がある。此花区の人工島「夢洲(ゆめしま)」はIRの誘致候補地となる。

「湾岸区」は、交通インフラが乏しい。それを改善するため、水上バスを大阪湾内で運航する方針を立てた。また、「湾岸区」は、津波を想定した災害対策。「東区」は、ハイレベルな教育。それぞれに重点を置く政策を、実行することを明らかにした。

中野区の田中大輔区長は、大阪維新の会主催の説明会において、「東京都では都が担う児童相談所の設置権限や小中学校教職員の人事権を(5つの)特別区が持つこと」と評価し、橋下と握手を交わした。中央大学教授の佐々木信夫 (行政学者)は「都区制度は先進諸国で非常に一般的な制度。」と主張した。

2015年5月17日、大阪都構想の是非を問う住民投票が行われた結果、否決され、廃案となった。

議員経費ネット公開

大阪府議会に、府政野党案を軸にした条例案を「大阪維新の会」、公明、自民、民主系の4会派が共同提出、大阪市議会では公明、自民、民主系、共産の4会派が共同提案、共に全会一致で可決。 政務活動費の領収書などを市議会のホームページで公開することになった。政務活動費の使途の透明化が狙いで、議会全体で領収書までネット公開するのは政令市では初であり、これまでは共産党が独自に市議団のホームページで公開するのみだった。

医療

難病患者の高校生が、難病患者の学習環境改善に取り組んでいた。病床でも「勉強を続けたい」と熱望。橋下はこれに応じ、非常勤講師らを病院に派遣し1回2時間で週3回程度の学習環境を整備する方向で調整した。この新制度は、特別支援学校への転籍すること無く、元の高校に在籍したまま病院で授業を受けられるのが特徴。

「難病13疾患を患った患者」の医療費を助成する制度を、開始した。橋下は「市長選挙中に(難病患者の)お母さんに直接訴えられたのがきっかけ。新しい制度を作ったので、ぜひ申請してほしい」と話した。難病13疾患は、国の助成の対象となっていない。

オーストラリアと連携し、医療機器のさらなる性能向上の為に、医療研究を深めることを合意。大阪市立大学とメルボルン大学が医学生の交流を促進する合意書に調印した。

保育事業

「保育行政について皆さんの力を借り、日本で一番の素晴らしい保育サービスが提供できる大阪市を目指したい」と認可保育所などを運営する会社の代表者に、呼び掛け、意見交換を行った。

「正規と非正規で給料に差をつけるのはおかしい。職務の内容で差をつけるのが本来のあるべき姿だ」とし、「任期つき保育士などの給与」を「引き上げる仕組み」の導入する為、市議会へ法案を提出する考えを示した。

大阪市立の保育所は、正職員の保育士は勤続年数などに応じて昇給するが、任期つきの保育士は、基本給のまま、勤務している。今後、正規職員の昇給の幅に合わせ、処遇の改善を検討する。任期付ケースワーカーの昇給も対象としている。

ICT戦略

知事選公約「駅前・駅中保育所を100カ所設置」を撤回したが、保育所の空き情報をスマートフォンで把握できる様にした。「子供を持つ親が、自分の住まいのまわりの保育所を、地図上でクリックすれば、その保育所の空き情報がわかる」という仕組み。待機児童解消に向けての取り組みを、ICT戦略の中で具体化した。

教育

校務支援システム

校務支援システムを導入。教員の作業効率化を図り、子どもたちと向き合う時間をつくる。橋下は「産業はICTが入ることで劇的に変わってきた。教育の現場でもやらないといけない。先生もこれでかなり事務が効率化される」と語った。

他人を思いやる教育

大阪市教育委員会と協議し、「授業中に、極めて激しい暴力などの問題行動を繰り返す生徒を、特別教室で指導する」方針を示した。特別教室には、心理学など専門的知識がある教職員らを配置し、社会や学校でのルールの大切さを教え、子どもに他者を思いやる態度を育てる。

公募校長

市立の小中学校の校長公募制度を市長選の公約に掲げ、2013年4月より市教委が導入した。歴代のトップが日教組の支持を得て当選して来たが、橋下徹は日教組の応援無しで当選している為、大胆な改革が可能なのだという。

その結果、公募で採用された生野区の中学校長が教頭と口論の末に土下座をさせるトラブルが発覚。港区の小学校長が児童の保護者らへのセクハラをしたとし、更迭。西淀川区の小学校長が厳重注意を受けたりするなど採用者11人のうち6人が不祥事やトラブルを起こした。住之江区の小学校長が「スキルを生かせないなどとして就任からわずか約3か月で自主退職した。人材コンサルタントの常見陽平は「トラブルの原因を早く総括した上で、『効果』を強調するなら具体に示したほうがいい」と提言している。

公募校長が、市教委に助言を求めたことで、「教務主任や生徒指導主事等への推薦者を、教員同士の投票で選ぶ」という規定の存在が、あらためて注目された。この規定は、30年以上前から存在していたが、人事権は校長にあるため、問題視されていなかった。しかし、今後問題が生じるおそれもあるとして見直されることとなった。

教育評論家の小林正は「人事権の掌握は組織の管理運営の最大の武器。教員による偏向教育などの問題が起きても、校長には止められなくなってしまう」と、警鐘を鳴らした。公立学校には、学校教育法37条に「校長は校務をつかさどり、所属職員を監督する」という法律がある。文科省も「校内人事は校長の権限で行われなければならない」としている。

市教委は、「規定は不適切。無視して校長が人事を決めればいい」、「教員の理解を得ながら進めた方がいい」とした為、公募校長は、選挙は行わず、全教員から意向を聞き、最終的に人事を決めた。法に無い規定には手をつけなかったが、教員や保護者が「独断的な学校運営」と苦情を出した為、市教委事務局は、一時、校長の更迭を検討する事態となった。

橋下は定例会見で、「何の責任もない教員が選挙で人事を決めるのは民主的でもなんでもなく、秩序を乱す。感覚が狂っている」と発言した。その結果、教育委員は「規定について全校の状況を調べる必要がある」とし、全市立学校約460校の調査に乗り出すことを決めた。市教委幹部は「複数の校長から選挙の存在を聞いた」と話している。

大阪市内の公立学校を調査した結果、101の学校が「学校教育法37条に反する決まり事」を設けていたことが判明した。大阪府内では、60%の府立学校が「学校教育法37条に反する決まり事」を設定していた事が明らかになった。2014年7月29日、「学校教育法37条に反する決まり事」を禁止する為、市立学校管理規則を改正した。

治安対策

大阪府警察を支援する形で、大阪市の治安を改善することを決めた。民間警備員に夜間パトロールをさせ、街頭犯罪を防ぐ。

給食

「大阪市の中学生が全国平均(6.2%)の約2倍。11.5%も朝食を食べていない」ことが明らかになると、「朝ご飯を食べていない子供が多すぎる。昼ご飯では必ず、栄養を取らせないといけない」と発言をし、大阪市の全ての公立中学校に給食を導入した。

2014年11月には、メニューの改善を行い、「子供が笑う大阪」という公約の実現に向けて取り組んだ。橋下は、給食の施策にあたって、味よりも「子供の健康や体作りに役立つメニュー」を重視し、「栄養のバランスやカロリー」にこだわった。体力も学力も、健全な食があって初めて生まれる。

大阪市議会の対応

これらを受けて、大阪市議会は、2014年度一般会計当初予算案から公募校長制などの経費を計7500万円を削除する修正案を可決した。

訴訟

平松邦夫元大阪市長は、橋下が大阪都構想を説明する集会で「僕と平松さんが戦った大阪市長選挙。町内会に現金100万円、領収書抜きで配られています」と発言したことに対し、名誉を傷つけられたとして、橋下と地域政党大阪維新の会に1千万円の損害賠償などを求めて訴訟を起こした。2016年3月15日、大阪地裁は「意見や論評の域を逸脱していない」として平松の訴えを棄却した。

取り組み

情報発信

大阪市長になってからは簡易ブログツイッターで、積極的な情報発信をしている。2011年2月1日に開始してから、2011年2月20日までにフォロワー数が8万人を超えた。2013年4月時点では、フォロワー数が約100万人と全国の政治家の中で最も多い。

2017年6月、アカウント名を従来の@t_ishinから@hashimoto_loに変更した。日本維新の会の政策顧問を2017年5月末で退任したのに伴い、政治的中立を徹底する狙いと見られている。

大阪府の財政問題

1997年(平成9年)、府の法人2税収入の大幅減少を受け、大阪府基金条例・第3条の改正を府議会が可決 これにより特定目的基金から一般会計への借入が可能になった。

条例改正後は、赤字圧縮のための「やむを得ない措置」として、減債基金から一般会計への借入を行なっていたことが太田房江元府知事時代から公表されていたが、橋下は知事就任後にこの借入をやめると宣言。橋下の指示で作られた府財政担当者の研究会は2008年(平成20年)12月、借入は基金の設置目的に沿わないとして「今後一切おこなわないこと」と指摘していた。

翌年に2009年(平成21年)2月の府議会において、大阪府基金条例・第3条が再び改正され、特定目的基金から一般会計への借入は原則としてできなくなった。

同年10月、これまで判明していた減債基金からの借入のほかに、新たに6基金から1479億円の借入が明らかになり、府財政課は、減債基金と同様に「実質的には赤字」と説明した。

同月初め、橋下が、府環境農林水産部所管で緑化推進が目的の「みどりの基金」(2008年度で名目上の残高87億円)を使って大規模な緑の拠点づくりの計画を作るよう指示。しかし、みどりの基金は一般会計に83億円を貸し付けており、実際の残額は4億円。一般会計を所管する財政担当から「財政難のため、返済が困難」と報告があり、問題が発覚したという。

同月28日付の府の作成した資料によると、以前から公表されていた2002年から2008年にかけての減債基金から一般会計への借入5202億円とは別に、1998年(平成10年)から2001年(平成13年)にかけて6基金から1533億円の借入があり、うち1479億円が未返済。橋下の知事就任以降の借入はなく、過去の借入は一般財源で積み立てた範囲内で行っており、府民等からの寄付分を含んでいないとされている。

この事態を受け、府の財政課長は「条例上は問題なかったが、名目と実質の違いを明らかにすべきだった。今後わかりやすい説明に努める」とコメント。橋下は借入金について、「いつ返すのか決まっていない。これは借り入れじゃなくて使い込み」「基金から借り入れて、何とか数字を合わせている。真実の数字に基づいた会計制度にしないといけない」と指摘。返済計画がなく不良債権化していると指摘し、会計システム改革に着手する考えを明らかにした。

2010年(平成22年)2月3日の会見で橋下は、特定目的基金を減資し、今後は一般会計から特定目的基金への拠出をやめ、積み立ては財政調整基金に一本化、寄付の受け皿としての基金は残すという方針を明らかにした。同月の府議会において、大阪府基金条例の改正が可決され、特定目的7基金の6588億円が一括減資処分された。

赤字隠し(1)

1998年(平成10年度)から1999年(平成11年度)にかけて、府は財政赤字額を縮小するために、5つの公社に対してそれまで行なっていた長期貸付金を繰上償還させ、翌年度以降は貸付金を年度末に一旦全額返済させて歳入とし、さらに新年度に改めて貸し付ける「短期貸付金」方式に切り替えた。

2006年(平成18年)2月21日、2005年(平成17年度)の包括外部監査結果報告書が提出され、こうした短期貸付金が「実態に反した不透明な処理」との指摘を受けた。

同年10月20日の府議会住宅水道常任委員会において、当時の太田房江知事は、短期貸付金が「府民から見て不透明な部分はある」とした上で、長期貸付に切り替えるべきとの指摘に対して「中長期的な課題として受けとめる」と答弁した。

2008年(平成20年)12月、橋下の指示で作られた府財政担当者の研究会は、こうした短期貸付金の解消について「多額の財政負担が生じる対応は中長期的な課題」としながら、「当面は(貸付額を)必要最小限に抑えるべき」との結論を出した。

2009年(平成21年)3月2日、自治体の短期貸付金の会計処理に絡む「赤字隠し」を巡り、同様の処理が北海道、埼玉県、福井県、三重県、滋賀県、京都府、兵庫県、岡山県、長崎県、札幌市、川崎市、新潟市、浜松市、名古屋市、京都市の9道府県と6政令市で行なわれていたとの報道がなされた。

2009年(平成21年)7月30日、2008年度の大阪府の普通会計の実質収支が11年ぶりに119億円の黒字になった事が明らかとなった。

赤字隠し(2)

2010年(平成22年)2月8日、大阪府が財政赤字を隠していたことが再度、発覚。5つの公社への貸付金を年度末の3月31日にいったん全額返済させて歳入とし、新年度の4月1日に改めて貸し付けていたことが、府の包括外部監査で「不当な操作」と指摘された。この一時返済がなければ853億円の赤字であった。 幾つかの自治体が基金からの借入金があったことが10月28日判明。赤字回避宣言は撤回した。主な要因としては、人件費抑制などが挙げられる。

2010年3月19日、橋下は、府議会住宅水道常任委員会で短期貸付金について「公の組織が資金繰りに困って、民間ではやらないような手法をとっている」「でたらめな財政手法」と述べた上で、長期貸付への切り替えを「中長期なんてのんきなことは言ってられない、できるなら本当はすぐにでもやるべき」としながらも、一般財源の手当が必要なことから「申し訳ないが、府民の皆さん、府を転覆させないためにちょっと延ばさせてください」と答弁した。 2010年11月13日、大阪府住宅供給公社・大阪府土地開発公社・大阪府育英会の3公社について、府の短期貸付金から金融機関の長期貸付金への切り替えを行なう旨の予算要求書が作成された。

2010年(平成22年)2月8日、短期貸付金を「不当な操作」と指摘する2009年度包括外部監査報告書が提出された。

翌9日、当時の原口一博総務大臣は会見で、大阪府の短期貸付金を巡る報道について「違法とまでは言えない」としながらも、「本来は長期貸付け又は補助金という形で対応すべき。早急に見直すように助言をしている」と述べた。

また、「これは大阪府だけ(の問題)ではない。公会計制度をそもそも見直そうと考えている」とし、住民から見た自治体財政の「透明性が確保されているのか、あるいは財政の持続可能性をどこまで判断されるのか。判断ができないようなやり方はまずい」とコメントした。

その後の対応として府は、2010年(平成22年度)より前出の3公社への短期貸付金を金融機関の長期貸付金への切り替え、他の2公社については2015年までに廃止とする措置を講じた。

大阪府の不適切な会計処理に関して、橋下は2010年2月16日の会見で、「公会計システムがでたらめである」とし、「明治以来続いてきた現金主義」や「出納整理期間とかわけのわからない期間」などを問題点として挙げ、抜本的な改善を総務大臣に訴えていくと語った。

同年3月3日、内閣府の第2回地域主権戦略会議に出席した橋下は、地方自治制度改革に関する提案書を提出。その中で、「複式簿記・発生主義会計の導入」「出納整理期間の廃止」を提案している。

大阪府は、2010年(平成22年度)の決算において「特定目的基金からの借入」と「公社への短期貸付金」を見直した上で、普通会計の実質収支で274億円の黒字見込み。

詳細は「#政策 複式簿記」を参照

治安対策

2009年(平成21年)12月17日に橋下自ら警察庁に赴き安藤隆春警察庁長官(当時)に警察官定員増を要望。2010年(平成22年度)の当初予算で102人、2011年(平成23年度)には86人と、警視庁に次ぐ規模の増員を計上した。

2008年(平成20年)3月24日、橋下は府議会の警察常任委員会に出席。大阪府の知事が警察常任委員会に出席するのは30年ぶりであった。委員会で橋下は、暴力団について「暴力を背景とする脅しを武器に、国民や企業、近年では行政機関等から不当な利益を得ている集団であり、暴力団こそまさに府民の敵、社会の敵である」と述べた上で、「公共調達における暴力団の関与については、府民の貴重な税金が暴力団の資金源となる可能性もあり、非常に憂慮すべきこと」、公共事業の下請け業者からの暴力団排除を「府警本部とも協議しながら進めていく」と語った。

橋下は、2010年(平成22年)8月12日の記者会見で暴力団の資金源とも指摘される貧困ビジネスを規制する条例を検討していると表明した。橋下は府の担当部局から、貧困ビジネスは「民間対民間の取引なので(規制は)できない」と言われたため、「自分で(条例案の)ドラフトを書いた」と明かし、「福祉担当者や弁護士がこの条例を元に、悪い業者と戦うことができる」と説明した。

その後、10月27日の府議会において、貧困ビジネスを規制する全国で初めての条例「大阪府被保護者等に対する住居・生活サービス等提供事業の規制に関する条例」が可決・成立、2011年(平成23年)2月1日から施行された。

青少年問題協議会

2010年11月、大阪府青少年問題協議会は、一部のジュニアアイドル誌に18歳未満の子どもが水着や下着姿などで扇情的なポーズを橋下徹写真が児童ポルノ禁止法の規制の対象外となっていることを問題視し、被写体の子供の視点に立った「子どもの性的虐待の記録」を定義する答申が府議会に提出された。府知事である橋下は、同協議会に対して諮問を行った。

2011年に改正された青少年健全育成条例では、児童ポルノ禁止法では対象外である「水着、下着等を着用した状態で陰部又はでん部を強調した姿態をとらせる行為」の記録を含めた「子どもの性的虐待の記録」を、事業者及び保護が製造、販売をしないことと、何人も所持をしないことを罰則規定のない努力義務とし、大阪府はそのために必要な調査、指導及び助言をすることと規定した。

教育

知事就任後、2008年(平成20年)9月5日の記者会見で、全国学力テストの成績が2年連続で低迷したことを受け、「府の現状について『教育非常事態宣言』を発する」と述べ。

2011年度から大阪府内の公立高校10校を「進学指導特色校」に指定し、これまで府立高校から約1000人だった難関国立大と難関私立大への合格者の6割増を目指すことを発表。また体育科を設置する高校と教育センター付属研究学校も同時に設置予定で、「学力に加え多様な進路希望に対応する」という主張に沿った内容となる予定。

府立高校の入試制度について、学業成績以外にスポーツなどでの評価を重視する、多様な入試制度プランを提唱している。

統合型リゾート構想

2009年(平成21年)9月15日、夢洲・咲洲地区まちづくり推進協議会において橋下は、大阪市内ベイエリア再開発の一環として、「カジノが1つのキーワード。結論は出なくても、始めからできないというのではなく、是非検討して欲しい」と提言。10月29日、関西の活性化には都市ごとの役割分担が必要との考えを示した上で、京都と奈良を「世界に誇れる観光の街」、神戸を「日本を代表するファッションの街」と評価。大阪について、「こんな猥雑な街、いやらしい街はない。ここにカジノを持ってきてどんどんバクチ打ちを集めたらいい。風俗街やホテル街、全部引き受ける」

「大阪はエンターテインメントの街でいいじゃないですか。都市で役割分担して、上がってきた税収を分ければいい」との考えを語った。

翌2010年(平成22年)1月22日からシンガポールを訪問してカジノを視察、「こういう施設が大阪に欲しい」と話し、「民間に(カジノ)候補地を提示して、選んでもらうのが行政の役割」と述べた。

2010年10月28日には、カジノやパチンコの換金の合法化をめざす国際観光産業振興議員連盟(カジノ議連)の議員らを招いたギャンブリング&ゲーミング学会の大会に出席し、「ギャンブルを遠ざける故、坊ちゃんの国になった。小さい頃からギャンブルをしっかり積み重ね、全国民を勝負師にするためにも、カジノ法案を通してください」と議員らにカジノ合法化を求めた。

2011年(平成23年)8月18日、検討会は基本コンセプト素案をまとめ、「カジノ、ホテル、コンベンション・センター、ショッピングモール、アミューズメント施設、レストラン等を備えた統合型リゾート施設を、民間事業者の建設・運営主体によって構築する」との目標を提示した。

同和関連

答弁

2008年(平成20年)2月の大阪府議会で、堀田文一府議(日本共産党)から「私は、部落解放同盟は、暴力と利権をほしいままにし、部落差別解消にブレーキをかけた、そういう害のある団体だと感じております。(略)行政がそのような特定民間運動団体(部落解放同盟)を応援していいのか」との質問を受けた。

これに橋下は「同和問題に対する取り組みについてでありますが、本府においては、平成十三年の府同対審答申に基づき、特別措置としての同和対策事業はすべて終了し、十四年度からは一般施策により同和問題の解決に向けて取り組んでおります。」「部落解放同盟が利権や暴力だということを言い切られることでありましたら、これは私の今までの法律家としての感覚からすれば、全く証拠も根拠も何もないことでありまして、それは私も確かにそういうつながりがあるところも知っております、そういう事件があったことも知っています。ただし、そういうことがなく、本当に同和問題の解決に取り組んできたということも知っております。一面的な側面をとらえることなく、きちんと、解放同盟の活動を真摯に見ていただきたく思います」と返答。

堀田は、大阪府における同和奨学金の受給者の全員が返還免除を受けていることを「同和」の特別扱いとして、府議会で問題にした。

これに対して、橋下は「免除規定の第三号の追加規定にありましては、議会の皆様方の議決を得たところでありまして、議会の皆様方のその議決の意思を尊重した上で行政は執行しております。

また、その申請をした人間ほぼ全員がこの規定に当たるという判断で特別扱いをしているというふうにおっしゃいますが、この三号の規定に当たる以上は免除しなければならないというのが行政の立場です」、

「この規定ができた経緯といいますか、社会の実態といいますか、歴史的経緯を御存じない、そのような御指摘」

「まだ同和問題で苦しまれているそのような家庭で育って、大学や高校に行くのに経済的な理由で進学が困難であるというような子どもを救うことが先決であって、テレビ難民は二の次だと思います。」と反論している。

反応

一ノ宮美成に拠れば、“橋下は「議会の議決に行政は拘束される。主張を通すなら多数派を取って私にぶつけてください」とも発言し、議事録から削除された、黒田まさ子府議(日本共産党)が2000年ならびに2005年の府調査のデータを挙げて「結婚差別も克服、解消されていっている」「同和行政は逆差別になっている」と発言したところ、橋下は「いまの質問は残念でなりません。そのような数字や机上の論にしばられることなく、現場の実態を見極めて、政治をやっていきたい」「同和問題が解決されたということは、まったくの事実誤認、認識不足だ」と応じた。

これに対して部落解放同盟大阪府連委員長の北口末広は「平松市長も、橋下徹知事も、部落差別が存在していることを明確に認め、差別をなくすことが行政の責務と明言している。その信念をもって進めていただきたい」(2008年4月、部落解放同盟大阪府連定期大会での発言)と橋下を讃えている。

橋下はまた、飛鳥会事件の小西邦彦やその弟子の丸尾勇(恐喝・職務強要で逮捕され有罪判決を受けた部落解放同盟安中支部の元相談役)の名を挙げ、「解同にしても、飛鳥の小西さんや、八尾のMさん、ああいう人が行政に働きかけたから声が届いたというプラス面もあるが、一回ああなると払拭するのはたいへん」とも発言している”という。

日本共産党と協力関係にある同和団体の民主主義と人権を守る府民連合(民権連)は「橋下知事の方にこそ、『事実誤認・認識不足』があると言わざるをえません」と批判した。

2008年(平成20年)8月7日、部落解放同盟大阪府連の北口末広らとの政策懇談会を大阪府庁内の会議室で開き、部落問題解決に向けた施策のあり方などについて意見交換した。 

橋下は「同和問題の解決へ、(残り任期)3年半、真正面から取り組みたい」と挨拶し、「いわゆる同和地区で育ってきた。都道府県の知事のなかで同和問題について一番知り尽くしていると自負している。みなさんの協力をいただきながら、できる限り解決していきたい」と述べ、戸籍謄抄本などの不正取得防止へ本人通知の制度を考えたいとの意向も示した。

「部落差別の根本は「血」への差別だが、それはなくなってきている」と述べ、「経済的困窮者が集まってきているところという外形的な差別に切り替わってきていると思う」と持論を展開した。

背景

部落解放同盟大阪府連合会の機関紙「解放新聞大阪版」は、橋下徹が平松邦夫・前大阪市長、倉田薫・池田市長と同様に、部落解放同盟大阪府連合会が設立した組織「同和問題解決(部落解放)・人権政策確立要求大阪実行委員会」の役員(副委員長)に就任している、と報じている。

同和政策

2008年(平成20年)3月の府議会で、橋下は「私はいわゆる同和地区で育ったが、同和問題は全く解決されていない。ただ、差別意識があるからといって、特別な優遇措置を与えていいのかは別問題。一から総点検していただく」、「この問題に真っ正面から取り組まないと人権問題、同和問題は解決しない。逃げてはいけない」と述べた。

部落解放同盟中央本部委員長の組坂繁之は橋下を「独裁的で、憲法改正を簡単に口にする。大阪市長としても、大阪人権博物館(リバティおおさか)や部落解放・人権研究所への補助金を打ち切ると決定した。大阪国際平和センター(ピースおおさか)に対してもそう。人権意識を磨き、差別や戦争をなくすための研究・啓発機関をつぶそうとは、とんでもないこと」と批判し、「部落の鬼っ子」と呼んでいる。

直轄負担金カット

国の直轄事業の地元負担分請求について「内訳を開示しない、ぼったくりバーみたいな請求書」と批判し、7億円の直轄負担金カットを表明した。

公約撤回

公約「原則として府債を発行しない方針」を当選後の2008年(平成20年)2月に撤回。2008年(平成20年度)の暫定予算案において、「発行しないと府民生活に影響が出る」との説明のもと、建設事業費として160億円の府債を発行する方針を発表。「ギリギリまで発行を抑えたが、後半にどんとついてくる」と発言しており、府債発行を増額させる可能性を示唆。

学力別クラス編成導入について、選挙中に「塾でもやっていることが、なぜ公立の学校でもできないのか」として導入を呼びかけていたが、文部科学省の銭谷真美事務次官などの反発もあり、2008年(平成20年)2月13日にこれを撤回。

「基本となるクラスまで学力によって分けるのは反対」「苦手な子に手厚く教えることの大切さを改めて感じた」と感想を述べ、「習熟度別の指導は、(学力別ではない)基本の学級があったうえでのもの」と強調した。

との見解を述べた。次年度以降も当面続けることを明らかにした。

選挙公約「駅前・駅中保育所を100カ所設置」を、2008年(平成20年)10月1日の府議会本会議にて「子育て支援は市町村が主体となって取り組むべき」として正式撤回した。

大阪市長として

第23回参議院議員通常選挙で、応援演説を行う橋下(京都市四条通)

2014年2月7日、大阪都構想実現のため、出直し市長選挙実施にむけて大阪市長の辞職願を同市会議長に提出した。

教育バウチャー制度への意欲を示しており、2013年12月より大阪市全域で導入された。

市長就任後の政策として、現在大阪市交通局が運営している市営地下鉄・ニュートラムと市営バスの民営化計画を打ち出している。

経費削減

2014年10月21日、市長の退職金を廃止することを表明した。約4000万円の大阪市の特別職の報酬などを廃止する。政令指定都市では初めてのこと。「実行することが自分の責任。退職手当は全国で廃止すべきだ」と意欲を示した。

大阪府立大学について、「存在意義が十分理解されていない」として、廃止や大阪市立大学との統合を含めて検討する方針を示した。しかし、市議会は、現在兼任している大阪市立大学の理事長と学長を分離する条例案を、2013年11月、否決した。

職員

「大阪市の不祥事」も参照

大阪市役所でおこなわれているヤミ専従への対策として、怠慢役人のリストラ基準を設けた(職員基本条例案)。府庁職員や市職労関係者は反発。「親兄弟や親戚に“独裁者の橋下市長になればお父ちゃんが失業する”」と触れ回っていると組織的選挙活動を誘発したという。但し、公務員の組織的選挙活動は、本来は許されない行為である。

大阪市職員の生活保護

2013年3月16日、「大阪市の職員164人の親族が、生活保護を受給していた」ことが判明した。これは、大阪府「東大阪市の職員30人の親族の生活保護受給」が発覚した後、大阪市で調査した結果、明らかになった。

橋下はこれを受けて、大阪市職員に対し「職員には自分の家庭もあるだろうが、節約して親族をサポートしてもらう」と述べ、「生活保護を受給している親族に仕送り」する様に促した。

議員経費ネット公開

大阪府議会に、府政野党案を軸にした条例案を「大阪維新の会」、公明、自民、民主系の4会派が共同提出、大阪市議会では公明、自民、民主系、共産の4会派が共同提案、共に全会一致で可決。 政務活動費の領収書などを市議会のホームページで公開することになった。政務活動費の使途の透明化が狙いで、議会全体で領収書までネット公開するのは政令市では初であり、これまでは共産党が独自に市議団のホームページで公開するのみだった。

医療

難病患者の高校生が、難病患者の学習環境改善に取り組んでいた。

病床でも「勉強を続けたい」と熱望。橋下はこれに応じ、非常勤講師らを病院に派遣し1回2時間で週3回程度の学習環境を整備する方向で調整した。

この新制度は、特別支援学校への転籍すること無く、元の高校に在籍したまま病院で授業を受けられるのが特徴。

「難病13疾患を患った患者」の医療費を助成する制度を、開始した。橋下は「市長選挙中に(難病患者の)お母さんに直接訴えられたのがきっかけ。新しい制度を作ったので、ぜひ申請してほしい」と話した。

難病13疾患は、国の助成の対象となっていない。

オーストラリアと連携し、医療機器のさらなる性能向上の為に、医療研究を深めることを合意。大阪市立大学とメルボルン大学が医学生の交流を促進する合意書に調印した。

保育事業

「保育行政について皆さんの力を借り、日本で一番の素晴らしい保育サービスが提供できる大阪市を目指したい」と認可保育所などを運営する会社の代表者に、呼び掛け、意見交換を行った。

「正規と非正規で給料に差をつけるのはおかしい。職務の内容で差をつけるのが本来のあるべき姿だ」とし、「任期つき保育士などの給与」を「引き上げる仕組み」の導入する為、市議会へ法案を提出する考えを示した。

大阪市立の保育所は、正職員の保育士は勤続年数などに応じて昇給するが、任期つきの保育士は、基本給のまま、勤務している。今後、正規職員の昇給の幅に合わせ、処遇の改善を検討する。任期付ケースワーカーの昇給も対象としている。

ICT戦略

知事選公約「駅前・駅中保育所を100カ所設置」を撤回したが、保育所の空き情報をスマートフォンで把握できる様にした。「子供を持つ親が、自分の住まいのまわりの保育所を、地図上でクリックすれば、その保育所の空き情報がわかる」という仕組み。待機児童解消に向けての取り組みを、ICT戦略の中で具体化した。

教育

校務支援システム

校務支援システムを導入。教員の作業効率化を図り、子どもたちと向き合う時間をつくる。橋下は「産業はICTが入ることで劇的に変わってきた。教育の現場でもやらないといけない。先生もこれでかなり事務が効率化される」と語った。

公募校長

市立の小中学校の校長公募制度を市長選の公約に掲げ、2013年4月より市教委が導入した。歴代のトップが日教組の支持を得て当選して来たが、橋下徹は日教組の応援無しで当選している為、大胆な改革が可能なのだという。その結果、公募で採用された生野区の中学校長が教頭と口論の末に土下座をさせるトラブルが発覚。港区の小学校長が児童の保護者らへのセクハラをしたとし、更迭。西淀川区の小学校長が厳重注意を受けたりするなど採用者11人のうち6人が不祥事やトラブルを起こした。住之江区の小学校長が「スキルを生かせないなどとして就任からわずか約3か月で自主退職した。人材コンサルタントの常見陽平は「トラブルの原因を早く総括した上で、『効果』を強調するなら具体に示したほうがいい」と提言している。

公募校長が、市教委に助言を求めたことで、「教務主任や生徒指導主事等への推薦者を、教員同士の投票で選ぶ」という規定の存在が、あらためて注目された。この規定は、30年以上前から存在していたが、人事権は校長にあるため、問題視されていなかった。しかし、今後問題が生じるおそれもあるとして見直されることとなった。

教育評論家の小林正は「人事権の掌握は組織の管理運営の最大の武器。教員による偏向教育などの問題が起きても、校長には止められなくなってしまう」と、警鐘を鳴らした。

公立学校には、学校教育法37条に「校長は校務をつかさどり、所属職員を監督する」という法律がある。文科省も「校内人事は校長の権限で行われなければならない」としている。

市教委は、「規定は不適切。無視して校長が人事を決めればいい」、「教員の理解を得ながら進めた方がいい」とした為、公募校長は、選挙は行わず、全教員から意向を聞き、最終的に人事を決めた。法に無い規定には手をつけなかったが、教員や保護者が「独断的な学校運営」と苦情を出した為、市教委事務局は、一時、校長の更迭を検討する事態となった。

橋下は定例会見で、「何の責任もない教員が選挙で人事を決めるのは民主的でもなんでもなく、秩序を乱す。感覚が狂っている」と発言した。その結果、教育委員は「規定について全校の状況を調べる必要がある」とし、全市立学校約460校の調査に乗り出すことを決めた。市教委幹部は「複数の校長から選挙の存在を聞いた」と話している。

大阪市内の公立学校を調査した結果、101の学校が「学校教育法37条に反する決まり事」を設けていたことが判明した。大阪府内では、60%の府立学校が「学校教育法37条に反する決まり事」を設定していた事が明らかになった。2014年7月29日、「学校教育法37条に反する決まり事」を禁止する為、市立学校管理規則を改正した。

治安対策

大阪府警察を支援する形で、大阪市の治安を改善することを決めた。民間警備員に夜間パトロールをさせ、街頭犯罪を防ぐ。

給食

「大阪市の中学生が全国平均(6.2%)の約2倍である11.5%も朝食を食べていない」ことが明らかになると、「朝ご飯を食べていない子供が多すぎる。昼ご飯では必ず、栄養を取らせないといけない」と発言をし、大阪市の全ての公立中学校に給食を導入した。2014年11月には、メニューの改善を行い、「子供が笑う大阪」という公約の実現に向けて取り組んだ。

橋下は、給食の施策にあたって、味よりも「子供の健康や体作りに役立つメニュー」を重視し、「栄養のバランスやカロリー」にこだわった。体力も学力も、健全な食があって初めて生まれる。

大阪市議会の対応

これらを受けて、大阪市議会は、2014年度一般会計当初予算案から公募校長制などの経費を計7500万円を削除する修正案を可決した。

訴訟

平松邦夫元大阪市長は、橋下が大阪都構想を説明する集会で「僕と平松さんが戦った大阪市長選挙。町内会に現金100万円、領収書抜きで配られています」と発言したことに対し、名誉を傷つけられたとして、橋下と地域政党大阪維新の会に1千万円の損害賠償などを求めて訴訟を起こした。2016年3月15日、大阪地裁は「意見や論評の域を逸脱していない」として平松の訴えを棄却した。




その他

2007年(平成19年)10月7日に、電子掲示板サイト『2ちゃんねる』に「橋下弁護士の一家惨殺してやる」というタイ橋下徹の殺害予告スレッドが投稿された。

これに対し、橋下は法律の専門家として一般市民の言論に対してはできる限りアクションは起こしたくなかったが、内容や自分の立場や家族のことを考え、所属法律事務所、マネジメント会社、警察との協議により刑事告訴を行ったことを自身のブログで明らかにした。

補助金の削減に関し、六代 桂文枝「頑張れるだけ頑張るのが芸人の務めだが、守らなければ続かない芸もある」。季刊『上方芸能』は2012年6月号で「文楽を守れ!―132氏からの熱いメッセージ」と題した特集を組み、ドナルド・キーンや竹下景子がメッセージを寄せた。

キーンは、文楽が「生を受け」た大阪での橋下の伝統軽視の姿勢を、「真にひどい話」と呆れ、日本における古典教育の希薄さを指摘しながら、「もし(文楽が)死に絶えるのなら、大阪の政治家の蛮行を世界は決して許さず、また忘れることもないでしょう」と批判した。 

桂南光は『咲くやこの花芸術祭2013』の記者会見で「よく知っている人だから嫌味を言わせてもらう」と前置きして「芸術をどう理解しているのか。日本維新の会も忙しいかもしれないが、政治より芸術の方が楽しい」とコメント。

府の教育委員に陰山英男ら2人が就任したことについて「これで教員が従ってくれないなら、今ある体制を全部解体しないとおかしくなる」と述べた。

思想

著書の中で「ルールをかいくぐるアイディアを絞り出すことこそ、いまの日本にとって一番必要なんじゃないか!」「明確なルールのみが行動の基準であって、明確なルールによる規制がない限りは何をやっても構わない」「ルールの隙を突いた者が賞賛されるような日本にならないと、これからの国際社会は乗り切れない」などと述べている。

「競争の土俵に上がれる者」に対しては徹底的に競争を促している。

障害者に限定すれば、企業への雇用促進を奨励している。生活保護に関しては、予算カットの方向が目標である。

「障害者雇用日本一を目指したい」と述べて、障害者の法定雇用率1.8%に満たない企業に対して雇い入れ計画の提出を義務づける障害者雇用促進条例を全国で初めて制定したり、障害者支援学校の増設やスクールバスの拡充をするなど、障害者支援政策に積極的に取り組んでいる。

演説した後、「どなたか子供とか孫とか誰か(堺市議選に)出すという方はいらっしゃいませんか」「ご負担をかけないように全面的に維新がサポートしますので」を発言した。すると、演説を聞いていた大阪市北区の介護福祉士が挙手。橋下は満面の笑みで、「あ、お兄さん本当(に立候補してくれるのか)?」と応じた。

鳥取県議

2011年(平成23年)5月24日に、「鳥取県は60万人くらいの人口で、議員が40数人いるんですかね。鳥取県議なんて6人でいいんですよ」と発言。

鳥取県知事・平井伸治は、「大阪の人が鳥取県の自治について議論するのは差し出がましい。大きなお世話だ」と不快感を示した。

平井は「簡単に人口で割りきる議論は、デリケートな地方自治にはなじまない。そんな暇があるなら大阪府の自治についてしっかり議論してほしい」と批判した。

橋下は、関西広域連合の会合で、「国全体の国会議員の数や地方議員の数が多すぎるというのは僕の持論。都市部と地方部の議員の数のあるべき姿についてこれから勉強させてもらいたい」と自身の発言について謝罪。平井は「都市と地方の違いに考慮してもらえれば」などと述べた。

その他

2012年、文楽などの財政補助を削減した際、赤川次郎から「動員数で言ったらベートーヴェンはAKB48にも劣るということじゃないか、そんな馬鹿な話があるか」と批判を受けた。

文楽の入場者数が歴代3位を記録した際に、橋下は「文楽サイドの努力のたまもの」と評価。「(ファンらの)支援したいという意思を反映させる制度を作りたい」とし、ふるさと納税を活用した新しい制度の導入を表明した。

市幹部は「市長は特定の文化・芸術に対して保護の目的で漫然と補助金を出し続けてきた文化行政のあり方を問題視していたが、当初から文楽自体は評価していた」と解説した。

問題となった失言と言動

大阪府知事として株主である関西国際空港の活性化の要望をするために出向いた際、関西三空港のあり方について記者団に対し「伊丹空港(大阪国際空港)の廃止も含めて検討し、きちんと方向を出さないといけない」と述べた。

一時は撤回したが、2009年に再び大阪国際空港の廃港を主張し、同空港の活性化を求める兵庫県の井戸敏三知事らと対立した。

「大阪国際空港#橋下大阪府知事・大阪市長に関する動き」も参照

2013年1月、大阪市立桜宮高校で体罰により生徒が自殺した事件において、教員の総入れ替えなどについて言及。遺族宅を弔問した後、「スポーツ指導での体罰は一切認めない」と批判。

兵庫教育大学前学長の梶田叡一は、「解体的な出直しが必要な問題で、橋下市長の発想は間違っていない」と発言した。体育系2科の入試中止要請、「(市教委が2科の募集中止を拒否した場合、対抗措置として)予算執行権をきちんと行使する」、

「春に顧問が残っているようなら、体育教師分の人件費を出さない」、教員総入れ替えの要請、体育科廃止や廃校の検討、「(反対なら)選挙で僕を落とす手段が与えられている」など続々と意見表明した。

同11月、「桜宮高校は確実に再生している」と評価。生徒に「仲間の自殺は一生背負うべき十字架。天国に行った仲間のためにも誇れるような学校にしてほしい」と述べた。

2008年(平成20年)10月19日に、伊丹駐屯地で開かれた「中部方面隊創隊48周年記念行事」の祝辞の中で、「人の悪口ばっかり言っているような朝日新聞のような大人が増えると日本はダメになります」と発言した。

後に、10月3日の朝日新聞における山口県光市の母子殺害事件を巡る橋下のタレント弁護士時代のテレビ発言を批判した社説に対する反論だと主張した。

その翌日の同年10月20日には「朝日新聞がなくなった方が世のためになる。全く愚かな言論機関。すぐさま廃業した方がいい。権力の悪口を言っていればいいと思っているのではないか」と非難した。

これらの言動について産経新聞は「えーと、悪口ばかり言っている大人は・・・・・・なんでしたっけ。」と論評した。

週刊文春2012年(平成24年)7月26日号の『独占告白 橋下徹大阪市長はスチュワーデス姿の私を抱いた!』に関しては、「娘に制服を着ろと言えなくなった」と述べた。







 



テレビで懲戒請求呼びかけ

「光市母子殺害事件弁護団懲戒請求事件」も参照

最高裁判所判例

事件名

損害賠償請求事件

事件番号

平成21(受)1905

2011年(平成23年)7月15日

判例集

民集 第65巻5号2362頁

裁判要旨

弁護士であるテレビ番組の出演者において特定の刑事事件の弁護団の弁護活動が懲戒事由に当たるとして上記弁護団を構成する弁護士らについて懲戒請求をするよう呼び掛けた行為が、不法行為法上違法とはいえないとされた事例

第二小法廷

裁判長

竹内行夫

陪席裁判官

古田佑紀、須藤正彦、千葉勝美

意見

多数意見

全員一致

意見

竹内行夫、須藤正彦、千葉勝美

反対意見

なし

参照法条

民法709条、弁護士法58条1項

2007年(平成19年)5月27日放送の読売テレビ『たかじんのそこまで言って委員会』において、「あの弁護団に対してもし許せないと思うなら、一斉に懲戒請求をかけてもらいたい」、「何万何十万っていう形であの21人の弁護士の懲戒請求を立ててもらいたいんですよ」と山口県の光市母子殺害事件の弁護団に懲戒請求を行うよう視聴者に呼びかけた。これによりテレビやインターネットなどで、「懲戒請求書の記載の仕方」を見た人たちの懲戒請求書約7,558通(前年の2006年度中に全弁護士会に来た懲戒請求総数の6倍以上)が殺到することになった。

これに反発した弁護団のうち4人が業務を妨害されたとして、2007年9月、橋下に1人当たり300万円の損害賠償を求めて広島地裁に提訴した。橋下は「発言に違法性はない」、「懲戒請求は市民の自発的意思」、「自身のテレビでの発言と一般市民の懲戒請求の間には因果関係はない」などと反論した。

後に橋下自身は懲戒請求していなかったことが明らかになり、そのことを批判されたが、その理由について「時間と労力を費やすのを避けた」、「自分がべったり張り付いて懲戒請求はできなくはないが、私も家族がいるし、食わしていかねばならないので…」などと釈明した。

この懲戒請求呼びかけについて、ジャーナリストの江川紹子は「請求の内容によっては、懲戒請求をされた弁護士の側から訴えられる可能性もあるという負担やリスクを説明せず、ただ『誰でも簡単にできる』と気楽なノリでしゃべっている」、「「世間」を煽っている感じさえする」などと批判。

同年8月6日、橋下は弁護団が開いた緊急報告集会に出席していたが、その場では「安田弁護士が最高裁の弁論を欠席したこと、これは究極の弁護方針として、弁護戦術として、これはもうもっともだと思う」などと発言していたが、翌8月7日の自身のブログにおいては、自分たちだけが正義の実現者だと思い上っているとして、「この集会はカルト集団の自慰(オナニー)集会だね。」と酷評した。

また、「チンカス弁護士」「オタク法律家」「法律オタクのお坊ちゃん弁護士」などと述べた。

また、横浜弁護士会が懲戒請求者に対して住民票の提出を要求したことに対して、自身のブログで「横浜弁護士会のトンチキ野郎」「偽善に満ちた行為」と激しく非難。

懲戒請求自体は「正当な弁護活動の範囲」などとして各弁護士会で次々と却下されており、懲戒処分された弁護士は1人もいなかった。

同年12月17日、今度は反対に、市民約350人が「刑事弁護の正当性をおとしめたことは、弁護士の品位を失うべき非行だ」として、大阪弁護士会に橋下に対する懲戒処分を請求した。橋下弁護士が懲戒請求をよびかけた弁護団の中に兄弁護士にあたる先輩がいた事から、橋下弁護士の最初の勤め先の親弁護士であった樺島弁護士も、この橋下弁護士に対する懲戒請求に名前を連ねている。

その後2009年4月14日、弁護士会綱紀委員会は懲戒相当である旨議決。2010年9月17日、業務停止2ヶ月の処分が下った。また21日、処分内容が一部マスコミに漏れた点を問題視し、大阪弁護士会会長に対しても懲戒処分申し立てをした。「弁護士会の品位の基準と僕の基準は違う」とまで発言している。

広島弁護士会に請求申し立てされた7弁護士への懲戒請求は却下されたが、これを受け、弁護団の4人が橋下を相手に損害賠償請求を行った。一審の広島地裁は2008年10月2日名誉棄損を認め計800万円の賠償を命じた。二審の広島高裁は2009年7月2日、賠償責任は認めたが賠償額を360万円に減額する判決を下した。

終審の最高裁は2011年7月15日、二審を破棄し、賠償請求を棄却した。これにより橋下の逆転勝訴が確定した。

また、2009年11月27日に弁護団21人のうち19人が、橋下と読売テレビに対して合計1億2,400万円の損害賠償を求めて訴訟をおこしたが、広島地裁は2013年4月30日、請求を棄却した。2014年2月28日に広島高裁は地裁判決を支持し、弁護士側の控訴を棄却した。

2015年3月26日、最高裁は弁護団の上告を退け、弁護団側の敗訴が確定した。

竹山修身との対立

2015年9月28日の大阪戦略調整会議(大阪会議)の第3回会合後、竹山修身と「場外論戦」を繰り広げた。竹山は大阪府、大阪市、堺市の東京事務所を統合することを提案したが、橋下は「(大阪会議で協議しなくても)堺市が(大阪府市で統合済みの東京事務所に)入ってくればいいだけの話」と主張。竹山は「政局に利用された感じで、不満が残る会議でした」と不機嫌な表情で語ったのに対し、橋下は「政局の利用なんて全くない。竹山氏は古くさい議会のやり方、役人のやり方に慣れ親しんでいる」と反発。報道陣そっちのけの応酬が続き、取材に参加していたフリーアナウンサーに声をかけられ幕切れとなった。

所得申告漏れ

2006年(平成18年)5月23日、本業である弁護士業務の経費計上等にかかわる約2500万円の申告漏れを大阪国税局から指摘され、修正申告に応じたと産経新聞に報道された。

「今の日本の政治で一番重要なのは独裁」

2011年(平成23年)6月29日、パーティーで大阪府知事・大阪市長のダブル選挙に関して、「大阪は日本の副首都を目指す。そのために今、絶対にやらなければいけないのは、“大阪都”をつくることだ」「今の日本の政治で一番重要なのは独裁。独裁と言われるぐらいの力だ」と述べ、大阪都構想に反対する大阪市を抵抗勢力だとして「権力を全部引きはがして新しい権力機構をつくる。これが都構想の意義だ」と締めくくった。

橋下は自分自身は独裁者とは成り得ないと考えており、「今の統治機構において(中略)いわゆる独裁は無理」「選挙が公正に行われる限り、権力の独裁はあり得ない」「メディアの厳しいチェックも受けて、独裁なんてやりようがないですよ」と自身のツイッター上で発言している。独裁ではないかという指摘に対して「こんなキュートな独裁者いますか?」と言い返すことがある。

週刊誌FLASHを提訴

府知事選出馬前、雑誌「FLASH」に無断撮影されたことで光文社を肖像権侵害で訴えたが敗訴。控訴しない旨を明らかにし、判決が確定した。また、7月25日、橋下の肖像画を無断使用したお菓子を池田市の第3セクターが販売しようとしたのに対し「法的措置も辞さない」とした。しかし翌日になって「盛り上がるなら使ってもらってもよいが、品質保証はできない」と述べ、肖像画使用を黙認。この騒動について、本人は池田市長との出来レースだったと述べている。

慰安婦問題について

慰安婦問題については、「慰安婦が軍に暴行、脅迫を受けて連れてこられた証拠はない」として、日本軍による慰安婦の強制連行を否定する立場を取っている。

主張

「#米軍問題」も参照

2013年5月15日に「(慰安婦を)容認はしていない。」とした上で「日韓基本条約に基づき、法的に解決済みと言っていることの方が元慰安婦を傷つけている」と安倍晋三首相の国会答弁を批判するとともに「欧米諸国が自由恋愛の名の下に、現地の女性を使っていたのも事実だ。日本だけを不当に侮辱している」「今、慰安婦制度が必要とは言っていない。メディアの報じ方で世界が誤解する」と述べた。

5月17日には、「僕は慰安婦を容認したことは一度もない。メディアは一だけ聞いて、そこだけ橋下徹。(誤解されたのであれば)日本人の読解力不足だ」と語り、拒否する意向を示した。「歴史をひもといたら、いろんな戦争で、勝った側が負けた側をレイプするだのなんだのっていうのは、山ほどある。そういうのを抑えていくためには、一定の慰安婦みたいな制度が必要だったのも厳然たる事実だ」「(慰安婦制度は)朝鮮戦争の時もあった。」「日本国が、韓国とかいろんなところの宣伝の効果があって、レイプ国家だと見られてしまっている。ここが一番問題。証拠が出てくれば認めなきゃいけないが、今のところ2007年の(第1次安倍内閣の)閣議決定ではそういう証拠がないとなっている。」などと発言した。

「慰安婦に対する法的責任がある」、「元慰安婦に対する配慮を」とした報道に対しては、「僕本人に何の確認も取っていないもの」、「誤報じゃないと言っているが、表明なんて思っていない。これは意図的なものと感じざるを得ない。ちょっと一線を越えていると思う。」、「応援してくれる人を引き離す様な話」と主張した。

慰安婦との面会について

2012年(平成24年)9月24日、韓国から訪日した吉元玉ら元慰安婦が橋下に面会するため大阪市役所を訪れたが、橋下が登庁しない日だったため実現しなかった。橋下は翌25日、慰安婦と面会する意向を示す一方、24日に面会しなかったことを朝日新聞記者からツイッターで批判されたことに対しては、「今までの朝日記者で一番質が悪い」「記者ってそんなに偉いんですか。偉そう過ぎ」とツイートし返し、騒動になった。

2013年5月13日、橋下は再訪日する元慰安婦に対して「オープンの場ならばお会いして、どういう経緯で慰安婦になったのか聞いてみたい」「僕に会うというのは政治的な主張をしたいということでしょうから、オープンにしないと市長としてお会いする意味はあまりない」と述べ真相に興味を示した。

5月24日、元慰安婦側との面談が2度目の中止となった。「会うのが嫌になった」とこの時も元慰安婦側がキャンセルした形となった。元慰安婦側は「(橋下は)自らを救うため、ひざまずくパフォーマンスまでしようとした」「責任を取って政界から引退することを望む」などの主張をしているという。

この際、橋下は要望があれば面会に応じるとし「(24日は)休日でお会いできなかった。慰安婦の方の意見にもしっかり耳を傾けないといけない」「証拠がなかったら事実を認めることはできない」と述べていたが、元慰安婦の側は「謝罪したいというならともかく、話を聞こうというだけなら面会する必要はない」 と話した。

橋下の発言への反応

著名人東浩紀は「橋下徹は、そりゃいろいろおかしいところもあるけれど、でも実行力や洞察力のある重要な政治家だと思うけどな。こういうふうに潰していいんですかね」「(自身は橋下徹支持派ではないが)橋下徹憎しでヒステリーみたいに罵詈雑言飛ばしているひとが多いので、ごく常識的な懐疑を述べているだけ」とツイッター上で発言して過度の橋下バッシングに疑問を唱えた。また、堀江貴文もこの意見に同意する趣旨のツイートをしている。

吉永みち子は、「慰安婦制度を容認する前提には、人間性を否定する戦争の肯定がある」と指摘。和田春樹は「問題について既に判決は出ており、裁判は終わっている」と批判。小沢遼子は「従軍慰安婦は世界的な問題として捉えられており、品位を持って語ってほしい」と注文した。

慰安婦問題研究で知られる吉見義明は2013年6月4日、2013年5月の発言は自身の研究を否定するものであるとして謝罪と撤回を求め、回答期限を7月5日とする公開質問状を送ったが、期限を2週間以上過ぎた21日現在も回答は受け取っていない。

このような態度は無責任で到底容認出来ないとして再度公開質問状を送る予定という。

浅草キッドの水道橋博士は、2013年6月15日放送(関西地区)のたかじんNOマネーにおいて、橋下は自身の発言に対して支持が7割(番組視聴者のみを対象としたアンケート)を越えたことに関して「やはり有権者の方は冷静だなと。小銭稼ぎのコメンテーターとは違う」とコメントしたことに激怒し、

「橋下さん、冒頭で小銭稼ぎのコメンテーターと言われたんで、ぼく今日で番組降ろさせていただきます」と唐突に番組降板を表明してスタジオを退場した。

政治家石原慎太郎は「軍と売春はつきものだ。それが歴史の原理だ。間違ったことは言っていない」と述べ、橋下を擁護した。

与野党双方から批判の声が上がった。

野田聖子は「論外だ。男性の矜持はどこに行ったのか」と橋下の発言を批判した。

稲田朋美も「慰安婦制度は女性の人権に対する大変な侵害だ」と批判した。また、「慰安婦制度自体が悲しいことだが、戦時中は合法であったのもまた事実だ」と語り、同時に「今であろうと戦時中であろうと女性に対する重大な人権侵害であることに変わりはない」とも述べた。

片山さつきは「橋下市長、あなたの仕事は不十分な知識で機微にわたる困難な問題に口を突っ込み混乱を巻き起こすことではなく、自ら言い出した大阪の改革をやり遂げることじゃないの? おねーさんは怒っています! 早く謝罪し、今後この問題については、事前に奥様に聞いてからご発言なさいませ!」と怒りを露わにし、早急な謝罪を求めている。

日本国内のメディアマスコミ各社は、この発言を受けて、各都道府県の定例知事会見などで、各都道府県の知事に対して、慰安婦問題に関する見解を示すように求めている。

NHKは「従軍慰安婦問題は、日本の帝国主義が膨張するなかで広がった戦時の性的な暴力行為」だとする韓国側の反応を伝えた。また中国も同様に「慰安婦の強制は日本軍国主義が第2次大戦で犯した重大な罪である」と論評した。

毎日新聞は、橋下と記者団との一問一答を掲載した。橋下は、「かなりフェアに発言要旨を出している」と述べている。

アメリカ合衆国5月16日、朝日新聞の大島隆記者は、アメリカ合衆国国務省のジェン・サキ報道官の記者会見において、橋下の発言を紹介した後、アメリカ合衆国は慰安婦を「性奴隷」として定義しないのかと質問した。サキ報道官は「慰安婦の定義について、あなたは特定の事象を具体化しようとしている。米国は慰安婦は慰安婦であると過去から述べている(Again, I don’t know that I’m going to define it. You kind of laid out the specific details there, and we have described this issue in the past as comfort women)」と回答し、翌5月17日には「言語道断で不快だ」と橋下の発言を非難した。

ワシントン・ポストは、AP通信による「戦時中の性奴隷は必要だったと大阪市長」(Osaka mayor says wartime sex slaves were needed to ‘maintain discipline’ in Japanese military)と見出しを付けた記事を掲載した。

韓国

韓国外交省は「反人道的な犯罪を擁護している」と強く反発した。

金武貴(ムーギー・キム)は、「(橋下の)地方分権、道州制、議員の大幅削減、企業・団体献金の禁止、原発廃止といった大改革」に国民が熱狂したにもかかわらず、石原氏というポイズンピルを受け入れて日本の恥のような位置づけになってしまったことは残念だと主張している。

元慰安婦の金福童は14歳(1940年)の時に「軍服を作るために日本へ行く」と言われて日本軍に連行され、前線地で8年間、22歳になるまで慰安婦として従軍させられたとの主張をした上で「ここに本人がいるのに、どうして証拠がないと言うのか。私がここに生きている。それ以上の証拠がいったいどこにあるのか」と橋下を非難した。彼女の証言に基づくと、日本の降伏後に3年程度慰安婦を強いられたということになる。また、終戦間際に戦地の病院で看護に従事(2005年1月11日の朝鮮日報の記事によると1945年8月31日に軍属に採用)したとの体験談を語っている。その約2ヶ月後、金福童は米国のグレンデール市の従軍慰安婦像除幕式にも足を運び、式典参加者に対して「日韓の未来はあなた方が協力して日本に圧力をかけ、公式謝罪を勝ち取れるかどうかに懸かっている」と訴えた。

市民団体

「日本維新の会 (2012-2014)#慰安婦問題」も参照

アジア女性資料センター、婦人民主クラブ、女たちの戦争と平和資料館、靖国・天皇制問題情報センターなどが、参議院議員会館で抗議集会を開催した。「日本軍慰安婦問題関西ネットワーク」も5月17日、大阪市役所前で緊急抗議集会を開催。

「日本主婦連合会」・「なでしこ維新の会」会長の東瀬幸枝は、「戦時体験ある女性として、全面的に橋下徹氏の発言を支持する」と表明した。東瀬は「戦後進駐軍が今里新地に徘徊していた頃、私たち大阪の主婦は命がけで働いていた。しかし怠惰な各国人女性達は米兵と夜な夜な遊び狂い、せしめた物品を高額な金額で売りさばき遊興していた。」と述べ、「一部の異常な女性団体の発言やデモは不勉強極りない失礼な行動です。どうぞ、国民の皆様は、戦争体験者の実体験からくる真実を知って下さい」と訴えた。さらに、橋下の一連の発言は「国民を守る為の発言、戦争を防ぐ為の発言、不運に巻き込まれた女性の名誉の為の発言、現在も必要な軍隊の維持方法の為の現実的な提案発言、女性達が今後に不幸に巻き込まれる事の無いように〜との思いやり発言」であると主張した。

米軍問題

米軍の軍属が犯罪を犯し、有罪判決を受けた。それに対して、日本の人権派が「米軍は出ていけ!」と主張する展開をみせた。これに対して、橋下は「1人のアメリカ人(軍属)が罪を犯したからといって、まじめなアメリカ兵までが非難されるのは違う。」と批判。「米軍を批判するなら、それは米兵・軍属のコントロールの仕方だ」と主張した。

2013年5月13日の大阪市役所で記者団に向けた夕方の会見にて、日本維新の会と政策協定を結んだ政党そうぞう関係者らとともに飛行場を視察した際に橋下が「沖縄で米兵の性犯罪が多発している」と指摘した上で「若い兵士の(性的)欲求にどのように対応しているのか。合法的な風俗での対応は考えていないのか」と司令官に尋ねた後に「もっと風俗業を活用してほしい」と進言したことを明らかにした。

「戦時中の慰安婦制度、必要なのは誰だって分かる」と発言したことが問題視される中で、同日夕方の会見で「慰安婦制度じゃなくても風俗業は必要だと思う。米軍の司令官には法律の範囲内で認められている中で、性的なエネルギーを合法的に解消できる場所は日本にあるわけだから、もっと真正面からそういう所(風俗業)を活用してもらわないと、海兵隊の猛者の性的なエネルギーをきちんとコントロールできない。建前論じゃなくて、もっと活用してほしい』と米軍海兵隊司令官に進言したことを明らかにした。

上述の橋下の進言に対応した米海兵隊司令官は「凍り付いたように苦笑いして『米軍では禁止している』」と述べ、その話題をすぐに打ち切った。

橋下は「日本国において法律で認められた風俗業を否定することは自由意思でその業を選んだ女性に対する差別だ」、「日本をはじめ完全なる職業選択の自由がある国で、法律上認められた風俗業を否定するのか」、「だいたい、アメリカはずるい。アメリカは一貫して、公娼制度を否定する。現在もそうだ」、「建前は禁止でも、軍人の性的欲求が0になるわけがない」などと反論した。

2013年5月16日、アメリカ合衆国国務省のジェニファー・サキ報道官は記者会見で、橋下の発言に対して、「橋下市長のコメントは非常識で、そして攻撃的であった」「その時代、性の目的のために取り引きされたこれらの女性たちに起きたことは酷いことであり、はっきりした人権侵害である」「われわれは被害者に心からの同情を表すとともに、日本がこの問題や過去の問題について近隣諸国と協力し、前に進むべく関係を育むことを望んでいる」と発言した。 この記者会見は日本のマスコミによって『サキ報道官は橋下の従軍慰安婦に関する発言に対して「言語道断であり、不快だ」として厳しく批判した。アメリカ政府が今回の問題で公式に立場を明らかにしたのはこれが初めてであるが、その表現は異例ともいえるほど厳しいものであった』と報じられたが、アメリカの司令官は「米軍では禁止されている」と言ったが、アメリカ軍は現在でも、「フリーの売春婦」を活用している。

2013年5月17日、橋下は「米国は日本占領期に日本人女性を活用した。(日本人を)特殊な人種と批判するが、それは違う」とツイッターで反論した。

2013年5月27日、外国特派員協会において、「もし、日本だけが非難される理由が、戦時中、国家の意思として女性を拉致した、国家の意思として女性を売買したということにあるのであれば、それは事実と異なります」と主張した。「一部米軍兵士の犯罪被害に苦しむ沖縄の問題を解決したい」との強い思いがあったと説明。「米軍のみならず米国民を侮辱することにもつながる不適切な表現だった」、「撤回するとともにおわび申し上げる」と謝罪した。

2016年5月21日、沖縄うるま市強姦殺人事件を受けて、「米兵や米軍軍属の凶悪犯の比率は、日本人の比率と大差はない。問題は米軍が米兵や軍属にどのような教育をしているかだ。これが大問題。」「建前ばかりの綺麗ごと。そこで風俗の活用でも検討したらどうだ、と言ってやった。

まあこれは言い過ぎたとして発言撤回したけど、やっぱり撤回しない方がよかったかも。きれいごとばかり言わず本気で解決策を考えろ!」「朝日・毎日、その一派は移民や難民に優しいきれいごとを言って、米軍軍属など外国人が犯罪を犯せば外国人は日本から出て行け!とのロジック。きれい事ばかり言う人権派の典型例。」と改めて見解を表明する。

エピソード

芸能界関連

マイケル・ジャクソンの死去の報について、「スリラーは何百回、何千回テープが擦り切れるまで聞いた。非常に残念」とコメントした。

邦楽ではサザンオールスターズのファンであり、妻との共通の趣味でもある。2013年8月20日、夏休み休暇中に2013年のライブツアー「灼熱のマンピー!! G★スポット解禁!!」の神戸公演を鑑賞した際、共同通信に「観客総立ちでも橋下氏は座ったまま」と報道され、この事に対し橋下は「悪意丸出しだ。ひどすぎる」「こんな書き方をされたら桑田さんに失礼」「桑田さんだって歌の合間のトークで『年齢いったファンも多いし、暑いし、まったりといくから座って見といてね』と言ってくれた」と反論し、

桑田佳祐本人も「桑田佳祐のやさしい夜遊び」2013年8月24日放送分にてマスコミに「騒ぎ過ぎなのでは」と苦言を呈し、橋下に感謝の言葉を述べた。

また橋下は、当時発売された「ピースとハイライト」の新聞広告に前述の有田芳生をはじめとした橋下を批判する進歩的文化人が多数寄稿していたことについても言及し「サザンが好きということで一致しているなら、それはそれでいい」といった見解を残している。

なお、桑田は前年のソロライブ「I LOVE YOU -now & forever-」の大阪公演で、「青葉城恋唄」のメロディに乗せて「暴走老人と日本を変えるのもいいけど ハシモっちゃん 大阪を頼んまっせ」といったことを述べている。

同じタイタン所属の爆笑問題と代表取締役社長の太田光代は、橋下の活動支援のためにふるさと納税を利用して2008年と2009年に1000万円を大阪府へ提供している。

また、爆笑問題の太田光とメールで親交を持っているが、太田は公の場では橋下を揶揄する発言や異論などを述べている。

初選挙

「2008年大阪府知事選挙」も参照

 大阪府知事就任初期の橋下

2007年(平成19年)12月に2008年大阪府知事選挙への立候補が報道されたが、当初は「2万%あり得ない」と否定した。後の出馬会見で、実際には自民党の古賀誠・選挙対策委員長、堺屋太一らと東京で会い、立候補を了承していたこと、報道された場合は会談自体なかったことにすることで合意していたことを明らかにした。2007年12月11日、再び大阪府知事選挙への立候補の意思があると報じられ、マスメディアの報道が出馬と否定に割れたが、本人は12月11日午後に再度否定した。翌12日、大阪府庁で行われた記者会見において正式に出馬表明。

また、以前から自民党大阪府議会議員から打診があり、12月3日に立候補の正式要請を受けたこと、島田紳助ややしきたかじん、辛坊治郎からの後押しが出馬を決意するきっかけとなったとしたが、たかじんはその後「(知事選出馬への)GOサインを出したかどうかは、微妙だと思う」と語った。

なお、知事選への出馬により、出演しているテレビ・ラジオのレギュラー番組を全て降板することとなり、収録済みの『ムハハnoたかじん』は別番組に差し替えられることとなった。

支持勢力

2008年(平成20年)1月7日、自民党、公明党共に党本部としての推薦・支持を見送ることを表明し、自民党は「府連推薦」、公明党は「府本部支持」とし、共に府連レベルでの支援を決定した。公明党大阪府議団は、「核武装論など、今までの発言に支持者から反発があった」と過去の言動から「推薦」を見送り「支持」に留め、公明党本部もこれを尊重することを表明した。公明党は同年1月16日新春年賀会に橋下を招き、支持母体である創価学会を初めとする支持者らに橋下への支援を要望した。

選挙戦

推薦・支持している自民党と公明党は表立った支援をせず、選挙対策本部は所属事務所タイタンと高校時代のラグビー部OBを中心とし、政党色を薄めた選挙戦を展開。自民・公明の大阪選出国会議員、地方議員がいっさい応援演説をせず、著名人の応援は選挙戦終盤に来た参議院議員・丸山和也と宮崎県知事・東国原英夫程度であった。7人の子持ちであることを前面に押し出し、「子供が笑う」をキャッチフレーズに「4つのトライ」と17点の重点事業をマニフェストとして掲げた。

最終的には対立候補に80万票以上の大差を付けて当選。当選当時の都道府県知事の中で最も若い知事となった。いわゆる「タレント知事」の誕生は大阪府では横山ノック(2期を務め、途中で辞職)以来13年ぶり。弁護士出身の現職知事は愛知県知事神田真秋に次いで2人目である。公選の大阪府知事としては初の東京都出身である。38歳の公選知事は歴代3番目の若さである。

当選直後から各種メディアに出演。1月29日には内閣総理大臣・福田康夫を表敬訪問。また、知事就任前に大阪府庁に登庁し事実上大阪府知事としての職務を始める。自民党大阪府議団の一室を借り、事実上の仮知事室として府職員と就任後の2008年当初予算の作成、政策協議を行う。

府議会、組合との対決

2008年4月11日、総額1100億円の予算削減を行う財政再建プロジェクトチーム案を発表。この案を元に議論を進めるとし、「賽は投げられた」と述べた。この案は、職員人件費の大幅削減、警察官の定数削減、私学助成金のカットや助成団体への補助金見直しを含む大胆な案で、賛否入り乱れた大きな反響があった。

府庁改革については、告示前に「府庁解体」を行うとして「ちゃぶ台をひっくり返す」「汗をかかない方は去って下さってかまいません」と発言するなど府庁職員に対して厳しい姿勢で臨んでいたが、その後、府庁職員の前で話す際には「皆さん(府庁職員)の盾、サンドバッグになります。一緒にスクラムを組んでください。」とも発言している。

首長連合

民主旋風が吹いた2009年の総選挙などでは、「増税をせずに、行政改革をする」と言った民主党に一票とツイート。横浜市の中田宏元市長や松山市の中村時広前市長(現:愛媛県知事)らとともに「首長連合」を結成。「首長連合」が、2009年の衆院選で民主党への支持を表明したため、自民公明両党から「裏切りだ」と批判が上がった。

「3月の府議会で、自民党大阪府連が、WTCへの府庁移転を否決するという判断をされ、すべて一心同体ではないと示されたのは自民、公明の方が先」と反論された。

米軍基地

「普天間基地移設問題#関西国際空港移転案」も参照

概略(1)

国会で、2009年(平成21年)11月2日、沖縄県選出の国民新党・下地幹郎政調会長は、普天間飛行場移設問題について、「普天間を嘉手納基地に統合した上で、嘉手納の一部訓練を本土の空港に移設すべき」との考えを示した。下地幹郎は「関西空港のB滑走路が全く稼働率ゼロだから」「あそこを活用して外来機の訓練をやると嘉手納の騒音は半分になる」と提起した。

下地は「普天間基地の移設や本土で受け入れ可能な候補地については常に考えており、関空はいつも選択肢だった」と話し、関空移設案は数年来の腹案であったと明かした。

その上で、「(関空は)地理的にも日本の中心にあるうえ、北朝鮮にも近い。米側にとって悪くない立地だ」との見解を語った。

11月13日、橋下は、記者からコメントを求められた。11月17日、下地は、「(橋下の)コメントを私は非常に重く受けとめている」と述べた。

これに対して北澤俊美防衛大臣は、「橋下知事の申されることは極めて勇気のあることで、国民のみんなが一度考え直さなきゃいかぬことだ」とした上で、関空移設案について「せっかくの御提言でありますので、私もしっかり胸に秘めて、今後の対応に参考にさせていただきたい」と答弁した。11月30日、橋下は関西移設案について「あくまで個人的な見解」と断った上で、「国から正式な話があれば(議論を)受け入れる方向で考えたい」と発言。12月2日、橋下は、下地と社民党の阿部知子政審会長、沖縄県議会議員4名らと意見交換を行なった。

2009年(平成21年)12月1日、岡田克也外務大臣は関西移設議論について、「(橋下の)そういった気持ちは非常に歓迎すべきこと」と表明。

3日には武正公一外務副大臣が、「(関西移設の)一例を挙げると訓練移転」とした上で、「沖縄県外で色々な可能性を探ることは否定しない」と述べ、検討対象になりうると示唆した。

国土交通省成長戦略会議の中条潮委員(慶應義塾大学教授)が、6日に「防衛省が関空を借りて米軍基地として使うことは、関西空港会社の負債軽減と空港維持の為の選択肢の一つ。検討課題にすべき」と発言。

また、米空軍嘉手納基地のケネス・ウィルズバック(英語版)司令官は9日、関西移設について「提案があれば、我々も実現に向けた計画立案を開始するかもしれない」と言及。

共産党の府議は、「普天間基地は、県内・国内のたらい回しではなく、即時撤去が(沖縄)県民大多数の声」と問題視した「普天間にいる海兵遠征隊は、抑止力ではなく侵略力」。沖縄県議会において、仲井眞弘多沖縄県知事は「防衛・外交は国の仕事で全国知事会は余り近寄らない雰囲気があったが、橋下発言は全国の知事が防衛・外交についても関心を持っていく糸口になる」との見解を示した。

概略(2)

ジョン・ルース駐日アメリカ合衆国大使は12月2日、「ロードマップが唯一実現可能な選択だ」と述べ、現行案以外の可能性を否定。前原誠司沖縄北方担当大臣は11日、関西移設案について「首相官邸や閣僚から指示があれば検討するが、話は一切ない」として、検討の考えがないことを示唆。

2010年(平成22年)5月27日、全国知事会において、鳩山由紀夫内閣総理大臣は、沖縄米軍基地分散先への「立候補」を求めたが、各知事からは否定的な意見が相次いだ。唯一鳩山に理解を示した橋下は、「沖縄県などの犠牲の上に、大阪府民は安全をタダ乗りしている」とした上で、「ただ、自治体が動いても、米国からダメだと言われると動けない。2006年の米軍再編ロードマップを履行し、政府が第2段階の基地負担軽減という時に話を振ってもらえれば、できる限りのことはする」と述べた。

7月14日、橋下は、沖縄米軍基地負担問題について「(5月の全国知事会議以降に)何か進展があるかといったらない、国からも何か方針が出たわけではない」と述べた上で、「むしろ国の方針、意気込みが後退したようにも感じる」との認識を示した。。

概略(3)

2010年(平成22年)4月25日、前原誠司国土交通大臣は、「神戸は切り離し、関空と大阪(国際空港)の一体運用を考えている」と明言。11月22日、国交省は関空と大阪空港の統合・民間売却案を提示。

橋下は24日、「今までのやり方でやって立ち行かないなら、新しい方法で踏み出すほかない」として、統合・民間売却案に支持を表明した。

11月29日、沖縄県知事選で再選を果たした仲井眞は、「県外移設」を選挙公約としていた普天間飛行場の移設先について、「本土の方が(沖縄より)空間が広いのでむしろ可能性がある。橋下知事が『関空はどうか』と言っているので一度見てきたい」と述べ、関空視察の意向を表明。

11月30日、橋下は「政治状況は日々刻々と変わっている。残念ながら、関空は大阪空港との統合で、運営権を民間に売却する話がスタートしている。関空が基地負担軽減の受け皿になることは今の方向ではない」と発言。

「経営統合が決まる前に政府から軍用の話を持ちかけられていれば検討もありえたが、今はありえない」とした上で、「(仲井眞には)できたら神戸空港を見ていただきたい。将来性が見えない海上空港は神戸だ。(視察する場合)僕もついていく」と述べた。橋下は翌日、前日の発言が「受け入れ撤回」と報じられたことについて、「撤回したつもりはない、関西で受け入れを考えなくてはいけないことは一貫して言っている」とした上で、「候補地は国が決めて、決められた場所について住民を説得するのが知事の仕事」「国が決めたことなら協議の場は拒否しない。それはずっと一貫している」と説明。

さらに、「今は国の方針で伊丹と関空の経営統合」が進んでいるとして、「関空に軍用機を飛ばすというだけでは大阪府(民)に説得のしようがない。そうするのだったらこうするという全体のプランを(国が)出してくれたら、そこから話をする」と語った。

概略(4)

2012年(平成24年)2月23日、橋下は自らが代表を務める大阪維新の会の公約にあたる「維新八策」に、普天間飛行場の県外移設を含む方針を固め、「普天間基地問題で維新が何らかの見解を出すのであれば、(沖縄に)ご挨拶には伺う。沖縄県の担当者に会ってもらえればありがたい」と話した。

また、仲井眞との面会については「会っていただければありがたいが、いちローカル政治集団が伺うのは失礼ではないか」と述べた。これに対して28日、仲井眞知事は県議会において、「(橋下が)沖縄にお見えになるか、ないしはどこかでお目にかかれれば(話を)伺ってみたい」と答弁した。

3月10日、大阪維新の会は維新政治塾のレジュメの中で、外交・防衛政策の課題として「日本全体で沖縄負担の軽減を図る更なるロードマップの作成に着手」することを明記。「2006年(米軍再編)ロードマップ・普天間問題」を議論の課題に挙げた。

神戸空港

2009年(平成21年)12月1日、橋下は、大阪国際空港を廃港にし、関空・神戸「2つの海上空港」に「選択と集中」させるべきと提言。「関空に限らず、沖縄の基地負担軽減に資する空港は神戸空港」と述べ、関空・神戸ともに関西移設議論の対象であるとの見方を示した。

神戸市の矢田立郎市長は、「神戸空港は市民の利便に資するように造られており、(軍用機)移設は議論の余地もない」と反論。井戸敏三兵庫県知事は、「兵庫県は基地関連施設が随分立地しており、これ以上協力できることがあるか。

ただちに具体案を出すのは難しい」、「自分の思いつきで沖縄県を混乱させていいのか。日米関係をどうするか非常に深刻な議論がなされているところで問題提起としてはあまりにも無責任」と述べた。

在特会会長・桜井誠

2014年10月20日、大阪市役所にて、在日特権を許さない市民の会(在特会)会長桜井誠と面会し、会談を行ったが、開始直後から互いに相手を罵り合う状態の中で開始された。「(在特会側は)国政政党の代表に直接申し入れをし、僕が引き受けたことが重要。今後は僕の政治活動を攻撃すればいい」 在特会は、特別永住者制度を問題視。

これに対し、「特別扱いすることはかえって差別を生む」と制度には問題があるとの認識を示し、他の外国人と同様に制度を一本化していく必要があるとの考えを示した。

出演

政治家引退後の出演

橋下×羽鳥の番組-(2016年4月11日-2017年9月25日、テレビ朝日)

橋下徹の即リプ!(2017年10月26日-現在、AbemaTV)

府知事就任後(報道・ワイドショー番組を除く)出演

テレビ番組

ムハハnoたかじん (関西テレビ) 立候補前まではローテーションで月2回間隔で出演。当選・就任後は2ヶ月に一度のペースで、平松邦夫大阪市長(当時)と共にゲスト出演し、トップ会談が行なわれた。

府知事選立候補表明前までの出演

テレビ番組

水野真紀の魔法のレストラン(毎日放送)- レギュラー

六人の悩めるオッサン(関西テレビ)

ド短期ツメコミ教育!豪腕!コーチング!!(テレビ東京)- レギュラー

行列のできる法律相談所(日本テレビ)- 元レギュラー(降板後、2回出演し、1回目は本村弁護士の2回目は大渕弁護士の席に座った。)

森田一義アワー 笑っていいとも!(フジテレビ) - 月曜日レギュラー

笑っていいとも!増刊号

笑っていいとも!特大号

スーパーモーニング(テレビ朝日) - 月曜日レギュラー

情報満載 ひるまで!すっぴん!(読売テレビ)- 火曜日レギュラー

ムーブ!(ABCテレビ)- 木曜日レギュラー

2時ワクッ!(関西テレビ)- 隔週火曜日出演

爆笑問題のバク天! (TBS)- 隔週出演

たかじんのそこまで言って委員会(読売テレビ)- 元・準レギュラー

スタ☆メン(フジテレビ・関西テレビ)- 準レギュラー

あさパラ!(読売テレビ)- 準レギュラー

なるトモ!火曜日(読売テレビ)- 準レギュラー

サンデージャポン(TBS)- 不定期

太田光の私が総理大臣になったら…秘書田中。(日本テレビ) - 不定期

ワイドABCDE〜す(ABCテレビ)

大笑点(日本テレビ)- 2006年に『行列のできる法律相談所』の出演者として出演。

爆笑!2006年こうなる宣言(関西テレビ)

24時間テレビ 「愛は地球を救う」(日本テレビ)

めちゃ2イケてるッ!(フジテレビ)

その他多数

ラジオ番組

ズバリ快答!テレフォン身の上相談(TBSラジオなど)

その他多数

CM

大塚製薬 - オロナミンC

著書

『最後に思わずYESと言わせる最強の交渉術―かけひきで絶対負けない実戦テクニック72』(日本文芸社 2003年6月) ISBN 978-4537251500

『図説 心理戦で絶対負けない交渉術』(上記のリメイク本)(日本文芸社 2005年11月) ISBN 978-4537253290

『まっとう勝負!』(小学館 2006年11月8日) ISBN 978-4093797436

『どうして君は友だちがいないのか (14歳の世渡り術)』(河出書房新社 2007年7月) ISBN 978-4309616445

『橋下徹の問題解決の授業 大炎上知事編』(プレジデント社 2017年11月) ISBN 978-4833451260

『政権奪取論 強い野党の作り方』(朝日新書 2018年9月) ISBN 978-4022737878

『沖縄問題、解決策はこれだ! これで沖縄は再生する。』(朝日出版社 2019年1月) ISBN 978-4255010953

『異端のすすめ ―強みを武器にする生き方―』(ソフトバンククリエイティブ 2020年2月)ISBN 978-4815604097

共著

(堺屋太一)『体制維新―大阪都』(文春新書 2011年1月) ISBN 978-4166608270

(木村草太)『憲法問答』(徳間書店 2018年10月) ISBN 978-4198647063



  第三章  ジャーナリズム・パート

橋下徹は「残念な政治家」で終わるのか?



橋下徹氏は「残念な政治家」で終わってしまうのか。企業・経営バックナンバーへ(大前研一の「産業突然死」時代の人生論。橋下徹氏は「残念な政治家」で終わってしまうのか2014年4月9日より)。

「大阪都構想」をめぐる対立をきっかとした大阪市長の出直し選挙で、橋下徹氏が再選を果たしたが、彼が掲げる大阪都構想が前に進むかどうかは依然として不透明だ。

大義のない出直し選挙の強行によって、残念ながら、地方自治への流れが大きく停滞してしまったことは間違いない。

日本の民主主義史上に残る無意味な選挙。

3月23日に投開票された大阪市長選は、前市長で日本維新の会共同代表の橋下徹氏が新人3氏を引き離して再選を果たした。

橋下氏は大阪都構想の来年4月実現に向け、この夏にも設計図を完成させる考えだ。しかし、橋下氏は意味のない選挙をやってしまった、と私は思う。

野党の主要政党は「大義がない」として対立候補を擁立せず、新人は泡沫候補のみ。お金だけがムダにかかった、非常に恥ずかしい選挙だった。

投票率も過去最低の23.59%。大阪市民の抗議を表したと思われる白票/無効票も史上最高の6万7506票で対立候補3人の合計よりも多かった。

日本の民主主義史上、記録に残る無意味な選挙であったことを物語っている。 ここで「大阪市長選の投票率の推移」をご覧いただきたい。2011年の大阪市長選は大阪府知事選とのダブル選挙で、投票率も非常に高かった。

大阪市長選は40年ぶりに60%超(60.92%)を記録している。

「日本維新の会」で国政進出後、意味のわからない展開に。

そもそも前回のダブル選挙でも、「大阪都構想の実現」が大義名分とされていた。府知事を途中で辞めて、自らが市長となり松井一郎氏を府知事候補にしたのは他ならぬ「府市一体で大阪都構想」を進めるためであった。

そのダブル選挙で橋下氏が率いる大阪維新の会は圧勝したのだから、大阪都構想を実現してくれるものと支持した有権者は誰もが思っただろう。

ところが、大阪維新の会は2012年9月に「日本維新の会」という政党を結成して国政に進出し、意味のよく分からない展開を見せた。

とくに右寄りで自民党を脱藩したベテラン議員の集団である「たちあがれ日本」転じて「太陽の党」と合併して石原慎太郎氏と共同代表になったあたりから大阪への関心が薄れて国政を視野に入れた動きや発言が多くなった。

その流れに沿ったのか、2013年5月には、従軍慰安婦問題をめぐって橋下氏自身が余計な発言をして、無用な政治的混乱を招いた。

7月に大阪市の姉妹都市である米国サンフランシスコ市を訪問する直前であっただけに、米国でも女性団体、韓国・中国ロビーの総バッシングに遭って訪米を断念する羽目に追い込まれる、という国際問題を引き起こしている。

地方自治体の首長が深刻な国際問題を起こした例としては、(1)共同代表を務める石原慎太郎氏が都知事時代に買収すると言い出した尖閣諸島問題、(2)米国でも大騒ぎとなった橋下徹氏の従軍慰安婦発言――があるが、ともに日本維新の会の共同代表を務める、というオチまで付いている。

神通力が完全に消えて「橋下離れ」。

そんなこともあって、今では自民党をはじめ各政党や中央官庁の役人たちが橋下氏を全く怖がらなくなっている。

橋下氏を大阪に閉じ込めておかないと「江戸に攻め上がってきたら大変だ」というのが橋下氏の影響力の源になっていただけに、「橋下はもう台風の目にはなりえない」と、完全に見下している状況だ。

道州制、地方自治など予定されていた法案も先の議会で静かに葬り去られた。しかも、今回の出直し選挙によって、地元・大阪でも、橋下氏の神通力は完全に消えてしまった。 

次の選挙でにらまれたら怖い、というのが議員たちが橋下氏に従ってきた理由だから、もはや市議会においても統率力は無くなっており、急速な「橋下離れ」が起きている。

つまり、彼が推進しようとしていた市バスや地下鉄の黒字化、民営化などの動きも急速に鈍くなっているし、議員たちは地元の赤字路線の撤廃には再び抵抗するようになっている。

大阪発のベンチャーを増やしていこうというまじめな取り組みも、協力企業の熱意が急速に萎んでいる。

これから先は、橋下氏が考えているような大阪都構想はうまく進まないだろう。これまで以上に議会などがサボタージュする可能性が高まっている。

大阪都構想に以前から反対している堺市だけでなく、他の自治体も従わないところが増えてくるだろう。

今回の選挙の直接のきっかけとなった「区割り案」に関しては甲論乙駁というより、そもそも議論に向き合わない議員が続出し、橋下氏は1人で区割り案を提出する羽目になるのではないだろうか?

議員だけでなく大阪市民までもが見限った。

橋下氏のミスは、2011年のダブル選挙の直後に大阪都構想を一気に進めてしまわなかったことだ。

何度か指摘してきたように、彼の中央政界における影響力は、大阪維新の会が全国政党になることではなく、大阪での改革を進めるにあたって中央が邪魔している部分を集中的に攻撃し、直させることにあった。

そのための大前の提案は、大阪で橋下改革を成功させ、全国の自治体を「自分たちも!」と立ち上がらせることであったはずだ。

中途半端な(思想も政策も異にする政党と合併して)全国政党となり国政と国際問題に翻弄されてひっくり返ってしまった。

いままた日本維新の会は結いの党と合併/統合をするという。もうコメントする気にもならない。チャンスを見逃した、というよりは自分で繰り返し間違いを犯してしまったのである。

とくに前回の府・市一体改革を進めるというダブル選挙の公約を守らず、そのくせ同じ公約を掲げて意味のない単独市長選をやったことによって、議員たちだけでなく、大阪市民までもが「橋下徹」という「金の卵」(かも知れなかった政治家)を見限ったのである。「統治機構を変える」ことこそが「一大使命」だったはず。

有権者はシラけ、野党は高笑いしている。

橋下氏自身も選挙後に「大阪市民の多くの皆さんから信任を得たと堂々と言える状況ではない」と述べ、現実を認めている。世間を騒がすようなことばかり考え、肝心の政策を地道に進めることをしなければ、金の卵どころか、「結局は一介のタレントに過ぎなかった」と評されてもしかたないだろう。道州制を実現してくれるのではないか、という期待から有力なアドバイザーを紹介するなどして応援してきた私自身も、太陽の党と合併した後の橋下氏の(不必要な)言動には失望の念を禁じ得ない。

橋下氏が政界に登場したときは、「もしかしたら国のかたちを変えてくれるかもしれない」と期待を抱かせてくれた。

彼自身も「統治機構を変える」とよく叫んでいた。

それこそが、彼がユニークで、歴史に残る政治家になれた「一大使命」であったはずだ。

橋下氏のような政治家は、過去にも何度か現れた。細川護煕氏は政治改革とともに地方分権の実現を訴えた。

小泉純一郎氏は「中央から地方へ」をスローガンに、財源の移譲を含む「三位一体の改革」を進めようとした。

残念な政治家の列に加わろうとしている。

しかし、細川氏も小泉氏も「本物」ではなかった。

細川氏は地方分権を進めるまでもなく、さっさと政権を投げ出した。

小泉氏は、地方分権も郵政民営化も中途半端なまま政界を去ってしまった。

いずれも「スローガン」だけで現実は何も変わらなかった。最近ではこの2人が組んで「脱原発」で都知事選を戦い日本中から失笑を買っている。

国のかたちを変えてくれそうな政治家が現れ、一時的に国民の人気を得ることはあっても、結局、何も実現しないまま終わってしまうというのが日本の政治だった。

現時点では橋下氏も、そうした残念な政治家の列に加わろうとしている。

橋下氏はまだ若いのだから、もしかしたらいずれ別の場面で再び花開くことがあるかもしれない。

ただ、政治的なチャンスを一度逃してしまうと、再び火を点けることは困難だ。

国民の政治不信のマグマがたまるまで、しばらく時間がかかりそうである。

いま国民の支持率が高い安倍政権はまさに官僚主導・中央集権の権化である。民主党の唱えた「コンクリートから人へ」の真反対である「人からコンクリートへ」とカネのかかる道を爆走中。

当然その推進に必要な財源は長くは続かない。いずれ、閉塞した地方自治体を何とかしなくてはいけない、という認識が頭をもたげてくる時があるだろう。

その時を信じて、統治機構の改革は次の「メサイヤ(救世主)」が出てくるまで心の中で念じ続けることにしよう。




         


 第四章 集団ヒステリー『脱原発デモ』

 原発反対と「脱原発ゼロ」学生運動





ここで「即時脱原発デモ」「卒原発」の幼稚さをパロディにしてみたので読んで欲しい。

小泉元首相の一連の発言に、進次郎議員はどう連動するのか。

小泉純一郎元首相が「原発ゼロ」発言を強めている。その真意とは。2013年9月24日、東京・六本木ヒルズで開かれたビジネス誌「プレジデント」の創刊50周年記念フォーラムで、大きな拍手で迎えられた小泉純一郎元首相(71)は、挨拶(あいさつ)もそこそこに切り出した。

「私は(政界を)引退して、最近は国会議員よりも経済界の方々と話す機会が多い。そこで話しますと、原発ゼロになったら日本は成長できない、原発ゼロは無責任だという声が多いんです。しかし私はいままで原子力の専門家たちが言っていた、原発は安全でクリーンでコストが安いというのは本当なのか、自分なりに勉強してみました。

そして疑問を抱いたのです。原子力は果たして現在の人間が制御できるのだろうか。そしていま、私は原発はゼロにすべきだ、しかもできるだけ早く政治はゼロの方針を決断すべきだ。そういう論者になっているのです」

最近では、2013年8月26日付の毎日新聞に掲載されたコラムが永田町を大きく揺るがした。山田孝男編集委員のインタビューに、こう語ったというのだ。「いま、オレが現役に戻って、態度未定の国会議員を説得するとしてね、『原発は必要』という線でまとめる自信はない。今回いろいろ見て、『原発ゼロ』という方向なら説得できると思ったな」「今ゼロという方針を打ち出さないと将来ゼロにするのは難しいんだよ。野党はみんな原発ゼロに賛成だ。総理が決断すりゃできる」

記事の直後、本当に小泉氏の発言なのか疑問視する向きもあったが、今回の講演内容と照らし合わせれば一目瞭然だろう。小泉氏は、“意図的”に「脱原発」発言を繰り返している。引退から4年になる小泉氏だが、いまでも人気は高く、発言の影響力は衰えない。ともすれば、「原発再稼働」に前のめり気味な安倍政権(当時)への“当てつけ”のようにも見える。「反原発発言は、安倍政権に対する不満からでしょう。再稼働にカジを切った政権に対して、強烈に異議申し立てしたいのだと思います。さらに、バラまき路線の経済政策に対しても不満を募らせている。真の改革は国民にも痛みを強いるもの、というのが小泉さんの持論だからです」(先の永田町関係者)



 2011年3月11日、東日本大震災である。20分くらいの巨大な地震と津波で家屋や店舗や車などやられ、甚大な被害を東北地方一帯にもたらした。それは福島県の浜通りにある、原子力発電所も同じだった。

 福島原発のほとんどは想定外の大地震と大津波でメルトダウン、メルトスルー、をし、原発事故の様子がテレビで延々と放送される。福島の被災者の幼い子供や若い母親が「原発怖い……放射能怖い…」と涙を流すのを観た連中は「集団ヒステリー」を起こし、脱原発運動が拡大した。

 そんな中、学生運動が日本でも起こる。「原発反対! 原発反対!」

 「脱原発! 原発即時ゼロ!」「原発は悪魔だ!原発はヒトラーだ!」

 「広島・長崎の原爆を忘れたのか?!」「子供達のために原発をゼロに! すぐに即時原発ゼロ! 卒原発!」

 当時の菅直人首相(当時)、野田首相(当時)と民主党政権(当時)での『原発段階的廃止』に反対してデモ拡大…「そんなんじゃなくぼくらは即時原発廃止なんだ~い!」。集団ヒステリーで「脱原発・卒原発」と盲目的に首相官邸付近で集団デモをお祭り気分でやる集団があらわれた。手弁当で。そして、それより暴力的に全学共闘会議(全学闘)による大學講堂事件…そして、機動隊突入……山本太郎参議院議員(当時)の天皇利用手紙事件…反日デモ……熱しやすい学生たちは毛沢東やレーニンに憧れて暴走…。ホームレスが殺害されても、派遣切り、通り魔殺害でもニヒル(皮肉)な笑みを浮かべるだけのくせに脱原発デモには熱中した。

 甘やかされてつけ上り、親や他人に罵声を浴びせ掛けて殺す……ホームレスを集団リンチで殺す中学生たち。酒鬼薔薇、佐世保少女A、秋葉原通り魔・加藤智大……

 まあ「いまの子供は…」などという言葉は古代エジプト時代にも聞かれたという。 だが、団塊の世代の時代に酒鬼薔薇や佐世保少女Aや秋葉原通り魔・加藤智大がいただろうか? 日本赤軍のテロルや東大学生運動にしても、他人を殺す”快楽”を求めたものではなかったと思う。というより(共産主義信仰は馬鹿だが)、純粋に『世の中を変えたい』という強い意思からの運動だった訳だ。

 今のネットに氾濫する『馬鹿げた書き込み』に代表される、無力感、醜悪感、下劣感、誹謗中傷……こんなことで何もかわらないと思う。

 無力で無能過ぎる。

 一流大学には入学できても”憂える””兵糧”が読めなかったり、特許ひとつ取れぬ… こんな連中ばかりでは日本は間違いなく滅びる。

  原発に反対したり、反戦争、反貧困、反権力、反官僚政治……

 只、今の若者にはパワーがない。ゲバ棒もってヘルメットかぶってデモやれ…なんて誰もいわない。

 が、もう少し社会奉仕や正義を貫く人達がデモや暴力でなく出てきてもいい筈だ。ホリエモンや小室哲哉に代表される拝金主義者たちばかりで、アグリー(醜悪)でしかない。

 この国を誰かが『顔のない独裁』といった。

 その通り! 官僚という顔のない連中が馬鹿政治家たちを操って食い物にしている。

 年金、医療、雇用、介護、産業、財政……すべてにいきづまっている。

 政治家や首相は朝令暮改、揚げ足を取るのに大忙し、誰も国民のことなど考えてもいない。こういう世の中だからこそ、集団ヒステリーの「即時原発ゼロ」等という無邪気で無知な思想が出てくるのである。

 共産主義が良いなんて言っている訳ではない。共産主義(マルクス、レーニン主義)はソ連邦の崩壊などで、誰でも「失敗だった」とわかっている。

 だけども、では東日本大震災や米国発金融恐慌で、ゼニ色の資本主義も怪しい目でみられている。『蟹工船』みたいなかつての共産主義者が書いた本が売れているという。

 共産主義では駄目なのだ、というのは拙書のゴルバチョフ小説で書いてある。詳書しない。が、じゃあ『銭色の資本主義』のままでコミュニティが維持できるのか?

 それのアンサー(答え)が今、求められているのだ。


  2011(平成23)年、首相官邸前脱原発デモ・大学講堂脱原発デモ籠城事件は起こった。

 2011年、民主党政権(当時)(当時)と官僚との調整が泥沼化し、東京中で反原発デモや反原発学生運動が繰り広げられた。大学では医学部のインターン制度の問題に端を発した対立で、全学共闘会議(全学闘)の学生たちが講堂に立て籠もり火炎物や鉄パイプなどの武器を運び込み、学生と8500人の機動隊が激突した。籠城時間36時間、377人逮捕…

 機動隊が殺気だっていたのも、ある巡査部長が、反原発学生デモで頭にレンガが激突して殉職したからだという。仇打ち……という訳だ。

 確かに当時の民主党政権(当時)は泥沼化していた。利権を守る官僚たちに泥沼に引き摺られていた。フランスでも一千人による反原発学生デモが起こる。インターン制度でもめて、学生(しかも大学生)が日本でもゲバ棒をもって、「原発犯罪!原発ゼロ!」のプラカードを持ち、デモをした。

「原発反対! 原発反対!」

「原発ゼロ! 広島・長崎・福島の悲劇を二度と繰り返すな! 被災者の願いは原発ゼロ!」

 物凄いシュプレキコールがこだまする。

 学生たちが大學講堂に立て籠もったのが3月15日、そしてそのままずるずると4月になり、大学長が辞任し、後任体制に……。文科省は4月15日までに立て籠もり状態が解消されなければ警察と機動隊を突入させろ、とうるさい。

「とにかく、話し合って平和利に籠城の解散を我々としては…望んでおります」

 学長は、共産主義や毛沢東やレーニンに憧れる学生たちをなんとか切り崩しにかかる。罰則の免除や、学生の単位取得などで脅す。…残りは377人となった。

 赤い旗や脱原発の主題歌を歌う学生たち……

「政治家が脱原発を決断すればすぐさま「原発ゼロ」になる」…何と間抜けな発言だろう。では何故間抜けなのか?確かに私も将来的には脱原発の人間だ。原発推進派でも原子力ムラや原発利権とも無縁だ。だが、すぐに原発ゼロ等無理なのだ。何故今電力料金値上げや電力不足が起こっているのか?当たり前ながら原子力分の30%の負担分を火力発電に特化しているからだ。円安と中東情勢で(火力発電用の)燃料価格も高騰している。更なる電力料金値上げや不足が待っていることぐらい何故わからないのか?「脱原発行動」等集団ヒステリーでしかない。小林よしのりというマンガ家は「原発推進派の嘘をあばく」「従軍慰安婦の嘘もわしがあばいた」と鼻高々だ。「真実が知りたければわしのブログを読め」等という。でも有料だ。アフィリエイトで広告収入だけで無料なら意見も読む。が、大金とられて、「無邪気なマンガ思想」読まされてもなあ。小林よしのりさん、もう少し勉強しろよ。


 警視庁では、長官が若手キャリアの姫川・警視庁警備部第一課長(当時)と話しているところだった。「学生なんでね。しかも、大学生なんだよ」

「しかし、大学生にもなってゲバ棒と共産主義ですか? 脱原発はおまけで……馬鹿ですな?」

「日本共産党や中国が裏で何か動いているらしい」

「わかりました長官。しかし……これで学生たちを捕まえたら…恨まれるでしょうなぁ。キャリア組に」

 姫川はにやりとした。

 彼にとっては、学生は『跳ねっかえり』のようなものである。馬鹿げた共産主義に賛同して、反米反原発を唱える馬鹿げた阿呆学生……そんなものは赤子の手を捻るが如く逮捕できる…彼は当時はそう思っていた。ガキが好きなだけ暴れてろ! だが、誰もガキのたわごと何かきかねぇんだぜ! 姫川はにやりとした。当時はあれほど時間がかかるとは思わぬ。 全学闘には『外人部隊』と呼ばれる組織があり(本当に外国人が組織していた訳ではなく過激派の種類だろう)、ゲバ棒とヘルメットと赤旗と鉄パイプなどで武装して、次々と派手に公共施設を破壊し、放火していく…。学長は忍耐の限界だった。

「もう駄目だ! 限界だ! 警察と機動隊を呼べ!」

「しかし…学生や脱原発活動集団たちはニトログリセリンも入手したという情報が……」

「だから……警察にまかせようというのだ! ガキどもを甘やかすな!」

 姫川らは学長と対峙した。

「学長……あんたは学生たちとの話し合いで、機動隊は呼ばないと約束したそうですな?」「…まあ、しかし、もう限界なんです」

「ガキどもは”ニトロ(ダイナマイトの原料)”も入手したというのは本当ですか?」

 学長は無言でしばらくしてから、「わかりかねる。そういう話しもあるという…」

「わかりました! 後は警察にまかせてください。でもいいですか、都市ガスと電気は止めて置くように……ガキどもを兵糧攻めにするのです」

 いよいよ、これから姫川の出番である。






          首相官邸前・大學講堂「脱原発デモ」鎮圧へ





  脱原発活動集団や学生の夢は『革命』だった。

 それは明治維新のような、いや彼等彼女らは毛沢東やレーニンに憧れていたという。

 間抜けな話しだ。

 悪平等の『共産主義』などに染まっていた訳だ。

 当時は民主党政府と官僚との戦争が泥沼化しており、その報道がおもだった。原発事故映像、赤子が「原発怖い、放射能怖い」と泣く映像、若い母親が「子どもたちのために原発ゼロにして!」と涙ながらに言う映像……

 また当時のカリスマ・マンガ・ジャーナリスト、小林よしのりが『脱原発論』などを取材して出版していた。裏に共産党や中国が蠢いていた。

 当時の日本人は原発がゼロになって火力に(原発分の30%が)特化していて(燃料代高騰等で)、それで電力料金値上げ、電力不足が起こっていることに無知であった。

 ポピュリズム(大衆迎合)の胡散臭い輩が跋扈していた。

  脱原発派、学生たちは無知だった。

 共産主義者たちの流すプロパガンダに乗せられ、『革命』を夢見たという。『革命』だの『国民運動』だの『暴動』だのは、百姓一揆みたいなもので成功する筈もない。

 ソビエト連邦が崩壊して、連中も夢から覚めただろう。が、今回の東日本大震災で、また共産主義や社会主義が見直されている……馬鹿らしい。そもそも社会主義自体が『悪平等』で『福祉重視過ぎる』のであり、そんなもの埋め込んでも機能する訳はない。

 そう考えること自体が馬鹿だが、まだ無知なやつはゴロゴロいる。

 知子もそんなひとりだった。

 彼女は玄関で出ていこうとして兄に止められたという。

「知子! 馬鹿げたことに関わるな! 母さんや父さんがどれだけ心配するかわかってるのか?!」

「兄さんにはわからないのよ! 原発のせいで福島の被災者のひとは苦しんでるの! 原発は悪魔よ! このまま何もしないなんて無責任よ!」

「……無責任でも駄目なものは駄目だ!」

「兄さんの馬鹿! 革命はきっとやらなければならないの! この国は今、危機なのよ!」知子はそういって兄の手を振り切ると、大学生講堂へ向かった。

  姫川と学長と警部一課は『ニトロ』に拘った。

 当たり前だ。

 ガキどもがニトログリセリンを調合してダイナマイトを作っているなら、大量の死者が出るからだ。「本当に学生たちが”ニトロ”をもっているのかな?」

「とにかく……最悪のことを想定して事に当たろう。ガキどもめ!」


  学生たちは皆、ヘルメットを被り、ゲバ棒をもって籠城していた。「脱原発」プレートに赤旗と鉄パイプに火炎瓶、投石用レンガ片……まさに学生運動そのものだ。

 学生たちは共産主義に染まっていた。レーニンや毛沢東に憧れて、脱原発ゼロのテーマを口ずさむ。

 革命というにはあまりにもおそまつ過ぎる。維新あたりがちょうどだろう。

 堤一郎(大学院経済学研究科(仮名・当時))は実は籠城していながらも結婚していたという。彼は籠城先でスマホで、奥さんにツイートしようとスマホを握ったが、やめた……自分は『革命をする』という義があった。例え嘲笑されようとも、そこには「腐った日本を変えたい」「原発をゼロにしたい! 即座に段階的なんかじゃなく即座に原発ゼロだ!」という義があった。その際、自分は警察に逮捕されるかも知れない。

 離婚しようか……? ふとそんな考えまで頭をよぎった。

 彼がそんな考えで茫然としている頃、伏し嗅ぎ(スパイ)として警視庁の宇田川が土木作業員になりすまして学堂をみてまわっていた。ハッキリいうと酷かった。

 辺りには赤旗に、派手なスローガンと放火の跡、ゲバ棒に叫ぶ学生……しかし、そんな光景を茫然と眺めにきた訳ではなかった。彼の使命は只ひとつである。

 つまり、”ニトロ”の存在である。

 ……本当に学生たちが”ニトログリセリン”をもっているのか…?

 宇田川はひとりで土木作業員の格好に化けて、色々と探索した。そして、”ニトロ”らしい試験官がある部屋をみた。そんなとき、学生たちが背後から鉄パイプで彼の頭を殴った。その衝撃で、宇田川はのたうった。学生たちは彼の懐を探る。スマホが出てきた。

 ……**建設工業 佐藤一則…

 学生たちは詫びた。「これはすみません! 本当に土木会社のひとでしたか…」

 宇田川は助かったと思った。用心はするものである。スマホ(スマートフォン)のフェイスブック(facebook)のニセプロフィール(偽自己紹介表)まで用意しておいてよかった。ガキどもは自分を”只の土木会社のオッサン”くらいにしかみてないのだ。

 さっそく、本部へ戻った彼は確信していった。

「……”ニトロ”はない?」

 姫川は宇田川警部に尋ねた。「…それじゃあ、情報は間違いだというのか?」

「間違いというより、ニセ情報かと…」

「というと?」

「確かに”ニトロ”らしき試験官はありました。みました。しかし、”ニトロ”っていうのは常温で保管しておけば爆発する危ないものなんです。あれは…ニセものです」

「じゃあ、ハリボテか?」

「そうです。連中はハッタリかましてるんです。”ニトロ”なんかないのにさもあるようにみせてうち(警察)らを脅しているつもりなんでしょう」

「…面白い」

 姫川はにやりとした。こりゃあ、勝ったな…ガキどもなどに最初から負ける訳がない。只、こっちも殉職者や学生死亡者を出すと世間がうるさい。

 マスコミも馬鹿みたいに報道するし……こっち(警察)だって大変なのだ。


  首相官邸前で「脱原発デモ」をお祭り気分でしていた連中は鎮圧・駆逐した。後は本丸の学生共産主義「脱原発共産主義運動家たち」である。

  火炎瓶600人分、鉄パイプ100人分、ゲバ棒100人分、レンガ片6千石……

 機動隊突入まで13時間で、まだ70人あまりが講堂内にいる。

”反原発主義””反資本主義””親共産主義”…逮捕覚悟で入っていた。

 ML隊の瀧澤はいう。

「どうせなら、学生たちで革命しようと……脱原発……毛沢東やレーニンなんだと…チェ・ゲバラなんだと…」

 籠城準備は整った。全学闘の連中は、医学部図書館に200人、講文会館に300人、法学部研究室600人、工学部列品館250人……

 脱原発と赤旗とインターナショナル、ゲバ棒とヘルメット…すべては一触触発の雰囲気である。 しかし、革命とは……。

 現在では、毛沢東やレーニンやチェ・ゲバラの革命は『間違いだった』というのが説としてある。現実にソ連は崩壊したし、中国だって、鄧小平の改革解放経済で発展したのだ。 毛沢東は『文化大革命』という馬鹿げた策で、失敗したではないか。

 資本主義だって完璧ではない。しかし、悪平等の共産主義よりはマシだ。


 即時脱原発いまだならず!






  姫川は講堂の学生に電話した。

 まだ午後のひだまりどきだった。「4月19日午前10時までに講堂から出ていくんだ」

 諭すようにいった。しかし、学生は反発した。

「来るならこい!」

 スマホを殴るように切った。夜になった。暗くなり、学生たちは女学生たちを帰そうとした。これからは僕たち男だけで闘う……しかし、女の子たちは残るという。

「反原発! 即時原発ゼロです! 金持ちだけが得をする…こんな社会を変えたい!」

「こんな日本では駄目なんです! 革命しかありません、国民運動です!」

 次々にツイッターやLINEで呟く。

 焚き火していた学生たちは、ふと明治維新の志士たちの如き気持ちだったという。

 辞世の句でもつぶやこうか…?

「とにかく、明日朝になれば機動隊との戦争だ!」

「これが革命だな。日本が変わるかどうかは僕たち若者次第だ……こんな国じゃ駄目なんだ。原発ゼロ! こんな金持ちだけが得をする国…学歴だけで認められる国…変えなくちゃ!」

 女学生たちはおにぎりを握った。知子は外に出たという。

 姫川も防弾チョッキとスネ当てをして防御を整えた。

「準備はいいか?! 朝に突撃だぞ!」

  そして、突撃日、2012年4月18日午前7時15分…激突した。機動隊VS法学部過激派学生との闘い。雲霞の如く投石や火炎瓶が乱れ飛ぶ! 押し流せ~っ!

 押して引け、火炎瓶や石を掃き出させろ!

 30分で医学部の学生は逮捕した。しかし、まだ拠点がある。マスコミも生中継で放送している。ガキどもに死者が出たらどうなるか……こっち(警察)だってひとりも死者を出す訳にはいかない。それぞれ家族があるのだ。やられるか!

 火炎瓶をよけ、石を機動隊員らは盾でよけながら突撃する。「行け~っ! 押し流せ~っ!」ついに催涙弾を使うことになった。学生たちに催涙弾が浴びせられる。

 …ゴホゴホ…諦めるな! 革命だ! 脱原発だ!

 そんな中、学生たちは火炎放射器で応戦する。

「くそっ! あれだけ都市ガスを止めろと言ったのに!」姫川は珍しく焦った。

「ガキどもに負けるな! 突撃! 突撃!」

 数では機動隊のほうが上である。そんな中、学生ひとりが怪我をした。

「停戦~っ! こっちに怪我人が出た~っ、病院に運んでくれ~っ!」

 学生たちの言葉が拡声器で聞こえる。メールが届いた。「何が停戦だ? 戦でもしているつもりか?」すぐに既読された。

 姫川は苛立った。しかし、怪我人ということで、一応はマスコミ対策として怪我人学生を運びだし、救急車で病院に搬送した。そして、また激突!

 機動隊と学生たちは激しい闘いを見せる。しかし、午後1時25分、列品館が陥落した。まだ講堂のところには女学生たちがいて、拡声器で何かいっている。

 放水音や激突音やヘリコプターの爆音でよくききとれない。

「………きいているか! 福島では何の罪もない赤ん坊や子供が大量に放射能で殺戮されている、それでも帝国主義者や利益集団、原子力ムラたちの肩をもつのか?! 我々の主張は…ひとつだけ……。学歴でも…性別でもない…放射能でもない……誰もが…平等で……過ごせる…平和な日本……。その…ためには脱原発と再生可能エネルギーによる格差解消と……そのための革命! 福島の同胞たちが虐殺されていることをどう思うのか?! お前は殺戮者とベッドを共にするのか?!」

 アジを張る学生…むなしく聞いている機動隊……マスコミやYOU-Tubeが、女学生が倒れるのをアップにする。

 次第に暗くなる。深夜になって、姫川は突撃を明日早朝とすることに決めた。

 学生たちは一時とはいえ勝利した。

「よし、今夜は突撃はないようだな?」

「僕たちの勝利だ。しかし、もう寝るところもない。放水でびしょびしょだ。食べ物もない。仕方ない……今夜は立ったまま眠るしかない」

 学生たちは油断した。放水の水で防水機能のないスマホが使えなくなる。

「脱原発! 反原発! 即時に原発ゼロ!」ブログやLINEやフェイスブックは次々に炎上する。 

 姫川は陽動作戦をとった。まず、本隊を講堂に集めて囮として、裏の駐車場に突撃部隊を配置した。夜が開けると同時に突撃部隊がガラスを割って中に突撃するのだ!

 そして、夜は明けた。学生立ちは袋小路のような講堂だけの存在になった。

 学生たちはなおも火炎瓶や投石で応戦する。

 しかし、数で勝る機動隊が圧倒する。「押し流せ~っ!」

 やがて、ホールのようなところに機動隊が突撃した。勝負あった。チェック・メイト! 学生たちは寒さにこごえながら、肩を組んで「脱原発のテーマ」を歌っている。

「突撃~っ! 全員逮捕しろ~っ!」

 機動隊は学生たちを身柄確保した。これで残りは大学の時計台だけになった。

 時計台から拡声器の空しい声がする。

「虐殺を認めるのか?! 日本人たちよ…聞け! 革命して平和な…格差のない…失業者のいない国にし…よう!脱原発!」

 ふと、警察たちが「あいつら大学まで出ておいて…逮捕されて将来どうするんでしょう?」と放水されて佇む学生たちを眺めて、呟いた。

 姫川は「ふん! そんなことより自分のことを考えろ、何が革命だ……維新か?」

 といいながらも深刻な顔になっていて自分でも驚いたという。

 そして、午後4時15~午後5時45分ですべてがおわった。

 全員逮捕された。マスコミが逮捕の一部始終を伝える。……何にせよ、おわった。

 そして、即時脱原発いまだならず、と付け加えたい。というかそんなにすぐには脱原発は無理で現実的ではないのだ。

 学生たちにシンパシー(同情感)は感じないし、共産主義などどうしようもない。しかし、ここまで国のことを憂えて行動するパワーは立派だと思う。

 逮捕されて、もしかしたら死ぬかも知れない。それでも国の革命のために闘う…。向かう方向と思想が間違っているが、故に彼等彼女らを忍ぶのもまた故としない。

 さて、山本太郎という参議院議員(当時)がいる。

「あいつらは金だけで繋がっている。俺たちは命をかけている、負ける訳ない」

 と原発反対派住民集団を煽り、市役所に突撃したり、「自分の脱原発の意見書です。読んでください」と2013年秋の園遊会で平成天皇陛下に手紙を渡す等した。

 彼のモットーは「脱原発に2兆票投票したい」というもの。

 原発分の30%が火力に特化して、燃料費高騰等で1年間で2兆円赤字になっても、「即時原発ゼロ!」等と集団ヒステリーと無知で叫ぶ馬鹿たれである。

 こんなひとが一定の票を集めて、参議院議員になれる異常さ……

 だが、2014年2月9日の都知事選挙では、「即時原発ゼロ」を訴える細川護煕(ほそかわ・もりひろ)候補者(当時・元首相)が、同じく元首相の小泉純一郎氏の応援があったが舛添氏に敗れた。

 都民も日本人も馬鹿ではないということだ。

 こうして無邪気な、集団ヒステリー「脱原発デモ」は終息していった。

 脱原発世代の無謀な革命、青春は、おわった。








橋下徹は妻とのあいだに八人の子供をもうけた。

だが、タレントの知名度を生かしタレント政治家として大阪府知事、大阪市長などを歴任した。だが、文句をいわれると大反論……傲慢さで嫌われた。

弁護士の癖なのか?他人を好き嫌いで判断し、敵を叩きつぶす。

大阪都構想や大阪維新も、いつの間にか国政進出で忘れ、最期は国民にいいように遊ばれ、飽きられて捨てられた。それでも、橋下徹は「運がいい」と思った。

「安倍さんよりマシだ。大前研一みたいな“口だけの男”より、ぼくはちゃんと実績を残した。まあ、小泉さんにくらべればぼくのしたことなど“鼻くそ”程度だけど。」

彼の悪い癖だった。

「ぼくの実績で、おおさか維新の遺産で、日本国民の精神世界が豊かになればいい。ジャパンのため! ジャパンのためだ!」

 そんな橋下徹も中年になって、やがて飽きられて政界引退してしまう。晩年は名声に包まれて、タレント弁護士、文化人として拍手をあびる。橋下徹は微笑んでいることであろう。

橋下徹よ、永遠なれ!この言葉でおわりとしたい。



        おわり


 

                        



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 シン・ハシモト。橋下徹という人間とはなんだったのか? <生か死か大阪都構想 橋下徹物語> 長尾景虎 @garyou999

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