第59話:白衣の鬼神(中)

「ええと、一応米糠から発見した必須酸一号はこちらです。他に何か入り用ですか?」

 必須酸一号、つまりは必須アミノ酸であり、ビタミンのこと(だと彼は思っているが、さすがに無機質ではないというだけでビタミンがアミノ酸であるというのは早計である。とはいえ完全な間違いでは無い当たりが難しいが……)を彼は「アミノ」を抜かして「必須酸」あるいは「対脚気等用蛋白質」と言っているが、なぜ名付ける権利のあるはずの彼が、汎用性の高い一般名詞しか思いつかなかったのは永遠の謎である。一説には、ネーミングセンスが絶望的に低いからだ、という説もあるが、さて。

「使い方を、説明してもらえるかね?」

「はい、白米を主に食べる階層の人間が、食前に1錠ずつか、食間に2錠ずつで、概ね効いてくれるはずです」

 一応、彼は漢方のような服用方法を提案しているが、それは本朝が単離製剤にまだ慣れていない結果、碧素などの慎重を要する物質以外は漢方的製法で作っている場合もあり、熱こそ加えていないものの、水溶性の場合は溶かした液体をカプセル状にしていたり、あるいは脂溶性の場合は油を使った錠剤にしたりといったことを行っていた。なお、いくらオブラートがあるからといってカプセル剤を作るのは当時困難であっただろうに、それを大量に必要とするであろうビタミン剤に使用するその豪儀さは、あまり褒められたものではないだろう。豪儀というか、どんぶり勘定であろうし。……彼によると、何か別の計算があったらしいのだが。

「そうか。ところで、例の抗菌丹とやらは、ここにはないのかね?」

 抗菌丹。つまりは注射ではなく丹、つまりは錠剤にしたペニシリン製剤だが、それは彼自身もペニシリンを発明しただけで胃袋酸を通過させて作用させる方法についてはほぼすべて配下の研究者に丸投げにしている節があり、当時からの分業ないしは分担制作が成されている、のかもしれなかった。なお、彼は特許を研究所全体にせずにきちんと研究者個人登録で行っており、そういう意味でも士気は高かった。

「……ああ、抗菌丹ならば、別の研究所です。向こうも私の名義なので勘違いしましたか?」

  ああ、やっぱりペニシリン目当てか。別にそれ自体はどうでもいいけど、耐性菌問題とか考えたらめったやたらに出すのも、なあ……。とはいえ、抗生物質があるだけで助かる命を見捨てるのも、ばつが悪いし。

「ああ、いや、山本さんの務めている所だったら、と思っただけだ」

  ん、まあ国策研究所になんで卸さないのか、って話だよね。……ゴメンね、さん。さっきから配下の人の会話を若干聞こえる範囲で盗み聞きしているから途中で気づいちゃったんだけど、ペニシリンは一応、あんまし使いすぎると拙いんだ。

「それに、抗菌丹は耐性菌予防のために、めったやたらには出せませんから」

「ん? どういうことだい」

「そもそも、抗菌丹で風邪は治せません。風邪の原因は細菌ではなく半菌ウイルスないしは微細菌マイコプラズマであり、抗菌丹はあくまで細菌、特に黴菌の類いを殺菌するためのものですし、そもそも酒精アルコールを生成した液体を手にかければ、消毒や殺菌は出来ますから」

  まあ、本朝の潔癖性を考えたら、一応アドバイスだけで充分かもしれないけど、アルコール消毒や抗生剤多用を禁じたら、若干耐性菌の繁殖は防ぎやすくなるでしょ。俺も経験はあるけど、初期の風邪とかにまで抗生物質を使い出すのは、さすがに考えた方がいい場合もあるしね。タミフルですら変な副作用がある、って流言飛語が飛び交う時期もあったんだし、枯れた技術とはいえアレルギー、特にアナフィラキシーショックとかも考えたら、そこまで乱用させるのはよくない。

「……酒を飲めば、病気が治るのかい?」

  ……ね? こんな状態の認知では抗生剤が技術的な意味で無駄に死ぬ可能性があるし。とはいえ、泡盛とかウォッカでは、度数が高いからアルコール消毒の代わりにも、いやでも飲用するのは毒にしかならん。

「いえ、酒ではさすがに、酒精の成分が少なすぎてダメですし、そもそも酒は脳を壊します。それに、表皮の消毒に使うから有用なのであり、酒精アルコール自体は茶精カフェインと同様に、毒でしかありませんから。

 第一、人体には胃袋という天然の殺菌作用のある液体が存在します。酒を体内にぶち込むのはあまり良いとはいえませんね」

  まあ、胃酸成分を抽出するのはさすがにいろんな意味で無理だろうけど。

「……ふむ、まあいい。で、この「必須酸一号」の使用注意事項はあるかね?」

「いえ? 必須酸は余分に摂った場合、排泄物に勝手に出ますから、そこまで注意すべきことはありません。第一、必須酸は体内に必須なのにも関わらず人体では自動的に生成できない蛋白タンパク質だからであり、正確には薬品ではなく食品なので、そこまでの危険性はありませんな」

  だって、米、特に白米しか食わねえから脚気になるんであって、ビタミンをしっかり食事でとれる環境になったらこんなもん使う必要ないんだし。……まあ、それができる経済状況じゃねえから苦心する必要があるんだけどさ。

「……そうなのか?」

「とはいえ、まあ取り過ぎて万一症状が出るのも怖いので、適量でお願いしますね」

  ……さて、そろそろなんで侍従長さんが来たのか、説明してもらおうかな。

「ああ、それは、わかっているとも」

「……ところで、陛下の糖尿病が悪化しましたか、侍従長さん」

「なッ……!!」

  ……えっ、なんで驚くのさ。

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