応援コメント

第58話:白衣の鬼神(前)」への応援コメント


  • 編集済

    明治時代だからこそ侍従長が薬問屋に変装しても問題は無いが現代だったら流石に問題になるであろう。

    明治帝と勲章の逸話を1つ。
    現在の日本で運用される勲章は文化勲章を除き明治天皇の御代に制定、制定に合わせて明治天皇は自分で佩用されました、文化勲章は昭和天皇の御代に制定されました。
    明治天皇がイギリスのガーター勲章を授与される際にもそれまでに授与された勲章は身に着けないという決まりに対して特例を認めさせて旭日大綬章を身に着けて授与式に臨まれました、その威風堂々した姿にエドワード7世の名代で訪れた王族が感服していました。

    追記
    文化勲章は昭和12年制定です。
    勲章については私が大学の卒業論文の題材とした為に少しだけ詳しいだけです。

    作者からの返信

    あー、なんか、コメントを催促したようで申し訳ございません。

    ちなみに、氏のコメントの内容を復元するとこんな感じでした(もし、この文面自体が一癖あって消したのならば、ご一報ください)。
    「侍従長が薬問屋に偽装したのはこの時代だからこそなしえた手口であり、現代だったら流石にいろいろと問題になりそう。 」
    そして、上一行でそれを要約しているのはさすがですな。

    ちなみに、実は明治時代でも若干問題視されかねない所業かもしれません(汗)と、申しますのも、薬問屋という制度は、文字通り富山の置き薬からの起源、と私は把握しておりますが、違ってたら以下の文章はただのデタラメないしは年寄り(私が年寄りって意味じゃないですよ!?)のオオボラになるので読み飛ばしてもらっても構いません、といわれており、置き薬というのはいわば布亀の救急箱ちっくな制度なんですが、その置き薬を仕入れて箱に詰めて、家々に配る、というのが昔の薬問屋の仕事ないしは原型、と言われており、その関係上、近代的な薬剤師ほどではないにせよ、ある程度薬品の知識は多い存在なわけで、一説には近代的な薬剤師よりも漢方の知識については高かった人物もいる、なんて説もありますが……、まあ、そういう人物に扮するには、当然ながらある程度その知識や仕草に精通している必要があり、この時期の侍従長は皇室に出入りする薬問屋が前職であったところを取り立てられた、ということにしてあります。実際のこの時期の侍従長がどういう人物だったかは、さすがに調査力の限界もあって難しかった……orz

    そして、文化勲章が昭和天皇のみぎり、というのはさすがに存じておりましたが、確か昭和天皇が人間宣言をなさった後、と当方は記憶しております(これも、認識違いだったら申し訳ない!)が、どうでしょうか?(汗)
    そして、なんというか、明治期の偉人達を見るに、自身を含め平成の人間は果たしてそこまでの立ち居振る舞いができるかどうか……。いやまあ、偉人相手に普通の平民がもとより太刀打ちできるはずが亡いんですが、それ以前の問題としてorz
    本朝が平和ぼけできる程度には平和を得られている証拠、といえばそれまでなのかもしれませんが、果たしてそれは平和なんでしょうかね?(また危険な発言を……)

    返す返す、コメントをねだったようで済みません、そして豆知識ないしは逸話、有り難うございます。その手のエピソードを今後はきちんと、自力で得られるだけの技量を磨けるように励む必要がありますね!(汗)