第55話:新党結成

「さて、議員となる以上は党派を作る必要がありますか」

「……あれだけ渋っていた割には、乗り気だね」

「もう船は出るのでしょう? だったら身構えておく必要はもはやありませんから」

 明治43年2月、山本孝三を勅撰議員に推挙する一報を高橋是清が持参した後に、山本孝三は早くも政党結成を行う旨を発言した。後に、貴族院にて政党政治に加担することを指摘された際に発言した内容としては、「衆議院に加担するのではなく、衆議院に加担させるための政党でございます、衆議院を批判するのならば、批判材料を持っておくために索敵を行う必要がございましょう?」といけしゃあしゃあと言ってのける山本は、しかし裏の目的を話すことは無かった。その、目的とは、つまり。

「勝った上で、自民党的立場に我が党派を持って行けば死した後もどうにかできるだろ」

 ……そう、つまり山本が目指すゴールとは。

「そのためにも、勝たねばならぬ。大日本帝国を無窮の最上位に押し上げるまでは、なんとしてでも死ぬわけには行かぬ」

 かくて、明治42年度は暮れ、43年度を迎える頃、山本が新党結成並びに党員募集を行ったのは、陸軍記念日の翌日であった……。

「まず大分系と但馬系を確保、次いで鳥取、島根に伸ばし、西国全域を取り込むぞ。西国にアカが潜んでいるのは確定だろうから、その監視塔を作り上げる!」

 ……そして、党の名前は次の通りであった。

普良党ぷらとう。普通の臣民が良く暮らせるための党。あるいは富良党ぷらとう、富を東に持って行くための党。

 どちらにするか迷ったが、もう面倒くさいから「ぷら党」でいいぞ」

 ……後に、白人種から「訃は東から来る」と恐れられる「プラトー」の名は、当初は「東北良し、臣民良し、日本良し、吾等良し」の「四方良し」で始まるだけの、泡沫政党であったはずの存在に過ぎなかった……。


 そして、明治43年4月に勅を受けるべく、山本は皇居に来るように言われていた。だが、山本はその際になぜか洋装ではなく和装で、つまりは紋付き袴で来ることにした。それは、明治という時代のある種の新風からは逆行するかに見える光景に見えた。だが……。

「…………」

  選択肢は間違っていない。ただ、問題は俺の緊張感だけだ。ならば、問題にすべきでは無い。しかし、それでも。

「…………」

  珍しく、緊張感の走っている山本少年を侍従が見つけたのは、皇居までの道すがら、時間がかなり空いたこともあって神保町の書籍茶店で緊張感を解くためかハーブティーとクッキーを頼んでいた山本少年と偶然、相席したからであると伝えられている。

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