第44話:元勲達の空騒ぎ? 山縣有朋編
1910年1月5日、西洋曜日にして水曜日のことである。翌朝に登庁した山本孝三を待っていた者は、高橋是清ではなかった。といっても、別に嫉妬による迫害ではない。山本孝三が登庁して高橋是清ではない人物が待っていた理由は、単純に……。
「君が噂の怨霊君かね。まあ楽にして構わんよ、怨念の矛先に向けられることはあの日より慣れている」
……単純に、高橋是清が新年の挨拶回りで連れ回したことによる、物珍しげな元勲や小村達といった政府閣僚経験者ご一行様からの質問攻めであった。
はわわわわわわ。
「高橋大蔵卿より話は聞いている。君が防弾着を発明して命を救った恩人だそうだな」
「それだけではなく、小村全権大使の講和会議を責めずに、むしろよくやったと言えるだけの知嚢の持ち主らしい」
「その齢で医師免許を持っているそうだな。脚気細菌論への看破と言い、是非とも軍医に招きたいのだが……」
みゃーーーーっ!?
……山本孝三は、元勲に囲まれて質問攻めに遭っていた。無論、元勲とて当初は「高橋是清ともあろう者がいくら何でも抜擢に過ぎよう」と鼻で笑う者もいたのだが、そもそもそれを言い出すと彼等とて下級藩士からの抜擢であり、また多くの勲功華族はどこの馬の骨とも解らん連中である。さらに言えば、その元勲は、明治維新の立役者にして日清日露を勝ち進んできた現実主義者達である。山本孝三の凄みを理解するのに、そう時間は掛からなかった。
特に、熱心に山本孝三を口説き落とそうとしたのは陸軍の闇将軍、狂介こと山縣有朋である。何せ、森林太郎が職を賭して脚気の原因を細菌であると言い張り、結果として未曾有の惨害を発生させたことに対する、理路整然とした反論と、その傍証と言うべきオリザニン物質、つまりは「白米にせめてぬか漬けを」といった諸発言を密かに実験してその有用性を確信した山縣は、ことさらに山本を軍医として任官させたがっていたという。
とはいえ、山本は生涯、軍人となることはなかったという。と、いうのも彼曰く、「軍人になったら、自由に軍事に口出しできなくなるし、文民としての軍部擁護という立場から離れることとなる。それは惜しい」とのことで、軍人軽視というよりは軍人擁護のためにあえて文民でいようとする、つまりは「部外者とししての軍事顧問」という立場になるように成れるよう、いわば親軍なれども文民、という立場を固定化させるために軍人をあえて志願先から外したと言われている(とはいえ、後に名誉職を軍部から受け取ったことを考慮した場合、やはり彼自身軍人に未練があったのではないかとも言われている[要出典])。
そして、山本は人工知能黎明期にそれで遊ぶ演算技師の如く、多方面からコメンテーターとして引っ張られることとなる。その最初の関門が、元勲からの質問攻めというわけだ。
……高橋さんいねーし、どう切り抜けたらいいもんか……。
「やはり、あの文学の士の妄言は間違っておったのだな?」
まず、山本孝三にいの一番で群がったのは、山縣有朋であった。
「文学者を妄言と切って捨てるのはどうかとは思いますが、とはいえ脚気細菌論はどう考えても妄言と言えましょう。鈴木氏のオリザニンなる物質は、米ぬかなどに多く含まれており、麦などにも含まれている関係上、麦飯がどうしても嫌であるならば、副食としてぬか漬けをある程度多く取るのではいかがでしょうか。また、ウナギが精を付けるのに有用なのは、やはりこのオリザニンなる物質がウナギに多量に含まれている関係もあると思われます。他、蕎麦や牛乳、豚肉や酒粕などにも、含まれております」
オリザニンがビタミン系物質なのは、伏せておこう。というか、この世界でくらいビタミンではなくオリザニンという名前にしたって、バチはあたらんだろ。
「ほう、そうか。して、オリザニンは脚気以外に何に効く」
ますます食いつく有朋だが、それに対して山本は若干引き気味になりながらも、問答に対しては割と的確に返答した。この辺り、逆浦転生者としてはかなりの及第点と言えるのかも知れない。
「タバコの害に、よく効くと言われております。また、水溶性なので米を研いだら玄米といえどオリザニンが流れ去る可能性を考慮すべきかと」
「ふむ、タバコの害に、ねぇ……」
タバコに害なんてあるのか、と言いたげな有朋であったが、眼前の山本が嘘を吐いているようには見えなかったこともあり、以後この日を契機に有朋はある程度トレードマークとでもいうべき葉巻タバコを控えはじめたという。
「あと、オリザニンを摂取すると胃腸が壮健となる他、過労にもある程度までならば効いてくれる、はずです」
とはいえ、ビタミン剤による過労死抑制効果とかは流石に難しいだろうな。後で「過労厳禁」などの釘は刺しておくか。悪徳企業を未然に防ぐためにもな。
「おう、そうか。では、どうすれば抽出できる」
そらきた! ……私だって、単離抽出技術なんて知らないんだ、ここは推挙の一手に限る!それに、推挙ならば無駄に高名にはなるまい。妬心抑制にも、そして研究力分散のためにも、推挙は行えるときに行っておこう。
「……私はそこまで詳しくはありませんが、詳しい人を知っています。……鈴木梅太郎氏が詳しいでしょう」
「……そうなのか。では、その鈴木という人物を一度召喚するとしよう」
そうこうしているうちに、山縣有朋が山本孝三を独占しているのが面白くないのか、あるいは自分たちも聞きたいことがあったのか、他の元勲が山縣有朋と山本孝三の間に割って入った。
「そろそろいいだろう狂介、次は私の番だ。……さて、この度は防弾着とやらで暗殺の危難から救ってくれてありがとう。ありがとうついでに、質問に答えてはくれまいか」
山縣有朋を昔のように「狂介」と呼んだのは伊藤博文であった。
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