第30話:高橋名人の挑戦状(中)

「まず、日露戦争の借款が返却できるのはいつ頃になると思う?」

 まず、高橋が質問を開始した。その質問内容は基礎的なことであり、彼にとっては児戯のような質問であったが、山本にとっては史実知識が存在しなければ到底予測の付かないものであった。

「……下策や中策の通り進んだ場合、天皇陛下が代替わりしても難しいと思います。何せ、世界規模の恐慌が起きるわけですから」

 実際、彼は恐慌というものをどこまで本気で捉えていたかは謎である。彼は恐慌前の狂奔を経験していなければ、「失われた時代」を子供で感じ取ってはいたものの、一応裕福な中層家庭で育っており、さらに言えば学童にも関わらず貯蓄の喜びというものを知っていた、ある種で希有な存在である。とはいえ、知識は無論存在しており、後に「東洋の奇蹟」と称される恐慌の中でも経済成長を続けることができたのは彼が如何に大日本帝国のみに勝たせるかに腐心していたからと言えよう。

「ふむ。……じゃあ次の質問だ。僕は、下策の通りならば革命騒ぎで殺されるらしいね」

 次は、二・二六事件の質問であった。とはいえ、実は彼はそこまでその事件には詳しくなかった。何せ、彼の脳裏は主にルーズベルトへの怨念で出来ており、そしてその論理に従えばルーズベルトさえいなければ戦争は起きなかったというのだから、それ以外のことを不勉強だったのを責めるのは酷というものだろう。

「……はい」

「そうか。……でも、恐慌が起きたからって何で青年将校が叛乱を起こすんだい?彼らは天皇陛下の指揮下にあるんだろう?」

 そして、未だ統帥権問題が明確になっていないことと元老が多数存在していたことから高橋是清はよもや将兵がクーデターを起こすなどとは死ぬ数日前まで思ってはいなかっただろう。だが、山本孝三の前世は基本怨霊じみた怒りを持っている存在であった。ゆえに、反乱軍側の論理もきちんと類推できていた。それは……。

「……兵隊の多くは、農村部より集められます。そして、農村は大抵貧しいですから……」

 なぜ農村が貧しいのか。それは、言ってしまえば農民とはこの当時、エッセンシャルワーカーに近い存在であった。特に、小作人はそうである。そして、エッセンシャルワーカーは市場経済からは閉め出され、ゆえに貧しいままであった。とはいえ、彼は小作人に対して誰もが思わぬ策で当たることをこの当時既に計画していた。それを語るのは、まだ早いが。

「……ふむ。都市部に上がって豪勢な町人を見て嫉妬、ということかね」

「それも、動機にあると思います」

「……まあいいか。それで、叛乱を?」

「食い物の怨みは、最も恐ろしいもののはずですから」

 戦後の混乱期に農民がとんでもない高飛車でいたことは、彼は知識として知っており、そしてその高飛車に出るわけも、知識として知っていた。とはいえ、あくまで知識に依った思考に過ぎず、彼らの怨念を共有できていたかと言えば、まあ否であろう。だが、先程述べた通り彼は「怨念の人」であった。ゆえに、怨念を晴らすためなら何でもし得た。あとはまあ、言う必要も薄いだろう。

「……まあ、そうだろうね。じゃあ、三つ目の質問に行こうか。……君は、アメリカ合衆国と戦争になった場合、勝てると思うかね?」

「勝たなければなりませぬが、恐らく負けるでしょう」

「……そうか。……質問は以上だ。で、なんだが……」

「……………………」

 場を、長い沈黙が支配した。彼の体感時間で小半刻は経過したと語っていたが、せいぜい5分もあれば良い方であっただろう。裏を返せば、それだけの苦痛な沈黙が流れていたということだが。

「おめでとう、疑いは晴れたよ。……その代わり、と言っては何なんだがね……」

「……………………」

「君、内閣に入る気はあるかい?」

「……………………へっ?」

 ……今度こそ、彼は完全に固まった。

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