第27話:明治42年の収穫祭(前)

 「古城門」は、大きな衝撃を以て迎え入れられた。何せ、創刊号からして衝撃的な内容しかなかったのだ、その部数こそ百部少々と僅かなものでしか無かったが、豪華執筆陣(皮肉なことにその筆頭は山本孝三であったのだが)を見るや目端の利く者は「古城門」を直ちに手に入れ始めた。そして、既に翌朝には……。

「坊ちゃん、昨日より立ち上げた雑誌事業、「古城門計画」で御座いますが……」

  爺の声がする。原稿の催促だろうか?

「後にしろ、第二刊については今その雑誌用の原稿を書いているところだ」

「……い、いえ、昨日の正午には完売してしまったらしく、部数拡充の提案を、と」

「……は?」

  ……え、俺のみたいなもんだぞ、あれ……。

 昭和42年11月3日、即ち当時の天長節に発刊を開始し、平成の今現在でも続いている世界最長発行期間を誇る雑誌、「古城門」は山本孝三を代表取締役社長として立ち上げた「白伐しらばつ出版」、それは山本家が播州に構える赤穂工業の子会社的立ち位置の出版社とされていた、の創業を記念して刊行され、「古城門」は発刊後正午にならぬうちに完売という快挙を成し遂げた。無論、そもそも全国書店に置いたとはいえ先ほど書いた通り百部程度であり、ミニコミどころかピコ手の域を出なかったのだが、試しに内容を購入した読者が驚愕したのはその内容である。なんと、最早時の人と化しつつあった山本少年の直筆連載記事を始め、国防から哲学、更には子供用のコーナーに至るまで、300ページ以上にも上る紙束の中には様々な情報が詰まっていた。それはいわば、日刊でないとはいえ新聞の様相を呈していた。単に山本は、一橋グループや朝日新聞を潰すために内容の充実を図っただけなのだが、それは情報に植えていた民衆にとって、ひどく魅力的に映った。そして、それは決して間違いではあり得なかった……。

「と、いうわけで坊ちゃん、雑誌の売れ行き、非常に好調な滑り出しで御座います。流石に百部では足りなかったのか、早くも増刷を望む声が出ておりますが……」

   全く、能ある鷹は爪を隠すという格言があるが、坊ちゃんの異能は最早かぎ爪程度のものではあるまい。しかも、坊ちゃんにとっては恐らくこの程度は文字通り「児戯」、仕える身ながら、恐ろしゅうございます……。

「本当か」

  おいおい、百部は流石に刷りすぎたかと思ったんだが、完売!? ……生前そこまで売れてくれたら嬉しかったんだがなあ……。

「斯様なこと、戯れで報告など致しませぬ」

「そうか……。……なれば、いくら増刷すれば良いと思う」

   はて、坊ちゃんが相談するとは珍しい。なれば、少々部数を高く見積もりましょうかな。……とはいえ、この売れ行きでは百部や千部程度では却って勢いを殺すことになる。と、なると……。

「……概ね、千では足りませんな」

「……となると……」

「少なくとも、最低限度の需要を満たすにはあと三千部は必要なのではないか、と」

  ……ふーん、三千部かー。……三千部!?

 ……さすがにいくらなんでも百部程度では少なすぎたらしく、「古城門」の題名は先ほど書いた通り、溶けるように正午になる頃には書店から姿を消した。雑誌の増刷は、この当時異例とも言えたが、それを行っても尚、はける自信がありありと窺える売れ行きであった。

「……そうか。増刷の冊数は委細任せる、それよりも利益の計上はどうなっている」

「……さすがに、一号初刷分だけで満洲開拓事業には届きませぬが、それでも二号刊が出回る頃には三百万は行きそうな気配ですな」

「……三百万、か」

 この当時の三百万は、概ね平成に直して百億から三百億、数え方によっては五百億の大台を突破するレベルである。さすがに、50銭の雑誌百部では物理的に不可能であり、爺こと老執事の言うとおりの三千部以上の増刷が前提であったが、いくら何でも一号刊だけでそこまでの利益が出るとは思ってなかったのか、あるいは別の思考を平行して走らせていたのか、一瞬のタイムラグが生じていた。

「何か、拙いので?」

「いや、ちょっと計算してるだけだ。……えーと、この時期の圓は円で掛ける二千程度の……まあ、そんなもんか。他の声はどうなっている」

「やはり、強気の価格設定は拙う御座いましたな、「高すぎる」との声もちらほら御座いまする」

「……可能な限り押さえたんだがな……。円本買うよりは安い筈なんだが」

 一号刊の「古城門」、一号刊初刷ですら50銭という高値であり、なんと後には物価上昇に伴って圓本何冊分か程の値段となり(故に、圓本は売れた……という説もある)、同じ雑誌であり、度々「打倒古城門」を掲げる雑誌連合軍の中核とも言える中央公論(この当時20銭)よりも更に高い値段であった。当然、この当時の一般的(?)な職業である伍長や巡査などの収が150円であり、一年働いても古城門三百部程度であることを考えればどれだけ高値か理解いただけると思う。この当時の物価は平成の御代に比べ概ね1万倍にも及ぶことを考えると、如何にもそれは高級品といえた。とはいえ、山本は戦後のインタビューで「当初、貸本屋が仕入れたり病院の待合室や床屋の雑誌棚に置く感覚で値段設定をしていた。まさかそこまで売れるとは思っていなかったのでな」と語っており、いわばその強気の価格設定は「回し読み」を前提としたものであったことが明らかとなっている。

「やはり、中央公論よりも高いのは拙かったですな」

「とはいえ、これ以上安くすると「古城門」の価値を出しづらくなる。第一中央公論などという坊主の念仏よりも安いとあっては俺の矜持が許さん」

「それは、そうかもしれませんが……」

 この当時に、ブランド力を考慮した雑誌がどれほどあっただろうか。とはいえ、彼は後に貸本事業などを始め、様々な情報を取り扱う際に「全ての情報を網羅してやる」と豪語していた通り、軍事研究電子海インターネットが出来てそれが既存の情報網を駆逐するまではほぼ情報の独占に成功する。

「……判った、新年号はもう少し考えておく」

「有難う御座います」

 ……斯くて、山本孝三の「古城門」は一種の情報財を巧みに帝国臣民に浴びせる役割を一手に担うことになる。それが、善なのか悪なのかは、まだ誰も知らない。

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