第25話:山本孝三VSトーマス・エジソン(前話)
翌朝のことである。
なんだ、これは。
明治42年10月27日付けの朝刊において、伊藤博文暗殺未遂事件の詳細が当然一面を飾ったのだが、山本少年の眼前に映った「驚愕すべき記事」はそれではなかった。その、内容とは。
「やられた! 構想はあったのだが、先を越されたか!」
「坊ちゃん、いかがなさいましたか」
「……合衆国でアルカリ蓄電池が発明されたそうだ」
……トーマス・エジソンのアルカリ電池発明である。実は、エジソンが完成し得たのはまだ試作品一号機の段階に過ぎず、さらに言えばその電池も物理学的にはかなり失敗に近いレベル程度の成功であり、本来ならば特許のレベルにも達していなかったのだが、エジソンは電話の一件になることを恐れ特許申請を強行、現在審査中の段階であったのだが……、山本少年はエジソンの狡猾さを熟知しており、一刻も早い日本発明をせねばならないと焦り始めた。
「……坊ちゃん、よもやとは存じ上げますが……」
眼前の翁は、山本少年がエジソン相手のライバル意識を持っていることに対して、味方であるべき立場にも関わらず恐怖を覚え始めていた。無理からぬことだ、相手は天下の発明王である、それに対して山本孝三は抗生物質と防弾繊維を発明し得たとはいえまだまだ弱冠10代(今一度記すが、彼は明治28年12月の生まれである)の少年に過ぎない。だが、思い出して欲しい。エジソンは山本よりも遙かに貧しい生まれである。にも拘わらず、ここまでの伸張を為した。山本少年がライバル視するのも無理からぬ子とであった。
「だが、アルカリの乾電池はまだ発明されていないはずだ、今日本で乾電池を量産できているところはどこだ!」
「それは……勿論、屋井先蔵氏のところでしょうな」
「業務提携を依頼しよう。頼めるか、爺」
「ははっ」
後に屋井先蔵が語るに曰く、「この資本投下があのときに存在していれば特許をドイツにかっさらわれることもなかったのだが」とあったが、この時山本が後の合資会社屋井乾電池に投下した資本は、現代価値に直して億単位に上るほどであり、なるほどその金額があれば特許取得料金も払えるであろう、といった額であった。
とはいえ、この億という額(無論、明治日本の単位に直せばせいぜい数万なのだが、物価のことを考慮した場合はっきり言って10代の少年が動かすという意味においては異常過ぎる額である)は山本少年が動かせるほぼ全財産に近い額であり、翌年以降には抗生物質と防弾繊維の収入によって莫大な資本が山本少年の下に転がり込んで来るのだが、一時的に山本少年の手元に残る、自由資金はかなり減少することになる。
だが、山本少年はそれをかなりアクロバティックな手法で解決することとなる。その、手段とは……。
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