第19話:もう決めたの、鳥を見に行くって(四)
「正直、私の手には余ります。何せ、私は三男坊ですし、会社の研究所を使えるとはいえ会社は父の持ち物ですから」
断っておこう。一応理論的には発言は正しい(はずだ)し、俺の管轄下の部署ならばともかく、相手の年齢にもよるが斯様な年齢の子供に養われると知れれば、却って辱めに思うだろう。
「……孝三よ」
「はっ」
「おぬし、腹芸は下手なようじゃの」
なんともやれやれ、「灯台」の月旦は本当のようじゃの。自身に掛かる名声がどれほど高いかを知らんと見える。まあ確かに、此奴は三男坊ではあるが、そもそもせいめの実家がなぜ此奴を指定したのか、まだ見えておらんと見える。
「……正直を旨としておりますがゆえ」
「……然様か。……では、何らかの形で匿うことはできぬか?」
「……斯様な少年の庇護下にあると知っては、却って恥になるのでは?」
……ああ、そういうことか。恐らく此奴、本気じゃの。とはいえ、高紹からも全権委任の内諾は貰っておるし、此奴なら申し分ないのじゃが……。
「……おぬし、自身の名声を知らぬのか?」
「はい」
「……はいではないわ。……一応、本人から内諾は取ってある。あやつもこの半年で頭も冷えたろう。なんとかしてはくれぬか」
「……」
……さーて、どうする。
ややあって。
「……実は、一件だけ該当する案件はございます」
音を上げたのは、やはり孝三の方であった。数分間だけだったとはいえ、沈黙に耐えきれなかった彼は、秘蔵の秘とも言える部署を、安斐に提出した。
「ほう! そうかそうか、して、なんじゃ」
「……編集者にございます」
「……えーと、なんじゃ、それは」
「作家集団の相談を取り持ち、雑誌の色に叶う作品に仕立て上げる、いわば作曲家にとっての編曲担当とも言えましょうか」
山本孝三は、まだ紙の上に過ぎない出版社の構想を、安斐に持ち株融資を依頼する形での取引として、安斐の甥、高紹の参入を承知した。だが、まだ作家、即ち小説家の社会的地位が覚束ない時代の出来事である、安斐は、明らかに残念そうな顔をしていた。
「……それしか、ないのか?」
「今、私が提出できる案は、それしかありませぬ」
「……なんともやれやれ……、甥にどう説明すれば良いか……」
高紹が怒る顔を想像して、安斐はげんなりとしていた。だが、孝三はまくし立てるように説得を開始した。
「恐れながら、子爵様」
「なんじゃ」
「……将来的に小説家は、嘱望されるほどの社会的地位を得まする。今は黎明期であるがゆえに、斯様に不遇な立場ではございましょうが、底値で買っておく行為は、決して損とは言えぬかと」
それは、未来を知る者特有の行動であった。何せ、将来的に山本孝三と言えば「神(作家的な意味で)を作った神(同じく、作家的な意味で)」として讃えられるほど、出版社会では絶対的地位を手にするのだ、その彼が抜擢する行為、それそのものがはっきり言って希少であった。だが。
「……あのな、孝三よ。……おぬしの遠眼鏡を疑うわけではないが……、小説家というものがそこまでの社会的地位を得るとは、儂にはどうしても思えんのじゃが」
「こればかりは、私の遠眼鏡を信じて貰う他、御座いませぬ。何せ、海を越えた向こうの殴州に起きましては、作家というものは上流階級のステータスでございますが故」
孝三は、半ば確信的に嘘を吐いた。否、本当のことではあるのだが、彼が裏を取っていないという意味では、嘘であった。だが、ヨーロッパでは作家というものは上流階級のたしなみとして行われるのが普通であり、ゆえに上流階級の出ではないシェイクスピアが半ば伝説的な、あるいは偽の作者という話もある、存在として有名であるのだ。だが、本朝においてはその識字率の高さもあって、作家という存在は誰にでもなれるものであり、同時に希少価値の低さからそこまでの社会的地位を得ていなかった。孝三は後に、作家集団の、それこそ貸本から漫画家、アニメーター、そしてゲームクリエイターから果てはゲーマーやライターに至るまでの存在の、社会的地位を根本から向上させる計画を、この当時に既に立てていたのだから、もはやそれは遠眼鏡どころの話ではない、既存の既得権威との闘争であった。
そして、後に孝三をして「受けて助かった」と言いうる取引――即ち華族様ですら、編集者として働いている――という構造を作り出すことに成功する。それが、今回の取引であった。
「……まあ、よかろう。神童麒麟児のことじゃ、そうでなくとも、高紹めにはそれなりに反省材料とはなろうて。……して、孝三よ、その分では、何かしら最初に行う行動は決めておるのだろう?すこし、話してくれんか」
「ははっ、あくまで画餅、計画上のものに過ぎませんが……」
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