第17話:もう決めたの、鳥を見に行くって(弐)

 明治42年2月、無事卒業も確定し、4月から(正確には4月1日に所員として在籍するだけであり、研究は引き続き自宅で行って良いとされていた)の就職先まで決まって順風満帆に見えた山本の人生だが、彼の表情は暗かった。原因は不明である。そして、彼が三鷹の研究所こと北多摩郡生化学研究所に最初の研究報告書を送付したとき、またしても彼らは度肝を抜かされることとなる。その、研究報告書に書いてあったものとは。

「……これは、本当だろうか」

「とはいえ、かの抗生物質を発見した方でいらっしゃいますし……」

「とはいえ、子供だからなあ……」

「なんだ、何の手紙だ」

「……ああ、あの抗生物質を発見した子供の報告書だ。内容は……」


 報告書 新薬品について 42年4月18日


 初めまして、研究所の皆さん。ビジネス挨拶は苦手なのですが、一応書いた方がいいですかね?

 ……今回発案した薬品は、「向精神薬」、つまりは精神が存在するとされる脳神経系に作用する薬品でございます。

 その名も、「ベンゾジアゼピン」。その名の通りベンゼン環にジアゼピン環がくっついた薬品でして、バルビツール酸系に比べ非常に人間への危険性が抑えられた薬品でございます。今回の化学式は精神安定剤としてエチゾラムとブロマゼパム、それに睡眠薬として活躍できそうな鎮静剤であるブロチゾラムとトリアゾラムでございます。詳しい化学式は別紙を参照してください。

 また、バルビツール酸系に比べはるかに安全ではございますが、それでもオーバードーズには気をつけて下さい、依存性の高い薬ですから。

 今回の薬品も伊東製薬にて製剤を試み、不可能であるならば其方に製造権を売り渡したいと思います。

 また、近日中にリンゲル輸液を改良し、ブドウ糖を添加した熱中症に対策効果のある予防液を送付したいと思います。


 在宅研究員 山本孝三


 ……それは、知識による先駆とはいえ、明らかに世界をかき回すレベルの発明品であった。後に、アプリピラゾールやSSRI、SNRIなども発明(と称した再発見)する山本少年であったが、彼が精神安定剤の付随文書として書いた「リンゲル液改(仮称)」すらも、言うまでも無く世界を変革しうる発明品であった。その成分は、ほぼ某イオンドリンクと同じであり、彼がそれを前世で記憶していたから成せる技であったが、この世界では新発明どころかはっきり言ってオーパーツであった。

 後に、アメリカ合衆国に対して無差別絨毯爆撃を行うための爆弾である「反応炸裂兵器」も彼はこの当時構想にあり、更にはウラニウムも近隣にあることを完全に把握しており、彼を押しとどめるものは社会的立場だけであった。……お忘れかも知れないので山本少年の生年月日を書いておこう。明治二十八年十二月二十四日である。そう、まだ満年齢で13歳なのだ。非常識にもほどがあった。後の回顧録には「私は元来、守勢の人であった」と記されているが、読者がそれに対して総ツッコミをしたのは、言うまでもあるまい。

 だが、こんなもので彼の発明が尽きるわけがない。あくまでも、ベンゾジアゼピンは彼にとってジャブに過ぎなかった……。


 翌月。後に「月刊発明」と称されるその発明報告書が届いた。今回の発明は以下の通りである。


 報告書 リンゲル輸液の改良について 42年5月7日


 ご機嫌よう、山本孝三でございます。前回の発明品は無事解読戴けたでしょうか。今回の発明品は、リンゲル輸液の改良品でございます。成分はカリウムを200mg、カルシウムを20mg、マグネシウムを6mg、グルコース(普通の砂糖でも構いませんが、グルコースが一番吸収効率が良い糖分でございます)を62g、食塩を1.2g、他乳酸20mgとクエン酸400mgを飲用水1Lに攪拌すれば意識のある熱中症患者に対して、特段の効能をもたらします。これを、「命水」として売り出したいと思います。

 次回は、現在研究中であるマラリア対策について進展があれば記述したいと思います。


 在宅研究員 山本孝三


 ……山本は、莫迦だった。否、「愚者」という意味で「莫迦」なのではない。そういう意味は、彼は正しく(未来予知じみた前世知識があるとはいえ)「賢者」であった。彼は意図的に大日本帝国内の技術を加速させることによって先駆を達成させることを第一目標とし、第二目標として大東亜戦役の報復を行うということを考え、その結果彼の研究ノートには大本命である反応炸裂兵器から電探、水中探などの戦争兵器を初めとして集積回路による電子演算器などの実用化できれば大いに勢力が伸張するであろう発明品から電磁気式対人反応自動扉などの何に使うのかよくわからない(本人曰く、「近接信管を作るためだ」と言っていたが、当時の人間の誰が理解し得ただろうか?)ものに至るまで、様々なものが書かれていた。では、なぜそのような偉人が「莫迦」なのか。彼は、歴史を買えることに対して何の躊躇もしていなかった。将来的にアメリカ合衆国やソビエト連邦に対して全身全霊を込めて殴り続け、屈服させた頭を踏みつけて、その上で降伏文書を突きつけてとどめに私刑的報復裁判を行う、という「あの「あやまちはくりかえしません」とはすなわち、「この怒りを忘れずに次こそはきちんと圧倒的勝利することによって復仇を遂げて、墓前に憎い憎い鬼畜米ソの首級を捧げます」という意味である」という、大凡戦後教育とはかけ離れた大人物であるがゆえに、大日本帝国の技術革新を何度も何度も繰り返すというブレーキどころかバックギアまでたたき壊して、アクセル全開で自身が壊れるまで突っ走る、という選択肢以外を意図的に外した、無鉄砲な輩という意味で、「莫迦」であった。

 そして、彼が危惧する事件は、もうすぐそこまで迫っていた……。

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