第16話:もう決めたの、鳥を見に行くって(壱)

「……うっそだー……」

  手元の封書をナイフで開けてみて、真っ先に出てきた言葉は先程の通りである。どうせ受かりっこないと思って肩の力を抜いて受験したからかもしれないが、眼前の通知には「オメー合格したからな責任とれよ」と書かれていた。まあ無論、文章の表面的な文体は丁寧で尚且つ慇懃なものであったのだが、文意を要約すればだいたいそんな感じの意味である。

「……冗談だと信じたいんだけどなあ……」

  眼前の合格通知を睨み付けながら裏工作の可能性を考慮する。あり得ん話ではない。何せ自分で言うのもアレだが俺は抗生物質という概念を証拠品と共に輸入したんだ、裏工作で「コイツにはどんな成績でも良いから医師免許渡しとけ」というやりとりがあったのは容易に想像できる。とはいえ、それじゃ試験の意味がないだろう。点数が足りないのに合格させていたならば、抗議しに行かねば。

「坊ちゃんは、医者になられるのですか?」

  眼前の老いた使用人の長が俺に対して、不思議そうな顔で訊ねた。無理からぬことだ、こんな賢しらなガキの診療ごっこなどよほど進退窮まってもすがるようなボンクラは居るわけないだろうし、すがられた場合は全力は尽くすが俺に出来ることなんてせいぜい実験品を投薬して運を天に任せる程度だ、そんな行為、裏舞台がばれたら賠償金を逆にむしり取られるだろう。

「……いや、あくまで免許取ったとしても医師になる気は無い。使用人の健康状態程度ならまだしも、こんなガキのままごと同然の治療に金払って受けに来たいなんてバカは早々居ないだろう」

「……坊ちゃんは、偶に自己評価を極端なまでにお下げになさいますなあ……」

  それに対して、使用人長がさらに不思議そうな顔でさっきの言葉に反駁した。いやだって、外科手術とか出来ない医者とか、病院勤め出来ないだろ。俺はあくまで研究職に過ぎないんだし、その研究職も脳裏にある合成薬品を出し切ったら恐らくお払い箱だろう。

「事実だろ。ってーか、なんで医師免許を合格できたのか全然見当が付かん」

「……坊ちゃんは、岡山医専を卒業なさいましたよな?」

  む。確かにこんな子僧が医専を卒業したとか噴飯ものだろうが、一応卒業証書はあるんだがね。

「あ、ああ。かなり変則的な方法だが、卒業したのは間違いない」

「……その時点で、医師免許は手に入れておりますぞ」

「えっ」

  何それ知らない。えっ、どういう意味?

「……確かに、当初は帝都の帝国大学だけでございましたが、御代も十五年以降は医学校卒業生は皆医学免許を自動で給付されるようになっておりまする。……坊ちゃん、本当にこのたびの合格通知の意味をわかってらっしゃらないので?」

「……そういや、詳しい文面は見てなかったか。なんて書いてある」

「……ははっ、私めの拙い読解力で宜しいのでしたら、これは新しく創設される医学研究所の研究者としての入所試験ですな」

「えっ」

  えっ、どういう意味? 知らんぞ、俺。俺ただ単に国家資格試験だと思って受けたんだけど。

「いや、それにしても坊ちゃんはまことに運がよろしい。ご一新の後十五年以後、岡山医専は真っ先に国家試験が免除されたことを皮切りに、様々な官立医学校が国家試験を免除されている最中ではございますが、今のところ認可されているのはまだまだ数える程度でございますからな」

「えっ、知らない」

  医学部卒業したら医者免許自動取得可能とか冗談だろ。普通、医学部を出てようやく医者免許のための試験の受験資格が授けられるもんだろ? ……それとも、戦前は違うのか? いや、医師への道がそんな緩いわけあるまい。

「……坊ちゃんは前々から世間知らずなところがございましたが……、良い契機です、研究所に入所して、外の世界を知って下され。さすれば、社交性も身につきましょうぞ」

「……そうか」

「おや」

   人見知りな坊ちゃんにしては珍しい。坊ちゃんは余程のことがあっても人前に出ようとはなさいませんでしたが、三高や岡山医専の卒業が良い契機にでもなりましたかな。

「……いや、富良東聖典にも曰く、「居心地の良い場所を離れ、冷たい風に触れよ。それが始まりじゃ」とあるし、更には中の巫子にも「鳥を待つんじゃなくて、鳥を見に行くの」ともあるしな。……で、どこだ。研究所って」

   ……坊ちゃんは、時折架空の経典を引用する癖がございますが、裏を返せばこういう時の坊ちゃんは、行動を狂いなく導きなさる。これは良い契機かもしれませんな。

「……三鷹ですな」

「はい?」

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