第15話:卒業研究諮問(後)


「……過ぎたる謙遜は、暴言に他ならんよ?」

 山本少年に釘を刺す、まだ名前の出ていない医学部の教授。とはいえ、山本少年にとって先ほどの発言は決して謙遜ではなく、自身の地力を考えたことであった。

「……謙遜のつもりは、無かったのですが……」

 それに対して、「またやってしまったか」といった形相を浮かべる山本。この当時の彼を評した旦が残っており、それによると山本孝三の旦は、「灯台」。かみ砕いて述べると、「人の知らぬことを知り、人の知ることを知らぬ。人に見えぬものが見え、人に見えるものが見えぬ。非常に遠くまでの予知が働く代わりに、足下はあまり見えておらぬようだ」といったものである。……つまりは、比較的利発な自閉症者によくいるタイプの人間であり、ゆえに彼の曾孫が自閉症であることから山本孝三の隔世遺伝ではないかとささやかれることもあるが、歴史はそれに対して沈黙している。

「まあ、いい。とはいえ、国家試験は一応、受けてもらうからな」

「はあ」

 ……実は、明治時代の医師免許試験は後代の、つまりは解答を導き出すための思考に苦痛を生じるほどの難関とは言い難く、この当時の山本少年の教養範囲であれば割といい線を行く(絶対に合格できる、とまではさすがに言い難いが)程度には緩いものであった。何せ、東京帝国大学理三の入試の中には彼の前世で言うところの義務教育程度の問題もあったくらいなのだから、医学免許試験と言えども、後代の、世界一の難関試験と言われるレベルに比べればそこまで難関とも言えないのだが、完全に山本少年は気後れしていた。

「……それはそうと、やはりこの結核対策の薬は岡山医専に持って行く予定か」

 そして、結核対策の薬を岡山医専の卒論に持って行く気かと聞かれた山本少年は、それに対して深々とかぶりを振り、拒絶した。彼は結核治療薬というものがこの時代に於いてはどれだけの利益を生むかを、よく知っていた。後に、天然痘同様に人類史の一里塚に「結核撲滅宣言」が出されるのは、間違いなく山本が発明した万能滅菌薬の効率的運用によってなされた偉業であるが、彼はまだそこまでの偉業をなし得ることに気づくことは無く、せいぜい「今のうちに結核含めた抗生剤作っとけば莫大な利益が入るよね」程度にしか考えていなかった節が見受けられる。

「いえ、これは先ほど述べた通り、伊東製薬に製造させて貰います」

「……そうか。では、岡山医専には何を提出する?」

 如何にも残念そうに、しかし眼前の少年がこの齢にもかかわらず戦略的判断が出来ることを見て取った教授は、では代わりに岡山医専に提出する研究成果は何であるかを訊ね始めた。それに対して、山本は……。

「……牛痘の理論的見地と、それによる未知の半菌に対する弱成分療法の未来を、用意しております」

「……は?」

「つまりですな、疱瘡の治療法で牛痘がございますが、それは他の半菌、つまりはビールスにも採用できるだけの根拠があるのではないか、ということと、弱成分、即ち牛痘同様に未知のビールスが発生したとしても、半菌を弱めたり殺したりして毒性を弱体化させたものの注射によって本物のビールスが体内に混入しても早期に、すなわち死ぬまで行かずに快癒させるための治療法でございます」

 ……なんと、山本はこの明治の御代にもかかわらずワクチン療法とインフルエンザの発生を予言した!無論、牛痘という天然痘対策の治療法があっての発想ではあったが、この当時天然痘の原因がウイルスであることに気づいた人間はどれほどいただろうか?何せ、ウイルスすらも「ビールス菌」という形で細菌の一種であると思われていた位なのである、間違いなく、そういう意味で彼は先行者であった。

「……わざと、病原菌を入れることが健康に繋がるのか」

 いぶかしみ始める教授。それも無理からぬことだ、何せ免疫という身体機能すらまだまだ未発見に近い状態なのである。ましてや、大日本帝国という東洋の僻地においてその着想をなし得るだけでも、彼は逸材といえた。

「馬の体内などで製造し、ビールスの毒性を薄めたり弱くしたりする必要は御座いますが、概ね」

「……ひょっとして、種痘は……」

 種痘というものが、どういう仕組みのものであるかを彼は眼前の少年を通して知ることとなった。何せ、この当時医学界においても「入浴は黴菌がたくさんあるから行うべきではない」といった、論理的には間違っては居ないが生理学的には決して正しいとも言い難い迷信混じりの学説すらあった位なのである(ちなみに、山本少年は後に「入浴有害説」に対して丁々発止の論戦を挑み、勝利することとなるのだが、それが酵素の発見やタンパク質の固形化という概念にまで及ぶのだから、もはや何を語ったら良いものか)、彼は飽くまでも「祖国を守るために技術革新を行った」と語っているが、今でもアメリカ合衆国市民が名指しで非難するのは山本孝三くらいなものである(まあそもそも、山本氏が「アメリカ合衆国に対する無差別反応炸裂兵器絨毯攻撃」を提唱し、実行した(今でも、特に集中的な攻撃を受けた北アメリカ大陸東海岸(東部13州に落とされた反応炸裂兵器の総計はキロトン、メガトンどころの単位ではなく、ギガトンを超えると言われている)は多くが地形も変わり、今なお人の住めない荒れ地である)のだから当然と言えば当然ではあるのだが)。

「はい、たまたまではございますが、天然痘は20世紀中には撲滅されると思っております」

 そして、山本少年は後の「天然痘撲滅宣言」が20世紀中に行われることまでを予言した。それはもはや、「文明の異物」と言えた。とはいえ、繰り返すが彼は「祖国防衛のため」に「技術革新」を行い、「子々孫々に美田を残す」ためだけにそれを行っていたと語っており、後にルーズベルトが大統領に就任した瞬間に宣戦布告をする、などといった行動は「攻勢防御」の一環に過ぎない、と語っている(まあ尤も、彼が脳裏で「大東亜戦争の敵討ち」というドクトリンを採用しているかどうか、という意味では間違いなく「是」であるのだが)。

「……………………」

 ……教授は、黙らざるを得なかった。眼前の少年は、間違いなく一種の、「人類種の特異点」であった。まあ尤も、逆浦転生者という意味においては本当に特異点ではあるのだが、彼がなぜ戦後かなり経過してからの本来ならノンポリバンザイな時期に生を受けたにもかかわらず、「大東亜戦争の敵討ち」というドクトリンを脳裏に採用し得たのかは、誰にも判らないところであった。

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