第12話:山本の大望

 実際のところ、山本が「大望」を持っていたという主張は、甚だ妖しいところが多い。無論、後に首相となって対米戦争をぶち上げ、見事それを成功させたのは彼が持つ「大望」の一つであったのだが、彼はそもそも、現状において「大望」を持っているわけではなかった。何せ、後の回顧録には「当時、一高を希望したとしても推薦状込みとはいえ試験が併設されている関係上、合格できる自信が無かった」と書かれており、三高を希望したのも恐らく「そもそも試験が無かったから」、というのが今回の模範解答であり、脇坂の長考の末の結論は、ある意味的外れではあった。

 ……だが、この問答は、彼の「大望」に火をつけることとなる。通称、「龍野屋敷の会談」と称されるこの脇坂の老翁と山本少年の問答は、後に本朝を大きく躍進させることになるのだが、それを知る者は参加者である山本孝三と脇坂安斐やすあやを含めて、まだ誰も存在し得なかった……。


「……とはいえ、その大望……望んでもよろしゅうございますか」

 山本の目の色が変わり始めた。それもそのはずで、読者世界と違い戦前まではそもそも進学率自体が圧倒的に少なく、さらに言えばいかに学問を取り入れることに成功した「だけ」の似而非エリートとはいえ、彼らは一応は「この当時の学校」に入学をなし得る程度には能力と天運の存在した人材であった。今はまだ、薩長閥が政界を覆っているものの、それを言い出したら秋山兄弟などは譜代大名出身の人物である。

 そもそも、この当時の大日本帝国躍進の鍵と、いわゆる「戦前」の敗戦の責は、ひょっとしたら江戸時代までの教育と戦前の教育との制度・教え方の差に帰する、のかもしれない。いわんや、戦後教育の凡愚さに至っては、語る紙面も惜しい。

 なにはともあれ、山本少年は政界進出の大望を見た。それは、対米戦役が始まる、四半世紀は前のことであった。

「ほう?」

 山本の目の色が変わったことを見て取った脇坂は、自身が眼前の子僧に火をつけたことを確信した。なぜ、脇坂は眼前の子僧に火をつけたのかは、記録が残っていないため定かでは無いが、おそらくは彼なりに何らかの形で「何か」の望みをかなえたかったのだろうと思われる。無論、神ならぬ我々には、それを知る術は無いのだが。

「淡路様、ひとまず私は三高に通い、智謀を積みまする。そして、良き頃合い見計らい、名声を得た段階で、何かしらの形で政務を執りたいと思います」

 かくて、山本少年はこの時期にもかかわらず対米戦を決意することとなる。なぜ、この時期から既に四半世紀後の対米戦争が見えていたのか。「神童麒麟児だから」と結論づけるのは非常に楽ではあるし、傍証として回顧録に「アメリカ合衆国は世界の癌」と記す程度にはこの時期においては珍しい反米感情の強い人間であったが、それでもこの時期のアメリカ合衆国は新興国である上に、後の物量作戦などできようも無い状態であるがゆえに、いわゆる「ルーズベルト悪玉論」が本心であると仮定するならば、この当時から既に対米戦争の種は、脇坂の手によって蒔かれたこととなる。

「おう、期待して居るぞ、神童麒麟児」

 ……かくて、脇坂子爵との会談は終了した。彼が得たものは四つ。まずは「生涯の伴侶」、次に「政界進出などの後ろ盾」、そして「火の付いた大志」、最後に「戦争で得る名声」である。「有色人種解放戦線の父」とも「ヨーロッパ没落の立役者」とも「アメリカ市民最大の敵」とも称されるその人生は、今幕を切って落とした!

 ……そして……。

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