第10話:ヒロイン登場(仮題・中?)

 淡路守こと脇坂子爵が山本孝三に紹介した少女は、ひどく可憐であった。それは少女特有の愛らしさだけではなく、上流階級の少女が標準装備している、男性を立てるという態度を非常に高水準でなし得ているその仕種によって更に際立っていた。一瞬、山本少年はこの愛らしさと礼節しか装備していないような少女に対して、怯んだ。原因は不明であるが、三つ指から顔を上げたその少女は、彼が前世において拝んだどの萌えキャラよりも美しかったことは恐らく関係しているだろう。

「せいと申します、以後お見知りおきを……」

「…………」

 ぽかんと口を開けたまま惚ける山本。その様を見て取った脇坂は嬉しそうに、まるでいたずらが成功した子供のような顔をして山本を呼び止めた。

「……神童麒麟児」

「はっ、はい!」

 思わず惚けていたところから急に意識を戻す山本。眼前の少女の美しさに気を取られていたのは、誰の目にも明らかであった。

「おぬしほどの知性でも、一目惚れというのはあるのだな」

 更に、いたずらが成功した子供のような笑顔を消さずに山本をからかう脇坂。あまり褒められた態度ではないのだが、眼前の少女、せいの美しさを見た人間は必ずこうなることをわかりきっているかのように彼は更にたたみかけた。

「……こ、これは!」

 それに対して、前世含めて四十年は童貞であった山本にとって、この美しさは最早毒であった。前世においてはついぞ善女に出会わなかったこともあいまって二次元に操を捧げていると言い張っていた彼であったが、眼前の少女はその決意を揺るがすのに充分過ぎる美貌を持ち、その性根に悪意があればファム・ファタルになりかねないほどの素質があった。

「よいよい、せいはなよ竹のように可愛らしいからのう、今から育てれば良き紫の上になるぞ」

 竹取物語と源氏物語を引用して更に山本をからかう脇坂。彼にしてみれば、眼前の英明にして意志固きと評判の神童麒麟児、即ち山本孝三がここまで取り乱すのが面白くて仕方なかったのである。

「……子爵様……」

 泣きそうな顔で、「もう勘弁してください」と言いそうな仕種をする山本。事実上の降参であり、同時にその返事ははいかイエスであった。

「まあ、そういうわけで、だ。……せいの父である佐吉は五人も子供を作っておいて未だに男子が生まれておらんでな。実家の方もおかんむりじゃ。……互いに若すぎるが故に今すぐ籍を入れろとは言わぬ、婚約だけでもしてもらえんか」

 せいの実家には、眼前の愛らしい少女だけではなく他に四人もの姉がいるという。無論、その四人は独身ではないのだろうが、その事実は山本を武者震いさせるに充分であった。

「謹んで、お受け致しまする!」

「そうか、ならばよし。……して、ここからは別件じゃ。おぬし、三高に入るそうじゃの」

 今までの朗らかというにはあまりにも悪意のあった笑顔から急に真面目な顔になって話題を切り替える脇坂。温度差に風邪を引きそうなほどのその豹変は、表情に疎い山本にもはっきりと伝わった。

「はい」

「……なぜ、一高を蹴った?」

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