第9話:ヒロイン登場(仮題・前)

「坊ちゃん、ここでしたか」

  ……えーと、誰だっけ。使用人なのはなんとなく勘が付くが、一々名前覚えるほどまだ面識はないし……。まあ、それに、だ。

「なんだ、今折田学長との意見交換中だ。遮ってでもせねばならん話か」

  全く、今は世界を変えうる発明品の吟味中だというのに。半端な用件だと断ってやる。

「はい! ……恐れながら、淡路様がどうしても逢いたいとの仰せでして!」

 だが、その「用件」は半端なものではなかった。「淡路様」、即ち元藩主である脇坂安斐が老いも差し迫った最中に「ある懸念事項」を解決するためにわざわざ山本を初め元藩士を召集することにしたことにより、孝三も自動的に巻き込まれることとなったのだ。一応、脇坂安斐の現在の身分は「子爵」なのだが、元藩士連中にとってはまだまだ明治が終わらぬこの時代では「淡路守」の方がなじみが深かった。

「! ……学長、申し訳ございません。急ぎの用ができた模様です」

 さしもの山本孝三もことの重大さを察したのか、眼前の、同じく翁に対して離席の許可を求めた。無論、折田は苦笑いしながらそれを察し快く許可した。無論、それには折田も考える時間が欲しかったということもあるのだが。

「ああ、構わないよ、行ってきたまえ。そこの方も、元気でな」

「有難う御座います!」


「……さて、かの少年、神か悪魔か……」

   なんともやれやれ、預かった発明案件、どれもこれも驚嘆すべきものではあるが、いかんせん彼はまだ幼い。自身の技術がどれだけ世を震撼させるかまだ気づいていないだろう。……なれば、ここから先は大人の出番だ。それぞれの時代にはそれぞれ活躍の方法があるとは言え、あの少年は少々、いや、かなり危なっかしい。ならば、それをきちんと護るのも大人の仕事だ。せいぜいこの三高を後ろ盾としてこき使ってくれ、遠慮なんかするなよ、山本さん。

 折田が思案する中、山本は龍野行きの汽車に向かって走り始めた。入学式の日よりまだ経過していない時分であった。


「おう、来たか、神童麒麟児」

 床に伏したまま、体を起こし山本孝三を呼ぶは、元龍野藩主にして脇坂家12代目当主、脇坂わき「さ」か安斐やすあや。天保からの激動の時代を生き抜いた孝三の眼前にいる翁、齢は明治39年の時点で数え68であった。とはいえ、そもそも脇坂家は特に養子縁組の多い家であった。何せ藩祖である脇坂安元が「北南 それとも知らず この糸の ゆかりばかりの 末の藤原」という歌と共に祖父脇坂安明からの系図しか作らず提出したくらい、サッパリとした血統感であった。ある種、それが脇坂家の家風と言えたのかも知れない。

「子爵様におかれましては、ご機嫌麗しゅう」

 一方で、自身の苗字の関係(書く必要も薄いが、「山本」はよくある苗字である)もあって恐らくそれに共鳴している(と、周囲からはみなされていた)孝三は、実は大の血統主義者であった。何せ、「氏より育ちとは言うが、遺伝子のこととか考えたらむしろ逆だろ」という発言すら残っているほど、彼は「優秀な血統が優秀な人物を生む」という考えが強かった。とはいえ、それが即座に優生学や純血主義に繋がらないのは、日本人らしいとも言えたのだが。

「おう。……さて、山本よ。おぬし嫁は欲しゅうないか?」

 そして、床より体を起こして山本に近くに座るように言った後に、「淡路様」は驚きの発言を行った。何せ、山本は明治二十八年の十二月二十四日生まれである、いくら何でも婚姻届を出すには早すぎた。

「……お戯れを。それがしはまだ10歳、元服前であることはもちろんのこと、精通も来ておりませぬぞ?」

 恐らく、淡路守なりの冗談であろう。そう判断し反駁する孝三。建前上、臣民は四民平等がある以上、別に位は存在しないはずではあるが、たかだか数十年で人の意識が変わることは、なかった。そして、伏したままその口上を述べる孝三を満足そうに眺めた安斐は、ぽんぽんと手を叩いて孝三の相手であろう女性、否、女の子を呼んだ。

「おう、故に、じゃ。……これ、入って参れ」

「はい……」

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