第5話:政争で歌舞伎を(前)←仮普請
「坊ちゃん、返事が来ました」
「おう、やはりダメだったか」
「……そ、それが……」
「?」
「…………」
「坊ちゃん、やりましたね! 第一高等学校と言えば全中学生の憧れで御座いますよ!」
「……えー……」
山本少年の「第三高等学校受験希望」という高飛車な意見書に対して書かれた返事は要約すれば次のようになる。「第一高等学校は希望しないのか」、つまりは「第三高等学校では君には役不足だろう」という内容のものであった。だが、山本少年は……。
「……一高は、あまり好かん」
「は?」
「だから、一高はあまり好かん。日本で一番という意味でも一高と言えば聞こえは良いが、あんな政争と派閥と悪意の絡んだ伏魔殿に俺を放り込むつもりか?」
「……なんと……」
……山本少年は、事実上一高への推薦状を拒絶した。一応、形式上は「返事保留」という形にはしておいたものの、彼は東京大学の前身である第一高等学校というものがいかに荒海であるかを知っていた。とはいえ、推薦状を以て受験できるという好条件を無視するのも、あまり宜しくはないことであった。
ではなぜそもそも、第一高等学校への推薦状をわざわざ文部省が一介の田舎のボンボンに発行したのか、それは……。
「……返事、返ってきませんねえ……」
「何、さすがに緊張しているのだろう。何せ、一高への推薦状など、普通出ないからな」
「まあ、そうでしょうな。……しかし、宜しかったので?」
「宜しくなければ書くか。……この国は、利用できる資源は何でも利用せねばならんほど窮している。だったら、折角鴨が葱を背負ってやってきたのだ、その鴨を逃す手はあるまい」
「それは、そうかもしれませんが……」
……そう、山本少年が抗生物質の発明をし、特許として提出した結果、文部大臣は藩閥政治へのカウンターのために「兵庫の英才」として担ぎ上げることにした。彼もまた、兵庫県民であり兵庫県で所属する旧国こそ違ったものの、薩長等雄藩主導ではない政治の必要性を痛感しており、故に子供を政争の材料として扱うことへの道徳的な批判を黙殺し、推薦状を発布したのだ。
そして山本少年が返事を提出する頃には、彼は辞任していたのだが山本少年は後年言われるように極めて運が良かった。文部大臣は久保田から首相直率に戻っており、桂も一時期獨協学校の校長を務めており学問に明るい英才の必要性を痛感していた。結果として山本少年が提出した返信は首相である桂太郎が読むことになる……。
「……おい」
「ははっ」
「……これ、本当に七、八歳の子供が書いた文か」
「一応、そういうことになってますな」
「……なるほど、久保田が入れ込むわけだ。とはいえ、まさか一高を蹴るとはな……」
「なんと!」
「何でも、「学問とは自由な場でなければ育ちませぬ」だそうだ。……確かに、三高は自由を校風に掲げる高等学校ではあるが……」
「……一高を蹴るような人物がいるとは思いませんでした……」
「……まさかとは思うが、かの少年は折田がそろそろ老齢を理由に退く予定であることを知らないんじゃ無いか」
「……ああ、あり得ますな。いかに「英才」と言えども戸籍によると明治28年生まれの子供、折田氏とは最早大人と子供どころか孫ほど年齢が離れておりますからな」
「よし、今一度手紙を出そう。それで一高をまだ蹴るのならば、望み通り三高に入れてやろうじゃ無いか。……試験内容はどうする?」
「一高ならまだしも、この手紙を読んでまだ三高に行く気なら別に無くても良いでしょう。第一あのような薬を発明する人材です、希望する三高で高等教育を積ませ岡山辺りの医専に入れて研究職に叩き込んでおけば充分かと」
「……だな、せいぜいたくさんの薬を作って日本の地位向上に役立って貰おう」
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