第3話:明治三十「八」年の蘭方研究(仮普請)

「坊ちゃん、何をしてらっしゃるのですか?」

「もう夏休みは終わったけど……自由課題あるだろ、大抵の学校では」

「自由課題?」

「まあ要するに、子供に研究の体験をさせるためのものだとは思うんだが……。よし、これでいいか」

「……よくわかりませんが、理科の実験ですかね、これは」

「ああ。理科っつーか、薬学だな」

「はあ……」


  坊ちゃんは何をしているんだ? いや、わからん、という声が傍からも聞こえてくるが、あえて無視。これは俺だけが分かっていれば良いし、成功した場合恐らくとんでもない利益が日本に転がり込んでくるだろう。なれば、やることは一つだ。


 山本少年は、尋常小学校最後の自由課題において前人未踏にして古今未曾有の発明をすることになる。当初、「坊ちゃん」が行っていたままごと同然の研究もどき、何せ傍から見るとカビの生えた食品で遊んでいるに過ぎない、は微笑ましく思われるか、汚いからやめさせようとしている使用人も居たが、「坊ちゃん」はそれに対して「まあ見てて。消毒はきちんとするから」と反応したきりアオカビを培養したり、その培養した液体を栓の付いた陶器に濾過したり、更にはその濾過した液体に油を入れて振ってみたり、かと思えばその折角油の混じった液体を栓を抜いて上質な備長炭を更に煮沸消毒したものと一緒に漆器に入れて密封してみたり……。

 そして、蒸留水を買ってくるように頼んだと思えば培養液のしみこんだ備長炭を洗ったり、さらに洗ったものを分類し、それぞれに調味料の入った寿司酢ではなくほぼ純粋な酢に近い米酢を掛けて、更に清潔な布でまた濾過したかと思うと、最後に重曹を溶かした蒸留水を容器に流し込み、そんな作業を行ってせっかく生成できた液体を更に別の培養した何らかの黴菌ばいきんにかけたりしていた。

 ……もう、知識のある方ならばお解りだろうし、「坊ちゃん」の正体にも気づいただろう。彼は説明文にも記したとおり平成に死した人間の記憶を、原理は不明ながら受け継いでいたわけであり、その「坊ちゃん」が何を作っているのか……、そう、彼はまだ20世紀になったばかりの明治時代にもかかわらずペニシリンを製作し始めた!

 あまりにもそれは、逆浦的な行為であり、いかに「坊ちゃん」が信頼を得ていたとはいえ、周囲の人間はそれを不審がると同時に微笑ましい実験もどきであると思っていた。……だが。


「坊ちゃん、この寒天に培養されている黴菌だけ、いつの間にか死滅しております」

「何番だ」

「八十八番ですな」

「そうか。……ようやく成功したな」

「……坊ちゃん、これは一体何なのでしょうか?」

「抗生物質だ!」

「こうせい……はい?」

「抗生物質、つまりは結核以外の細菌性の病気を治す薬だ!」

「……えっ?」


 ……彼は、完成させた。しかも、今はまだ明治38年11月6日の黎明である。昼夜を徹して行ったとはいえ、天長節が休日で翌日が土曜日と授業の少ない日であるからと行ったそれはあまりにも早すぎる発明であった。

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