序ノ弐「将星集いて、英雄発射の装薬整うのこと」(弐)

「今度は判官か」

 引き続き、家臣を諱ではなく通称で呼ぶ政豊。それは最初に宗収を通称である官途名で呼んだ以上、他の家臣を諱で呼んだら不平も出るだろうという配慮であった。

「太田垣殿の意見、確かに常道ではございます。ゆえに、敵もある程度読んではいるかと」

 当たり前である。常道とは囲碁将棋で言うところの定石に値するものであり、口火を切る者が常道を唱えるのは、軍議の際にあまりにひどい愚策が出ないための布石である。ゆえのたたき台であり、同時にその「常道」を否定するところから軍議は本格的に始まる。

「なら、どうするのだ」

 特に不服そうなそぶりは見せずに、試すように問いかける政豊。それに対して判官と呼ばれた武将、諱を綱吉という、は強硬案を紡ぎだした。

「長船まで押し出すのは同じなれど、主力を一度西に向け備前に本陣を置き、返す刀で御着まで向かいましょう」

 それは、強硬案も強硬案、博奕に近い提案であった。すなわち、この時期に聖君大祖の大返しの如き行為を行おうという提案である。そもそも、「大返し」こと後に伝わるところの「垣屋の西進」は戦車や装甲輸送車、蒸気船といった技術革新を行っている上に、通過地点に於いて地固めをしているからできた行為であり、その聖君大祖がまだこの当時乳飲み子に過ぎない、すなわち技術革新を行っていない時期の山名家でそれを行うのは無謀とすら言えた。

「ふむん、決まれば効果絶大なれど危険すぎやせんか」

 案の定、顔を険しくする政豊。山名家の兵は屈強であり、応仁の乱が終わった後もしばらくは綱吉の案をこなしうる練度を保持してはいたが、ゆえに可惜危険な策でむざむざと兵を損なうのは失策と言えた。何せ、戦には相手がいるのである、出方次第で破綻する策は、あまり用いるべきではなかった。

「塩冶殿の案、某が補強いたしましょう」

 塩冶の案に乗るは、八木であった。兄の兵庫助遠秀が死したのちに嫡男の養育を任されており、甥の代理とはいえ但馬守の受領名を持つ通り、重臣中の重臣であった。そして家格は太田垣の方が上であったが、この軍議で最年長なのは八木但馬守であった。

「おお、但馬か」

 満足そうに頷く政豊。現地衆の中でも累代である八木家の者が補強するのならば、博奕に近い塩冶の案も決して捨てたものではないということであったのだから。

「御着までではなく、いっそ三木まで参りましょう。我が手の者に探らせたのですが、今の播備作は決して赤松惣領家で固まっているわけではない様子。更に言えばどうやら、備前は天神山が手薄であるという報も得ております」

 備前天神山が手薄。それは正鵠であり、八木が抱える斥候が優秀である証拠と言えた。しかし、その手薄な天神山は、実は浦上則宗が仕掛けた罠であった。一見手薄に見える天神山であるが実はすぐ近くの福岡に兵を伏せており、いざ敵が天神山に進軍した場合に袋小路に追い込む、古典的ながらそれゆえに効果的な策であった。

「ふむん、天神山が手薄か。然らば、松田氏の誘いはそれゆえのものじゃな」

 松田氏の誘いとは、もともとこの戦役の切欠であった松田元成の播備作侵攻作戦提案であり、元成はもともと播備作の有力国衆であったのだが、かねてより赤松家に冷遇されている関係上山名家を頼り、その恩を売ることによって立場の向上を図ったことが後世の調査で明らかになっている。事実、松田元成は戦後の論功行賞において第一勲功者である垣屋宗続の次に呼ばれており、いかな精強を誇る山名家と言えど松田元成の手引きあってのものであるというのが筆者の考えである。

「お待ちくだされ、さすがに少々早計にすぎまする」

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