柔然3  奸雄社崙

394 年、郁久閭曷多汗いくきゅうろかったかん郁久閭社崘いくきゅうろしゃろんは部民を率い、父の郁久閭縕紇提いくきゅうろおんきつていを見捨てて西に逃れた。長孫肥ちょうそんひが追撃し、上郡じょうぐん跋那山ばつなさんにてとらえ、郁久閭曷多汗と、その郎党を皆殺しとした。


郁久閭社崘は残された数百人とともに郁久閭匹候跋いくきゅうろひつこうばつの元に逃れた。郁久閭匹候跋は郁久閭社崘を自身の勢力圏の南の隅に追いやった。根拠地から 20km ほど離れた地である。あわせて四人の子をその監視役としてつけた。


しかし、郁久閭社崘は子飼いを率い、郁久閭匹候跋の子どもたちを捕縛。その上で郁久閭匹候跋に襲いかかり、捕らえた。なんとか郁久閭社崘から逃れた郁久閭匹候跋の子どもたちは残された勢力を再編成の上、高車こうしゃ斛律部こくりつぶのもとに亡命した。


郁久閭社崘は奸雄と呼ぶにふさわしい存在であった。一月あまりしていちど郁久閭匹候跋を釈放、子どもたちのもとに帰還させる。それは一族をひとところに集め、皆殺しとするためであった。郁久閭匹候跋に密かに兵を尾行させ、親子が揃ったタイミングで襲撃、郁久閭匹候跋を殺す。なんとか逃れた子の郁久閭啟拔いくきゅうろけいばつ郁久閭吳頡いくきゅうろごきつら15人は拓跋珪のもとに亡命した。


いっぽう、郁久閭社崘は自らの振る舞いが北魏からの襲撃を受けるに値するものであると理解していたため、五原ごげんを略奪の上西諸部にししょぶに出、大漠たいばくを北に渡った。


拓跋珪は郁久閭啓拔と、郁久閭呉頡を安遠將軍あんえんしょうぐん平棘侯へいきょくこうとした。社崘は姚興ようこうと和親を結ぶ。拓跋珪は材官將軍ざいかんしょうぐん和突かとつ黜弗ちゅつふつ素古延そこえん諸部を襲撃させた。郁久閭社崘は騎兵を発し素古延部の救援に向かわせたが、和突によって返り討ちにされた。




九年,曷多汗與社崘率部眾棄其父西走,長孫肥輕騎追之,至上郡跋那山,斬曷多汗,盡殪其眾。社崘與數百人奔匹候跋,匹候跋處之南鄙,去其庭五百里,令其子四人監之。既而社崘率其私屬執匹候跋四子而叛,襲匹候跋。諸子收餘眾,亡依高車斛律部。社崘兇狡有權變,月餘,乃釋匹候跋,歸其諸子,欲聚而殲之。密舉兵襲匹候跋,殺匹候跋。子啟拔、吳頡等十五人歸于太祖。社崘既殺匹候跋,懼王師討之,乃掠五原以西諸部,北度大漠。太祖以拔、頡為安遠將軍、平棘侯。社崘與姚興和親。太祖遣材官將軍和突襲黜弗、素古延諸部,社崘遣騎救素古延,突逆擊破之。


(魏書103-3)




シャロンさん、なかなかに奸雄な動きで素晴らしいですね。ただこの辺、北魏側による柔然憎しの感情も交じってるだろうからどこまで鵜呑みにしたもんでしょうね。まあ史料批判のしようもないので、この話もここで宙ぶらりんにして終えるしかないのです。悲しいね。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る