柔然3 奸雄社崙
394 年、
郁久閭社崘は残された数百人とともに
しかし、郁久閭社崘は子飼いを率い、郁久閭匹候跋の子どもたちを捕縛。その上で郁久閭匹候跋に襲いかかり、捕らえた。なんとか郁久閭社崘から逃れた郁久閭匹候跋の子どもたちは残された勢力を再編成の上、
郁久閭社崘は奸雄と呼ぶにふさわしい存在であった。一月あまりしていちど郁久閭匹候跋を釈放、子どもたちのもとに帰還させる。それは一族をひとところに集め、皆殺しとするためであった。郁久閭匹候跋に密かに兵を尾行させ、親子が揃ったタイミングで襲撃、郁久閭匹候跋を殺す。なんとか逃れた子の
いっぽう、郁久閭社崘は自らの振る舞いが北魏からの襲撃を受けるに値するものであると理解していたため、
拓跋珪は郁久閭啓拔と、郁久閭呉頡を
九年,曷多汗與社崘率部眾棄其父西走,長孫肥輕騎追之,至上郡跋那山,斬曷多汗,盡殪其眾。社崘與數百人奔匹候跋,匹候跋處之南鄙,去其庭五百里,令其子四人監之。既而社崘率其私屬執匹候跋四子而叛,襲匹候跋。諸子收餘眾,亡依高車斛律部。社崘兇狡有權變,月餘,乃釋匹候跋,歸其諸子,欲聚而殲之。密舉兵襲匹候跋,殺匹候跋。子啟拔、吳頡等十五人歸于太祖。社崘既殺匹候跋,懼王師討之,乃掠五原以西諸部,北度大漠。太祖以拔、頡為安遠將軍、平棘侯。社崘與姚興和親。太祖遣材官將軍和突襲黜弗、素古延諸部,社崘遣騎救素古延,突逆擊破之。
(魏書103-3)
シャロンさん、なかなかに奸雄な動きで素晴らしいですね。ただこの辺、北魏側による柔然憎しの感情も交じってるだろうからどこまで鵜呑みにしたもんでしょうね。まあ史料批判のしようもないので、この話もここで宙ぶらりんにして終えるしかないのです。悲しいね。
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