柔然2 郁久閭社崙登場
郁久閭車鹿會が死ぬと、子の
郁久閭地粟袁が死ぬと、部民は二つに分けられ、地粟袁の長子である
この頃、
西で起こったこの変事を受け、郁久閭匹候跋は配下部民の長である
郁久閭縕紇提は西に逃れ劉衞辰のもとに潜り込もうとしたが、
車鹿會既為部帥,歲貢馬畜、貂豽皮,冬則徙度漠南,夏則還居漠北。車鹿會死,子吐奴傀立。吐奴傀死,子跋提立。跋提死,子地粟袁立。地粟袁死,其部分為二,地粟袁長子匹候跋繼父居東邊,次子縕紇提別居西邊。及昭成崩,縕紇提附衞辰而貳於我。登國中討之,蠕蠕移部遁走,追之,及於大磧南牀山下,大破之,虜其半部。匹候跋及部帥屋擊各收餘落遁走,遣長孫嵩及長孫肥追之,渡磧。嵩至平望川,大破屋擊,禽之,斬以徇。肥至涿邪山,及匹候跋,跋舉落請降。獲縕紇提子曷多汗及曷多汗兄詰歸之、社崘、斛律等并宗黨數百人,分配諸部。縕紇提西遁,將歸衞辰,太祖追之,至跋那山,縕紇提復降,太祖撫慰如舊。
(魏書103-2)
拓跋珪のこの不気味な寛容さは何なのか。まあ柔然の領域にいちいち人を配していられない、みたいなのはありそうだけど。あんな広い土地管理なんかしてられない、とは言っても誰かがいなきゃほかの遊牧部民たちがヨロシクニキーしてくる。なら、とりあえず息のかかった誰かを置いとかないとめんどくさそう、的な。なにせ登国中と書かれたなら、ここから先拓跋珪には慕容垂や姚興との戦いが待ってるわけで、南に集中するためにも北に安心材料が欲しいはずなんですよね。その辺りを、あくまで時限的な措置と弁えた上で許した、とかなのかもしれません。
この辺りのバランス感覚は難しそうだなあ。あまり簡単に許してしまっては南への不安材料を嗅ぎつけさせることになってしまうし、「締め付けるだけ締め付けたので許してやった」と見なしてもらえるだけの飴と鞭の使い分けをしなきゃいけないのでしょう。って劉衛辰も健在のタイミングか、こりゃ柔然側にいつそのへんの弱み握られてもおかしくない。
拓跋珪の戦歴ってまぁ国レベルでバトルキチガイしてる狂人なのは間違いないんですが、一方でこうも言えるんですよね。建国したそばからいきなり全方位的に囲まれてる。こんなとこの王になって狂わないほうがどうかしてる。
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