東晋4  王国宝処断

王恭おうきょうからの上表が中央に届くと、司馬道子しばどうしははじめ王恭を密かに葬り去らんと目論み、息子の司馬元顯しばげんけん征虜將軍せいりょしょうぐんに任じ、宮廷內外の諸軍を密かに宮中に増加配備した。しかし王國寶おうこくほうはひとり混乱し、どうすればいいかわからないままとりあえず数百人を竹里ちくりに派兵した。しかし夜中に嵐に行き当たり、兵たちは散り散りに逃げ去った。


王緒おうしょが王國寶に王珣おうしゅんを殺し、その上で南征および北伐をするべきだと勧める。しかし王国宝は聞き入れず、かえって王珣に対策を尋ねる有様だった。更には解職を願い出るも、すぐさま後悔し、司馬德宗しばとくそうを騙し復職した。


司馬道子はもはや王恭らの兵を防ぐことができないと観念し、その罪を王国宝になすりつけることとした。王国宝を廷尉ていいに送り込んで殺し、また王緒については公開処刑とし、王恭のご機嫌伺いをした。


この頃、司徒しと左長史さちょうしであった王廞おうきん王導おうどうの孫)が母の喪に服するためにいた。王恭は勝手に人事を飛ばし、王廞を仮の吳國內史ごこくないしに任じた。王廞はその辞令を元手として吳興ごこう周辺の諸郡の兵を徴発した。そうこうしている間に王國寶が死亡。このため王恭は王廞に服喪に戻っていいよ、などと言い出す。王廞は思いがけず得たこの兵力によって立場を逆転する機会を得たと考え、吳郡を拠点とし、子弟に兵を率いさせ、王恭を襲撃させた。娘にすら真烈將軍しんれつしょうぐんなる官位を与えて軍務につかせ、守りの兵力として配備した。王恭は司馬しば劉牢之りゅうろうしを発し、討ち平らげた。




恭表至,道子密欲討恭,以元顯為征虜將軍,內外諸軍潛加嚴備。而國寶惶懼,不知所為,乃遣數百人戍竹里,夜遇風雨,各散而歸。緒勸國寶殺王珣,然後南征北伐,弗聽,反問計於珣。既而懼懾,遂上表解職。尋復悔懼,詐稱德宗復其本官。道子既不能拒恭等之兵,亦欲因以委罪,乃收國寶付廷尉殺之,斬王緒於市,以悅恭等。司徒左長史王廞遭母喪居吳,恭板行吳國內史。廞乃徵發吳興諸郡兵。國寶既死,王恭使廞反於喪。廞謂因緣事際,可大得志,乃據吳郡,遣子弟率眾擊恭。以女為真烈將軍,亦置官屬,領兵自衞。恭遣司馬劉牢之討平之。


(魏書96-4)




「この時代の東晋は誰もかれもがクソですね!」と、なんだか魏収さんの筆はすごく嬉しそうです。つーか王廞の話本筋から関係なくない?

これは東晋、十年を待たずして滅びますね!

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