司馬楚之2 琅邪貞王
「
この手紙を受け取ると、拓跋嗣は司馬楚之を
奚斤が河南を平定すると、司馬楚之が率いていた民を
その後
464 年、75 歳で死亡した。当時の皇帝であった
長子の
太宗末,山陽公奚斤略地河南,楚之遣使請降。因表曰:「江淮以北,聞王師南首,無不抃舞,思奉德化。而逼於寇逆,無由自致。臣因民之欲,請率慕義為國前驅。今皆白衣,無以制服人望。若蒙偏裨之號,假王威以唱義,則莫不率從。」於是假楚之使持節、征南將軍、荊州刺史。奚斤既平河南,以楚之所率戶民分置汝南、南陽、南頓、新蔡四郡,以益豫州。世祖初,楚之遣妻子內居於鄴,尋徵入朝。時南藩諸將表劉義隆欲入為寇,以楚之為使持節、安南大將軍,封琅邪王,屯潁川以拒之。後拜假節、侍中、鎮西大將軍、開府儀同三司、雲中鎮大將、朔州刺史,王如故。在邊二十餘年,以清儉著聞。和平五年薨,時年七十五。高宗悼惜之,贈都督梁益秦寧四州諸軍事、征南大將軍、領護西戎校尉、揚州刺史,諡貞王。陪葬金陵。長子寶胤,與楚之同入國。拜中書博士、雁門太守。卒。楚之後尚諸王女河內公主,生子金龍。
(魏書37-2)
司馬金龍
https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/handle/2433/209128
墓誌が残っている。それにしても河内公主の続柄がまるで絞れない。公主がつく以上貴種なのは間違いないんだが、一方で皇帝の娘でもない。最高でも孫。うーん、これはどう見たものか。
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