魏書巻37 亡命した司馬氏

司馬楚之1 得士之心

司馬楚之しばそし、字は德秀とくしゅう司馬懿しばいの弟、司馬馗しばきょくの八代下の子孫だ。。父の司馬榮期しばえいき東晋とうしん安帝あんていの時代に梁益二州刺史りょうえきにしゅうししとなっていたが、參軍さんぐん楊承祖ようしょうそに殺された。このとき司馬楚之は 17 歳であった。


父の葬儀を執り行うため丹楊たんように帰還すると、ちょうどこのとき劉裕りゅうゆうによる司馬氏宗族の虐殺に遭遇した。叔父の司馬宣期しばせんきや兄の司馬貞之しばていしはともにこのとき殺されている。


司馬楚之は僧侶らに紛れ長江ちょうこうを渡り、歷陽れきようを経て義陽ぎよう竟陵きょうりょうばんの中に移り隠れ住んだ。劉裕の脅威拡大は止まらず、荊州刺史けいしゅうしし司馬休之しばきゅうしが劉裕に敗北、後秦に亡命。司馬楚之は汝水じょすい潁水えいすいの間に亡命した。司馬楚之は幼い頃より英明でこそあったが、そこにあぐらをかくこと無く、遥か下の身分の士人に対しても礼節深く対応した。


司馬順明しばじゅんめい司馬道恭しばどうきょうが潜伏先にて反劉裕のための兵を集めていた。劉裕が帝を名乗ると、司馬楚之は今こそ報復をなすときであるとして、長社ちょうしゃにて決起。その旗印のもとには、常に1万人余りのものが集った。


劉裕はこの動きを深く憂慮し、刺客として沐謙もくけんを派遣。司馬楚之の懐に潜り込ませたうえ、暗殺せんと目論む。司馬楚之は、そんな沐謙を手厚く歓迎した。ある夜沐謙が病と偽る。そう自称すれば司馬楚之が直接看病に来ると知っていっためである。そうしてやってきたところを殺そう、と計画していた。しかし実際に司馬楚之がやってくると、薬湯運搬すら手のものを頼らず、自ら行う。つまり、ろくに周りのものをつけなかったということだ。この対応に沐謙は感じ入り、座布団の下に隠していた匕首を取り出し、打ち明ける。


「將軍は劉裕に忌み憚られております。どうか輕率なふるまいをなさらず、身の安全を第一にお考え下さい」


司馬楚之は歎じて言う。

「仮にその言葉を正しいとしても、我が身可愛さに信義を裏切ることなぞ出来ぬよ」


沐謙はこの言葉を受け、遂には司馬楚之に身を委ね、仕えることとなった。その誠実さ、他者への信頼で人士の心を獲得するのは、何事につけこのようであった。




司馬楚之,字德秀,晉宣帝弟太常馗之八世孫。父榮期,司馬德宗梁益二州刺史,為其參軍楊承祖所殺。楚之時年十七,送父喪還丹楊。值劉裕誅夷司馬戚屬,叔父宣期、兄貞之並為所殺。楚之乃亡匿諸沙門中濟江。自歷陽西入義陽、竟陵蠻中。及從祖荊州刺史休之為裕所敗,乃亡於汝潁之間。

楚之少有英氣,能折節待士。與司馬順明、道恭等所在聚黨。及劉裕自立,楚之規欲報復,收眾據長社,歸之者常萬餘人。劉裕深憚之,遣刺客沐謙害楚之。楚之待謙甚厚。謙夜詐疾,知楚之必自來,因欲殺之。楚之聞謙病,果自齎湯藥往省之。謙感其意,乃出匕首於席下,以狀告之曰:「將軍為裕所忌憚,願不輕率,以保全為先。」楚之歎曰:「若如來言,雖有所防,恐有所失。」謙遂委身以事之。其推誠信物,得士之心,皆此類也。


(魏書37-1)




司馬楚之のこの伝、文句なくかっこよくて好きなんですが、「魏収さんが編纂した」のせいで色眼鏡がヤバすぎてですね。まぁ敵味方両陣営にカッコイイやつはいてくれなきゃ困りますし、かっこよくあってはほしいんですが。


劉裕によってどれだけ司馬姓の人間が迫害されたかは調べておきたいんだよなー。劉裕によって「皆殺しにされた」は余裕で嘘ですが、やべーくらい迫害したのは疑うまでもないと思いますし。所詮は修羅の国。

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