封懿・魏 微妙な関係
封懿は
息子は
「貴様の家門を絶やすわけにもゆかぬ、ならばひとりの子だけは助けねばなるまい」
封玄之は請う。
「弟の
こうして封玄之とその四子は殺され、封磨奴は赦免となった。ただし後に宦官とされた。封磨奴は 483 年に死亡。
封懿のいとこの子、
封懿,字處德,勃海蓨人也。曾祖釋,晉東夷校尉。父放,慕容暐吏部尚書。兄孚,慕容超太尉。懿儁偉有才氣,能屬文,與孚雖器行有長短,然名位略齊。仕慕容寶,位至中書令、民部尚書。寶敗,歸闕,除給事黃門侍郎、都坐大官、寧朔將軍、章安子。太祖數引見,問以慕容舊事。懿應對疏慢,廢還家。太宗初,復徵拜都坐大官,進爵為侯。泰常二年卒。懿撰燕書,頗行於世。
子玄之,坐與司馬國璠、溫楷等謀亂,伏誅。臨刑,太宗謂之曰:「終不令絕汝種也,將宥爾一子。」玄之請曰:「弟虔之子磨奴,字君明,早孤,乞全其命。」乃殺玄之四子,而赦磨奴。被刑為宦人。太和七年卒。贈平東將軍、冀州刺史、勃海公,諡曰定。
懿從兄子愷,字思悌,弈之孫也。父勸,慕容垂侍中、太常卿。愷,給事黃門侍郎、散騎常侍。後入代都,名出懿子玄之右,俱坐司馬氏事死。愷妻,盧玄姊也。
(魏書32-5)
封懿は十六国春秋で紹介してます。https://kakuyomu.jp/works/1177354055365070928/episodes/16816700428744068075
あと兄貴、封孚も。
https://kakuyomu.jp/works/1177354055365070928/episodes/16816927860362978864
兄貴は
この家門って慕容廆以来の親藩なんですよね。なので封懿も慕容に関する様々なことを把握していたんだとは思われますが、拓跋珪に対する受け答えからしても、やっぱり拓跋珪、旧燕系貴族に対するファーストコンタクトとちってたくさいよなあ。この辺り、北魏平城時代になにか詳しいこと書いてないかな。買うだけ買ってしっかり読めてないんですよね。
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