崔逞2 誅殺
「クワの実でも採取なさいませ。
魯頌泮水は「蛮族が魯公によって教化されたこと」を讃える歌であり、かつ詩が例えに出すフクロウは蛮族の比喩である。つまり崔逞、遠回しに「このような野蛮な征伐ごとなぞいいかげんにして頂きたい」と語ったに等しい。
拓跋珪は的確にその侮蔑を拾い、かちんとは来たのだが、しかし適切な策であったのも確かである。そこでクワの実を周辺住民に納めさせるよう命じた。
崔逞が更に言う。
「兵士らに摘みにゆかせればよろしいでしょうに、さすればすぐに集まりますぞ」
拓跋珪が怒って言う。
「囲んでいる賊を平定もできておらぬのに、どうして兵の武装を解いて林野に向かわせられると言うのだ! 貴様は何を言っている!」
とは言え中山を陥落させることができていないため、罰されることはなかった。
398 年ころ、
なおこのとき、郗恢は拓跋遵宛の手紙にて「賢兄は中原を虎步す」と語っていた。賢兄はともかく、虎歩とはつまり禽獣のごとく見なしている、に等しき表現である。拓跋珪は君臣の礼に悖る表現であるとして、崔逞、張袞に対しては、安帝を貶す形で呼ぶことにより報復せよ、と命じた。しかし二人が選んだ表現は「貴主」であった。
拓跋珪は怒って言う。
「貴様には奴らの主をけなす返書をものせよ、と言ったであろう! にもかかわらず貴主だなぞと! なにが賢兄だ!」
ついに、殺された。
後に東晋より
「御国の威声は遠方にまで鳴り響いております、このため司馬休之らも帰順したい、とは考えておりましたが、崔逞が殺されたことを聞いてしまったため、二所に逃れたのです」
拓跋珪はこれを聞き深く悔やみ、これ以降中原のものたちの過ちについても、多くを寛容さで見逃すようになった。
太祖攻中山未克,六軍乏糧,民多匿穀,問羣臣以取粟方略。逞曰:「取椹可以助糧。故飛鴞食椹而改音,詩稱其事。」太祖雖銜其侮慢,然兵既須食,乃聽以椹當租。逞又曰:「可使軍人及時自取,過時則落盡。」太祖怒曰:「內賊未平,兵人安可解甲仗入林野而收椹乎?是何言歟!」以中山未拔,故不加罪。天興初,姚興侵司馬德宗襄陽戍,戍將郗恢馳使乞師於常山王遵,遵以聞。太祖詔逞與張袞為遵書以答。初,恢與遵書云:「賢兄虎步中原」,太祖以言悖君臣之體,敕逞、袞亦貶其主號以報之。逞、袞乃云「貴主」。太祖怒曰:「使汝貶其主以答,乃稱貴主,何若賢兄也!」遂賜死。後司馬德宗荊州刺史司馬休之等數十人為桓玄所逐,皆將來奔,至陳留南,分為二輩:一奔長安,一歸廣固。太祖初聞休之等降,大悅,後怪其不至,詔兗州尋訪,獲其從者,問故,皆曰:「國家威聲遠被,是以休之等咸欲歸闕,及聞崔逞被殺,故奔二處。」太祖深悔之。自是士人有過者,多見優容。
(魏書32-3)
これはどちらにとっても不幸、と言わざるを得ないんだろうなあ。拓跋珪としても、初めての「中原のド名族」とのコンタクトだっただろうし、どういうスタンスで接するべきか模索中であったように思う。このため不必要に威嚇的なものとなり、結果として崔逞のプライドを損ね、その口から侮蔑的な発言まで引き出すにいたった。「お前がそうやって遇するならこっちだって従うつもりもねーわ」的なやつだ。
となると、
このひとを個人で見ても興味深いとは思うんですが、やっぱり、時代の流れ、うねりの犠牲者のひとり、と言うしかないんでしょうね。
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