157-[IN]Y&R_侵入者(3)


 それはあまりに息ぴったりな連携であった。

 きっと蓮が必死に二人目の外套ローブの空いている隙に、こっそり連絡を取り合ったのだろう。

 

 ちょうど蓮が壁に叩き付けられたその時、女の後ろからヨナスが飛び出して外套ローブの女を掴んだ。それは別に、おかしな行動ではない。だが、女の腕がやはりとばかりにヨナスの肩を穿ったそのとき、何故かヨナスはその女の腕や胴部にしがみついたまま、蓮のいる方へ回ったのだ。

 

 それではクロレンス側の階段ががら空きになってしまう。蓮が急ぎ立ち上がり、飛び出そうとしたその瞬間。

「……くっ!」

 初めて、女が苦悶の声を上げた。

 その背後には他の誰かがしがみついている。一人ではない。二人だ。その片方が何かを手繰り寄せたかと思うと、女の首に紐を掛けて締めた。

 

「ヨナスさん、そっち側を死ぬ気で引っ張ってください!」

 

 それは、クロレンスへ送り込んだはずの声である。ヨナスは手はず通りとばかりに女の腕を蓮のいる方へ引っ張って、その声主である悠が女の首を締め上げる手助けをする。さらにその悠の下で女にしがみついて反撃を抑えているのは紫苑だ。紫苑は今にも振り飛ばされそうになりながらも、

「何ぼさっとしてるんだい、レン!早く!早くしてくれ!」

 と声を絞り出す。

 

 その紐が何処から出てきたのかもわからない。蓮はとにかく近くにあった扉へ走り、ズボンのポケットから鍵を取り出す。

 

 急げ。

 ――急げ!

 

 悠や紫苑は非力だ。あれはヨナスが協力の元作り出した不意打ちだからこそ成功したのだ。蓮は目の前のことでいっぱいで気が付かなかったが、きっとどうにかして階段で隠れた二人とコンタクトを取ったのだ。そして蓮が気を引いていることをいいことにヨナスが二人の姿を隠すように行動してギリギリまで粘ったのだ。

 あの不意打ちは姿を表してからは不意打ちにならないし、彼らが全力を出したところで敵わず形勢が元通りになるのは一目瞭然である。

 

 鍵が鍵穴に挿さり、ガチャリと音を立てる。

「――ヨナス!」

 蓮は振り返り、声を張った。

 だが情けないことに、ヨナスは体を傾がせて、

「無理無理!ギブ!」

 

 と言って張り飛ばされ、床に叩きつけられる。女の背後からしがみついていた紫苑も蹴りつけられ――蓮はそれと同時に動いていた。火事場の馬鹿力とはこのことだろう。疲弊してヘトヘトだった足が疲れを忘れたように速く動き、姿勢を低くして女の首を絞めていた悠と女の間に割り込んで紐を掴んだ。 

「させるか、クソ野郎」

 

 低く、おどろおどろしい声。よろめいて尻もちをついた悠が無事であることを認めると、蓮は全力を持って紐を引き、女が怯んだのを認めるや背中から蹴りつけて開いた扉の近くへ叩きつけた。

 

 女は床に手をついてゲホゲホと咳込み、

「痛いじゃない」

 とうっすらと嗤った。それでもなお、嗤えるのだ。腹立たしい。蓮は女が立ち上がるより先に歩き寄り、その胸ぐらを掴んで言う。

「あいつに手を出すのことだけは、赦さない」

 

 その言葉とは逆に、唇が持ち上げられている。怒りで頭に血が上っているあかしだ。アドレナリン――肉体はないのでその表現が正しいかは定かでないが――が分泌されすぎて、通り越してハイになる。ハーヴェイでの生活を知る住人たちには見慣れた光景である。

 

 はあ、と女は嘆息した。

  

「……ツマンナイわね」

「あ?」

『飽きた。帰る。、あなたもよ』

 

 ゾール語でそう続けると、女は蓮の手を払い除けて玄関近くで縮こまっていた一人目の外套ローブの方を向いた。

 悠たちはその一人目の存在に気がついていなかったらしい。呆気にとられながら、「いたんだ」と呟いている。

 一人目はビクビクとしながら、女のそばまで歩き寄った。

『ご、ごめんなさい。か、帰るから。だから、みんなにひどいこと、しないで』

『それはあなた次第よ』

 

 ふん、と鼻を鳴らすと、女は懐からひとつの鍵を取り出した。蓮が持っているのとよく似た鍵だ。それを扉の開けられた部屋の壁に、ふと蓮へ向き直った。

『また会いましょう、さん。今度はの邪魔に入らないところで、ゆっくりと』

『断る。さっさとくたばれ』

 吐き捨てる蓮。何をきっかけにしたのかは悠たちの知るところではないものの、落ち着いたらしく、いつものように敵を執拗に追い回すことをしない。

 

 女がふふ、と嗤い、打ち込んだ鍵を横へ回す。

 すると、その壁が乳白の光を放った。

 それはまるで、一回にある窓のようだ。女は一人目のひょろ長い外套ローブの腕を掴むと、その窓のような壁へ手を差し込んだ。そして――二人の黒い影は消え、吸い込まれるように壁の光もかき消えた。

 

 まさに嵐が去った、と言うべきだろう。真っ先に床にへたれこんだのは、ヨナスである。

「し、死ぬかと思った……」

「君の傷、普通ならもう死んでいるよ」

 と後ろから指摘するのは、蹴られた腹を抑えて蹲る紫苑。そのかたわらで尻もちをついていた悠は立ち上がり、開きっぱなしの扉近くに突っ立った蓮を見据えた。

「どうかしたんですか?」

「……いや」

 ついと誰もいなくなった空き部屋から視線をそらすと、蓮はその部屋の扉を閉め、鍵をしめなおした。

 

 その鍵は何なのだ。あの女の持っていた鍵は何なのだ。あの壁はどうして窓のようになったのか。そもそもあの女たちは何者なのか――悠の中で、疑問が尽きることはない。

 

 だが、問い詰める気力がない。

 ――疲れた。

 全力で紐を引いていた手が痛い。火事場の馬鹿力を見せたのは蓮だけではないのだ。この手を離したら自分は死ぬのだと思ってかなり必死だったのもあり、今までで一番腕力を使ったのである。お陰でへとへとだ。

 

 小さく嘆息して階段の方へ行くと、悠は階段の段に立てかけておいた絵を持ち上げた。

 額縁に収まった絵で、一人の男が磔にされている惨たらしい姿が描かれた絵画だ。その絵の中で男は胸に深々と釘が打たれて血を流している――初めて悠が見かけた際にディエゴ・ベラスケスの絵に似ていると思った絵だ。

 この絵は常にクロレンス側の一階に飾られており、絵柄が少し変化することはあっても絵自体が無くなることはなかった。そしてこの絵は紐で吊るされていたのだ。それを悠は以前から知っていたゆえ、この紐を不意打ちで用いることにしたのだ。

 

 その絵を抱え直し、ふとその表面に書いた血文字で悠は思い起こしたように、

「あ、ヨナスさん。協力していただきありがとうございます」

「まったく。二人が影からコソッて顔を出したときは心臓止まったかと思ったよ」

「その時ちょうど、ヨナスさんの心臓貫かれてましたけどね」

「あははー、それ面白くないジョークだなあ」 

 とカラカラと笑うが、事実である。

 

 絵の表面には悠の血文字で、相手に気づかせないで、と記してある。それと紐を一緒に見せ、ヨナスに行動させたのだ。蓮が激しく戦闘を繰り広げて相手の気を引いているだけでなく、上背のあるヨナスだからこそ、忍び寄る悠たちを隠せたのだ。無論紫苑も上背があるので、彼女には這いつくばってもらったのだが。

「まあうまく行ってよかったです」

 

 初めて人間ひとの首を絞めたのだというのに、悠の心は思いの外、静けさを保っていた。

 

 

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