158-[IN]Y&R_侵入者(4)


 蓮はふと、下の端に転がっていたウサギのぬいぐるみを見つけた。

 きっと、あの外套ローブにしがみついた時に落としたのだろう。各々、やっと侵入者が去ったことに安堵していてすっかり忘れている――ウサギのぬいぐるみを拾い上げ、蓮は紫苑へ問い掛けた。

 

「で。あっちはどんな状況なんだ?」

 蹴られて痛む腹をおさえたまま、紫苑は「あ」と声を上げた。

「そうだよ。不味いんだよ!」

 語彙が仕事をしていない。

「僕も気になってたんですけど……何があったんですか?」

「いや、その…………わかんないんだけど!」

 

 その場にいた住人たちが揃って目を据わらせて沈黙した。何を言っているんだ、こいつは。もっとも近くでそんな紫苑の発言を聞いていたヨナスは呆れ顔をして、

「いや、まーちゃん置いてきてる時点でわからないはないしょあねさん」

 

 まーちゃん、とは陽茉ひまりのことだろう。紫苑にしろ、陽茉ひまりの「ひ」を省略する変わった呼び名だ。

 

「いや、その。大真面目にわからないんだ。暗い場所に君塚くんと閉じ込められちゃってて、どうにもならなくてぼくだけが出てきたんだ」

「は。君塚と!?何してそうなったんですか」

 悠は思わず大声を上げてしまう。

 

 それもそうだ。閉じ込められた、となると誘拐だ。あおいはあれでも一応女なので、うっかり――なんてことが起きてはいけないのだが――狙われて拉致されてもおかしくはなかろう。たまたま中身が蓮であれば、顎の骨を砕くくらいの反撃をするかもしれないが、それ以外の住人は武術の心得なぞないのだから。

 

 だが、淳一郎をも巻き込んだ誘拐となると話は違う。

「君塚、段も帯も持ってるヤツなんですよ?それに図体も無駄に大きいから、連れ込むのがまず無理でしょう」

 前のめりに捲し立てる悠に、紫苑は後ずさる。

「そうなんだ……。ぼくとはほとんど話さなかったから知らないんたよね」

「最後に何をしていたか覚えているか?」

 横から、蓮が言葉を差す。状況の整理をしたいのだろう。紫苑はうん、と頷いてことばを継いだ。

「ごめん……。なんかどっかに用事あるってなって行ったのは覚えてるんだけど」

「用事?」

「うん。何しに行ったのか知らないけど、君塚くんと其処へ行って……その後の記憶がないんだ」

 

 その何処、はわからないらしい。所要時間は短かったものの電車にまで乗ったらしいので、なおさらわからない。その電車が何線の何処行きなのかすら把握していないようで、悠は頭を抱えた。それではいったい、何をしに行っていたのかすら予想が立たない。

 

 蓮は深く息を落とすと、静かに言った。

「……とは言え、俺たちから通報できるわけでもねえ」

 窓を潜った先が、捕まっている張本人なのだ。中から110番通報できるわけではないので、事前になにか策を講じられるわけでとない。

 

 だがしかし、それにしても時機タイミングが悪い。日本はちょうど、年末年始時期だ。バイトの一部も休みで、大学もサークルも休み。一人暮らしだから外部からの助けも期待できない。

 

 蓮はひょいとウサギのぬいぐるみを紫苑へ投げて寄越すと静かに、 

「俺がなんとかする。紫苑はヨナスと待機。あとは――」

 視線が悠へ向く。

 どうしてお前がここにいるんだ。その目はそう言っている。それもそうだ。クロレンスはまだ真昼時。

「あー……。紫苑さんに呼ばれて、つい」

「ついじゃねえよ。出てくるなって言ったよな」

「でも、放って置くわけにもいかないでしょう」

 

 うっと蓮は言葉を詰まらせる。悠たちの不意打ちのお陰で助かったのは事実だ。たまたま上手く行った、あまり策とは言えぬ策だったが、彼らが何もしてくれなければきっと状況は悪化していただろう。

 

 気を取り直したように蓮は咳払いをした。 

「で、そっちの状況は?」

 そっちとは即ち、クロレンスのことである。

「研究院に到着して、ええと……」

 

 すでにイェーレン国立研究院に到着し、今回の依頼で協力関係である博士と対面したこと、その途中で紫苑に呼び出されたゆえにその場を退散し、近くにあった植物園にハーヴェイを置いてきたことなど、悠はかい摘んで説明した。

 

「はあ?ロルフが見てる?」

「アーサーさんが選んだメンバーなんだから、問題ないでしょう?勝手にこっちの事情を知ってるみたいですし」

 知っていることは、蓮も初耳らしい。だがあの男ならあり得るとも思ったようで、渋面をしながらも話を続けた。

「……わかった。悪いが、悠はクロレンスに戻ってくれ」

「やっぱり殴られますかね」

 

 気不味い沈黙。それは、振り切ってきたオリヴィアのことを指している。勝手に何処かへ行ったハーヴェイをあの暴力娘が何もせず迎えてくれるはずがない。今さらそのことに思い当たったのか、蓮は青褪めた。

 

「いややっぱり俺が」

「変なところで過保護しないでください。バラバラな行動は何だか癪ですけど、仕方ありません。こっちはなんとか凌ぎます」

 まあ、避けられないので、拳を受け止めるだけなんですけどね。悠はそう言って、遠くを見る。それは文字通り、受け止めるのだ。肋骨あばらの一本や二本は覚悟するしかあるまい。

 

 蓮はしばし納得の行かない面持ちだったが、実際、悠にハーヴェイを任せるしかなかった。戦闘時に折れた右腕をだらりと下げたまま、無事な方の手で既に乱れていた黒髪を掻きむしる。

「わかった。それで行こう」

 

 ようやく観念したらしい。だがそれでも、他の懸念も尽きない。ゆえに未練たらしく、

「そっちも安全とは限らねえんだ。できるだけアーサーから離れんなよ」

「今はまあ、離れちゃってますけど」

「ロルフがいるなら問題ない」

「そうなんですか?」

 きょとんと首を傾げる悠に、蓮は呆れ顔をした。

「何言ってんだ。体術の教師はあいつだぞ」

「それは……初耳です」

 

 剣術とフロル語はジェイコブ、体術とゾール語はロルフ。さすがに馬術や読み書き、他の言語はアーサーらしいが、ハーヴェイの師匠は思いのほか多い。それもこれもアーサーが教えるのがとにかく下手で、蓮もさっさと見切りをつけたからだ。悠も内心で、自分もさっさと教わる相手を変えようと決意した。あれでは身が持たない。

 

 蓮がさっさと玄関へ向かおうとすると、思い出したように悠が呼び止めた。

「あ、待ってください」

 なんだ、と眉を寄せて振り返る少年。先にこれだけは、聞いておきたかったのだ。悠はまっすぐと蓮を見据え、そして問う。

 

「あの侵入者。蓮さん、何か知っているんじゃないですか?」

 

 悠も、あの侵入者が日本で遭遇したあの中学生と同じなのではないかと察していた。仕草から話し口調までよく似ていたからだ。

「知らねえよ。俺だって、全然、知らねえんだ。今回のでわかっただろ?俺は何でもできるわけじゃねえ」

 なら、何でも知ってるわけじゃねえのもわかるよな。そう言って、蓮はついと視線をそらし、また玄関へ歩き始めた。そんな少年の背中を、悠は冷ややかな目で見送っていた。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る