156-[IN]R_侵入者(2)


 その声はヨナスのものではない。悠や紫苑たちでもない。それは初めて聞く幼い少年のような叫び声で、その声主が黒い外套ローブであると理解するのに数瞬の時を要した。

 

 もっともそばでその叫び声を聞かされたヨナスは呆然として、

「え、なに急に」

 と呟きながら、腹にぽっかり空いた穴を手で塞いでいる。 

 黒い外套ローブのそれは、ゆらりと動き、頭を抱えてまた、叫んだ。

 

『は、はやくしなくちゃ。そうしないと、みんなが殺されちゃう』

 

 上背のわりに声は高く、幼さの目立つ言葉遣い。だがそれ以上に、蓮はその用いられた「言葉」に瞠目した。それは、クロレンス北部に隣接する大国ゾンバルトの公用語――ゾール語だ。

 

 え、何処の言葉なの?と首を傾げるヨナス。蓮は鍵をズボンのポケットに仕舞うと、困惑顔をしているヨナスのそばへ歩き寄り、その黒い外套ローブの胸ぐらを掴んで問い掛けた。

『おい、てめえ。何しに此処へ来た?』

 それは同じゾール語だ。そのことに驚いたのか、安心したのか。黒い外套ローブは反撃せずに応じた。

『お、おれ?わ、わからない。に言われてかけこんだら、ここだった。そ、それで』

 辿々しく、要領の得ない黒い外套ローブ。だが要約すると、中で彷徨っていたら、知らない言葉を話す怪しい人間すなわち蓮たちに遭遇してパニックになった――ということになるらしい。

 

『あのひと、とやらが何だか知らねえが。お前、あのクソ野郎とも違うな。何処から来た?』

『わ、わからない。暗くて、いたくて。と一緒に閉じ込められてた。そ、そうだ。がいた』

『鳥……?』 

 眉を顰め、そして蓮は一瞬だけその外套ローブの下にあるを垣間見た。その様相に、蓮は見開き、声の量を落として続けた。

 

『お前、だ?』


 そもそもゾール語が理解できぬヨナスが、その理解できぬ問いに顔を顰めることはない。だが、黒い外套ローブは違った。前のめりになり興奮したように言葉を返した。

『お、おまえ。おまえが、?』

はどうでもいい。お前は何番目だ?何故、此処が

 イエスともノーとも応えず、蓮はじっとその黒い外套ローブの奥を見据えた。顔を隠した彼は、もごもごと

『おれはね、十三番だよ。あのね、が言ってたんだ。ここにいって、くれば助けてくれるって』

 

 肝心の助けてくれるのか。その人とはいったい何処の誰なのか。聞きたいことは山程あるが、訝るヨナスを見て、蓮は口を噤んだ。そして問い返す代わりに、嘆息混じりに言った。

『とにかく。お前は一度元の場所へ戻れ。これ以上騒ぎを大きく――……』

 

 だが、その言葉は言い終えられることはなかった。

 

 音もなくずるりとヨナスが倒れ込んだのだ。そしてその真後ろ。其処にはもうひとり、黒い外套ローブを纏った者がいた。今度は小柄で、蓮とさほど身長差がない。そしてその手には、一振りの短剣。剣身には鮮やかに赤い血がつうっと伝わり、滴っている。

 それはあまりに突然で、蓮は反応が遅れた。二人目の黒い外套ローブがゆらりと動き、ヨナスから蓮へ近寄ろうとしてようやく我に返り、飛び蹴りをその外套ローブに食らわせようとした。

 

「あら、せっかちさんは嫌われるわよ」


 甘やかな女の声を鳴らし、その二人目の手が蓮の足を受け止める。外套ローブから伸びた腕は細い。だと言うのに、ぴくりとも振りほどけない。蓮は歯噛みして、強く睨め付ける。

 

「てめえに好かれようなんざ思ってねえよ、クソ野郎。、隠れてやがったか」

「そんなに喜んでくれるだなんて、うれしいわ」

 

 ふふ、と嗤うその女の仕草は、日本で中学生男子の姿を、オルグレンの宿でも痩せぎすの児童をものそのものである。即ち、たびたび「W」としてチャットを送り付けていた当人なのだ。

「わざわざ俺の部屋の扉を開けっ放しにするなんて、てめえくらいしか思いつかねえからな」

「ちょっとした悪戯いたずら心よ」

 女は蓮の足から手を話すと、しとやかな所作で後ろに下がり、ころころと笑う。その手に短剣が無ければ、何処ぞのご令嬢かお姫様にしか見えなかったであろう。

「まあ、でも。今回はあなただけに用事があったわけではないのよ」

「其処のガキか」

 

 蓮の鋭い黄金こがね色の眼が、ひとりめの外套ローブへ向けられる。その視線の先で、ひょろ長い体を縮まらせてブルブル震えている。この女に怯えているらしい。女は「そうよ!」と手を叩いて笑い、

「勝手に、困ったものだわ」

 と言葉を継いだ。

 

 一人目の黒い外套ローブはいっそう体を縮こませて、後退る。蓮はその様子を横目で認め、ついとまた二人目へ視線を向ける。

「てめえらの関係なんざ、俺には関係ねえ。今すぐ帰れ」

 

 なんとも冷たい言い草だ。あんなにも恐怖で震えている者がいるというのに。きっと第三者が見ればそう思うことだろう。実際女の後方で、ヨナスはどくどくと血を流す首を押さえながら、「うわ」と声を溢していた。

 

 女はゆったりと蓮へ歩き寄って、歌うように告げる。

「嫌よ。あのも今はいないみたいだし、少しは遊んでちょうだいな」

「断る」

「あら、冷たい子。あの忌々しい子にするように、わたしにも優しくはしてくれないのかしら?」

 目深に被った外套ローブの下で、女はうっとりと嗤う。蓮はピクリと眉を上げたものの、すぐにいつもの仏頂面に戻す。

「誰がするか、このクソ変態野郎。今すぐぶっ殺してやる」

「ふふ、できるのかしら?」

 

 余裕たっぷりに返す女。それもそうだろう。全力で蹴り上げた蓮の足を安々と受け止め、さらには自由を奪って見せたのだから。もう一度挑戦したとしても、きっと結果は同じであろう。蓮は何となく察していた。この女はあの一人目の外套ローブより強い。

 

 蓮は苦々しく自嘲した。

「まったく。自分が弱っちいことを思い知らされる」

 

 もし肉体を有しているのであれば、彼らに敵うのはきっとアーサーかそれとも。蓮は自分よりずっと強く、あの外套ローブに匹敵する人間を知らない。

 だが、此処に彼らはいない。

 

 ゆえに、この場所を守れるのは自分だけ。その重責が彼の息を詰まらせ、そして奮い立たせる。

「あいつを守るのは、なんだ」

 そのために、自分はあるんだ。

 

 幼さの目立つ、舌足らずな声。黄金こがね色の眼を――否。透き通った琥珀の宝石を爛々と燃やし、蓮は歯を食いしばり、そして女へ猛攻を繰り出した。

 その途中、紫苑がうっかり日本から戻ってきてしまった時はひやりとした。だが、窓から外套ローブたちを行かせないことには変わりない。窓さえ守れば、を守りえるのだから。

 まさか、そのが二階へ躍り出てくるとはこの時の蓮は考えもしなかった。

 

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