153-Y/[IN]S_研究院(4)


「ハーヴェイ、大丈夫ですか?」

 そう声を掛けたのはグレイの髪の紳士だ。悠は彼の腕により抱えられてようやく立っているようであった。

「……あれ?」

 

 白昼夢でも視ていたのだろうか。

 あの夜の空間はもはや影も形もない。そもそも、狭間へ行こうとした覚えもない。別の住人が入って強制的に交代したのならば、意に反して狭間へ引っ込むことはあるが――悠はハッとして、狭間へ意識を向けた。だがやはり、二人以上の住人がいる時のあの異物感は感じられなかった。

 

 すると肩をがっしりと掴まれ揺らされ、無理矢理に外へ意識を引きずり戻された。

「ちょっとハーヴェイ。あんた本当に大丈夫なの?何処か悪いんじゃないの!?」

「あ、オリヴィア……」

 

 炎髪の少女が気遣わしげな面持ちをして唇を結び、わなわなと震えるのを堪えている。悠の姿勢からして、外から見れば突然にハーヴェイが倒れかけたのだろう。ハーヴェイを好いている彼女が心配しないはずのない。

 悠は目をそらし、慌てて言い訳を考えた。

 実際、肉体からだの調子が悪いわけではない。それにわざわざ、女の子を不安にさせる必要もない。

 

「ええと……。うん、大丈夫。ちょっと退屈で立ったまま寝ていた……だけだ」

 思いついた言葉を適当に早口で鳴らしてしまったが、言い終えてから後悔した。丁寧な口調を避けようとした結果、足して二で割ったような歪な発言になってしまった。アーサーとジェイコブが呆れたような顔をして沈黙し、ロルフは嗤うのをひたすらに堪えている。その他のメンバーは予想通りと言うべきか、思いきり顔を引き攣らせて引いている。

「あー……うん。大丈夫なら、それでいいのよ?」

 ほら見たことか。オリヴィアの声がわかりやすくも動揺して上擦っている。

 

 別に、隠したいわけではない。

 日本で蓮という存在が知られたと理解したその日から、ハーヴェイとしての生活を保とうなんてことは考えていない。が、今は説明するのを避けたい。実演できない状態での説得は骨が折れそうだからだ。

 

 話をそらすべく「自分で立てる」と言い、悠はおのれを支えるアーサーを押し退けた。そしてさらに他のメンバーを見て、

「見せもんじゃねえ」

 と吐き捨ててみせた。果たしてこれで納得してもらえるのか、というところだが、横から思わぬ助っ人が入った。

「戦士諸君、研究室へ入らないのかね?」

 

 声を鳴らしたのは、美丈夫な研究者である。彼は既に、研究室の扉を開けて待っていた。アーサーが周囲のメンバーへ、「早く中へ」と言葉を添えたおかげで、渋々とでも彼らは進み始める。悠もそれに続こうとした瞬間。今度は別の場所から横槍が入った。


『ユウ、助けてくれ!』


 それは頭の奥から響かれた紫苑の声である。声の聞こえたかからして、窓の向こうから彼女は声を上げている。なんて間の悪さだと嘆きたくてたまらないが、悠は頭を抱えながら、内心で応えた。

『どうしたんですか?』

『中が、大変なんだ!それにあおいも捕まっちゃって……』

「は?」

 思わず悠は、声に出してしまっていた。


 

 


             ✙


 


 それは数分前に遡る。

 紫苑は日本の窓から転げ出ていた。その腕の中にはウサギのぬいぐるみ。彼女はを求めて、中へ戻ったのだ。

 

「レン、ヨナス。何処にいるんだい?」

 やけにリビングダイニングががらんとして静かだ。二人とも二階にいるのか、それともクロレンス側にいるのか。紫苑はウサギのぬいぐるみをギュッと抱きしめて、足を進めた。

「おーい……。どうしたんだい?」

 

 階段を上がり、二階へ出る。

 二階も誰の姿のなく、紫苑は眉を寄せる。そもそも、侵入者を検知したのがクロレンス側なのでおかしくはないが、気味悪いほどに静かだ。

 

「レン、ヨナス……?」

 紫苑は慎重に玄関の扉を押した。ずっしりと重みのある扉だ。キイイと音を立てて扉が開かれると同時に壁に何かが打つかったような粉砕音が鳴らされた。

 

「……ひっ」

 叫びそうになって、何とか堪えた。

 目の前で、血まみれになった小柄な少年が蹲っていたのだ。さらにその向こうでは、亜麻色の髪の少年がちょうど叩きつけられていた。

 廊下の壁はあちこちにヒビが入り、ところどころ崩れている。その壁や床には血痕が飛び散り、激しい戦闘をしたのだろうことがいやでも予想できる。

 

 その濡羽色の髪の少年は呻きながらもよろよろと立ち上がった。

「……クソ」

 口の中が切れたのか、ぺっと血を吐き捨て――紫苑を見て驚愕した。

「馬鹿!なんで戻って来た!」

「え。紫苑の姐さん!?」

 

 ゲホゲホと咳き込みながら起き上がっていたヨナスもまた目を剥く。その向こうでゆらりと揺らいだ影を気取り、蓮はハッとして声を上げた。

「おい、馬鹿!食い止めろ!」

「――っ!」

 咄嗟にヨナスはその影の前に立ち塞がった。それと同時に、何かがヨナスの胸のあたりに穴を開けた。貫いたのは人間の腕のように見える。ということは、相手は人形ひとがたの何か。

 まさかこんな悲惨な状況とは予想すらしておらず、紫苑は青褪めたまま棒立ちになった。

「え、いや……」

 

 どうしよう。どうするべきなのだろう。

 ぐるぐると巡るましく思考するも、戻るに戻れない事情を思い起こして結論が出せない。そんな紫苑を訝んで蓮は眉を顰めるも、紫苑の手元を見て何かをさとったように声を鳴らす。 

「そっちでもなんかあったのか」

「う、うん。ぼくじゃ、どうしようもなくて……」

 だから、助けてほしい。そう伝えに来たのに、どう考えてもそんなことを言える状況ではない。蓮は渋面をして低く言葉を継ぐ。

こっちにいるってことは、日本にはが残ったってことか?」

「うん。それと、淳一郎くんが」

 

 紫苑の返答に、蓮は舌打ちをする。紫苑からすると、彼の舌打ちをする時機タイミングがあまりに予想外で思わず「え?」と言葉を溢してしまう。これまでの彼であればきっと、良い時間稼ぎくらいにしか言わなかっただろうからだ。

 

 だが、そんな感想を述べる時間はない。

 蓮は紫苑の腕を掴むと、

「悪いがすぐには行けねえ――ヨナス!」

 とヨナスへ指示を出した。

 するとヨナスはすぐに、体に腕を貫通させているその何かを抱き留めるようにして腕を回し、貫通した腕が暴れて穴を広げようとも唇を噛み締めた。それと同時に蓮がその何者かの背後に周り、反対側も押さえつける。二人がかりでようやく動きを止められるらしい。それでもギリギリなのか、ヨナスが叫んだ。

「紫苑の姐さん、早く!」

 

 紫苑は悲痛な声を上げそうになるのを我慢して蓮とヨナスの横を走り抜けた。廊下は常よりも暗く、それゆえに二人が抑え込んでいるその何者かがどんな姿をしているのかは確認できなかった。言えることは、やけに小柄であることだけ――とにかくその場を去り、階段を下り、そして悠を呼んでいた。


 そして現在いまに至るのだ。

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