150-Y_研究院(1)


 クロレンスの首都、イェーレン。

 

 オールトン山脈の南方にあり、グレウフェル山脈の西方にあるクロレンスの中枢である。

 主要都市の間に整備された山道や街道により国内の人々だけでなく、南部や西部の友好国家の使者や商人の往来も盛ん。議会や研究院、パブリック・スクールなどもある関係上から、すぐ西方にあるウェインリの街以上の賑わいがある。

 

 悠たちの前方に広がる馬車道は石畳の道。その両側には煉瓦造りの建物が立ち並び、その間を二頭立ての馬車が闊歩し、その左右を小洒落たシルクハットを被った男や裾が踝まである膨らんだ優美なドレスの貴婦人が往来している。

 

 むさ苦しいオルグレンと異なり、何とも華やかな街だ。

 悠はふと、ひとつの建築物に目を留めた。

「あの、あれは何ですか?」

「ウェインリにも何なら、オルグレンあったはずですが」

 忍び声で答えるのは、隣を歩くブルック隊の隊長アーサーだ。

 

 彼らの視線の先には、三角形上に並べられた赤、青、黄の三本の柱の間に聳え立つ塔のような建築物。無論、現代日本の東京タワーやスカイツリーを知っている悠からすればちんけなものだが、まるで天に届くのを目的としたような空高い白色はくしょくの塔である。

 その壁には寄木細工な窓が連なり、きっと中を照らしているのだろうことが予想される。いわゆるステンドグラスなのだが、その紋様はオルグレンの宿で見たものと類似した、太陽と鳥の紋様がかたどられている。その入口と思われる場所では扉が開かれ、その下まで数段の石段が続いている。その入口の先は翳っていて見えないが、幾人ものの人々が出入りしている。

 

 どちらにしろ、悠には見覚えのない建物だ。悠はギリギリと爪を噛んで、低く言葉を返した。

「つい最近までは蓮さんが主で外にいましたし。細かい建物の様子なんて見てないですよ」

 

 窓の向こうから見える景色は鮮明さに欠ける。それに加え、肉体の主導権を握っている住人がそれを見ようとしなければぼんやりとしか見えないし、そもそも視界に入れてくれなければ見ることすら叶わない。

 

 納得したのか、アーサーは嘆息した。

「まあ。君がこうやって会話をするようになってさほど経っていませんからね。――あれは「祈りの場」ですよ」

 祈りの場?と悠は首を傾いだ。

「『キリスト教』の『教会』や『神道しんとうの『神社』みたいなものですか?」

 

 一部はどうしても日本語になってしまう。フロル語に対応した言葉がないからだ。無論、日本語をアーサーが理解できるはずもない。

 

「何を言っているのかわかりませんが……。派閥による違いはあれどクロレンスを含むこの辺り一帯は、彩星さいせい教が国教です。で、あの三本の柱に囲われる建物は白星しろほし様――まあざっくり簡単に言えば太陽のことですが、その白星しろほし様にへいこらする場所ですよ」

「へいこら……。思ったんですけど、アーサーさんって思ったより口悪いですよね」

「ジェイコブと長く付き合っている所為かもしれませんね」

 

 単純に言葉遣いが汚いのと、口が悪いのは別なのだが、わざわざ指摘するのも面倒である。蓮が決して態度の悪さを改めようとしなかったのは、こういう「大人」を見て育ったからではあるまいか。

 

「なんですか、その目は」

 じと目でおのれを見てくる悠に、アーサーは眉を顰める。悠は深く嘆息を落とし、肩を竦めた。

「いいえ、何でもないですよ。そっくり父子おやこだなと思っただけですよ」

「何だか腹の立つ言い振りですね。今度、熊の穴蔵に放り込んであげましょうか」

「その、すぐに暴力に訴えるところもそっくりです」

 

 二人ニッコリ笑顔で睨み合う。他のメンバーに気取られぬよう、全て忍び声で表情も見られぬように気を付けている。が、ただならぬ雰囲気が彼らを包みこんでいるのは後方を歩くジェイコブを初めとしたパーティーメンバーたちが気付かないはずのない。

  

「おおい、お二人。何処行くつもりだ」


 ジェイコブの野太い声に、悠もアーサーも足を止めた。無駄に火花を散らしている間に、目的地を通り過ぎようとしてしまっていたらしい。「祈りの場」の正面の通りを南東に歩いて突き当りの角を曲がり、さらに東へ進んだ途中。

 

 大きな金属の門や煉瓦の塀に囲われた敷地内に、イェーレン国立研究院はある。

 三階建てで左右対称な白色の建物で、周囲に芝といいオルグレンの宿よりずっと質素である。だが、それでも平らにすっきり整えられていることから手入れが行き届いているのだろうことが見て取れる。加えて、花壇には規則を持って草花が植えられている。ラベンダーやカモミールといったハーブ類が垣間見えるに、薬草の類を栽培しているのではないかと考えられる。

 ブルック隊の多くは「思ったより地味だな」と呟く中、コリンだけが青褪めて今にも倒れそうになっていた。

 

 気にならないわけがない。悠は密かにコリンに問うた。

「……どうした?」

「あ、ああ。ハーヴェイはあの時いなかったね。此処、俺の前職。古巣なんだ」

 

 道中、悠は事前に研究院が何であるのかをアーサーから聞いていた。その時に何故、コリンについて触れなかったのかというツッコミは大いにあるが、とにもかくにも、この研究院に務めることの意味は知らされている。

 指定されたカレッジ(男子のみが入学できる学校)で優秀な成績を取るか、難関試験を通るかしないと所属することを許されない、各国でも有数の国立機関であり、その研究員に選ばれることは誉れ高いことである。その誉れを捨ててでも辞職する。かなりの事情があるに決まっている。

 ゆえに、ご愁傷さまとしか言いようがない。

 

「か、帰りたいなあ」

 と切実そうに声を溢すコリンに、他のメンバーたちも同様に憐れみの目を向けた。だが誰も彼を逃がすことはない。そしてそれは、あちらも同じらしい。

 

「ブルック隊の皆さまですよね」


 研究院の門から現れ、悠たちへ声をかけたのは平凡を絵に描いたような若い女。年齢よわいは十代半ばくらいで、ハーヴェイやオリヴィアと同年代と思われる。頭巾の下でブルネットの髪をきちっと結い、丸い鼻頭を覆うソバカスをすっきりと見せている女で、街女の着るような質素な紅茶色のワンピースを纏っている。その右腕には、その平凡さに不釣り合いな白地に金色こんじきの鳥文様の施された腕章、すなわち冒険者組合の組章が付されていた。

 

 その姿に覚えがあるのは、アーサーを含め、サイラスとロルフのみ。アーサーは紫の目を瞬いて、組合員の女を見て彼女の名を呼んだ。

「ブリジット・エインズリー殿ではないですか」

「はい。数日ぶりですわ、アーサー様。初めての方もいらっしゃいますから、改めてご挨拶を。今回の依頼の担当に着任いたしました、ブリジット・エインズリーと申します」

 優雅な仕草でスカートの裾をつまみ一礼する組合員に、ブルック隊の面々はあんぐりとした。ただを除いて。

 

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