149-Y_虚ろ(4)


「……え!?」

 その光景を前に、悠は声を上げていた。

 

 魔獣が、消えた。

 だが、すべてがせたわけではない。魔獣が蹴飛ばされたことによって薙ぎ倒された草花は変わらずそのままで、一部始終を知らぬ者が見れば、いったい何故その身を伏しているのか首を傾げることだろう。

 

 いや、この光景には覚えがある。

 悠はふと、日本の倉庫街を思い起こした。

 あそこも今の魔獣同様に、戦闘の痕跡は残して忽然と姿を消していた。

 

「実は妖怪変化の類だった……なんて非現実的なこと言います?」

 

 試しに言ってみたものの、悠はハーヴェイとして、魔獣と対峙したことがあるゆえに、それらに血も肉もあることを体感している。それにそもそもつい先程、ロルフが殴る蹴るをしていたさいにもとても霊体だとは思えぬ重量感があった。血飛沫も独特の鉄錆臭がした。

 

 すると、ロルフがゆらりと悠のそばへ寄って言葉を継いだ。

「キヒヒ。君は知っているましたカ?無力化されたあとの魔獣たちの末路を」

「知ってるわけ、ないじゃないですか。初めて見たときも、死骸になったあとは土に埋められたあとだった……」

 

 あれ、でも。

 其処まで言って悠は沈黙し、爪を噛んだ。

 初めて悠が魔獣を見たのは、ベアード商団護衛の任務。後始末の時には気を失っていて現場を見なかったが、だが誰一人とも魔獣が消えただなんて発言をしていなかった。

 

「魔獣が消えるのって当たり前のことなんですか?」

「まさか。研究院の人間か、もしくは」

 ワタシくらいだ。そう続ける男はケタケタと嗤い、おもむろに歩き出す。相変わらず、その顔を垣間見せない。

「土に埋めた獣に誰も興味もつないですからネ。だから、密かに消えるますても、誰も気が付くないです」

 

 だが先ほどの個体は、土に埋めるより前に、姿を消した。姿が消えるタイミングは不揃いなのか。そうなると、そもそもの遭遇件数が少ないとは言えど、砂のようになって消えたのを目撃する人間がいても何らおかしくはない。

 

「どうして……誰の目にも留まらなかったんですか?」

「魔獣が姿を消す。そのためには条件あるですたヨ」

 条件?と悠は眉を寄せ、また爪を噛む。

「はい。いくつか種類あるますが、簡単なのは、全ての「かく」を潰すことです」

「核……?なんですか、それ」

「ヒ・ミ・ツ」

 

 これほど他人ひとを殴りたいと思ったことはない。悠は額に青筋を浮かべ拳を握るも、振りかぶるのは留めた。相手はオリヴィアのように筋力で物を言う部類。殴り返されれば、アーサーに蹴飛ばされるより重症だ。骨の数本、臓物の数個、やられるかもしれない。

 

「……で。どうせ答えてくれないのに、どうしてそんな話を?」

「気分ですたヨ」

 

 やっぱり一発くらい殴ろうか。悠の眉がひくひくと動く。だが言い返すよりも先、ロルフの手が悠の口を塞いだ。いったい今度は何だとその手を引き剥がそうとしたその瞬間。

 

「あ、こんなところにいた」


 第三者の声に悠ははたと手を止めた。

 山道の野営地側に、栗色の髪にソバカス顔の男が立っていた。足を止めていた彼は、さらに後方から続いていた炎髪の少女に声を掛ける。

「オリヴィア、ハーヴェイいたよ。あと何故かロルフも」

「それは以外な収穫ね……」

 きっといつまでも野営地に戻ってこないハーヴェイを心配して探し回ったのだろう。其処はつい先程まで共にいたアーサーが戻ってくればよいのに、と悠は内心でツッコまないではいられない。

「ワタシも偶然、ハーヴェイに会うますたヨ。どうするましたカ?」

 

 肩を竦めてすっとぼけるロルフに、悠は目を据わらせた。確かにこの男は仲間内でも神出鬼没らしいので、たまたま会いました、が通じてしまうのだ。オリヴィアたちがハーヴェイを探してもロルフを探さなかったのも、見つからないときは見つからないし、見つかるときは見つかる男だからだ。

 だが、ハーヴェイは違う。

 

「珍しく朝からハーヴェイの姿が見当たらないから、探したのよ。いつもはギリギリまで寝てるくせに」

 

 速度を上げつかつかと歩き寄るオリヴィアに、悠は目を逸らした。

 

 ギリギリまで「寝ている」状態はきっと、蓮が朝に弱いからだけではないだろう。日本と行き来したり、中で住人たちと意思疎通コミュニケーションを取ったりしていると、自然と肉体を眠らせている状態が長引いてしまう。 

 それに対し、悠は特段朝に弱いわけでもなければ、今は行き来する時間がないので早朝だろうと活動できる。オリヴィアたちからすると突然どうしたのだと思わないではいられまい。

 

 ようやくオリヴィアのすぐ横に辿り着いたコリンが言葉を添える。

「それで、俺とオリヴィア、それとサイラス、ジェイコブで探し回ってるってことさ」

「おや、アーサーはどうするました?」

「は、野営地で待機だよ。戻って来るかもしれないから」

 

 居場所を知っているクセに、いけしゃあしゃあと。人をしばくだけしばき、さっさと自分だけ野営地で休んでいるのだと思うと、悠は腹立たしくてしようがない。

 

「あ?くたばれ、あのクソ野郎」

 心からの言葉である。またしてもついうっかり、蓮のような言葉遣いである。だが、まさか早朝から父子でこっそり秘密の特訓(にすらなっていない不毛な追いかけっこ)をしていたなぞ、オリヴィアが知る由もない。

「何を悪態付いてんのよ」

「まあ。めでたく見つかることですし、戻るましょウ。キヒヒッ」 

「ロルフまで見つかるとは思っていなかったけどね」

 と最後にツッコミを入れたコリンに、ロルフはずいと顔を寄せ、忍び声で言った。

 

「あ。そうそう、コリンクン

 何故、急にくん付けなのだ、とコリンは顔を引き攣らせて「なんだい?」と問い返す。

「今回会う研究院の担当者とぜひ、個人で話をしたい思うます。こっそり取り付けてくれたりしナイますカ?」

「え、アディントン博士に?」

 

 ウィリアム・アディントン博士。ハーヴェイ不在の場でなされた会話の中で登場した名ゆえ悠は初耳だが、それが今回の魔獣の件に関する研究院側の担当者の名だ。

 

 ロルフは「ハイ」と訛りのある返事をし、オリヴィアに聞こえぬよう耳元で囁くように続ける。

「彼の研究書は興味深いですタ」

 

 彼はきっと、ハーヴェイの耳が獣並みに良いことを計算に入れている。これがオリヴィアのように、並みの聴力であれば何を話しているのか聞こえなかったろう。

 すっとロルフがコリンから離れると、顔を一瞬だけ悠へ向けた。相変わらず目元が見えないが、それでも何となく伝わった。話を聞きに行く時はお前も一緒だ、と彼は言いたかったのだろう。

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