148-Y_虚ろ(3)
何故、知らない言葉を聞き、話すことができるのか――。
ふと、そんなことを考えている自分の「言葉」に、悠は意識を留めた。
今の悠は、無意識にフロル語でものを考えている。それだけではない。咄嗟に口から出る言葉もまた、フロル語なのだ。彼の中では、生まれも育ちも日本だというのに。何ならば、つい最近までは日本で生活し、日本語で全ての物事を考え、聞き、話していた。
もしや、紫苑たちも同様なのではなかろうか。
中の住人たちもまた、フロル語で意思疎通をはかっている。それはまるで、中の共通言語であるかのように。だがそれはあまりに奇妙すぎる。一人クロレンスへ迷い込んだ蓮を除き、紫苑や
――僕たちはいったい、何なんだ。
記憶や知識、能力を共有しているだとか、ファンタジー小説によくある事象が起きているわけではない。一部の言語は理解できないし、体術や剣術はまったく身についていない。
――でも、どうして?
どうして月夜は、自分のことを知りたくば、蓮とともに、と限定したのか。同じ奇妙さは住人すべてに共通されているというのに、何故。
「あのお。急に一人沈黙するないですたヨ?」
「……!」
突然に顔を覗き込まれ、悠はドキリとした。覗き込んできたのは無論、ロルフだ。ボサボサ頭で目元を隠し、無精髭に覆われた口元には笑みを戻している。そして何故か、言葉までフロル語に戻している。悠は眉を寄せながらもついと視線をそらして言葉を返した。
「いえ……。別に、なんでもないです」
「そうですたカ。じゃあ……」
すると、またしても突然に、ロルフは悠の腕を掴み、山道側へ引きずり出した。悠が驚きで声を上げるよりも先に、ロルフが茂みへ視線を向け言った。
『死にたくなきゃ、ちゃんとくっつてな。お坊っちゃん』
「え?」
悠もロルフの視線を追い、つい先程までいた茂みの方角を見、そして驚愕した。
「……!?」
それは一匹の狼。五つの眼を持ち、長く立派な三尾を有している。何処からどう見ても、普通の狼ではない。そうなると、魔獣なのだが、あまりに。
「なんか小さく……ないですか?」
「そうですたネ。すぐに襲い掛かるなかったのも、普通ないですた」
ロルフの物言いに、悠は目を剥く。つまり、ロルフは元より気が付いていたのに、あえて知らぬふりを決め込んでいたのである。
一人気取れなかった悠を嘲笑うかのように、ロルフは言葉を続く。
「お坊ちゃんは鈍感ですたネェ。キヒヒ」
「……なんでわざわざ黙ってたんですか」
「こちらをじっと観察してますたから、こちらも観察し返すますた。あと、君のビックリ顔を見たいでした。ヒヒッ」
確実に後者が主な理由であろう。
だが、問い詰めている場合ではない。五つ目の狼が鋭い牙を剥き、悠たちへ走り出したのだ。どちらに逃げるべきかと悠は焦燥した。昨晩から学んだことは、アーサーは教育に向いていないということだけ。
そんなあたふたしている悠の襟首を掴み、ロルフは高く跳躍した。
「さて、問題です」
「な、なんですか」
首が締まりかけて悠は藻掻くように足をジタバタさせる。ロルフは悠を支えたまま、腰に下げていた短剣を引き抜く。彼も軽装だったらしく、得物は限られている。その短剣をひょいと投げて握り直すと、ロルフは悠にニヤリと嗤い掛けて続けた。
「魔獣、とはなにでしょうカ」
その問いに、悠は息を呑んだ。
だが、聞き返す
「まず、その一。頑丈とは言え、必ず急所あるます」
そう言い放つと、ロルフの足が狼の腹を蹴飛ばした。かなりの威力だったらしい。放り出された狼は苦しげに体勢を立て直し、こちらを警戒する。其処をすかさず飛び込み、顎を砕くように拳を入れ、続ける。
「その二。その急所はたいていの場合、
次の瞬間。ロルフの刃を持つ
その頭を踏みつけて、ロルフは悠へ視線を向けて言葉を締めた。
「その三。けれども、決して同じ生き物ないです。――さあ、魔獣とはなにですと思いますたか?」
その殆どを素手でのしてみせた男に、悠は冷汗を伝わらせ、頬を引き攣らせていた。この男、猫背で筋力がさほどなさそうに見えて、オリヴィアと同類だったのだ。最後の一発も、
人外。
それ以外の言葉が出てこない。
ゆえに、悠はツッコまずにはいられない。
「……ロルフさん。短剣いらなかったんじゃあ」
「
ようは無くても無力化できたのである。オリヴィアといい、クロレンスの人間はどんな腕力をしているのだろうか。ハーヴェイも小柄なわりには力があるし、もしすれば、運動法則まで異なるのでは?と疑いたくもなる。
「何をそんなにビックリしているのかわかるないですたが、よくあることですたヨ」
というロルフの主張に、そんなわけあるかと言い返したい気持ちを堪えて、悠は話を戻した。
「……で、質問はなんでしたっけ」
「魔獣とはなにですた、という質問ですたヨ」
繰り返し問われても、やはり聞き取りづらい。魔獣とは何か知っているかと聞きたいのだろうが、それは愚問である。知られていないから対処方法がなく、密かに研究していた研究院をせっついて対策を編み出させるというのが今ブルック隊に与えられた使命だ。
「わかるはず、ないじゃないですか。逆に聞きますけど、ロルフさんは知っているんですか?」
「どちらだと思いますたか?」
アーサーの獣並みな地獄耳までもすり抜けて、ハーヴェイが「一人」でないと確信しているような男だ。知っている、と言われても驚きはしない。
「知っているなら、是非教えていただきたいですね」
蓮と初めてアーサーの前に出たあの日、あのグレイの髪の男は言った。自分たちのことを知るのに活発化しているからちょうどよい、と。活発化しているものと言えば、まさしく魔獣だ。
ロルフは強く魔獣の頭を踏み抜くと、静かに言葉を返した。
『忠告してやろう。虚ろなモノは常に、お前をみている』
「虚ろなモノ?」
『いわく。それらは昼と夜の境を彷徨うもの、だそうだ』
その瞬間。
茂みに伏していた魔獣の形が崩れ――砂のごとくさらさらと風に乗って姿を消した。
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