147-Y_虚ろ(2)


 声を上げそうになった悠の口を、その手が塞いだ。一瞬、何処の誰かと悠は青褪めたが、すぐにその手の主の名を思い出した。

「ロ……ルフさ……?」

 さん、と付けかけて言い淀む。

 

 背後からハーヴェイを雁字搦めにするように、片手で腕の上からがっしりと状態を固定し、もう片手で口を塞いでいる。猫背も相まって、さほど背丈がないように思えたのだが、小柄なハーヴェイをすっぽり覆うくらいには上背があるらしい。そして何よりも、想像以上に力が強くてまったく動けない。

 

 藻掻く悠を見て愉快になったのか、ロルフはゲラゲラと嗤って言った。

「はあい、ハーヴェイくん。お疲れですたカ?キヒヒッ」

 

 それを言うなら、お疲れですか?なのだが、訛りのきついロルフにそれを言うのは今さらである。

 そもそも、悠はロルフやサイラスが何者なのか未だにわかっていない。昨日の昼、出発する段になって初めて、顔を合わせたのだ。顔を合わせるなり、ガミガミと説教垂れるサイラスにも驚かされたが、神出鬼没なロルフが一番、悠を唖然とさせた。なんと個性的なメンバーなのだろう、と。

 

「はな……せ!」

 蓮の物真似をしたつもりはない。わりと本気で、乱暴な物言いが口から出た。それくらい、体を押さえる手が強く痛かったのだ。

 

 すると、ロルフが無精髭を押し付けるように顔をの寄せ、ニヤニヤ顔で言った。

「おやおや、のハーヴェイくんも、乱暴者なのですたカ?」

 その物言いに、悠は眉を寄せた。こっち、とは何を指しているのか。悠が瞠目したまま沈黙していると、ロルフは「ふむ」と言って言葉を続けた。

「今の通じるないですたカ?ワタシが知るないことナイですたよと言うです。君、いつものハーヴェイあるないですたよネ?」

 

 悠の口を塞いでいた手を離し、ぶんぶんと振って何かジェスチャーまでし始める。きっと彼なりにわかりやすく説明しようと試みているのだろう。だがむしろどんどん何を言いたいのかわからなくなってくる。耐えられず、悠はなんとか自由にした左手を挙げた。

「……あの、さすがにツッコんでもいいですか」

「ん?」

「ちょっとわかりづらいです」

 

 ロルフはおや、と首を傾げる。悠はまだクロレンスのある世界の地理はわかっていない。そもそもクロレンスがどんな国で、公用語がなので、どんな人種や宗教がいるのかすらわかっていない。

 ゆえに、さすがに肌の色や顔立ちの違いから、ハーヴェイが異国人なのであろうことは予想できるが、ロルフが何故こんなにも訛っているのだということは想像できていない。

 

 ニヤリと嗤って、ロルフは言い換えた。

『こっちなら通じるか?フロル語は難しくてたまんねえや。キヒッ。あー、でも。こっちのはゾール語知らないんだっけ』

 

 それは、初めて聞く言葉だ。

 だが、不思議と言葉の意味が汲み取れる。まさに、初めてクロレンスで目を覚ましたときと同じ感覚だ。何故か、どう返せばいいのかすらはっきりとわかる。悠は困惑しながらも、同じ言葉で返した。

『……不思議と通じます』

『へええ、不思議だ。お前に教えた記憶はねえんだが』

 

 話し方が明らかに違うと感じるが、とても上品とは言えない、ざらついた声やニヤニヤ嗤いは変わらない。悠は首だけで振り返り、きっと睨めつけるように見据えた。

『僕も、あなたに習った記憶はないですよ。なんなら、さっきの言葉も誰かに教わった記憶ないですし』

『キヒヒッ面白え。どーなってんだ?ならこっちはどうだ?――〈グルト語は通じましたカ?〉』

 

 最後の一文のみ別の言葉に切り替わり、悠は眉を顰める。聞いたことのある響きだ。アーサーや蓮が以前使っていた言葉のように聞こえる。だがやはり、悠には理解できない言葉である。

 

 悠の表情から気取ってか、ロルフはまた愉快そうに嗤い、今度はゾール語で続けた。

『グルト語はわかんねえか。キヒッ。なんでもお揃いってわけじゃねえのがますます興味深い』

 

 ずいと顔を近づけられ、悠は後退りたくなる。だが実際はまだ羽交い締めにされているので動けない。

 ――気味悪いひとだな。

 この男がどんな表情をしているのかはわからない。口元は常時ニヤニヤ嗤いをうかべているが、水気のないボサボサの茶髪で目元を覆っていて、まことに嗤っているのかをさとらせない。

 

 ごくりと固唾を呑み、悠は言葉を押し鳴らす。

『……アーサーさんやジェイコブさんには聞いていないんですが』

『そりゃあ、オレが勝手に知っただけで、何も言ってねえからなあ。ヒヒッ』

 

 またゲラゲラと嗤うと、ようやくロルフは悠から離れた。好機チャンス、とばかりに悠は後退りロルフから距離を取ると、疑問を口にした。

『……で、どうしてわざわざ、今さら僕にバラしに来たんですか?それならずっと黙っていればいいことですよね』

 

 いったいどんな目的を持って近寄って来たのか。悠はロルフの返答を息を呑んで待つ。おのれは警戒心が薄い方だとは常々言われる悠だが、さすがにこの奇妙な男には警戒してしまう。

 だが悠の緊張を他所に、ロルフはけろりとして答えた。

 

『気分だ』

『……は?』

『普段のハーヴェイと違って、お前はイジり甲斐がありそうだと思ったらつい。キヒヒッ』

 

 何を巫山戯たことを、と悠は後退るも、ロルフはずいと近寄って、せっかく保った距離を詰めて来る。慌てて逃れようとするが、悠の腕を掴んでロルフは許さず、言葉を続ける。

 

『それに何より。お前はらしいから忠告してやろうと親切心を起こしたんだよ。

『忠告……?』

 

 明らかに小馬鹿にしたようなロルフの物言いに、悠はムッとする。ロルフはそんな悠の両頬を掴み、さらに顔を近づけると、初めて口元から笑みを引かせた。

『……一つ聞いていいか』

 

 つい先程までのへらへらした様子がまったくない。ロルフとはたったの半日少しの付き合いだが、その間ずっと彼はニヤニヤ嗤いをしていた。ゆえに突然に口端が持ち上げない男の様子に、悠はただならぬ雰囲気を気取っていた。

 

『なんですか、急に』

『お前は誰に言葉を習ったのか、てことだ。ほら、フロル語ならギリ、アーサーかなとか考えられるからよ』

 何を問いたいのか、読めない。悠は絶えない疑問符に顔を顰めるも、ロルフは勝手に言葉を続ける。

『あいつのフロル語はジェイコブ、ゾール語はオレを真似てるんだぜ?』

『はあ……。だから何……』

『このパーティーで、他にゾール語を話すヤツはいねえ。オレはわかりやすく、国境地方の平民訛りでね』

 

 ようやく、悠はロルフが何を言いたいのかを覚った。悠も無意識に話しているこの言葉が、ロルフの発している言葉と似ているようでそうでないことには気付いていた。単語は同じだが、ちょっとした言葉選びや抑揚の付け方なんかが少しずつ異なる。

 

 そのことを突き付けるように、ロルフは言う。

『気が付いてるか、お坊ちゃん。お前の話すゾール語は、上流階級の発音だ』

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