145 -out_形代(4)


 淳一郎が息を呑んだそのとき、次の瞬間に美琴はパッと手を離して間延びした声を鳴らした。

「ホコリ、付いてたよー。ほら、お礼もしたいから入った入った。五十嵐くんも」

 

 其処には、いつも通りの美琴が立っている。へらへら笑って、バシバシと淳一郎の腕を叩いている。そしてこれまたいつも通りに、淳一郎が呆気にとられているのを他所よそに捲し立てるように言葉を続く。

 

「君塚っちはコーヒー派だっけ?紅茶派だっけ?今の五十嵐くんはどれ好きかなあ。レンレンはけっこうお子様舌だったよね。しーちゃんはどうなのかな?あ、そだ。他にもオレンジジュースとココアあるよ。どれがいい?」

「あ、おれ。オレンジジュースとかいうの飲んでみたい」

 

 元気よく手を挙げる紫苑に、あの美琴の弾丸トークによくもついていけると淳一郎は顔を引き攣らせるしかない。だが淳一郎が何か言葉を返すより先に、美琴が淳一郎と紫苑の腕を掴んでぐいぐい玄関の中へ引きずり込んだ。 

「おっけー。ほらほら、上がってちょー。ほらシロくん、お客さまのお通りだぞお。そこを開けい!」

 

 そしてあっという間に鍵まで閉められて、気がつけばリビングルームである。

 何とも所狭しなリビングである。一人暮らしの家にしては広いというのに、書きかけのキャンパスや作りかけの衣装やヘッドセット、編みかけのぬいぐるみ、何冊ものの積み上げられた書籍などがすし詰めにされているのだ。

 さらにはその上に作り終えた巨大なテディ・ベアや描き終えた絵画などが直接置かれたり吊るされたりしている。どれもこれも、何処かシュールで不気味な雰囲気のあるものたちだ。

 

 その美琴お手製雑貨に囲まれたアンティーク風のテーブルの前に座らされた淳一郎は落ち着かずキョロキョロとする。

「……俺、地味に飛鳥井の家は初めてやけど、すごい雰囲気やな」

「実家の部屋もこんな感じっすよ。目のイってる人形とかマジキモい」

 

 と言葉を差したのは、部屋に入ってきた司狼少年である。姉に言われて、盆に乗せた飲み物を運んでいるらしい。その盆も妙に湾曲し、ペンキを投げて塗りたくったようなそんな模様が施されている。その上に載せられているカップも一般的なもののはずがなく、淳一郎からみると生首型のカップである。

 

 弟の後ろにくっついて来ていた美琴がひょこりと顔を出して声を上げた。

「えー、あれがカワイイんじゃん。ねえ?」

「うん、カワイーと思うよ」

 と若干棒読みで切り返す紫苑に、すかさず淳一郎は手刀でツッコミを入れた。

「おい、適当に乗るなや」

 

 だが美琴はまったく聞いておらず、司狼の持つ盆から生首……ではなくマグカップを持ち上げ、テーブルの上に置いた。

「はい、君塚っちにはお手製ブレンドコーヒー。五十嵐くんはオレンジジュースだよ」

 

 なんと珈琲は豆を炒るところから始め、オレンジジュースはオレンジを絞るところから始めている。美琴はかたりなんでも拘る性質たちなのである。

 ありがとう、と淳一郎が答えてマグカップを受け取ると、そのかたわらで美琴は最後のひとつをテーブルに置いた。

「ちなみに、シロくんはクリームたっぷりミルクココアだぞ」

「そんな子供っぽいの飲むかよ!姉ちゃんやめろよ客の前で」

 真っ赤になってキャンキャン吠える弟。お年頃である。それにはつい、淳一郎も、

「……中坊やなあ。俺にもこんな甘酸っぱいころあったなあ」

「そーなんだ。あーあ。昔はおねえちゃん、て甘えてたのに」

 

 嘆く美琴に、もはや恥ずかしくてたまらないのか、司狼は顔を覆って沈黙した。そんな司狼を見ながら、淳一郎はなんとなしに問う。

「弟くんはいくつなんや?」

「十三だよ」

 つまりは見た目通り、中学一年生なのである。美琴は翌年三月(早生まれ)で二十一。

 

「へえ。えらい年齢とし離れてるんやな」

「ボクのママン、若いからねえ」

 しみじみと答える美琴に、淳一郎は思わず身構える。

「……それはお盛んだとかいう話か?お子様の前で下ネタはNGやで」

 

 彼女はエロ本まがいなBL漫画や青年小説を書く。其処まではよい。ひっそり書いて発表するのは自由だ。だが彼女には問題がひとつある。夢中になれば、其処が駅の真ん中であろうとそのエッチなシーンの芸術的表現について語りだす空気読まずなのだ。

 

 心外だ、とばかりに美琴は頬を膨らませ、

「違うよお。ホントに若いんだよ。ほら、そこの写真。ボクたちのママン」

 

 さらには壁の一箇所を指さす。あまりにごちゃごちゃと物が積まれているゆえに気づかなかったが、よく見れば数枚の写真が飾られていた。

 その中に、家族写真のようなものがあった。赤ん坊と小さな女の子、中年くらいの男とそれから酷く若い女が写っている。おそらく、女の子と赤子はあの姉弟。父親似らしく、若い女と女の子は似ていない。そしてこの若い女が美琴の母親であろう。まじまじとその写真を見て、淳一郎は「確かに」と呟いた。

 

 だが、若く見えるだけかもしれぬし、そもそも女は化粧してしまうと年齢がわかりづらくなってしまう。ゆえにどれくらい若いのか推測できない。

 ゆえに、

「ボク生んだとき、まだ二十にもなってなかったからねえ」

 という美琴の発言に淳一郎は吹き出した。確かに若い。それはつまり、今の美琴よりも若い頃に子持ちになったということだ。

 

「まあ。ママンは再婚で、前の旦那さんのところにもう一人子供いるらしーから」

「待て。犯罪臭するんやが」

「大丈夫だよ。日本の法律では、女の子は十六歳で結婚できるだよお」

「そうやけど……」

 

 そう言って再び淳一郎は家族写真へ視線を向けると、その写真の前にいつのまにかリオが立ってまじまじと見つめていた。その様子を不審に思い、淳一郎は首を傾げる。

「どないしたん?」

「ううん。知り合いに似てるなあと思っただけだよ」

「知り合い……?」

 

 現代日本の生活がちっとも遅れていない彼女に、知り合い。淳一郎は眉を顰める。

 紫苑がどの写真を見て、写真に映る誰を見てその感想を零したのかわからない。

 

 聞く時間がなかったのだ。

 問い掛けようとしたその瞬間、やにわに、ゴンッ!という鈍い音とともに、後頭部に衝撃が走り、淳一郎は我知らず転倒していたのだ。声を上げる間もなく。振り返りざまに二人の人影を見たが、その顔を確認する前に、淳一郎の意識は途絶えた。

 


※2017年まで、日本人女性の結婚年齢は16でした

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