144 -out_形代(3)
世間で冬休みが始まったその日は、朝から曇天の空であった。さらに間が悪いことに、家を出た時に限ってポツポツと雨が振り始め、君塚淳一郎は五十嵐蒼を連れて、少し離れたアパートに住む飛鳥井美琴を訪れたときにはさあさあと小雨が降り注いでいた。
出迎えてすぐ、ウサギのきぐるみ風ルームウェアを着た美琴は声を上げた。
「ありゃ。濡れたねえ」
ウサギの耳は、ストロベリーブロンドの髪を高い位置で結ってツインテールにすることで表現しているらしい。家の中でもばっちり仮装している美琴を前に淳一郎は顔を引き攣らせながら言葉を継ぐ。
「いや、走ればなんとかなると思ってしまったねん」
塵も積もればなんとやら。淳一郎のセットした銀髪はしっとり濡れてヘタれている。その手にビニール傘があるのだから、なおさら間抜けな絵面である。
その後ろには、同じく濡れたパーカーの表面を手で払って雫を落とす蒼の姿。ざんばらの黒髪からもポタポタと水滴が落ちて、傍目にはなんとも惨めな姿である。
「レンレンまで傘ささなかったの?二人してざっぱーなんだから」
大雑把、と言いたかったのだろう。淳一郎は顔を引き攣らせながらも、蒼の背を押して美琴のすぐ前に立たせる。
「ええとな、こいつ蓮やなくて」
「はじめまして、アスカイさん。おれは紫苑ていーます」
元気よく手を上げ、大声で応じる紫苑に、淳一郎はギョッとする。無駄に大声を出してご近所さんに怒られる、という発想がないらしい。淳一郎は彼女の口を塞ぎ、しーっ!と声量を落とすよう指示した。
一方で、美琴はやけにワクワクした表情で言葉を返す。
「およ。お初のコだ。どしたん?」
「い、色々あってな。元々は蓮がなんや用事があるって言うてたやろ?でも俺もその用事知らんから、キャンセルしよかって言うたらこいつが行きたい言うて」
「ボクは遊びに来るでもウェルカムだよー。あ、でも」
美琴の視線が、玄関の靴へ向けられる。其処には、美琴のものにしては大きく、さらにはなんとも普通過ぎる黒いスニーカーが置かれていた。
「なんや。客人か?」
「うん。ちょっと家の事情で、弟がしばらく泊まってるんだあ」
「弟なんておったんか」
「そだよー。あ、ちょうどいいや。シロくん、こっちこっち」
そう言って、美琴が大声でその弟とやらを呼ぶ。淳一郎は眉を顰めて復唱した。
「しろクン?」
「ウン。狼を司る、で
「これまたイカツイ名前やな……」
その名をポチみたいなポップで軽い名前にしてしまうのだから、なんとも言えない気分である。淳一郎がついと視線を美琴の後方へ向けると、玄関の先は扉で閉ざされて隠されている。美琴の下宿先は淳一郎たちに比べると少し広いらしい。ワンルームではなく、1DKか、2DK。パタパタと足早に歩く音が鳴らされ、玄関に一番近い扉が開かれた。
「朝からなんだよ、姉ちゃん」
「え!?」
淳一郎は思わず声を上げていた。
現れた少年に覚えがあったからだ。小柄で、美琴と並んでも背の変わらない少年だ。黒髪を清潔に短く整え、大きな黒目がちの目、まだ幼さの残る顔立ち。よくよく見れば体の大きさに対して手足は大きく、これから成長するのだろうことが伺える――倉庫街で会った、あの中学生少年である。
その少年の姿に驚かされた淳一郎だが、すぐに蓮の目的を理解した。あの少年の鞄を漁って身分証の類を探していたのは蓮自身だ。淳一郎よりは美琴と話す機会のあった蓮のことだ。事前に弟の名を知っていたのかもしれない。美琴の苗字は珍しい上、司狼なんていう名前。同姓同名はそうそういまい。そうなると、学生証なりを見つけてすぐに気が付いたに違いない。
――なるほど。どうせ後でまた会えるから、救急車呼んだんやな。
一人納得顔をしている淳一郎に対し、当の司狼少年は淳一郎に覚えがなく、眉を顰めて姉へ視線を向ける。
「……誰?この派手な人。姉ちゃんの彼氏とか言う?趣味悪くね?」
さらりと悲惨な物言いである。小生意気な様子がなんとも中学生らしさ満載であり、出会った時の女性的な様子はまったくない。
「失礼なお子様やな。安心せい、彼氏ちゃう。たんなる友達や」
「ふーん。わ、そっちの美人もお友達すか?」
司狼の目が輝く。
視線は淳一郎のすぐ横、五十嵐蒼にある。日頃相手を無愛想な男の子だと思っているお陰でうっかり忘れがちだが、五十嵐蒼は美人な女性なのである。妖しく垂れた目に白い肌をした整った顔、胸は小さくとも手足が長く。健康的に引き締まった肉体。奇天烈なものを好む姉の美琴と違い、弟はなんとも一般的な感性をお持ちらしい。わかりやすく興味津々に蒼を見ている。
その蒼――紫苑は紳士的な笑みを浮かべて応えた。
「五十嵐蒼です。お姉さんにはいつもお世話になってます」
「ちょいちょい。誰やお前……」
とすかさず紫苑をひっぱり、自分含め飛鳥井姉弟に背を向けるようにさせると、淳一郎は小声で耳打ちした。紫苑はにこにこと微笑みを浮べたまま、同じく忍び声で答える。
「あ、変なたいど取るとあとでレンに殺されるかなと」
「まあ、蓮がやるより悠っぽさあるがな」
蓮は演技の才能がなさすぎるのだ。ゆえに大学での五十嵐蒼はもはやミステリアス(ただの無愛想)な女性でる。だが紫苑の笑顔は柔らかさが出ており、声も穏やか。舌たらずさもないので、悠の雰囲気に近い。
紫苑は得意げに胸を張り、口を閉じたまま応じた。
「そう、おれの特技なんだよ。フクワジュツー」
「いや、腹話したらあかんやん」
「おお、そうだった」
いつまでもヒソヒソと話し合う二人を怪訝に思ったのだろう。ひょこりと間に割って入った美琴が言葉を差し込んだ。
「ナニナニ、何の密談かにゃ?」
「いや……なんでもないで。ちょいとこいつに状況説明をやな」
と淳一郎が誤魔化すように言うと、美琴は納得したのかにこにこ笑顔で言葉を返す。
「しーちゃんは初めてだもんね。とにかく中に入んなよ」
しーちゃん、は紫苑のことであろう。比較的まとも……というより、蓮だけがパンダみたいな愛称になってしまっている。確かに、「ゆうゆう」も「しーしー」も言いづらいので仕方がないのだが。淳一郎は密かに、自分が「ジュンジュン」とかではなくてよかったと胸を撫で下ろす。それだと何処ぞのアイドルみたいになってしまう。
淳一郎が一人安堵していると、美琴が訝ったように言葉を続けた。
「どしたん?一人で君塚っち。なんかホッとしてる?」
顔に出ていたらしい。淳一郎はコホンと咳払いをして、気を取り直した。
「――それより、飛鳥井。弟くんはなんともなかったんか?」
それはきっと、本来の目的であろうこと。淳一郎としては何気なく聞いたつもりだった。
だが二人の姉弟の反応に、淳一郎は顔を引き攣らせた。
美琴はピタリと部屋へ入ろうとするのをやめ、淳一郎たちを見入っている。その奥で、弟の司狼も同様に視線を向けている。姉弟揃って無表情に凝視しており、淳一郎は無意識に後退る。
「ほら。救急車で運ばれたやろ?あれ呼んだん俺なんやけど……」
「およ。それは知らなかったや。なおさらお礼しなきゃだね」
と表情の変わらぬまま、美琴の手が淳一郎の腕を掴んだ。
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