142-out_形代(1)
一方で、その頃の日本。
淳一郎は昼前から眠りっぱなしな友人の様子を見に来ていた。蓮とはお互い合鍵を交換していたので、いつでも部屋に入れるのだ。
「……あれ?」
部屋に明かりが点いている。バイトに出かける前は消していたはずなのに。淳一郎は急ぎスニーカーを脱ぎ捨てて、部屋へ上がった。
「なんや、目え覚めたんか」
「うわっ」
「ええと。なんて呼べばええ?」
淳一郎を見上げる彼は、癖なのか頸に手を添えて、
「えっと……り…………
それは
「……ああ、朝方に会ったヤツか。蓮はどうしたん?」
「ちょっとやむにやまれぬジジョーで、中に引っ込んでるんだ。そのうち、戻ってくるよ」
淳一郎は中だとか外だとかをよくわかっていない。蒼という肉体に複数の精神が宿っているのだろうことを見て知っているだけなのである。ゆえに、やむにやまれぬ事情とやらに関してもまったく想像が付かない。
気にならないと言えば嘘になる。だが、それを本人以外から聞くのも厭われ、淳一郎はなんとか
「ま、まあ。戻ってくるならええ」
すると、紫苑と名乗る彼女はきょとんと首を傾げた。
「戻ってこない、て言われたら?」
「それはちょっと困るなあ」
「なんで?」
「……ほら、色々忙しくなるやろ。だからや」
気不味そうに淳一郎は視線をそらすと、逃げるようにキッチンスペースへ向かう。
冷蔵庫を開けると、タッパーに詰められたカレーと、美琴お手製のゴ◯ブリ型の菓子。それ以外は何も無い。なんか、と言っても選択肢が自然と一つしか無い。淳一郎は顔を上げて、再度問うた。
「……カレーしかないけど、食うか?」
「へえ、カレー。はじめてだ」
紫苑と名乗る蒼は目を輝かせる。まさか初めてと言われるとは思わず、淳一郎は面食らったが、よくよく思い出せば初めの蓮も似たりよったりであった。あまりに何も知らなかったゆえに、しばらく淳一郎の家で世話をしたくらいだ。
とりあえずとばかりに、カレーを盛った皿にラップを掛け、電子レンジへ入れると、淳一郎は加熱時間を設定してスタートボタンを押す。時間は適当に五分くらいである。うっかり爆発させかねないので、淳一郎はじっと電子レンジを監視する。爆発したあとの電子レンジの掃除は実に面倒くさい。
すると、興味をそそられたのか紫苑が淳一郎の横へ並んだ。
「へええ。これが電子レンジかあ。すごいや」
「……蓮もやけど、どんな原始人なんや」
「中には家電せーひん、ないんだよね」
へええ、と相槌を打つ淳一郎。無論、何も理解していない。チンッと電子レンジが音を立てると、カレーの温まり具合を見て、再度加熱。そんな淳一郎をじっと見て、紫苑が問い掛けた。
「ええと、何クンだっけ?」
「淳一郎や。君塚淳一郎」
「へええ。男の子に見えるんだけど」
「そうやけど」
何を今さらと、温め終えたカレーを取り出しながら、淳一郎は眉を顰める。何を思ったのか紫苑は眉を寄せて言葉を続く。
「ええと、レンやユウとはどんな関係で?」
「友達や」
「蒼は女の子だよ」
その当たり前過ぎる指摘に、淳一郎は色付き眼鏡の奥で目を瞬かせる。なるほど。第三者から見れば、淳一郎は恋仲でもない女の家にズカズカ入り込む無礼な男だ。だが今さらだ。
「でも、レンもユウも男なんやろ?」
「あー……。まあ、ユウはそうだよね」
と答える紫苑に、淳一郎は眉を寄せる。
「蓮もやろ?」
「まあ……たぶん?そーなのかな?」
なんとも不明瞭な返しだ。淳一郎はいっそう訝って、
「パッとせんなあ。で、紫苑さんは?」
「えっとお……。女の子のつもりだよ」
その答えに、淳一郎はピタリと手を止めた。その様子を疑問に思ったのか、紫苑は首を傾げる。
「どうしたの?」
「い、いやあ。てっきり男かと思っとったもんで」
「話し方のせーかな?でも一人称とかって男の子女の子かんけーよね。へんけん?はよくないよ」
「まあ、そやな……」
そうじゃないのだが、と淳一郎は沈黙するも、とにかくローテーブルにカレーを盛った皿を置く。もはや水切りと収納が同居しているカトラリースタンドからスプーンを取り出すと、それを紫苑に手渡した。
すると何故か、紫苑がぼろぼろと大粒の涙を落とし始めた。
「え!?どないしたん!?」
「あ……ごめん。一緒に出てる子のえいきょーで……」
「一緒に?蓮と悠が同時に出てるみたいな感じか?器用やな」
「うん……。この子は泣き虫で……」
そう答えて涙を拭うも、止めどなく涙が零れ落ちている。傍目には途轍もない情緒不安定である。蓮と過ごしていたときにこのような経験はなかったゆえに、淳一郎はわたわたと慌てふためいた。
「まあ、ええと。何すりゃ落ち着くんや?」
「ちょっと待って……おちつかせる」
紫苑はローテーブルの横に座ると、目を瞑り、俯く。目蓋がピクピクと震え、何かを呟くように唇が動いているが、何をしているのか淳一郎にはわからない。ただ一言だけ、「落ち着いて、大丈夫だよ」というような言葉だけがはっきりと聞こえた。
数分するとようやく、紫苑は目を開いた。
「……うん。おちついたみたい」
目が充血している。だが確かに涙は止んでいた。淳一郎はほっと胸を撫で下ろして、
「ならよかった。とりあえずカレーでも食えや。蓮のお手製やけど」
「え、レンっておりょーりできるの?」
「甘口やけど、俺のより美味いで。大雑把な性格なくせして丁寧や」
そうなんだ、と言って紫苑はカレーを頬張る。お気に召したらしく、口の中へかきこんでは、うっとりとしていた。その様子を見て淳一郎は思わず言葉をこぼす。
「……味覚は蓮に近いんやな」
「そーなの?」
「悠はそもそも刺激物嫌いやからな。カレー食べなかったんや」
「こんなにおいしーのに。もったいないなあ」
そう言って頬張る紫苑に、淳一郎は苦笑した。
カレーをぺろりと平らげると、紫苑はふと淳一郎を視て言った。
「君、レンと仲いいんだね。そんなに付き合いないのに」
その発言に、淳一郎は一瞬、言葉を詰まらせた。悠の反応から、蓮以外は日本でどれくらいの時間が経過していたのか認知していないことは知っていた。そのことを知った時の悠を見ているゆえに、伝えづらさを感じてしまうのだ。だがどうせ、カレンダーを見れば一目瞭然。淳一郎は素直に告白した。
「悠から聞いてないんか。俺と蓮、二年半の付き合いなんねん」
理解が追いつかなかったのか紫苑はきょとんとして、淳一郎を見る。淳一郎は気不味さで頬を掻くも、紫苑の中では何処か納得の行くことがあったらしい。
「あー、どうりで。あんなに荒れてたんだ」
「荒れてた?」
「そりゃあ、レンがボコスコにやられてたよ」
その返答に、淳一郎は眉間に皺を寄せた。それは、想像していた事態だ。久しぶりに再会したときの悠は酷く困惑していて、淳一郎が何と声をかけても茫然としていた。
だが淳一郎は知っている。
常に蓮が悠のことを第一に考えて、常に懸念していたことを。
ゆえに淳一郎としてはやるせない思いに駆られてしまう。
「……そんな、酷いやんか」
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