139-[IN]Y_窓と扉(2)
――
蓮の言葉に、悠は眉を顰めた。
彼は「また」入られたのだという。中というのは、他の何かが侵入しえるということか。そしてそれは、初めてではないということか。
だが蓮に問う前に少し離れた部屋の扉が勢いよく開け放たれ、亜麻色の髪の少年ヨナスが姿を現した。
「ウソだろ?今度はどうしたのさ」
蓮はすたすたとヨナスのそばへ歩き寄ると、何やら耳打ちをしている。何を話しているのか、悠には聞こえない。だがその内容は衝撃的な何かだったのだろう。ヨナスは青い目を瞠らせ、言葉を溢す。
「……となると、窓から堂々と?」
「さあ。とりあえず、ブラックの部屋はこじ開けられていなかった」
「開けられてたら今ごろ大惨事だよ……」
彼らの視線が、ブラックの閉じ込められている部屋へ移される。「BLACK」のネームプレートが掛けられている部屋は鎖も釘も外されていない。
二人はまた顔を寄せて忍び声で話し合い、頷き合うと、ヨナスは一部屋一部屋を見て回り始め、蓮は悠と陽茉のもとへ駆け寄った。
「陽茉は紫苑と
「え?」
呆気にとられる悠の腕を無理やり掴み、蓮は階段へ向かおうとする。
「ま、待ってください。急にどうしたんですか?」
「何かあればアーサーが何とかできる。だから心配ない。――来い」
「ちょっ……」
聞く耳は持たないらしい。蓮は悠を引きずるようにしてずんずん前に進んで行く。陽茉は床に落ちたウサギのぬいぐるみを拾い上げて、離れていく悠たちを見届けている。悠は渾身の力を込めて蓮の腕を掴み返し、踏ん張って立ち止まった。
「あの!ちょっと待ってください」
気を抜けば本当の意味で引きずられそうだ。悠は足指に力を精一杯を入れ、床を掴む。肩が抜けそうになるが、それでも蓮に捕まれている方の腕を引いて、言葉を続ける。
「また説明もなしですか。何に「入られた」んですか?」
「あとで説明する。だから今は歩け」
「厭です。どうせ窓の外に放り込んだら、まただんまりを決め込むんでしょう?」
図星なのか、蓮の顔が強張る。きっと彼なりに悠を「守る」ためなのだろうことを、悠は感じ取っていた。だがそんな有難迷惑はくそくらえだ。悠は半ばしがみつくようにして踏ん張り、蓮を睨めつける。
だが、蓮も引く気がないらしい。
遠慮なく悠の腹に拳を入れてきた。あまりの衝撃でふらつくと、蓮は自分より背のある悠を担ぎ上げる。
「文句なら後でいくらでも聞く。今はとにかく、肉体の確保が最優先だ」
「は……?」
干された布団のように担がれた悠はジタバタと暴れるも、抑えつけられてなすすべもない。蓮は悠を担いだままズンズンと進み、一つの部屋の前で止まると、力強く蹴りつけた。
「おいクソ紫苑。お前もさっさと出ろ」
自室でのんびり休んでいた紫苑からすれば突然扉を蹴飛ばされて凄まれたら吃驚どころではないだろう。紫苑はおそるおそる扉を開けると、げっそり疲弊した顔を覗かせ、
「え、何さ急に。もう外はこりごり……」
と一応とばかりの抵抗をしてみせる。
相手が疲労困憊した女性だろうと蓮が遠慮することはない。めり込むほどの力を込めて壁を蹴りつけ、言葉を続ける。
「つべこべ言わず、行け。陽茉だけでもいいならぶん投げるぞ」
さすがに悠もりも背の高い紫苑を投げるのは難しかったのだろう。紫苑は勢いよく部屋の外に飛び出して、急ぎ陽茉の無事を確保すると、捲したてて言葉を返した。
「行きます行かせていただきます。君はもう少し、女子供に優しくすべきだと思うよっ」
「あ?知るか」
「はいはい知ってましたよ!何がなんだか知らないけど、後でちゃんと説明してよね!」
ビシッと指さした後、紫苑は陽茉を連れて玄関へ足早へ向かった。理由もわからず指示に従うのは、よほど信頼を寄せているのか、それともただ思考が停止しているだけなのか。
二人(とぬいぐるみ一匹)が玄関の扉の向こうへ消えると、蓮は小さく息を落とした。
「……説明なら後で纏めてやる。悪いけど、ハーヴェイを
「厭です」
蓮の肩の上でぶらんと逆さの状態で、悠は目を据わらせている。彼は至極冷静で、剥きになって拒否しているわけではない。
「せめて簡単に、僕がやるべきことを教えてください。暗黙の了解なんて、僕が知ってるはずないでしょう」
紫苑や陽茉は過去の積み重ねがあって蓮を信用して動いているのかもしれない。それに、こういう時に自分たちがどうすべきなのかを知っているのかもしれない。だが悠にはない。悠の記憶には何も残されていないのだ。
蓮は一瞬沈黙し、悠の体を支える手に力を込めたのち、小さく応じた。
「わかった。歩きながら説明する」
「なら、逃げないから下ろしてください。物理的に頭に血が上って辛いです」
もっと場所が安定して、さらに筋力があれば、えびぞりになって上体を起こすということもできたであろう。なまじ自分より小柄な少年が肩と腕でなんとか支えている状況である。悠はなすすべもなく宙ぶらりんのまま、通常より心臓に負荷が掛かっているのをヒシヒシと体感して耐えているのだ。……心臓は無いはずなのだが。何故かそう感じるのだから仕方がない。
蓮もようやくそれを理解したのか、
「……悪い」
と言って悠を下ろした。
「いえ……。とにかく、走るんですよね?」
汗を拭い、悠が蓮へ視線を向けると、蓮は黙して頷いた。二人で廊下を走り、階段を駆け下りる。前方を走る蓮はやおら口を開く。
「俺も此処が何なのか、知っているわけじゃないんだ。でも、此処は閉じているわけじゃないことは経験的に知っている」
閉じていない。その言葉に、悠は眉を顰める。
「閉じていない?」
「そうだ。何がきっかけなのか、「扉」が「窓」になることがある。そうしたら、それまでいなかった奴が紛れ込んで来たりする」
「紛れこむ……。もしかして、ブラックさんを以前開放したのも」
リビングダイニングの窓の前で立ち止まり、蓮は振り返った。言葉はない。
だが真っ直ぐに見据える彼の金色の目が肯定していた。紫苑は言っていた。住人は突然に増えたり減ったりするのだと。そのことも関連しているのかもしれない。そして今。新たな道の誰かが中へ侵入した――悠も真っ直ぐと見つめ返し、静かに言葉を続けた。
「僕の役割は、ハーヴェイの肉体へ逃げ込まれるのを防ぐこと、ですね」
「本当は危険なことに巻き込みたくない。でも今、任せられるのがお前しかいない」
外で生活した経験を有するのは悠と蓮のみ。治安等を考慮すると、比較的ハードルが低いのは蒼の方。外に不慣れな紫苑に任せるとなると、そちらになる。
悠は嘆息して応じる。
「まあ、別に構いませんよ。どれくらい入ればいいんですか?戻る
「俺かヨナスが直接呼びに行く。それまでは決して戻るな」
具体的な所要時間にはノータッチ。悠が自分から窓に触れるより前に蓮が背を押したため、そのまま悠の意識は閉ざされた。
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