136-R_来客(3)


 たまたまだ。

 日本で一度下宿先へ戻り、ふと何となく厭な感じがしてこっそり、ひとりでクロレンスの窓をくぐった。それはある意味ビンゴとも言うべき予感だったわけだが、ハーヴェイとして目覚めてすぐ、蓮は室内を包む緊張感に気が付いた。

 

 蓮はゆっくり体を起こし、長い濡羽色の髪を掻き上げて今度はジェイコブへ視線を向けた。

「で。何をご対面してんだ?」

 

 ジェイコブはニヤリと嗤うと、熊のように大きく屈強な体で大袈裟に肩をすくめてみせた。

「おー、起こしちまったか。いやね、どなたかの熱烈なファンが寝息にでも思いを馳せたかったんじゃあねえか?」

「なんだ、そのクソな趣味は」

 カメラがあればきっと此処は盗撮しに来たのだろう、という皮肉を言ってのけたであろう。だが残念ながら、クロレンスにはカメラはない。蓮は気だるげに寝台ベッドから降りて、素足のままジェイコブたちのいる方角へ歩き、冷ややかな視線を向けて言葉を続けた。

「そのクソ悪趣味なストーカー野郎は、誰の信者なんだ?」

 

 その切り返しに、アーサーもジェイコブも一瞬、眉を顰めた。良くも悪くも、ハーヴェイは冗談ジョークに乗るような高等技術を有していなかった。他人への無興味が相まって意思疎通コミュニケーションを取ること自体を必要最低限で済ませようとする傾向が強かったからだ。

 

 すると、入り口にいた外套ローブの人影が逃亡を図ろうとしたのか、一歩後ろへ下がった。ハッと我に返ったジェイコブは咄嗟にその人影の腕を掴んで留めた。

「おっと、逃がさねえよ。無賃でイイ思いするのはズルだぜ」

 ジェイコブの手が通常の男たちより大きいというのもあるが、それにしてもその掴んだ腕は細かった。蓮も傍へ寄ると、ジェイコブが捕まえていることをいいことに、その人影の外套ローブのフードを力づくでまくり上げた。

「ガキか。そういう趣味なのか?それとも、ガキじゃねえと使のか?さっきぶりじゃねえか」

 

 その姿に、ジェイコブは目を見開いた。

 確かに子供なのだ。よくて十代前半か。青白い肌に無駄に大きく見える虚ろなブラウンの目。貧民街などで見かけるような瘦せ細った児童だ。その子供はにいっと嗤った。

『ご挨拶よ。こっちでは済ませていなかったもの』

 

 わざわざ、クロレンスでもグルト語を使ってくれるらしい。つまりは、ハーヴェイとアーサーにしか用事がないのであろう。ジェイコブやコリンには通じない言葉だ。蓮はおもむろに右手を伸ばし、子供の首を掴んだ。

『言ったよな。こっちで会ったらぶっ殺してやるって』

 細い首を掴む手にぎりぎりと力が籠められる。相手がうんと小柄なのもあり、蓮は軽々と片手で持ち上げた。痩せ細ったその子供は苦しそうに手で掻きむしりながらも、それでもなおニヤニヤ嗤いをめない。

『あらいやだ。無関係な子供を殺すの?冷たいのね』

『無関係だからな。俺の知ったことじゃねえ』

 

 あっさりと薄情な言葉で返す蓮に、子供はケタケタと嗤う。絞殺されそうになっているとはとても思えぬほどに愉快そうに嗤う子供に閉口しながらも、ジェイコブは蓮の手を掴んで止めようとした。

「お、おいハーヴェイ。何話してんのかわかんねえけどよ。さっそく殺そうとすんな」

「どうせ生かしたって何も出てこねえよ。こいつはだ」

 淡々とした声で返す蓮に、ジェイコブは目を瞠った。彼は蓮の言葉の意味を理解しているのだ。降参を示すように両手を上げ、ジェイコブは言葉を継ぐ。

「おーけーおーけー。落ち着け、ハーヴェイ。捕まえられねえのは理解した。が、こんなところで死体を出すな。後処理が面倒だ」

「そうですよ。宿の店主に出禁食らいますからね。それに、何処でしてきた子供なのか知る必要があります」

 

 背後からアーサーも言葉を添える。倫理観のへったくれもない援護だが、この少年に対して感情的な訴えかけがほとんど無意味であることを考えれば、致し方のないことだ。彼はたとえ相手が知人だろうと、たいていの場合、その相手の生き死にに興味がない。相手が苦しむだとか、相手の家族が悲しむだとか、そういう想像もしない。

 

 ゆえに子供の首を掴んで持ち上げたまま、蓮は真顔で返した。

「死体になった後でも、身元は探れる」

 

 誰かの子供ならば、それこそ冒険者組合に捜索依頼が出されていることだろう。そして孤児ならば、そもそも消えたことを世間は気に留めない。ようはそう言っているのだが、そうじゃないとジェイコブは頭を抱える。

「お前さん、いつか刺されんぞ」

「あ?殺られる前に殺り返してやりゃいいことだろ」

「ボス、論点ずれてきちった。ヘルプ」

 あっさり降参するジェイコブに、アーサーは呆れた風に嘆息した。

「あなたが余計なことを言うからです。ハーヴェイ、つべこべ言わず、子供を離しなさい。離さなかったら、イェーレンではロルフかサイラスと同室になってもらいましょう」

 

 蓮は無言のまま子供の首から手を離した。無論、支えを失った子供は尻餅をつく形で床に放り出されたわけだが。だがそれ以上に、あっさり従った少年に思わずジェイコブは「それ脅しになるんかい!」とツッコみを入れてしまった。残念ながら脅しになるのである。小姑よろしく小五月蠅いサイラスと同室になれば毎日頭痛に見舞われるだろうし、奇人変人のロルフはもってのほかである。

 

 アーサーは歩いて蓮のすぐ横で立ち止まり、子供を見下ろして訊ねた。

「一応お聞きしますが、君から名乗っていただくことはできますか?」

「ふふ。どうせ答えないってわかっているのに聞くのね、

 

 名を呼ばれ、アーサーは顔を顰める。それはジェイコブも同様だ。この部屋に入ってから一度も、アーサーの名は誰も呼んでいない。ブルック隊は冒険者パーティーの中ではそこそこに名の知れているパーティーなので、知られていても確かにおかしはないのだが……。アーサーは眉間に皴を寄せたまま、その疑問を口にした。

「……申し訳ないのですが。君みたいな悪趣味な知り合いは多いもので、覚えきれないんですよ。どちらさまでしょうか?」

 

 子供は口元を覆って愉快そうに嗤った。

「見つけてみなさい」

 そう言うと、子供はゆらりと立ち上がる。その手にはいつの間にか、小ぶりな剣が握られていた。アーサーもジェイコブもハッと我に返った。ジェイコブが「やべ!」と声を上げたのも束の間。子供は自ら首を短剣で穿った。

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