135-out_来客(2)


 寝静まったオルグレンの宿の廊下を、アーサーとジェイコブは足音を立てぬようにして歩いていた。ジェイコブはアーサーの背へ視線を向けると、忍び声でぼそりと呟いた。

「話すだけ話して、ぐうすか寝ちまったな」

 アーサーの背には、長い濡れ羽色の奥で女の子のようなあどけなさを残す天使のような顔を覗かせ、すうすうと寝息を立てている少年の姿がある。それは常では想像できぬほどに無防備な寝顔だ。アーサーも目だけで背後の養子やしないごへ視線を向け、

「まあ。静かでいいじゃないですか」

「お前さん、あいつのこと嫌いだよな……」

 顔を引き攣らせるジェイコブに、アーサーはにっこりと圧のある笑みで返す。真夜中になって二人は、丘の上からこの宿までこの少年を背負って運んできたのだ。

 二人はアーサーとハーヴェイの部屋へ赴こうとして、足を止めた。

 

「遅かったね。何処へ行っていたんだい」

 其処にはそばかす顔の男、コリンが立っていた。

 

 なかなか帰ってこない同室のジェイコブを心配していたのだろう。ジェイコブは指を口元に立てて、「しーっ」と言って静かにするよう指示した。コリンもアーサーに背負われた少年へ気が付いたのかこくこくと頷いて、ともにアーサーたちの部屋へ入った。

 

 靴を脱がせたのちハーヴェイを寝台ベッドへ横たえると、コリンはまったく目覚める気配のないその少年を見て問う。

「ハーヴェイ、どうしたんだい?」

「お疲れだよ。まあ、こいつも色々あるのさ」

 とはぐらかすように応じるジェイコブに、コリンは明らかに納得していない顔をして返した。

 

 だが、彼らが何か秘密にしていることを、コリンを含むすべてのパーティーメンバーは知っている。ゆえにそれ以上追及することはない。コリンは少年からついと視線を離し、アーサーへ向けて言葉を掛けた。

「なんでもいいけど。ハーヴェイと全然話せていないってオリヴィアが不服そうだったよ」

 

 そもそも此処数月すうつきほど、まともにオリヴィアの「知る」ハーヴェイはいなかったのだが、そんなことを彼女が知るはずのない。加えて言うならば、ずっと別行動を取っていたアーサーですら知らない。本来はドナ村の地下で再開したさいにジェイコブが気付くべきだったのだが、ジェイコブが全くと言っていいほど本調子でなかった。

 

 アーサーは丸まって眠る養子やしないごの横に腰かけると、まだ入り口近くに突っ立っているコリンへ視線を向けて言葉を返した。

明日あす、当人に直接言っておきますよ。このお馬鹿さんはとにかく気が利きませんからね」

「頼むよ。俺もアーサーたちの深い事情なんてものは知らないし、興味もないけど、あの子は違うんだからさ」

 正確に言えばきっと、オリヴィアも過去を根掘り葉掘り聞こうなんて思っていないだろう。彼女が好いているのは「現在いまの」ハーヴェイだ。それが「どの」ハーヴェイなのか、など問うのは愚問だが――アーサーは苦笑した。

「まったく、あんな子に勿体ないくらいに素直でいいに好かれたものですね」

「サイラスは趣味が悪すぎるって嘆いていたよ」

「彼からすれば、愛する姪っ子に変な虫が付くかもしれない重要な案件だからね」

 

 それもそうだ、と笑いながらコリンも室内中央へ歩き寄る。椅子に腰かけようとテーブルのそばへ辿り着くと、ふと足を止めた。

「なんか置いてあるけど……これ何だい?」

「え?」

 アーサーは紫の目を瞬かせた。同じくテーブルの方へ歩き寄ろうとしていたジェイコブも同様で、彼らの視線の先で、コリンは一枚の封筒を持ち上げて見せていた。

 

 それは、覚えのない質素な白い封筒だ。アーサーはすっと立ち上がると、怪訝な面持ちをして問うた。

「……それ、テーブルに置いてあったんですか?」

「そうだけど。自分で置きっぱなしにしたんじゃないのかい?」

「いや。そんな封筒は置いた覚えがない。ちょっと見せてくれますか」

 別に構わないが、とコリンはアーサーへ手紙を投げて寄越した。

 

 ジェイコブもアーサーの傍へ寄って、その手紙を覗き込んだ。差出人の名はない。アーサーは手稲に蝋で閉じられた封を開け、中から一枚の紙を取り出す。

 

「鳥……?」

 

 いつの間にかジェイコブの横から覗き込んでいたコリンが声を溢していた。便箋の右下に、一羽の鳥の絵が描かれていたのだ。長い飾り尾が垂らしている、不思議な鳥だ。その横には達筆な文字で何か記されているのだが、ジェイコブはその文字が読めず顔を顰めた。

「それにこりゃあ……グルト語か?俺にゃ読めん」

「グルト語ですね。ずいぶん教養高いお方が忍び込んだみたいですね」

「あいつじゃねえのか?」

「内容からして、違いますね」

 その内容をアーサーはジェイコブにすら教えない。だがきっと穏やかな内容ではなかったのだろうとジェイコブもコリンも察した。アーサーが眉間に皴を寄せていたからだ。

 

 するとふと、アーサーとジェイコブの二人はに心付き、入り口の扉へ視線を向けた。突然に緊張した面持ちをする二人の男に、コリンだけが首を傾げた。

「どうしたんだい、二人とも」

「しっ!」

 ジェイコブが指を口元に立てて沈黙を指示したため、コリンはわけもわからないままとりあえず口を噤む。アーサーとジェイコブは視線のみで言葉を交わすと、ジェイコブは忍び足で入り口へ歩き寄り、扉を半ばけ破るようにして勢いよく開けた。

「……そこにいる奴、ナニモンだ!」

 

 ガタンッ!という音と同時に、黒塗りの闇の中に人影を見る。その人影の小柄さに、アーサーは眉を顰めた。

「子供?それとも女……?」

 一人ではない。複数だ。逃げ足の速く、すでに数人はいない。残った一人だけがジェイコブと対峙していた。ジェイコブはじろりとその小さな人影を見下ろして、

「こんな夜中にコソコソと、何の用事だ?え?」

 

 姿がよく見えないわけだ。頭の上からすっぽりと黒色こくしょく外套ローブを被って顔を隠している。その外套ローブを着た人影はゆらりと動き、アーサーの方を向いた。アーサーは身構え、すぐ近くで眠る少年を抱き寄せようとした。が、すぐにその手を止めた。

「目を覚ましたんですね、ハーヴェイ」

 いつの間にか黄金こがね色の眼を開き、少年は養父を見上げていた。横たわったまま目だけでじろりと入り口付近を一瞥すると、少年は低く声を鳴らした。

「一応、状況を聞いてもいいか?」

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