134-out_来客(1)


 満天の星空の下、アーサー・ブルックは視線を下ろした。

「おや。今夜も、君ですか」

 

 此処は人通りの少ない街はずれ。オルグレンの街を一望できる少し小高い丘のようになっている草原くさはらで、大きな柏の木の下に座ってアーサーは一人星を見ていた。それは小さな白銀の宝石を散りばめたような星空だ。そしてその丘を、彼が登って来たのである。

 

 年齢よわいは十代半ば。成長期がまだ訪れていないのか、少女のように小柄な少年だ。艶やかで長い濡れ羽色の髪の下に小麦色の肌と黄金こがね色の瞳を覗かせている。その独特の彫りのある顔にふっと不敵な笑みを浮かべ、彼は応えた。

「いやあ、あの子。うっかり晩飯食わせ忘れてるからさ。仕方なくだよ」

 

 その手には酒瓶がある。酔っているのか少し頬を紅潮させており、全くもって仕方なくという様子ではない。アーサーは呆れたように声を鳴らした。

「あの子……というのは今日初めて会ったあの子かな」

「そうそう。うっかりちゃってるけどまあ、悪い子ではないよ」

 

 ううん、と背伸びをしてアーサーの横に座る。その無防備な様子から、彼がいつもの養子やしないごではないことは一目瞭然である。彼自身それを無意識にしているのだろうが、常の彼であればたとえ相手が養父であろうと隙を見せない。

 

 だがアーサーは彼が何者なのかを知っていた。ゆえに嘆息して、言葉を返す。

「あの子が酷く固執するからどんな子かと思っていたのですが。あれは酷い」

「酷いのはどっちのことかな?」

 

 その問いに、アーサーは答えない。だがその沈黙が答えで、全てだった。そのことを愉快に思ったのか、養子やしないごと同じ姿で妖しい笑みを浮かべる彼はケラケラと嗤った。

「随分と酷いお父さんじゃないか」

「子に厳しくあるのも、父の役割ですから」

「その割には甘やかしているようだけど?」

 アーサーは苦笑でもって返した。そんなアーサーをニヤリと嗤って、彼は言った。

「君は相変わらず、甘いところがあるよね。そんなだから、面倒ごとを押し付けられるんだよ」

 知っている、とアーサーは答え、また苦笑した。彼らは父と子というより、旧来の友のようである。すると下方より第三者の間延びした声が響かれる。

 

「おわ。なんだよ、ハーヴェイも来てたのかよ」


 其処には丘を登ってくるジェイコブ・ハーバーの姿。熊のように大きな屈強な戦士で、アーサーと同年代の男である。その姿を認めるや、彼は愉しそうに声を鳴らした。

「やあ、元気い?お嬢さんには言い訳できたかい?」

 さらにはひらひらと手を振る。その異様な光景に一瞬ジェイコブは言葉を失うも、すぐに理解した。

「……ってお前さんか!この間は吃驚したぞ」

「ああ、ドナ村の帰り?でもその前から私だったよ。なかなか気づかないから嗤いそうになった」

「うっそ。マジ?ちゃんと見てなかった。どうして急におもてに出てきたんだよ。出ないだったろうが。オリヴィアが怪しんで大変だったんだぞこっちは」

 

 大いに迷惑そうに問い詰めるジェイコブに、彼は相変わらず口端を持ち上げている。さらには呑気に胡坐を掻き、その足を支えに頬杖をついて言葉を継ぐ。

「身内がちょいとおいたをしちゃってね。その尻拭いさ」

「身内い?」

 彼の言葉に、ジェイコブだけでなくアーサーも眉を顰めた。

「身内……というのはですか?」

「そのままの意味さ。気を付けなよ。は何処にでもいる」

 

 その声は感情があるようでなく、その黄金こがね色の目は何を考えているのかさとらせない。ジェイコブはその捕らえ処のない彼をじっと見つめ、そしてハッとする。

「……もしかして、今回の件にも関わってるのか?」

 

 今回の件。その言葉の意味を、彼はすぐに理解したらしい。頬杖をつくのを止め、今度は隣にいるアーサーへ凭れ掛かる。

「リアムに任せたはずなんだけどなあ。どうしてこんなにまで放っておいてるんだろ」

「リアム……。ああ、お前さんの相棒のことか?そんな名だったっけ?」

 だが、彼はジェイコブの問いには答えない。凭れかかったままアーサーを見上げ、彼のグレイの髪を弄びながらぼやくように言葉を溢す。

「今どこにいるのかもわからないんだよねえ。まあ、今の私じゃあできないことの方が多いけど」

 

 今度はわかりやすく頬を膨らませて不服そうにする。否。わざとそうして見せたのだろう。きっと本心ではそんなことを考えていない。アーサーは眉間に皴を寄せ、じっと彼を見下ろした。

「あの子にも何かしらの接触が?」

「ああ、と?」

「そうです。最近、不安定みたいなので」

「すでに何回か接触してるよ。いや、もう会ったかもしれない」

 そう言って、彼はニヤリと嗤う。そんな彼に対して、アーサーはいっそう顔を険しくした。

?君にわからないことなんてないでしょう」

「買い被りすぎだよ。私はもう、以前の私じゃあない。私、残りかすに過ぎない」

 

 その言葉尻に、アーサーはピクリと眉を震わせた。

「あの子は残りかすなんかじゃありません」

 

 常の彼からは想像できぬ、怒りを露わにした声だ。それでも一心にその激しい感情を抑えていると、そのわなわなと震える唇からさせられる。彼はふっと嗤いの様相を消し、真っ直ぐとアーサーを見据えて言葉を返した。

「それを決めるのは、君でもなければ、あの子でもない」

「では誰が決めるのです」

さ」

 

 彼ら。その言葉の意味を、アーサーは知っていた。ゆえにアーサーは自分に言い聞かせるように言った。

「……私は、あの子の父親です。そんなこと、認めません」

 

 ジェイコブはそんな友を憐れむように見つめていた。だが、彼は違った。無感情な目を向け、他人事のように酒瓶を傾けて飲み干すと、冷たく言い放つ。

「まあ、どっちでも私は構わないけどね。君が認めようと認めまいと、世界は変わらない。それに、君たちは先にやるべきことがある」

「やるべきこと……?いったいそりゃなんなんだ」

 

 眉を顰めるジェイコブを前に、彼は空を指さし、淡々と言葉を返す。

を見つけることさ。きっと紛れ込んでくるよ。もしかすればすでに紛れているかもしれない。早く見つけないと、手遅れになるよ」

 

 彼の細い指は、陽の光を弾きその身を輝かせる鏡を指し示していた。

 何処か遠方からは、狼の哭く声が響かれた。哀しげな声だ。それは何処までも響き渡り、満月みつきは雲の後ろに隠された。

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