132-Y&R_気配(3)
崩れ落ちた少年のそばへ淳一郎は駆け寄り、抱き起した。
「どうしたんや、急に」
小柄な少年はぐったりとして、動かない。胸元に耳を寄せると心音が聞こえるので、息をしていることだけはわかった。
淳一郎のすぐ横で、つい先ほどまで少年の首を絞めていた手をだらりと下げ、彼は言葉を返す。
「窓から出て行ったんだろう」
「出て行く?どういうことや」
「僕たちは中で「窓」から出たり入ったりして、肉体を操ったり操らなかったりするんだよ」
その返答に、淳一郎はぎょっと目を剥いた。
「うわ、吃驚した。また交代したんか」
「ちょっと無理やり。蓮さん、なかなか退いてくれないから困ったよ」
にっこりと微笑むのは悠。蓮と異なり、体幹の安定しない彼の歩き方は一般人のそれだ。ゆっくりと歩き、淳一郎から距離を取ると、悠は独り言つ。
「さて、と」
その手にはいつの間にかウエストポーチから取り出したであろう、サバイバルナイフがある。それを蒼の首に突き立てているのを見て、淳一郎は大声を上げた。
「は!?何しとるん!?」
「正攻法で行っても蓮さんは口を割らないので。蓮さんにはこれが一番効くかなと」
これ、とは悠自身を人質に取ることだ。その理由を悠は全く知らないが、蓮はとにかく悠に弱い。だが中では肉体を有さないので、自傷行為が儘ならない。それならば、肉体を
「中から聞いてますよね?コソコソなにを隠しているんですか。吐かないと、此処で首を斬ります。腹を刺すでもいいですよ」
悠は無理やり狭間から中へ蓮を引きずり込んだのだ。つまりは一度、悠自身も中へ一度戻ったわけだが、蓮を中へ放り出してすぐ引き返し、肉体の主導権を握る。こうすれば、再び蓮が窓を
蒼然として淳一郎が声を上げる。
「ちょ、悠。落ち着け。な?蓮と何を喧嘩しとるんか知らんが、それはよくない」
だが淳一郎もまた下手に動けない。今の悠はとても冷静には見えず、うっかり興奮してナイフで自分を貫いてもおかしくはない。
相変わらず悠は笑みを浮かべたまま、ナイフを視界にちらつかせながら言葉を続ける。
「此処に君塚がいるから話しづらいですか?僕は構いませんよ。クロレンスのことを隠す理由もありません。頭がおかしくなったって思われるのは初めてのことじゃないですから」
「クロレンス……?なんや、それ」
淳一郎が知るはずもない。日本のある世界には存在しない国なのだから。悠はまっすぐに困惑する淳一郎を見据えて、言葉を返す。
「僕たちは五十嵐蒼という女学生であり、ハーヴェイ・ブルックという少年でもあるんです。僕たちは二つの肉体を共有するんです」
「……蓮が時々話とった言葉は其処の言葉か?」
それはつい先ほど話していた言葉も含まれるが、淳一郎にとって蓮が知らない言葉を話すのはあれが初めてではない。フロル語と日本語は完全に対になる言葉があるわけではないし、そもそも二年半前に放り出された頃の蓮はほぼ日本語を使わずに生活していたのもあり、咄嗟に出る言葉の多くはフロル語だった。ゆえに大学生活で一番長く近くにいた淳一郎は何度も蓮がうっかりフロル語を使用する場面に立ち会ってきた。
想像よりも平然とした様子の淳一郎に、悠は顔を顰めた。
「君塚ってなんでもかんでも受け入れますよね。気持ち悪いとかってないんですか?」
それは美琴にも言えることだが、彼らは全てを許容しすぎるのだ。母親にですら全否定された悠からすれば、信じがたい現実だ。
「そりゃあ、噓みたいな話やと思うけど……。でも、蓮は変な嘘つかんし、嘘下手やん」
ではそれが、悠だったら?
今の発言は、「蓮」だからというものだ。何処でも、蓮という存在は認められているのだ。
解かっていた。
解かっていいたが、それをいざ友人に言われて傷つかないほど図太くはない。悠は無意識に、言葉を落としていた。
「……蓮さん
「え?」
きっと淳一郎も意識せずに言っていたのだろう。唖然として悠を見つめ返す。そんな淳一郎を前に、悠はサバイバルナイフを握る手に力を籠めようとした。だがそれは叶わず、突然に意識が遠のいた。
次の瞬間。
(……レン。なんて賭けをするんだい)
窓の向こうから、紫苑の声が鳴らされる。頭の中で話しているのではなく、蒼と話しているのだろう。蓮が蒼として話すときよりも少し高めの女の声である。
窓のすぐそばで、悠は羽交い絞めにされて座り込んでいた。羽交い絞めにしているのは、蓮だ。そのすぐ横には、ヨナスや
ただ一人沈黙を貫き、何を考えているのか
蓮は悠を羽交い絞めにしたまま、ため息交じりに言葉を落とした。
「
お前とはすなわち、外に放り出されると同時に悠を中へ押し戻した紫苑のことだ。窓の外で紫苑は蒼の声で叫ぶ。
(いやあと少しでも遅れてたら、ぶっすりいってたからね!?)
「五月蠅えな。それなら
(君には
頭を抱える紫苑に、呆気に取られて言葉を失っている淳一郎の姿が窓の向こうに映し出されている。彼からすると、一日に三度も別人になる友人を見て困惑しか覚えないだろう。
淳一郎はおずおずとしながら、紫苑を覗き込んで(窓からみると、窓を覗き込んで見える)訊ねた。
(あのお……どなたさんで?)
(あ、ぼくとは初めましてだね。ぼくは紫苑。夏目紫苑っていうんだ。というかぼく自身、外は初めてだな。なんか五感がぞわっとしてキモチワルイ)
一人ぎゃあぎゃあ騒ぐ紫苑に、蓮の横に座り込んでいたヨナスが顔を引き攣らせる。あまりに紫苑が騒ぐものだから、蓮ですら一瞬、淳一郎の顔が顰められたのを見逃してしまった。
蓮に両手の自由を奪われたままであった悠は顔を歪め、冷たい声を鳴らした。
「あの、離してくれませんか?どうせ紫苑さんには敵わないんでしょう」
わざわざ紫苑を行かせたということは、そういうことだ。まさか窓を
悠は悔しげに唇を噛みしめて言葉を続く。
「何やっても、僕は敵いませんね。厭になる。それでどうせ、僕には何も話してくれないんだ。わざわざ僕の知らない言葉で会話するくらいですからね」
そう悪態付く悠の背の後ろで、蓮は
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